「ていねいな暮らし」と「時短料理」の矛盾に彩られていた2015年 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.815
特集 「ていねいな暮らし」と「時短料理」の矛盾に彩られていた2015年〜〜〜令和時代は「時短料理」から「気持ちいい料理」へ(2)
1986年の男女雇用機会均等法を経て、1990年代になると女性の社会進出が本格的に始まり、これにともなって家庭料理の世界にも変化が現れます。それまでの「家庭料理の継承」「おふくろの味を夫に作ってあげる」といった伝統的な内容から、電子レンジを駆使するなど「時短」に重きを置く方向へと舵が切られていったのです。
とはいえ、1990年代ごろはまだ「男も女も料理する」という役割分担まで進んでおらず、社会進出した女性たちが家事までをもカバーするという片務的なものでした。
上記の記事で阿古さんは、こう指摘しています。
「1980年代~1990年代は、男性の家庭進出はほとんど進んでおらず、仕事を持つ既婚女性たちは家事を全面的に背負って時間をやりくりしなければならなかった。2000年頃に爆発したデパ地下ブームは、都心で働く既婚女性たちが、自宅近くのスーパーは閉店時間に間に合わないから、とデパ地下で食材や総菜を買うようになっていたことがベースにある」
これが2000年代、特に2010年代以降ぐらいになってくると、男性も料理をするのが当たり前になってきます。思い出してみると2010年ごろは「(夫が)家事を手伝う」というような文章がまだ散見されていて、これに女性たちが強く反発するというシーンがSNSなどでもよく見られました。「家事を手伝うじゃないでしょ!家事を分担するんでしょ!」と。
この2010年代というのは、今になって振り返ってみると生活文化にとってはターニングポイントになった時期だとわたしは考えています。2008年にリーマンショックがあり、2011年には東日本大震災。その前の2000年代は投資ブームがあり、勝間和代さんの著書「無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法」(2007年)がベストセラーになりました。バブル崩壊後の不況を経て、もう一度「成功」を夢みられるようになり、多くの人が外貨預金やFX投資などに血道を上げて、高級レストランに足を運んだりしていました。
しかしリーマンショックは投資熱を一気に零度にまで冷え込ませ、さらに3年後の震災が「どんなに高級車を買って大邸宅を手に入れたって、災害が起きればすべて押し流されるんだ」という厭世観さえも生みました。震災当時は「地震が起きたからといって日本社会は何も変わらない」などと言われたりしていましたが、あれから13年が経ってみると、実際には日本社会は震災を機に大きく変わったということを実感します。
その変化とは、生活文化の変化です。高級な美食、高級車、高級リゾートのようなハイブローな文化への憧れは薄れ、逆に「家族とゆったりと暮らす」「仲間たちと楽しく飲む」といったコージー(居心地の良い)文化が台頭してきたのです。2015年ごろからブームになったクラフトビールはその象徴だったと言えるでしょう。さらにこのころ登場した「ていねいな暮らし」という言葉も、この新しい都市文化と呼応しています。発酵食をつくったり、縫い物をして衣類を補修しながら着続けたり、といったスタイルです。
そのような新しい都市生活文化を体現するような「KINFOLK」という雑誌もありました。オレゴン州ポートランドで2011年に発刊されたこの雑誌が日本で話題になったのも、やはり2014〜16年ごろでした。この都市生活文化は同時にジェンダー平等のようなアメリカのポリティカルコレクトネスも伴っていて、これが「男でも料理をするのが当たり前」という風潮を日本でも固定化するのに一端の役割を果たしたのではないかとわたしは考えています。
そしてまた2010年代のころころは、平成ブラック時代の最後期でもありました。男も女も深夜まで働き、クタクタになって自宅に帰る。それでも家事や育児はだれかがやらなければならない。そこで時短料理やつくりおき料理が盛り上がり、さらには収入の多いパワーカップルだとシェアリングエコノミーの流れに乗って、つくりおきなどの家事代行を外部に依頼するという新たな動きも出てきたのです。
先ほどの阿古さんの記事にも書かれていますが、2015年前後のこの時期は「ていねいな暮らし」と同時に「時短料理」が大流行した時期でもありました。書店に並んでいる料理本も、以前のような正統派の家庭料理は影を潜めて、「終電で帰ってきてからでもすぐ作れる!」「わずか十分で三品つくれるレシピ」「短い時間でもこんなに美味しい」といったキャッチコピーが躍る時短料理の本があふれるようになったのです。
長く続いた不況や社会保障負担の増大で、可処分所得が増えないのに業務ばかりが増え、それでもお金をかけずに安価で時間のかからない家庭料理が求められるようになっていたのです。「ていねいな暮らし」と「時短」という矛盾に引き裂かれ、「猛烈に忙しいけれど、生活文化は大事にしたい」というのが2015年前後の空気感だったと言えます。
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