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ロスジェネ新自由主義からミレニアル共同体主義へと転換する日本 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.666



 特集  ロスジェネ新自由主義からミレニアル共同体主義へと転換する日本
〜〜東日本大震災と新型コロナ禍という二つの災いは何をもたらしたのか(前編)


 

 新型コロナ禍はワクチン接種が進めば、来年ぐらいにはいったんは終息するでしょう。そしてパンデミックという姿形の見えにくい災害は、忘れ去られやすい。ちょうど100年前にひろまったスペイン風邪は全世界で5千万人から1億人ぐらいは亡くなったと言われているのに、これを題材にした小説や映画は見事に少ないのです。小松左京の『復活の日』のようなSFでは「路上で人々がバタバタと倒れていく」というイメージでパンデミックが描かれますが、実際にそんなに死亡率が高ければ大規模になるまえに感染は終息してしまう(というのは今回の新型コロナ禍でわたしたちが学んだことのひとつですね)。

 現実の新型コロナ禍では、隔離された病床で何が起きているのかを知ってるのは医療従事者だけで、わたしたちは具体的なイメージをパンデミックに対して持ちにくい。だから記憶に残りにくいのかもしれません。それが地震や台風などの目に見える災害とは異なるところです。

 とはいえ、新型コロナ禍は目に見えないクサビをわたしたちの社会に打ち込んでいるはずです。それは2011年の東日本大震災を振り返っても明らかでしょう。

 10年前の日本はどんな社会だったのか。平成の30年間はずっと不況だったと思われていますが、細かく見れば大小の波がありました。特に2000年代は外貨やFX投資のブームが盛り上がり、日本の個人デイトレーダーを意味するミセスワタナベなんていう俗称もありました。世田谷区に住んでる50代の専業主婦が1億円以上も脱税して発覚するなんていう事件もあったほど。勝間和代さんの著書『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』がベストセラーになったのもこのころです。「年収10倍」っていま考えると信じられませんが、かなりウェーイな時代だったのです。

 ところが2008年にリーマンショックが巻き起こり、ウェーイな気分は一気に雲散霧消。わたしのいたジャーナリズムの業界でも出版不況の波が押し寄せ、雑誌は次々と廃刊し、「知り合いのライターが仕事あきらめて田舎帰った」「あそこの編プロの社長はとうとう首を吊った」というような不穏な噂がかけめぐりました。

 そういう中で起きた東日本大震災。原発事故の衝撃が日本列島を覆うなかで、それでも「これだけの大きな災害なのだから、ひょっとしたら日本社会は大きく変わるのじゃないか」という漠然とした期待を持った人も少なくありませんでした。当時ちょうど広まりはじめていたツイッターでも、そういう淡い期待を口にする人がたくさんいたのです。

 しかし、そんな変化は起きませんでした。少なくとも、外形的には。

 考えてみれば近代になって日本社会が制度も含めて大きく外形を変えたのは、2回しかありません。明治維新と太平洋戦争の敗戦です。どちらも海外からの圧力によるものでした。日本は外圧でしか変わらないのです。そして近代の大きな災害と言えば大正時代の関東大震災がありますが、この震災で日本社会は変わらなかった。それどころか世相が暗くなり、泥沼の日中戦争とその先の太平洋戦争に向けて坂道を転がり落ちていくだけだったのです。

 同じように東日本大震災も、決して社会の外形を変えはしなかった。しかしあれから10年経って振り返ってみると、日本社会の内面は大きく変わったとわたしは捉えています。

 なにが変わったのでしょうか。平成の長い不況からリーマンショックを経て震災へと続く流れの中で、もはや右肩上がりの成長があることなど期待しなくなった。これは世代交代の影響もあるでしょう。1960年代生まれは栄華を堪能したバブル世代で、1970年代生まれはロストジェネレーション世代。ロスジェネは栄華どころか就職氷河期で辛酸をなめるような思いをした人々ですが、彼らはひとつ上のバブル世代の享楽を知っているがゆえに、ネガティブな被害者意識にとらわれ続けてしまっている。これはロスジェネ世代の人たちの責任ではなく、そういう社会にしてしまった上の世代の責任であるのは間違いありませんが、この昔の栄華をめぐる「恨」は日本社会にずっと尾を引いてしまっている。

 くわえてこの世代は、新自由主義的な思想の人もけっこう多い。1970年代生まれで起業家として成功している人は、わたしの観測範囲で言えば、大半がリバタリアンと言っても過言ではありません。「失われた世代」のなかで自分だけは生き残ったというサバイバルへの確信が強く、「生存者バイアス」にはまっちゃってる人が多いのです。ちなみに先ほど紹介した2000年代半ばのウェーイを支えたのも、この世代の人たちです。就職氷河期の「恨」を金融市場で一点突破しようとしたのだと思います。

 ところがその下の1980年代生まれ、つまりミレニアル世代になると、そうした「恨」の感情はほとんど見られません。そもそもバブルのころはまだ子どもで当時の栄華は知らないし、長じて大人になってからは「不況が当たりまえ」の社会で暮らしている。総じて前向きで明るく、何ごともポジティブに捉えていこうという姿勢を感じることが多い。ネガティブになっても何も得るものがない、ということを2000年代の日本社会から学んでいるということなのかもしれません。

 だから彼らは、社会に過大な期待を抱いてはいない。それが上の世代から見れば「政治離れ」に見え苛立たしく思われるのかもしれませんし、実際にそういう面もあるのでしょう。

 ミレニアルの特徴のもうひとつに、共同体志向の強いことがあります。日本の共同体は、江戸時代から昭和初期にいたるまで一貫して農村をベースにしていました。しかし太平洋戦争のあとに高度経済成長が始まると、農村から都市へと人口の大移動がはじまって農村共同体は衰退。

 その代替物となったのは何だったかというと、当初は日本共産党と創価学会だったと言われています。1960年前後の話です。農村から都会の工場に働きに出てきて、よるべない不安さを包摂してくれたのが政治運動と宗教結社だったというのはけっこうおもしろいですね。しかしその後は残念ながらこのふたつは共同体の主流にはならず、企業が共同体の役割をになうようになったのです。

 昭和のころは、個人の人生はどっぷりと企業に呑み込まれてました。独身寮に住んで社内結婚し、社宅に引っ越し、週末には同僚や上司とゴルフに行ったり野球をしたり、ときには家族こぞって会社の運動会に参加。会社の信用組合からお金を借りて一戸建てをたてて「これでオレもついに一国一城の主」と悦に入り……という会社人生です。

 これを象徴するような光景が、高野山の墓地にあります。和歌山の山中に位置し、真言宗の総本山がある巨大な宗教都市ですが、この奥の院には中世からの墓地が広がっています。ウィキペディアには「皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある」と記されています。

 そしてこの古い墓地の手前には、戦後に開設された広大な霊園が広がっているのですが、その多くを占めているのは企業の作った従業員物故者慰霊碑です。キリンビールの墓地には缶ビールに印刷されてるのと同じキリンの像があり、上島珈琲の墓地には石造りのコーヒーカップがあり、日産自動車の霊園には工場の制服姿の筋肉ムキムキの凛々しい従業員ブロンズ像が二人。もっと手前の新しい墓地には、新明和工業のロケット型の墓石まであります。その近くにはシロアリ駆除会社の「シロアリ供養塔」なるものまであり、なんとも不思議な光景です。

 この光景が、奥の院の参道にある戦国大名たちの墓石と同じ平面で続いているのをみると、日本の古いる共同体が、戦後の企業社会へと連続的につながっていることを皮膚感覚で感じさせられます。大名や藩主がそのまま企業という組織に引き継がれた、ということなのかもしれません。

 しかし1990年代になると、この企業共同体も衰退しはじめます。長い不況によってリストラが始まり、潰れたり外資に買収されて共同体的な性質をなくしていく会社も増え、終身雇用が維持できなくなり、さらに2000年ごろからは派遣法改正で非正規雇用が増え、いまや生産人口の4割が非正規の人です。わたしは長野の別荘地として有名な軽井沢にも拠点を借りていて、毎月のように足を運んでいますが、別荘地を歩いていると企業の保養所の「跡地」をたくさん目にします。かつては夏のバカンスでさえも会社の施設に依存していたのですが、平成不況のあいだに激しく行われたコストカットによって、多くの企業が保養所を手放してしまったのだということを目の当たりにできるのです。

 会社の共同体が消滅して、いまの日本には共同体がありません。もちろん「日本人である」という大きな共同体はあり、小さく「家族」や「親戚」という共同体はありますが、いずれも大きすぎ・小さすぎる。「中間共同体」といって、人間には数十人から百数十人ぐらいの規模の共同体に属したがる本能があるのですが(サル山と同じぐらいのイメージです)、これが欠落してしまっているのです。

 そこで代替案として無意識な動きとして出てきているのが、シェアハウスやコレクティブハウスのような家族を拡張し場所に紐付いた共同体であり、さらにはここ5年ぐらいずっとブームになっているオンラインサロンもそうした共同体願望による代替案として位置づけできるのではないでしょうか。

 『地方にこもる若者たち 地方と田舎の間に出現した新しい社会』(朝日新書、2013年)という本があります。社会学者阿部真大さんの優れた分析が光る著書で、中でもおもしろいのはJポップの歌詞の変遷から社会の変化を解き明かしているところ。1980年代から1990年代にかけての音楽では人間関係が「おれとお前」のような恋人同士の二者関係だったのが、2000年代に入ってからは「オレたち」という複数の仲間関係をうたう曲が増えてきていることを指摘しています。

 ふたりの恋愛よりも仲間との共同体。そして社会全体が成長していくことよりも、仲間との共同体が持続し安定していくこと。いまの時代に期待されているのは、そういう感覚の基調なのではないでしょうか。

 これはわたしの観察範囲では、若い起業家たちにも通底しているように思えます。1990年代、堀江貴文さんや藤田晋さんの世代の起業家は「世界一の企業になる」「1兆円企業を目指す」というような大きな目標を掲げるタイプが多かったのですが、2010年代にはだいぶ様相が変わってきているとわたしは感じています。あくまでもわたしの観測範囲でしかありませんが、成長よりも「社会や顧客に価値を与えたい」「巨大化しなくてもいいから、一緒に会社を作った仲間たちとお客さんとで良好な関係を保ちたい」「いい感じのまま持続していきたい」と願う若い起業家が増えているように思います。

 これらはまさしく、リーマンショックと震災を経た2011年以降の新しい潮流といえるのではないでしょうか。日本社会は外形としては何ひとつ変わらなかったけれども、内面は深く大きく変容したのです。それはひとことで言えば、ロスジェネ世代が牽引した2000年代の新自由主義から、ミレニアル世代が牽引する共同体主義への転換と言えるかもしれません。

 さてここからは、この時代の空気とインターネット言論、そして世代という三者の関係について、さらに深く掘りこんでいきましょう。

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