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【渇きのササキリ、湿りのやは】ササキリユウイチ×林やは「葉火句会Ver.12世界最強川柳タッグ決定いちご摘み句会のまとめ」全92句


林やはさんと川柳のいちご摘みをした全92句を公開します。さらに、本作品を作り終えたあとの談話を公開します。

渇きのササキリ、湿りのやは

ササキリ
結局のところ、我々は23句の摘み、摘まれをしたわけです。まずは、この作業のつらかったところ、たのしかったところを振り返りたい。とはいえ、まずは具体的な質問を投げてみます。やはさん、いい摘み方をしたものは、と聞かれてまず初めに話したくなるのはどれでしょう。
やは
いい句の定義によって変わってくると思うのですが、「容/ほとんどの交わりに海岸/やは」はわたしらしい句を作れたので気に入っています。そもそもいちご摘みをやったことがないので、摘みという制約がある中で自分らしさを出せたというのがうれしいです。
 でも総合的に上手くできたと感じているのは「束の火で模した(自生の)ルッキズム/やは」です。多くの要素を違和感なくまとめることができたと感じています。
ササキリ
「この問いに対して霞は容赦した/ササキリ」に対して、やはさんが「容/ほとんどの交わりに海岸」と摘んでくれました。私は、これを見たときには、すぐにはわからなかった。ただ、やはさんが「/」を使ってどうにか句を作り上げられないかを模索しているのはわかりました。摘みの制約の中で、摘む後をそのままにしておいてしまっている、果敢だと思いましたね。それから、実際、海岸という場所が完璧に決まっています。
「髪束を土産に卵とじの居間/ササキリ」に対して「束の火で模した(自生の)ルッキズム」とやはさんが摘んだ。私の句の方には、それほどはっきりとした感触を掴めていなかったようにも思えるのですが、そういうものをまとめられた、という"上手くできた"でしょうか?
やは
「/」で区切るか空白で区切るかという選択があると思います。この句は拍や完全な区切りが欲しかったのではなく、繊細な繋がりを表現したかったので「/」を使いました。詩でも意識していることなのですが、わたしは基本的に流れるような文章を書きたいんです。手応えは感じていなかったのですが、ササキリさんに褒めてもらえてうれしいです。
うーん、ササキリさんの句を受けて摘みとして上手くできたとは思っていませんね。単体の句として()記号、カタカナ、漢字のバランスがよくできたという感触があるだけです。というか読み返すと摘みが上手くできた句がないです(泣)
この問いに対して靄は容赦した
 →容/ほとんどの交わりに海岸
光や音と分け隔てなくヤる尿意
 →尿 around the world 自叙伝
韻律のせいかく採取区域内
 →ほどほどの聖域で似る山羊たち
この3句はササキリさんの句の世界観を保持できた故に違和感のない句が作れたという点で上手くできたかもしれませんが、だからといって上手く摘みができたとは思っていません。
今回のいい摘みの例はササキリさんの
ベリー×4 膣きゅん♡
 →膣は恒例 shoot,shoot me.
人人人 は滅っ!!!!
 →滅相も(二文字の韻も)ございません
なんですよね。この句を見てしまったらわたしはもう何も云えません、
ササキリさんはこの2句に手応え感じていますよね?
ササキリ
では、先ほどの”総合的に上手くできた”というのは、摘みとしてよりもむしろ、1句の屹立、自分がそうしておきたかった世界観のようなものをまとめられたといったところですね。それでもやはさんの摘み方もハマっているものは、あとで私のほうであげましょう。
たくさん送ってくれた句のなかでも、とりわけ摘まなければならないと思わされた句でした。はっきり言って、うまくいった。ただ、2つとも歌詞だと思えば(実際、そうだと思ったんです、ステージに立ってやはさんが書いた句を歌っているはずだと)あとははやかったです。1つはシュッ、シュッと息を吐くCome Togetherのレノンを想像しました。二文字の韻は日本語ラップを聴くために浮かんだんだと思います。いずれも、これを基に作ったわけではなくて、色々と過程は入り混じってますが。じゃあ「恒例」はどうでてきて、「滅相」はどうでてきたんだというと、まあもっと色々あるさ、ってわけね。
ともあれ、扱いあぐねそうな句を捕りにいきたかったのもあるし、たくさんの句をやはさんが送ってくださって、これらの句は世に出さなければならない!とさえ思ったわけです。
やは
そうです!
なるほど、歌詞ですか。たくさん送ったものを取ってもらう側としてはその考えはうれしいですね。ササキリさんはわたしのパンチラインを見つけて、それをマッシュアップさせてくれた。よりよく世に出してもらってありがたいです。
色々な背景があって発表する作品が作られるのはわかります。箱がいくつもあって取りだすタイミングもどの角度から見るかによっても違う。それが今回はよくハマっていました。
ササキリ
「甘サドの故郷の水を籠で汲む/ユウイチ」に対して、「水浴びでヴァギナ諸共ほどかれる/やは」と摘んだのはよかったと思いました。時系列としては、「浴びる水(完全な模写に相当)/やは」の方が先で、こうした流れを正統に継いだという感じがして感動しました。しかもこれは、この流れは摘みの流れでもあったけど、やはさんが書く言葉の流れそのもののような気がしました。結構、クラっときました。
やは
こうやって出されると水浴びも浴びる水もよく見えますね。
水はわたしの創作そのもののモチーフでもあるので、この2句は自然と出てきました。だからこそ、癖で書いてしまうようなものは自己評価が厳しくなりがちです。わたしは好きだけれど、他人から見るとどうなのか正しい判断ができていない気がする。それに同じことを書いているのは否めないですからね。ササキリさんにそういってもらえて自信がつきました。
個人的な意見だと思うのですが、ササキリさんから甘サドという言葉が出てきたのはかっこよかったです。わたしの範囲内にない言葉だったというのもあって、どうしてもヴァギナに返したいという欲が出ました。

ササキリ
待って待って、甘サドがでてきたのがかっこよかったんですか。どういうことでしょう。
やは
え、聞きかえさないでくださいよ…恥ずかしいじゃないですか…(泣)
わたしの中にはなかった下ネタを上手く使っているのとササキリユウイチのキャラクターと合っていることがかっこよかったんです(泣)
ササキリ
言わせて悪かった(本当に意味がよくわかっていなかったんです)、しかし掘り下げていこうという気概があるわけです。
ともあれ、ひとつ真面目な指摘をしておくと、「水」がテーマなのはそうなのですが、2句とも輪郭を規定するものとして登場しているのです。「浴びる水」が水を浴びた人の輪郭を規定し、水浴びで「ヴァギナ」を有する個体がほどかれることを言っています。「相当」という語の使い方がうまくはまっていて、たとえ繫辞(〜は〜である、のこと)が使われずとも、繫辞が結ばれている。しかも()がある時点で結ばれた繫辞が「相当」で二重に結ばれているのです。川柳的断定だと私は認識しています。「ヴァギナ」の方は、ほどかれるというのが川柳的なのですが、何がほどかれるかよりも、何によってほどかれるかどうかが大事で、さらに言うと、何がほどかれることを拒むのかが焦点になっていた。輪郭を持つものがどこからどこまでかという規定に関わっている。そしてどの領分を残すのかが問題になっている。単純な水の類似よりも、私はそこが気になりました。
やは
水浴び、浴びる水、ということばによって、わたしの目の前に肉体が現れました。ヴァギナはどちらかというと後から水と関係するのですが。とにかく、一度水が肉体を覆いつくして留まっていたのです。わたしはそれをそのまま描写しました。だから輪郭のある句になったのだと思います。
でもこれは575の17音に収めなければならない制約があったからです。詩であればわたしは流れるままの水を書いたと思います。
と、ササキリさんの指摘によって気づきました。
ササキリ
ふむ。いいことを聞けました。定型の制約ですね。ほか、定型っていいな(字足らずや字余りとかいう話ではなく、定型という不条理な制約という観点からいいな)と思った句、自他問わずありますか?
私は、その点で言うと、ぱっと浮かぶのは「祝祭の賭場天然のヘゲモニー/ユウイチ」で、「ほどほどの聖域で似る山羊たち/やは」だったかも。
やは
その2句もはまってますよね。今回かなり修正しましたが、その2句は出したまま発表したものです。わたしがいいと思ったのは、
沈みゆくうなじをざっと是正する/ササキリ
周到な森の主人と燃やす会/やは
です。この2句も修正なしでした。575にはまって読み手に想像させることのできる世界観があり、完結している、というのが定型でいいと感じる句なのかもしれません。ただ定型にはまると美しいだけの句になることもあるので気をつけたいですね。

ササキリ
ところで、今回はかなり修正しました。もうこの日で締切です、ってのに、修正して欲しいと私から言われまくって苦しんだ句は、どれでしたっけ。
やは
庭園のセルフィッシュな異性愛/やは
ですね!(泣)
ササキリさんほんとうに酷くて、〆切に設定した日の22時になんか違うなって言い始めて5句ぐらい修正入れてきたんですよ。そこから2時間くらい必死に修正案を出して、他の句は良くなったんですけど、この句は結局元のままがいいということになったんです。
ああさすが甘サドの人だなって思いました。甘はどこへ行ったの……?
ササキリ
「祈れば祈るほど戸それから寝返り/やは」も相当直していただいて、やっとOK出した時、"よかった、正直寝返りが出てきた時点でササキリさんが許してくれると思いました"などと言わせましたよね………。そう!その句もでした。"ここまでやらせておいて、庭園を採用していいですか?ムカつくと思うけど、最終的にそれが良かったかなと思えました"などとほざいてましたね、私。何度、やはさんから川柳脳が終わった、だとか、アイデアが枯渇した、だとかを聞いたことか………。
やは
その句もそうでしたね。1ヶ月間必死にやってきたので、川柳脳が枯れていました。そんな最終日のサドでしたから、許して欲しいと思いながら何個も修正案出しました…(泣)
でもそんなササキリさんの熱意もあって発表した句たちなので、ふたりで作り上げたものに変わりないです。

ササキリ
汪溢するサディズムが……。渇きのササキリというやつ。
やは
そうそう。渇きのササキリ、湿りのやは。というキャッチコピーを考えたんです。同じようなモチーフを扱っているけど、やはり違う部分がある。それを渇きと湿りとわたしは表現しました。
ササキリ
 一方、やはさんがササキリをある程度評価してくださっているため、やはさんの想定している理想のササキリが叩き出す打点じゃないと納得できない、という非常に正当(?)な論理で、私の提出句にボツや修正を求めてくれましたね。その姿勢にヤラれてしまって、追い込まれて「無理だろ!!!」と思う瞬間も多々ありました。
渇きのササキリ、湿りのやは。そのイメージは句からも感じられるんだろうけど、今回のいちご摘みのやりとりもそんな感じだったのでは、と思ったり。
やは
ササキリユウイチが好きだというわりに修正を入れるので厄介オタク感はありましたね。でもお互いに妥協しなかったので対等だったんじゃないかと思っています。
今回のやりとりはほんとうに濃厚で、ササキリユウイチがどんな人間なのかさらにわかった気がしました。ササキリさんもわたしのことがよくわかったと思いますが…。ササキリさんは貪欲なんですよね、わたしは句の質以外のところではすべてササキリさんに従ってました。従順です。了解です!しかいってません。句で悩みはしたけれど、相性がいいのか他はサクサク進んだのでよかったです。

ササキリ
いちご摘みというより、チームを組んで作り上げるとわかる、同人サークル的なもの組むとわかる部分、みたいなのが見えたところもあるかもしれません。事務的なところではサクサク疑問なく進みました。……そういうとこではなく?、いやでも多分、ここは人とやる以上大事なとこで、そういうことでもあった。
とはいえ、濃厚でした。クオリティの部分で煮詰める、しかも世界を作り上げる作業で、後に引けない作業という感じ。仕方なく、どんな人間か、が出てしまうんでしょう。一言で言うと、"渇いていて、貪欲"ってわけね、笑っちゃうことです。
句作以外の部分でいうと、句の並びはやはさんが決めてくれましたよね、ここを気にしたけど、どう?みたいなところありますか。あまり聞いていないところかも。
やは
そうです、事務的なところの相性がよかったというものあります。句の並びについては、1句目から3句目の印象付けは意識しました。みなさんも連作を作るときにはやることだと思いますが。あとは英語が入っているものと下ネタが入っているものをバラけさせて、バランスよくすることを心がけました。最後の句も強いものにしました。
No parking めくるめく愛/やは
A Bad conscience kindles 
noble tongues of flame; therefore I AM
(more to BE THERE)/ササキリ
は絶対に最後にしようと思っていました。
ササキリ
句の並び、なるほど。横文字をどう使うかをやはさんは果敢にチャレンジしていますよね(実際、ボツにした句の多くに横文字が入ったものがありました)。それが今回に差し色している感じはあります。
やは
横文字はたくさん書いたのですが難しいですね。それこそ差し色にしかならなかったと感じています。
ササキリ
その色のやはさんのこれからの句を楽しみにしています。

やは
がんばります。
ちなみに今回のやり取りでわたしからはどんな印象を受けたとかありますか?気になります。
ササキリ
やはさんの印象、慎ましいと思いましたよ。言うべきことは言って、言わなくてもわかるだろうとか、余計だ、野暮だと思われる部分は言わない感じ。単純に余裕がないという意見もあるかもしれないけれども、野暮なことを言わないのは余裕がないかどうかと関係ないと考えています。例えば、句にコメントが欲しいという場面があったとして、短く言うべきことを伝えてくる。この句はこう思う、と、端的に。必要だと思われるところまで踏み込む。句の内容や、作句姿勢について言おうと思えばもっと言えるんだが、そうはしない慎ましさみたいなところがある。慎ましい。粛々としている。粛々とやる魂胆。慎ましさと粛々さは、結局やはさんがエコノミックな事情、時間と体力のコストに依存している、やりきれる事柄のテリトリーを拡大させています。やはさんはこうしてテリトリーを拡げているんだと感じました。稀有ですよ。
やは
なるほど。わたしの印象について、よく思われているのはあるのですが、あっていますね。でもそれこそ創作者として自分を語ることが好きではないのであえて訂正はしないでおきます。ササキリさんがどんな印象を抱いているかわかってうれしいです。ありがとうございます。
ササキリ
句の並びの話でも出たけど、やはさんが私の句で、信頼をおいてくれているのって、下ネタ(バレ句)ですよね。このいちご摘みでは、猥雑な歴史を持った言葉が多く使われていますね(いや、いつもなんだけどさ)。というか、われわれはこの辺りの語彙からどうやって二人で句をつくりあげるかを検討していたわけですから。俗っぽい記憶を掘り起こせば、これってアメーバピグの「ピグH」のような古の遊びがあったりするよな、という話をちらっとした気がします。
やは
そうです、ササキリさんのかっこいいところは下ネタを使っているところだと思っています。わたしは真似しているんですよ、ここからどこまでわたしらしさを追求できるのかが課題です。なのでササキリさんがいったようにふたりでその世界観を存分に発揮しようということになりました。下ネタが飛び交いすぎてセックスしてるみたいだと思いながら寝た夜がありました。それをササキリさんに話したんです。笑われました(笑)でもよく考えてみればこれってすごいことだと思うんです。わたしたちは真剣に文学をやっている。それがセックスになってしまうんですから。
ササキリ
確かに、すごいことです。凄まじいと言うべきか。やはさんとの関わりも薄かった頃に、頼み込んで私の川柳以外の作品を読んでもらったことがありました。その時はうまくわからなかったけど、後々ササキリが真剣に文学をやっているんだとわかってきた、みたいなことを言ってくれましたね。確かに、真剣に文学をやっている。この真剣という言い方はやはさんらしい言い方です。「いちご摘み」という文学の共同制作をハックして、セックスにしてしまう。少し狭めて川柳について言えば、川柳が捨ててきてしまったものではなく、川柳がもともと拾ってはいなかったものをやっているのかもしれません(お読みになっている方へ。「バックストローク」第4号,2003年,のパネルディスカッションを念頭に置いてこう言っています)。他人にコントロールを委ねること(お読みになっている方へ、例えば「そもそも私は私自身をコントロールできない」という文章中のコントロールとは次元の異なる、より生活に近い用法でこの語を使っていることに注意してください)、境界があいまいになるような恍惚の状態、摘み、摘まれること。笑っちゃうけど、でも確かにそういう瞬間はあったと思います。
やは
ありましたね。そう、わたしはササキリユウイチが好きなんですよ。ササキリさんを知っていく過程で、この人には100%はもとより200%でぶつかっていける相手だと思いました。いままでわたしには文学においてそういう相手がいなかったんです。イメージでいうとわたしが朔太郎でササキリさんが白秋。絶対的な存在だから覚醒できるし、恋できる。でもわたしに好きと云われてまんざらでもないでしょ?文学上に私的な感情さえ置いて摘み摘まれをしてしまった。だからこの恍惚の関係が成り立ったんです。笑っちゃうけどね;⁠)
最後にひとつだけ言及しておきたいのは、この対話をなぜ受け入れたかということです。わたしは作品について語りたくないし語る必要もないと思っています。でもこの対話はしたかった。ササキリユウイチに誘われたからというのが絶対的な理由なのですが、川柳というジャンルだからというのもあると思うんです。
わたしはすべての文章を詩という視点から解像度を高めていきたいと思っています。そのなかで川柳は難解詩なのに社会性のある文章なのではないかという考えが浮かびました。それはネット川柳界隈が他の文学界隈より強い横の繋がりがあるからかもしれません。とにかくわたしにとって最も社会と繋がりを持てるのが川柳だから、作品について開いてみようという気持ちが芽生えました。結果としてやってよかったです。でもたぶんしばらくはササキリユウイチ限定です。
ササキリ
朔太郎から白秋への手紙、これで腑に落ちました。
やはさんにより語られた言葉は、常にそのテリトリーに引き込まれる、でも貴方が瀬戸際で開かれたテリトリーへ、われわれにより語られたことに言葉を吹き込む、暫定的には唯一のものが川柳とその界隈だ、と。やはさんは筆記のたびに、今際の際にあるわけですね。というか、川柳以外における筆記行為には、常に今際の際が付き纏っていた。川柳においては、今際の際そのものが破棄されるというイメージのほうが正しいかもしれません。なぜなら、そうでないとやはさん自体が壊れてしまうから。川柳をしていて、なおやはさんが壊れないのだとすれば、まずテリトリーの形状の認識が間違っていたと疑ったほうがいい。別のテリトリーの構築可能性が有る、と言ってもいいでしょう。私、ササキリと対話をしてくださり、ありがとうございました。
やは
わたしの川柳を越えてわたしさえ読んでもらえてうれしいです。こちらこそありがとうございました。

2023年10月
※作品は最終的に2023年9月2日に全てが発表されました。


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