「理想的な夫婦」「素晴らしい結婚」は現代における抑圧である 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.712

特集 「理想的な夫婦」「素晴らしい結婚」は現代における抑圧である〜〜〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第11回)


加藤和彦と安井かずみという著名なカップルが「理想的な夫婦」と言われていた時代がありました。1970年代の終わりごろのことです。

ミュージシャンの加藤和彦は1947年うまれの団塊の世代。ザ・フォーク・クルセダーズでデビューし、70年代にサディスティック・ミカ・バンドを結成しました。「タイムマシンにおねがい」などいま聴いてもまったく古くない名曲を送り出し、70年代から80年代にかけて最先端の音楽シーンをつくりあげた人でした。

8歳年上の安井かずみは昭和後期を代表する作詞家のひとりで、アグネス・チャン「草原の輝き」や沢田研二「危険なふたり」竹内まりや「不思議なピーチパイ」郷ひろみ「よろしく哀愁」など今も歌い継がれている膨大な数の流行歌を手がけています。

同時に安井かずみは、ジェンダー平等の意識などかけらもなくまだ抑圧の強かった昭和の時代に、気ままに生きた女性でもありました。1939年うまれの彼女は、20代だった1960年代にはニューヨークやヨーロッパを遊んで回り(戦後に海外旅行が自由化されたのは1964年のことです)、文京区の伝説的な川口アパートメントに住み、加賀まりこやコシノジュンコと交流し、自由奔放な生活を楽しんでいたのです。当時、唯一無比のイタリアンレストランとして有名だった飯倉片町のキャンティの常連でもありました。

安井かずみは「どこまでも自由で、あくまで奔放で、危なく、アンニュイな魅力に溢れた女」と言われていました。その彼女は1977年、加藤和彦と再婚します。人気絶頂の作詞家とミュージシャンが結婚したとあって「日本一カッコいいカップル」とメディアで呼ばれました。

メディアでは幸せな結婚だと報じられていましたが、しかし内実はそうではなかったということが2013年に刊行された『安井かずみがいた時代』(島崎今日子著)というノンフィクションで明らかにされています。生前の彼女を知る26人の証言をもとにした取材力の光る評伝なのですが、読んでいくと本当に痛ましい。


この本によると、夫婦の生活は実に「劇場」的なものでした。夕食はかならず着替えをして夫婦でテーブルを囲み、年に2度は長い休暇を海外ですごす。安井かずみはもともと素朴なインテリアが好きでリビングには白木のテーブルを置いていたのですが、結婚後はココ・シャネルの家に置かれているような派手なテーブルに変わり、身にまとうコートも高級ブランドのエルメスになったとか。

そして以前からの親友たちとはだんだんと疎遠になり、夫を中心に人生がまわっていくようになります。夫婦だけの閉じた関係へと落ち込んでいったのです。その関係は、加藤さんの不倫をきっかけに均衡を崩しはじめます。『安井かずみがいた時代』はこう記しています。

「愛して欲しいと願った瞬間、人は自由を手放すのである。ただ一人の男が他の女に気持ちを移した瞬間に、二人のパワー・バランスは完全に逆転し、あの自由奔放な人でさえ自我を折り、夫の顔色をうかがいはじめて萎縮していったのだ」

彼女と親しい友人の編集者矢島祥子さんもこの本で語っています。

「完璧な夫婦を演じるのは、大変だったでしょう。安井さんに加藤さんと別れるという選択肢があれば、もっと違う人生があったのではと思います。でも、きっと無理だったんですよね」

あまりにも「完璧な夫婦」を演じようとしすぎて、抑圧に転じてしまったということなのでしょう。それでも結婚生活は続きましたが、安井さんは1980年代末に肺がんを発病。1994年に55歳で亡くなりました。

加藤和彦は彼女が病没した1年後にオペラ歌手の中丸三千繪さんと再婚しています。この再婚についてはメディアなどでは批判が少なくなかったようです。何も責められることはないと思うのですが、ふたりが「理想的な夫婦」として描かれすぎたことへの反動だったのかもしれません。

彼はその後も音楽活動を続けますが、2000年代にうつ病をわずらい、2009年にみずから命を絶たれました。遺書にはこうあったそうです。「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」

現代の結婚には、「夫婦は永遠の愛を誓うもの」「愛し合わなければならない」といった抑圧のようなものが重く存在しています。加藤和彦と安井かずみの夫婦は、そのような結婚観の象徴であり、同時にそこに生じてきた抑圧を一手に引き受けていたカップルだったようにわたしは感じます。

そしてこのような抑圧は日本社会に今も色濃く遺っています。わたしは夫婦そろってのインタビューを受ける機会がときどきあるのですが、なぜかインタビュアーはたいてい20〜30代ぐらいの女性で、そしてたいていこういう質問を受ける。

「どのぐらい愛し合ってますか」
「おたがいに好きなところはどこですか」

さらには「理想の夫婦ですよね」「完ぺきなカップルですよね」とお世辞を言われることさえあります。このような質問を投げられると、インタビューを受ける側としてはその空気に合わせてしまい「はい、愛し合っていますよ」「こういうところが大好きです!」と答えざるをえない。まあだれしも「そんなに愛してません」と答えてその場の空気を凍らせたくないですからね。そしてこの回答が夫婦の物語として美しく描かれ、それが社会の空気としてさらに定着していく。

しかしながらこのような結婚観、夫婦観はあまりにも固定的でステレオタイプにすぎるのではないか。わたしはそう考えています。

そもそもこのような結婚観は、18世紀のヨーロッパにおけるロマン主義あたりからスタートしたものです。それまでの結婚が、貴族では政略結婚であり、平民では結婚はこどもをつくり働き手を確保するための手段だったのに対し、そういう制度的な抑圧からの解放としてロマン主義的な恋愛のイデオロギーが提唱されたのです。

つまり家の制度としての結婚ではなく、ひとりひとりの自由のあかしとして恋愛をし、たがいに愛し合い、そのゴールとしての結婚がある。結婚したらふたりは永遠に愛し合い、一生を添い遂げる。まるでディズニーのアニメのようなそういう恋愛が理想とされたのです。

つまり恋愛は中世的な抑圧からの解放であり、個人の自由と解放の象徴だったということです。これは日本でも同じで、太平洋戦争が終わってイエ制度からの人びとの解放が求められました。終戦直後の1947年、作家石坂洋次郎の小説『青い山脈』が発表され、男女の恋愛結婚のすばらしさが描かれて多くの若者たちに支持されました。

主人公の英語教師の女性は、恋愛結婚の素晴らしさをこう語っています。

「世間には、結婚して、子供でもできてしまうと、わるく安心して、お互いの欠点を遠慮なくさらけ出して、だらけた、ノビきった生活をしている人たちがありますけど、私たちの場合はそうでなく、結婚はお互いの人格をより豊かに充実させる一過程であるという風な心持で暮していきたいと思います」

しかし『青い山脈』から70年以上が経ちます。いまや結婚や恋愛は、「勝ち組」のものになってしまっている。モテる人とモテない人で恋愛格差が生まれ、「恋愛しなければならない」という義務感が抑圧に転じてしまっている。貧困が原因で結婚できない人たちもたくさんいる。いまや日本社会のマジョリティは結婚組ではなく、単身家庭なのです。

結婚をする理由も必ずしも「素晴らしい恋愛の帰結」と言うわけではありません。経済的なセーフティネットとしてとりあえずは結婚しておきたい、世帯収入を増やしたいという理由の人も少なからずいるでしょう。かつての「中世的な抑圧からの自由」ではなく、もっと多様な価値観で結婚というものを捉えなければならない時代になっているのです。

そういう多様性の時代に、「夫婦とは愛し合うものである」「結婚してからもずっと恋愛関係が持続している夫婦が理想的である」「二人だけの完ぺきな世界をつくっている」という固定観念で良いのでしょうか。イエ制度の抑圧がまだ残っていた時代ならいざ知らず、21世紀にこのようなステレオタイプを押し付けること自体が、逆に現代の抑圧になっているのではないでしょうか。

10年前に『シェアハウス わたしたちが他人と住む理由』という本を出され、シェアハウス文化の草創期を担った阿部珠恵さんと対談したことがあります。その時に阿部さんは、結婚の意味についてこう語っていました。

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