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クソリプの構造をマトリックスを描いて解き明かす 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.811


特集 クソリプの構造をマトリックスを描いて解き明かす〜〜〜マスコミとネットと政治の関係の未来を考える(3)


現代のSNS社会は、だれもが専門家であるのと同時に、だれもがクソリパー(クソリプを送ってしまう人、つまり頓珍漢な見解を堂々と発表してしまう人)になりうるのだということを前回は解説いたしました。


これは一般人に限らず、研究者や弁護士、会計士など専門職とみられ世間から尊敬されている人も同じです。専門分野では素晴らしい知見を発表している人が、専門外のことに口を出したとたんに「あれ? この人ちょっと変? 偉い先生だったはずなのに……」とSNSで弄られることになってしまう。そういう光景をわれわれはこの10年余のあいだに無数に見てきました。


なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか。今回は、クソリプの構造についてマトリクスを描いて明快に説明してみることにします。軸は二つです。第一に、考察の解像度が高いか/低いか。第二に、視点がマクロ(鳥の視点)か/ミクロ(虫の視点)か。


第一の軸について考えましょう。解像度が高いか低いかは、その分野について自分がどのぐらい知識を持っているかに依拠します。たとえばわたしは長年、情報通信テクノロジーやメディア問題について論考し、本を書いたり発信してきたりしているので、この分野についての解像度はそこそこ高いと自負しています。それ以外の分野だと、新型コロナなどの感染症やワクチンについては新型コロナ禍のあいだにかなり一生懸命勉強したので、そこそこ詳しくはなりました。これはウクライナ侵攻をきっかけに学ぶことになった外交や安全保障分野でも同じです。しかし当たり前のことですが、その分野の専門家や研究者の方々ほどの知識や見識はありません。


わたしがまったく勉強していない分野もたくさんあります。たくさんあるどころか、無数にあると言った方がいいでしょう。世の中は広く深く、知らないことばかりなのです。そういう知らない分野については、わたしの知識はものすごく解像度が低く、ネットスラングで言えば「小並感(小学生並みの感想)」ぐらいしか言えません。


……というような当たり前すぎることを延々と書いているのはなぜかと言うと、専門外のことに口を出しているが、実はコメントの解像度がきわめて低いというケースが、インターネットにはあふれかえっているということを改めて認識すべきだと思うからです。世界は広く深く、とくに21世紀になってからは社会の全体像を知るということはますます難しくなっています。自然科学、人文科学に限らずどの分野でも進歩は著しく、数十年も前に義務教育で学んだ知識など古びてしまっているというようなケースは枚挙にいとまがありません。


たとえば「太平洋戦争がなぜ起きてしまったのか」という論点。昭和のころは「軍部の暴走」「政治家と軍部が結託して戦争を引き起こした」といった論調が支配的でしたが、近年では当時の日本社会がそもそも開戦を支持していた(厭戦の空気になったのは戦争が長引き、敗色濃厚になってきてからのこと)ことや、日本外交の失敗などさまざまな多角的な視点からの分析が進んでいます。しかしSNSでこの話題を振ると「軍部が暴走!」といまだに言っている、たぶん高齢の人がたくさんいます。知識が古いため、解像度が低いのです。


しかしながら、こういう解像度の低いコメントをしてしまうことにはいたしかたない面もあります。ネットのないころであれば、解像度の低いことを言っても「また何バカなことを言ってるの」と家族に鼻で笑われたり、居酒屋のテレビの前での愚痴が他の客に黙殺されるだけで終わりでした。しかしネット時代には、こうした発言が公に広く伝わってしまう。プライバシー空間とパブリック空間の境界線が曖昧で認識しにくいという構造的な問題があり、人々がこの認識にまだついていけていないということなのです。


第二の軸であるマクロの視点(鳥の視点)とミクロの視点(虫の視点)。これは言い換えれば、全体最適化の視点で見るのか、個別最適化の視点で見るのかという違いです。どちらが良い悪いということではなく、どちらに視点を移すのかによって物事はまったく別の見え方をするということです。


ひとつ例を挙げましょう。この春に福井まで延伸した北陸新幹線。将来は京都・大阪にまでさらに伸びることが計画されています。現在の終点である福井・敦賀駅からどのように京都・大阪にいたるのかというルートについては、若狭湾に沿って西に進み、途中から京都の山間部に入ってまっすぐ南に京都駅に至るという「小浜・京都ルート」が政府・与党のプロジェクトチームの計画ですでに決定していました。


これが政治決定だと考えられていたのですが、最近になって京都からは「京都駅までの途中に駅もできないのに、巨額の費用負担はおかしい」「京都の山の環境破壊が懸念される」といった反対の声が上がるようになりました。そこで、すでに消えたと考えられていた「米原ルート」が浮上。敦賀から海沿いに進まず、南下して琵琶湖のそばを通って東海道新幹線の駅がある米原につなぐというルートです。


これに対しては福井県が「せっかく若狭湾沿いの小浜市に駅ができると決まって喜んでいたのに、米原ルートになったら小浜駅がなくなってしまう」と徹底反対を表明。かなり混迷の深まる状況になっています。


この一連のできごとについてSNSを眺めていると、たとえば京都の人が「北陸新幹線なんか要らん!東海道新幹線があるだけで十分なのになんでそんな余計なものを作るのか」と怒っていたりする。いっぽうで福井の人も「福井小浜に新幹線駅ができるのはもう正式決定してる。今さら違うルートなんてあり得ない」と怒っています。こうした意見の数々を見ていて感じたのは、「自分の住んでいる地域の損得でだけ新幹線問題を語る人はけっこう多いなあ」という印象でした。


ここで留意してほしいのは、わたしは「自分の住んでいる地域の損得だけで語る」ということを決して否定しているわけではありません。そういう視点も、当然必要です。しかしこの視点はあくまでもミクロの視点であり、マクロの視点ではありません。では北陸新幹線問題についてのマクロの視点は何かと言えば、「そもそもなぜ北陸新幹線を大阪にまで延伸させる必要があるのか?」という話です。


東海道新幹線は東日本と西日本を結ぶ大動脈ですが、1964年という古い時代に開通したこともあって、いくつもの問題を抱えています。最大の問題は、盛土に線路が敷設してある区間が非常に多く、全体の45%近くも占めていることです。盛土は文字通り土を持った基礎なので、雨が降れば水が地盤に浸透し、最悪の場合は崩れてしまう可能性があります。当然地震にも弱い。その後につくられた上越・東北新幹線や北陸新幹線のほとんどがコンクリートの高架になっているのとくらべれば、脆弱性は明らかです。


だから台風などの大雨になると、線路が崩れることがないかどうかを入念に点検する必要がある。このため遅れが出てしまい、集中豪雨などでは運休にせざるをえない。また関ヶ原という、非常に雪の多い地域を走っていることも課題です。日本の脊梁山脈の北側が日本海側で雪が多く、南側は太平洋側で雪が少ないというのは小学生でも知っている常識ですが、この脊梁山脈がきわめて低くなっているのが実は関ヶ原のあたりなのです。日本海側の福井県敦賀市と、太平洋側になる滋賀県の琵琶湖畔のあいだにある脊梁山脈の高さは、300メートルもありません。中部山岳一帯の脊梁山脈が3000メートル前後もあるのとくらべれば、驚くほど低くなっている。


そしてこの低い山を越えて、冬になると雪雲が琵琶湖側に流れ込んで来るのです。この雪雲が東海道新幹線の走る米原や関ヶ原のエリアに雪を降らせ、これもまた遅れや運休の原因になってしまう。さらには「いずれは必ずやってくる」と言われている富士山の噴火の不安もあります。ご存じのように東海道新幹線は、富士山のすぐ南側を走っているからです。


水害や地震の増えている21世紀において、たった一本しかない東西の大動脈がこの状態ではあまりにも心もとないと言えるでしょう。そこで東海道新幹線が不通になった場合でも東西が隔絶されないようにする交通の多重化が求められています。そのための北陸新幹線大阪延伸であり、さらには静岡県の反対で工事がストップしてしまっていたリニア中央新幹線の意味なのです。これが北陸新幹線問題におけるマクロの視点です。


もう一度繰り返しますが、マクロの視点とミクロの視点はどちらも必要なのであって、「マクロの方がすぐれている」とかそういうことではありません。北陸新幹線を「東西日本の交通の多重化」というマクロの視点で見ることは必要ですが、それは京都や福井などの地元の人たちのミクロの視点による損得を無視していいということにはならないのです。これはあらゆる分野に言える話で、たとえば経済についてもマクロ経済の知識は非常に重要ですが、だからといって消費者や企業の行動を分析するミクロ経済の視点が不要であるということにはなりません。


さて、ここまで二つの軸について説明してきました。考察の解像度が高いか/低いか。視点がマクロ(鳥の視点)か/ミクロ(虫の視点)か。この二つの軸を使って、マトリクスを描いてみましょう。ものの見方について、四つに分類することができます。


A)マクロの視点/解像度が高い

B)ミクロの視点/解像度が高い

C)マクロの視点/解像度が低い

D)ミクロの視点/解像度が低い

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