見出し画像

「江戸時代に戻れ」というが当時は森林が破壊されまくり、稲作も限界だった佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.672

特集 「江戸時代に戻れ」というが当時は森林が破壊されまくり、稲作も限界だった
〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第3回)

 しばらく前に二回にわたってお届けした「「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき」シリーズ、かなり好評だったので第3回をお届けしようと思います。今回取りあげるのは、「日本の環境は年々ひどくなっている」「エコだった江戸時代に戻れ」という誤った神話。

 江戸時代に憧れる人というのは一定数いて、とくに環境問題に「意識の高い」人に多いんじゃないかと感じますね。また左派の人にもけっこう多いように思えます。かなり古いですが、2014年の内田樹さんのツイート。

「江戸時代は偉かった。森林を守ったこと、武器の進化を止めたこと、自然の力を制御する媒体として機械ではなく身体を選んだこと、鎖国したこと、列島を300の藩に割ったこと。今の日本が世界に誇れる資源は江戸時代からの贈り物です。

 立憲民主党の枝野幸男さんも、今年の著書『枝野ビジョン』で、江戸時代以前の日本の伝統を大事にしようとくり返し語られています。現在の自民党が明治維新から太平洋戦争前までの時代に回帰しようとしているのに対し、本当の保守は江戸時代以前に回帰すべきだというメッセージですね。

 枝野さんは、江戸時代以前の伝統の素晴らしさは、田んぼで稲を育てることで「助けあい」が重んじられていたことだといいます。

「水田稲作では、強いリーダーシップや自由競争よりも、合意形成や支え合い、助け合いが重視された」

「日本では、水田稲作を効果的に進めるために、自由競争よりも地域による共同作業、つまり『支え合い』と『助け合い』を重視し、いわゆる村落共同体を構成して、河川という水資源を共有財産として管理してきた」「日本では、政治権力を争う一部支配層を除いた庶民の生活においては、強いリーダーや自由競争よりも、円満に合意形成しながら、支え合い、助け合う社会を構成することの方が合理的だった」

 では江戸時代は、それほどまでに素晴らしくエコだったのでしょうか? 実はまったくそうではなかったと指摘する書籍が、近年たくさん出ています。たとえば2012年に刊行された『森林飽和 国土の変貌を考える』(太田猛彦、NHKブックス)。


 名著のほまれ高い本です。この中に、江戸時代の浮世絵や絵地図で山々がどう描かれていたのかという話が出てきます。ほとんどがはげ山の状態で、樹木は少なく、草しか生えていません。たとえば以下のブログで紹介されてる絵地図がわかりやすい。


 なぜ、はげ山ばかりだったのか。このブログにも書かれていますが、石油や石炭などの化石燃料がなく、燃料をはじめとしてさまざまな資源の大半を森林に頼っていたからです。つまり「おじいさんは山へ柴刈りに」です。そしてはげ山ばかりだったので、毎年のように土砂災害や洪水が多発していました。

 わたしは里山を歩きにいくことが多いのでいつも感じるのですが、現代日本の森林は猛烈にすごいです。そこら中に枯れ木や枯れ枝がたまり、森はツル科の植物にも侵食されてジャングルのようになっています。このありさまを江戸時代の人が見たら、狂喜乱舞して柴を拾いまくることでしょう。現代は過去に類を見ないぐらいに森林が増殖している時代なのです。

 だからシカやイノシシなどの野生動物も猛烈に増えている。森が増殖し、さらに人口減で中山間地域の限界集落が消滅して、野生動物が暮らす領域がこれまでになく広くなっているのです。神奈川県の丹沢山脈では、シカが猛烈に増えたおかげで山麓の住宅地にまでマダニやヒルの被害が増えているという話もありますね。人間の住むエリアがどんどん狭くなっているのです。

 これは江戸時代と比べると、信じられないことです。『森林飽和』から引用しましょう。

「そのような(禿げた)里山では、毎年起こりうる程度の大雨でも容易に表面浸食が発生する。しかしそればかりでなく、山崩れや土石流も頻発していた。水田には洪水が氾濫し、海岸では海から飛砂が襲ってきた。日照りが続くと川はすぐ干上がって水不足になった。人々は毎年そのような災害と戦いながら暮らしていたのである。その最大の原因は森林の劣化だった」

 里山だけではありません。江戸時代には、そもそも水田をつくりすぎて限界にまで達してしまっていました。そして里山の荒廃は、田んぼや畑にまく肥料の不足という重大な問題を引き起こしていたのです。


 この本には、こう書かれています。

「自給できる肥料では足りなかったので、水田の持続可能性は危ういものであった。金肥を施せば農業生産を維持できたが、金肥をつくるために国内の山や海の資源まで投じられていた。それどころか、江戸中期からは水害や土砂流出の危険にさらされ、水田リスク社会という新たな難問に巻き込まれていたのである」

 そして、こう言い切っているのです。「水田にささえられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかったのである」

 どうでしょうか。「江戸時代はエコで持続可能な社会で、素晴らしかった」「江戸時代には豊かな自然があったのに、いまの日本では森林破壊が進んでる」など、「環境問題に意識高い」人が言いそうなステレオタイプは、実は100%間違っているのです。そういう人たちは、ステレオタイプなキャッチコピーを口にすることで、「自分は環境問題に関心を持ってるとアピールしたい」だけにすぎません。たいして歴史も現実も見ていないのです。

 そしてこれは、日本の江戸時代だけで無く、世界全体についても当てはまることです。「昔は良かった」「いまは環境が破壊されている」なんていうのは、単なるノスタルジーでしかありません。

 たとえば森林破壊に関して言えば、さかんに「熱帯雨林がなくなっていく」と言われます。たしかに南アメリカや東南アジアの熱帯雨林が破壊されているのは事実ですが、もう少し細かい数字を見てみましょう。

 世界の森林面積は約40億ヘクタールで、全陸地面積の約31%を占めています。2000年から2010 年までの10年間で減少した森林面積は、年間1300万ヘクタール。年間0.32%の減少率です。しかし1990年代は年間1600万ヘクタールずつ減少していて、当時は減少率が年間0.4%でした。つまり減少率はだんだん減ってきているのです。

 しかもヨーロッパやアメリカ、中国などでは、2000年以降は実は森林が増加しているのです。中国は急速に森林が減っていたことに共産党政府が危機感をいだき、大規模な植林などで緑化政策を積極的に進めているということなのですね。

 まだまだ南アメリカや東南アジアは熱帯森林が減少し続けているのですが、工業化や都市化の進展によって国が豊かになれば、逆に森林の減少は他の地域と同じように食い止められていく可能性が高い。少し古い書籍になりますが、ビョルン・ロンボルグというデンマークの大学の先生が書いた『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、2013年)では、熱帯雨林の減少の理由を三つ挙げています。

(1)熱帯雨林の所有権がはっきりしないところが多いので、勝手に伐採されてしまう。
(2)熱帯雨林の木材が価値が高く、アジアや南アメリカの国のお手軽な資金源になっている。
(3)地元の住民が薪を収集し、エネルギー源にしている。

 しかしこの三つはいずれも根本的ではなく、どちらかといえば管理の問題だとロンボルグは指摘しています。木材の需要に関して言えば、全世界の樹木が生長して森林資源が増えていくその「材木成長分」のわずか5%で需要は賄えてしまうのだとか。

 野放図に放置されていれば、森林は減っていく。しかし文明が進み、適切なコントロールが行われ、薪ではなく電気など他の安定的なエネルギー源が使えるようになれば、森林は回復するのです。「文明が進むと森林が減る」のではなく、逆に文明が進むことによって森林が回復していくと考えた方がよいのではないでしょうか。

 さて、ここからはテーマを変えて、原発と再生可能エネルギーの「神話」を検討しましょう。「原発なんて不要」「再生可能エネルギーで100%まかなえる」というスローガンが昔からよく言われていますが、本当でしょうか。

ここから先は

15,461字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?