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名著『自省録』『夜と霧』からストア哲学を学んでみる 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.720


特集 名著『自省録』『夜と霧』からストア哲学を学んでみる

〜〜〜世界観を「四次元化」していくという考え方(5)


今年出したわたしの新著『読む力 最新スキル大全』を補足し、どのようにして世界観を構築していくのかを深掘りしていくシリーズの第5回です。


さまざまなテーマについて、多くの視点から見ることによってそのテーマは立体的になり、「三次元化」されます。さらに過去の経緯など時系列の視点も加えることによってイメージは「四次元化」される。この四次元化こそが、世界を深く理解し知肉にしていくための最も重要なスキルです。


「四次元化」のためにさまざまな情報を読むということ。また過去を理解するために新聞記事データベースなどで古い時代の経緯を知るということをここまで学んできました。さらに素晴らしい書籍であれば、ただ一冊でも「四次元化」のイメージを持てるということを前回は解説しました。


前回取りあげた書籍は、ローレンス・レッシグの『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』(翔泳社、2001年)とデイヴィッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)の2冊です。


今回は、書籍をもう一冊紹介しましょう。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』(岩波文庫、神谷美恵子訳、1956年)です。


著者は古代ローマの賢帝として有名だった歴史上の人物です。皇帝として多忙な日々のあいまをぬって、書き留めておいたメモを集めた内容です。だから掲載されている文章は断片的なものが多く、ひとつの物語というよりも「名言集」のような感じで読めます。たとえばこんな文章を紹介してみましょう。


「父からは、温和であることと、熟慮の結果いったん決断したことはゆるぎなく守り通すこと。いわゆる名誉に関して空しい虚栄心をいだかぬこと。労働を愛する心と根気強さ。公益のために忠言を呈する人びとに耳をかすこと」


「あけがたから自分にこういいきかせておくがよい。うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切者や、やきもち屋や、人づきの悪い者に私は出くわすことだろう。この連中にこういう欠点があるのは、すべて彼らが善とはなんであり、悪とはなんであるかを知らないところから来るのだ」


いまの時代にもじゅうぶん通じる心に響く文章です。『自省録』にはこういう短い文章がたくさんあり、「寝る前にちょっとずつ読むのを日課にしている」という話をよく聞くのもうなずけます。しかし本メルマガでは『自省録』を単なる名言集としてだけでなく、この本のコンテキストをさぐって四次元的な立体イメージを描けるかどうかにとりくんでみたいと思います。


まずグーグルで情報を検索してみましょう。ウィキペディアにはマルクス・アウレリウスも『自省録』もどちらも掲載されていますが、専門の研究者が執筆しているのか、なかなか難解です。たとえば「自省録」はこんな文章。


「後期ストア派の特徴とされる自然学と論理学よりも倫理学を重視する態度や他学派の信条をある程度受け入れる折衷的態度が見られる。例えば、たびたび表れる『死に対して精神を平静に保つべき』といった主題においては、ほぼ常にエピクロス派原子論の『死後の魂の離散』が死を恐れる必要のない理由として検討されている」

なかなか難しいです。ウィキペディア以外のソースも探した方が良さそうです。

グーグル検索だけでなく、書籍の場合にはアマゾンの商品ページに掲載されている読書レビューも見ておきましょう。『自省録』は日本でもながく読みつがれているベストセラーなので、百以上ものレビューが掲載されています。


「自身の宇宙や自然の一部と捕らえる事、他人に煩わされない事、自己をコントロールする事、人生の短さはかなさを理解する事など、宗教感にも似た考え方を述べている。あの快楽や繁栄を享受したローマ人にあって、ここまで禁欲的でストイックになれるものかと感心した」


わかりやすく良いレビューです。さらに、関連本も探してみましょう。アマゾンで検索してみると、『超訳 自省録 よりよく生きる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)という本がありました。翻訳をより平易にして、わかりやすい文章で紹介するという趣向の本のようです。


「たとえ君のすべての行為が原則どおりにいかなかったとしても、むかついたり、がっかりしたり、不満をもったりしないこと。失敗に打ち負かされたときには、ふたたび戻ってくればいい」


これもとてもわかりやすいですね。「はじめに」にはこんなことも書かれています。

「シリコンバレーの起業家たちやアスリートたちのあいだでは、ストア派哲学の心酔者が増えているという。他人に振り回されることなく自分自身のことに専念し、目標に向けてセルフコントロールするマインドセットをつくりあげるうえで、ストア派哲学が大いに役に立つからである」


料理レシピでも健康法でもスポーツでもなんでも「シリコンバレーの起業家のあいだで流行ってる」ということにしたがるのは、自己啓発本の悪いクセですね。とはいえ「他人に振り回されることなく自分自身のことに専念」というのは大事なポイントでしょう。


名著のコンテキストしてとびきり使いやすいNHKの番組『100分de名著』は、書籍『読む力』でも『罪と罰』のところで紹介しました。『自省録』もこのシリーズに収録されています。解説するのはベストセラー『嫌われる勇気』で有名な哲学者の岸見一郎さんで、名言を取り上げながら、岸見さんが人生の方向性についてじっくりと語る内容になっています。


さて、ここまであれこれ調べてきても、まだ『自省録』を立体イメージ化するコンテキストにはちょっと物足りない感じがします。そこでいったん視点を変えてみることにしましょう。

マルクス・アウレリウスは、「ストア派」の哲人だったとあちこちで説明されています。このストア派とはいったいどのようなものなのか、というところに戦線を拡大してみるのです。

ストア派というのはマルクス・アウレリウスが生まれる400年以上も前に古代ギリシャで始まった哲学で、自然科学から生き方まで広くカバーした哲学です。最近は欧米で、このストア哲学のファンが増えているとされます。先ほどの『超訳 自省録』でシリコンバレーの起業家がストア哲学に注目しているというのも、その文脈です。

この流れに沿うと、ニューヨーク市立大学のマッシモ・ピリウーチという哲学者の最近の本『迷いを断つためのストア哲学』(早川書房、2019年)にたどり着きます。


この本は非常にわかりやすいだけでなく、ピリウーチが遺伝子学や生物学も学んだ科学者であり、同時に哲学者でもあるという横断的な研究者であることもあり、わたしは読了し、さまざまな深い論考に満ちていると感じました。

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