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コミュ力に必要なのは高スキルではなく、ぶきっちょな愛情だ 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.750

特集 コミュ力に必要なのは高スキルではなく、ぶきっちょな愛情だ〜〜〜人の話を引き出すためには、信頼され安心してもらうこと


コミュニケーションのスキル、すなわち「コミュ力」というと、なんとなく「立て板に水のようにしゃべり正確に相手にメッセージを伝達するスキル」というようなイメージがあります。


「コミュ力」でグーグル検索してみると、ノウハウを教える膨大な数のページがヒットします。


たとえばわたしの検索結果でトップに来たこのページを見てみると、コミュ力が高い人の特徴として「いつも笑顔で楽しそう」「リアクションが大きい」「フットワークが軽い」「とにかくマメ(レスポンスが早い)」。逆にコミュ力が低い人は、「自己主張が苦手」「他人に興味がない」「表情をあまり顔に出さない」など。


そしてコミュ力を上げるステップとして、「元気よく挨拶する」「目や顔をしっかり見て話す」「ニコニコして対応する」「ハキハキと話す」などが挙げられています。これらを読んだだけで「自分にはもう無理……」となる人は多いのではないでしょうか。


とはいえこの記事にも良いことが書いてあって、たとえば「コミュ力=話す力ではない」という指摘。


「円滑なコミュニケーションに必要なのは、実は「聞く力」。相手が満足するような会話をすることを目的に置くこと。これが対人コミュニケーションにおいて、とても大切だということも覚えておきましょう」


これはその通りだと思います。コミュニケーションは片方向ではなく双方向なので、コミュ力に必要なのは「話す」と「聴く」の両方のスキルなのです。


立て板に水で弾丸のようにしゃべるけれども、相手の話をいっさい聴いていない、あるいは相手にまったく興味が無い人とかは時々見かけます。わたしの個人的体験でいうと、しばらく前にイベントで対談した著名なクリエイターの女性がそうでした。ひたすら自分の話と、自分がいかに有名人と知り合いかということを滔々と話し、わたしやわたしの話しに関心を向けることは最後までありませんでした。


わたしは元新聞記者のジャーナリストなので、インタビューして人の話を引き出すのには慣れています。なのでこのイベントのときも「これは対談にはならないな……」と諦め、途中からはひたすら聞き役に徹していました。それで問題はなかったのですが、はっきり言ってそれは対談ではないし、個人的にもあまり楽しい時間ではありませんでした。


この人のしゃべりは実に立て板に水でしたが、まったく「聴く力」が存在していなかったということでコミュニケーション力の欠落といえるでしょう。コミュ力には「話す力」「聴く力」の両方が大事なのです。


かといって、先のウェブ記事にあるような「元気よく挨拶する」「ニコニコして対応する」「ハキハキと話す」といったイケイケ系のスキルがコミュ力には絶対必要なのでしょうか?


先ほどの記事以外にも、「コミュ力」をウェブの辞書で引くと「人との会話や意思疎通などを円滑に行うことができる能力やその程度などを意味する語」などと説明されています。「円滑に」が大事なポイントのように思えますが、やはり円滑さは大事なのでしょうか?


わたしは「そうではない!」と断言します。「ニコニコハキハキ」も「円滑」も、もちろんそれができる人ならどんどんやっていただければいいと思いますが、コミュ力にはそれらのスキルは決して「絶対必要」ではありません。


わたしは1980年代から90年代にかけて新聞記者をしていました。事件や事故、テロなどを追う事件記者です。最近は新聞記者がSNSをやるようになり、おかしな自己主張を声高に言う記者がたくさん現れたこともあって、新聞社のパブリックイメージも地に墜ちてしまっています。実に残念なことです。


しかし本来の新聞記者の仕事というのはSNSでイデオロギーを振り回すことではありません。わたしが携わっていた事件分野で言うと、事件記者の仕事の本質は「取材相手が秘密にしておきたいこと、言いたくないことを、説得してしゃべってもらうこと」。これに尽きます。取材相手は警察官や容疑者、事件の目撃者、関係者。そうした人たちの懐にとにかく入り込んで、相手に安心してもらい、秘密をしゃべってもらうのです。


さて、そういう事件記者の世界ではとびきり優秀な人たちは、決してテレビドラマや映画に出てくるようなカッコいい人たちばかりではありませんでした。どちらかというと見た目はボサーッとしていて木訥で寡黙な人が実際には多かったのです。


それどころか、ハキハキは、かえって相手に警戒されてしまう。


なぜでしょうか。


もうひとつ例を挙げましょう。わたしが若いころ、同じ時期に不動産会社の営業職に就職した友人が二人いました。ひとりは東京出身で、頭の回転が速く弁が立ち、立て板に水でしゃべるタイプ。彼をA君とする。もうひとりのB君は東北出身の木訥とした雰囲気で、寡黙で口べた。自分の思ったことをすぐに口で言い表せないというようなタイプ。


ふたりがそれぞれ別の不動産会社に就職し、友人たちは本人たちのいないところでは「いくらなんでもBは営業マン無理だよなあ。なんで営業職なんか選んじゃったんだろうね」と憐憫のいりまじった感想を口にしていました。あんなに口べたじゃあ、営業トークなんてできないだろうと思ったのです。


そして就職から数年が経ち、風の噂にふたりの仕事ぶりが耳に入ってきました。なんと「営業に向いていないだろう」と思われていたB君は、配属された支店でもトップの営業成績を挙げ、将来を嘱望されているとのこと。いっぽうで「立て板に水」のA君は営業成績は散々で、転職を悩んでいるという話も聞こえてきました。


弁が立って「立て板に水」のA君のような人は、コミュニケーション力が高いと思われがちです。しかしそうした人が営業をうまくできないケースもあるという現実は、「コミュ力の本質とはなにか」ということへのひとつの答を示唆しているように感じます。


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