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川柳句会ビー面 2023年6月


透明の奥へ奥へとうずくまる

この世に生まれる前の、もしくは光が通り抜けていって現世のにんげんには感知できないあの世の、原初の魂の粒みたいなものになるために、ひとの形の体を丸めたり、獣が伏せるようにしているだとおもった。うずくまる、というと幼い子供が泣きじゃくっている様子にも思えたけれど、透明の奥深いどこかに意識的に進んでいるようで、それは身体的な運動のうずくまるという語では説明できないから、その心の雫を海に希釈させていってどこまでもどこまでも薄めていくイメージも併せ持つ。小さな粒子になっていって、光にも溶け込んでいくから透明といえるだろうし、安易に「底」にせず「奥」としたことも秘められて容易に足を踏み入れることのできない聖域のようです。その「奥」というのは基本的には、いまここからは見えない先のどこかのはずで、行く手を阻んだり視界を遮る障害や結界があるのが常ですが、透明とあけすけにしているのも厄介で、何か見えているはずなのに見えていないという怖さと清らかさがあるようですし、それが聖域というものです。そこにあるけど、もうそこにはないというように思えるのはうがった読解でもあるけれど、濁ったり光で汚れないように勝ち逃げしてほしいと願ってやみません。
──────────公共プール
透明の奥……なぜかスムースにコンラッド『闇の奥』を思いついてしまいました。あれは残酷すぎるけど、でもうずくまるだけの理由の中には、繋がるものもある気がする。透明なのに暗い、奥。透明が重なれば重なるほど暗くなる、あの暗さですよね。
──────────西脇祥貴

野イチゴでレッドカードを染め上げる

Fleet Foxes "White Winter Himnal" にそんな歌詞があったなあ。ベリー系のつぶれ方には、どうして血と肉感がついて回るんでしょう。でそうやって染めると絶対果肉が付いたり色むらが出たりして、妙に生々しくなるし。ほのかーにかおる暴力性。フーリガンの雄叫びがうっすら聞こえてくるような。
──────────西脇祥貴

つぶらな瞳だパンコーナーのおれらは

目的がなくてもパンコーナーはゆっくり見てしまう。その時の瞳を見たことはないけど、つぶらな瞳というのはぴったりの気がする。
──────────スズキ皐月
パンコーナーで目を輝かせていたのはいつの頃だったっけ、とか思いました。もう、パンコーナーにときめきを感じなくなってしまったな。「おれら」と読み手を仲間に引き入れていく腕力に抵抗がないのは、「つぶらな瞳」の効果だと思った。チワワに相対したときの雰囲気で、読み手を無力化してくる。
──────────雨月茄子春
おれに敏感になっちゃう。パンなのか、パン担当のバイトさんなのか。パンコーナーを回っている間の自分たちなのか。パンコーナーにいる間だけの平穏。そういう思いつく区切りでなく、「パンコーナーのおれら」なる別の集団の句なんじゃないかとも思えます。つぶらに何を要求しているのでしょう。
──────────西脇祥貴

客演のカエサルだけで囲む卓

これ、いつまで持つだろうか?仕方ないから1つ、残しておきたい句として選ぶという観点から、いただいた。カエサルは、あらゆる動詞を当てられ、あらゆる行為を当てられ、責任を持たされたり、剥奪されたりしている。いつまで続くだろう。カエサルはいつでも客演だ、だがカエサルはどこに所属しいるのだろう。
──────────ササキリ ユウイチ
どちらかといえば主役っぽいカエサルが、客演で配役される芝居とは。そして卓を囲む、というからには複数人いそう……前衛演劇?? 雀卓だとすればまちがいなくそう。しずかで暗そうな(カエサルですし……)卓の光景は、まさにドラマティックで舞台写真のよう。何が語られているかは絶対に聞こえないだろう、という予感のもと、会話はとめどなく続きそうです。
──────────西脇祥貴

ゴリラって言ったのに笑わなかった

笑って欲しいよね。ゴリラって面白いしかっこいいし、少しくらい笑ってくれてもいいのにね。
──────────スズキ皐月
どういう笑いの水準……。あるいはゴリラ、ってだれかを嘲っているのだとしたら、差別する側のこころの一幕を切り抜くことで晒しているかのよう。
──────────西脇祥貴
ウケ狙いのゴリラでスベったときの空気感が出ていて悲壮感があっていいですね。
──────────南雲ゆゆ
そうなったら、もう終わりです。人生の節目の一つを迎えたので、潔く泣いていてください。
──────────公共プール

一筆書きのように振る舞って

比喩とそれに対応する事象が、ばちんと合わさった気持よさがあった。振る舞い一つひとつが一筆書きのように取返しのつかないものだとも読める。他人の目に曝されて振る舞うことの本質を、改めて垣間見させてくれた句だった。
──────────太代祐一
めっちゃ好き。読むときに区切りがないのがこの句の最大の特徴だと思う。意味の上で無理やり分けるなら6-4-5か7-8か10-5かだけど、どれもリズム的にしっくりこない。だから一気に読み切るのが良い。句そのものが一筆書きのように振る舞っている。
──────────南雲ゆゆ
なんか、いいな……。素材そのままで、なんでも引き受けてしまえるのがもろそうなんですけど、そんなのいっか、って思えます。品があるっていうのかな。もう、とある文脈をもって存在して見える句です。音数は14~15のあわいくらい。ので14で読もうという頭が働き、全体をやや速めに読み抜ける体感があります。ように、もその効果を呼んでるかな、直喩修飾+行為、ってシンプルなつくりですし。で、あるのが行為だけなので、読んでいるうち、「振る舞って」が自分の動作であるかのように句が重なってきます。どう振る舞えば一筆書きか、体を動かして試してみたり、いや、精神の問題だろ、と落ち着いてみたり。そのうち自分のからだそのものが一筆書きなんじゃないかと錯覚、ほろほろほどけていってしまうんじゃないかとそわそわさせられます。これだけシンプルな字面で、これだけたくさんの感覚を動員させられる。ちょっとまだ魔法みたいな読後感です。
──────────西脇祥貴

マグロマンチックは目まぐるしいな

「マグロマンチック」はもちろんキャッチーで、泳ぐことをやめると死んでしまうマグロの一生は終始「目まぐるしい」ことだろう。今月の「とりあえずトロピカルには光っとこ」もそうだが、ビー面を通じて軽い口調の句に自分が乗れるようになってきたことを実感した。
──────────小野寺里穂
回遊魚だもんね。
──────────西脇祥貴
気になる句
──────────雨月茄子春

水辺には水辺のマッツ・ミケルセン

頭韻への評価(間にマを挟むことも)はありつつも、マッツの名前の面白さに寄りかかりすぎかも……と思っちゃった。
──────────雨月茄子春
マッツ・ミケルセンは決まりすぎな気もするし、すでに川柳に登場している語彙かもしれない。。。
──────────西脇祥貴

傍観者更生プログラム神社

~プログラム、まででうがちも入ってけっこう決まっているので、神社が浮くように思いました。盛りだくさん感。傍観者更生プログラムなるもの、あるだけましなのか、それともこれにも裏があるのか。そしてそれが神社に託されているのははたしていいことなのか(断食修行みたいなこと?)。そしてそして、更生後、ひとはどの方向へ進むのか……。
──────────西脇祥貴

用水路にも山の伝令

一読でよいなと思ったが、言語化がなかなか難しかった。まず、山が伝えたい伝令の内容が気になる。その宛先は用水路そのものなのか、用水路にいる誰かなのか。そもそもこれはどのような状況か。民話の一部を切り取ったよう雰囲気と潔さが目を引いた。このよさについてもう少し考えたい。
──────────小野寺里穂
点を入れられるかどうかは微妙なところだけど、好きかどうかでいうと好きです。だが、用水路はそもそも山の伝令なのでは…という意識がはたらいてしまった(そうだろう?)
──────────ササキリ ユウイチ
これはわたしの身近な話なのですが、近所の町を流れる水路の水はとてもきれいで冷たく、白い小さな花をつける梅花藻がそこの観光資源となっています。その開花時期は5月後半から6月初旬で、その見定めに上流の山々に残る雪形でなされていて、雪解け水が減り始めたころ合いで水温があがって開花するらしいです。こういうことをこの句が言っているわけではないと思いますが、山と水路は川の水でつながっていますから、案外素朴な読解でも的外れではないでしょう。
──────────公共プール

ピリオドに手懐けられて海の家

終わりに飼いならされた行く末が海の家、ときた。きっと以前はピリオドに反発して、諦めきれずに終わらないようにじたばたしていたのだと思う。それだのに、幾度もそれが失敗していくことで徐々に摩耗していって、諦める様になってしまって、この世の陸地の涯まで追いやられてしまって、海の家が最果てのようだよ。そのかつての反発は夏休みの海の家の賑わいのようでいて、それが過ぎて、諦念の侘しさが閑散とした秋の海の淋しさにも通じる。ただ、ピリオドの最果てが浜辺に建つ海の家だとして、寄せて返す波はその終わり方を知らないのだから、にんげんの美しさは有限であるというのも手あかのついた言い草だ。それに木村半文銭「石一つなげたところも海の涯」が好きということもあり、海とにんげんの実景と寓意が際立つ美しさがある。
──────────公共プール
海行かなすぎて、「キマグレンが杭抜き忘れて怒られた」、というのが海の家と聞いて一発目に出てくる人間なので、ちょっと罰っぽいにおいがしました。ピリオドに手懐けられ、見張られたまま、海の家を経営させられる。たのしい出会いがいっぱいのはずの場が一転、鑑別所のような重々しさに。そもそも夏なのかな。これ夏じゃない可能性も出て来るな。。。しかし、なんのピリオドなんでしょうね。
──────────西脇祥貴
「ピリオドに手懐けられて」がめっちゃ好き。欲を言えば海の家である必然性がもっとほしかったです。
──────────南雲ゆゆ

商店街が来たから踊った

この商店街はおそらくさびれているのだろうな。でもこっちまで来てくれたから嬉しくて小躍りしちゃう。川柳って踊りがちだと思うけど、なんだかこの「踊った」には一筋縄ではいかない寂しさがある。それで並選に。
──────────太代祐一
踊った、って引き強いですよね……いや、個人的にかも知れません、すみません。ついついやられちゃう弱い語彙、ってありますよね。その語があるだけで加点しちゃうみたいな。もちろん使いようがまずければ、かえって減点になっちゃうかもですけど。この句ではばっちり加点。一見自由律俳句っぽいな、と思ったのは、つくり上理屈が通っているのと(○○だから××)、踊った、ってじぶんでできる行為で終わってるからでしょうか。そのたたずまいもよくて、で読み直すと結構大きいスケール、いやこれ神話くらい大きいスケールでしょう。じゃなきゃラブレーか。それくらいのスケールで踊ってくれているので、ひじょうにたのしくなりました。大きい踊りなんだろうな。常人が見たんじゃ大きすぎて、動いてるように見えないかも。で、スケール感に寄与してるのがなんと言っても短律。6.の句同様、14~15のあわいの音数なのですが、この短さが、ことの大きさを増幅してくれています。そういうパワーがあるのになんとなくは気づいていたのですが、実例がここに。「商店街」のにぎわい×悲哀こもごももの空気感もおいしさいっぱいです。
──────────西脇祥貴
助詞をいじる、川合大祐さんが石田柊馬さんに川柳のコツを聞いたときに「「は」と書いたら「を」や「が」に直して試してみなさい」と返された、のことを思い出しました。この句は「に」が「が」になってる。単純だけど、ズームで商店街が迫ってきてるイメージが生まれて、なんとなく映画とかのセット感が出てくる。それで何するか。この句は踊った。ちょっと意外性がないけれど、とはいえ気持ちのいい句と思う。
──────────雨月茄子春
踊るのおれもすき。商店街が来なくても、毎日踊ってくらしたい。
──────────公共プール
問答無用で選ばせる力がある句。
──────────南雲ゆゆ

蟹わればいにしへの星がうまれたり

が、要るかな……。あ、たり、を完了の助動詞だと思ったからそう感じましたが、並列(~たり、~たり)のたりなのかも。うー、しかし古「へ」、だな……ちょっとどっちか決めにくいか。うまれたり、なのにすでに古へなのはふしぎです。
──────────西脇祥貴

さくらんぼ(2002年が燃えている)

さくらんぼの光沢のある紅をじっと見つめていると、そのなかに燃えている2002年を幻視したのだろうか、さくらんぼの甘酸っぱさと2002年の感触、触感と記憶が結びついてゆくようで、この句が僕を別の場所に連れて行ってくれる気がした。
──────────太代祐一
ノスタルジ~すねぇ~~!大塚愛の「さくらんぼ」がリリースされたのは2002年……と思いきや、2003年。その前年が燃えているとは?2002年が燃えて、燃え尽きてしまって、2003年が訪れなかった世界なのかもしれない。そうすると大塚愛が「さくらんぼ」を歌うことはなく、手帳を開いたらもう2年経つこともなかったのだ。今気が付いたけど「手帳を開いたらもう2年経つ」ってことは「さくらんぼ」の歌詞世界では2002年と2001年も念頭に置かれているということで、その2002年が燃えているというのが時空の迷路に迷い込んだ感じがして脳細胞が火を吹いた。【余談】あと2002年と言えば日韓ワールドカップ。「隣同士あなたと私さくらんぼ」は日韓W杯の暗喩だった……ってコト!?
──────────南雲ゆゆ
大塚愛の『さくらんぼ』だと思った。あの曲は2003年の曲らしいので、おそらく2003年から2002年を思い返したりしたときに燃えている2002年が見えてくるのだろう。『映像の世紀』みたいな映像が流れる中で『さくらんぼ』が流れている様子が思い浮かんだ。パリは燃えているか、ならぬ2002年は燃えているか、である。
──────────スズキ皐月
そうかー、2002年だったっけ、と思って調べたら2003年リリースでした(!?)。いやもちろん、大塚愛さんに限った話ではないですけど、だとしたら2002年の意味が広すぎるか……。大塚愛さんだとして、リリース前の年が燃えた結果→「さくらんぼ」。そういう曲だった、という解釈なのかな。で、2002年に何があったか――ユーロ流通開始、「悪の枢軸」、東ティモール独立、日韓ワールドカップ、小泉純一郎北朝鮮訪問、「海辺のカフカ」、「キングダムハーツ」、ナンシー関氏死去……燃えている、と言えば燃えているけど、そうなのか? と思ってしまいます。あとひとつヒントがほしかった。ちなみに2003年、たま、解散。
──────────西脇祥貴

鵞卵亭アイプチのきはまるところ

アイプチは、きはまるところのものなので、かなり納得感のあるのと、岡井への反応としてコメント。
──────────ササキリ ユウイチ
鵞卵亭でよかったのか。
──────────西脇祥貴

ハンチングからこぼれてる御老人

棒状の光をあつめ本題さ

終わりはさ、でよかったのかな……。この「さ」、いくつか候補があって、①麗人系の人が使うエレガント語尾の「さ」、②あのさ、とほぼ同義の呼びかける「さ」、③どこかの方言の「さ」、くらいまで挙げられそうです。③は読み取るのが相当むずかしいので置くとして、①か②なら、②はこの続けた表記で読み取るのがむずかしく、せいぜい②を含む①、あたりに落ち着くのではないかと。だとすると、本題と主体に距離がある気がしました。そういう寸止め感をたのしむ句なのでしょうか? あるいは、本題を求めすぎる時代へのアンチ?? それにつけても、いい本題っぽそう。そこがこの句のすごいところで、「棒状の光をあつめ」という説明になっているのかどうか分からない修飾だけで、本題はいったいなんなのか、とぐいーっとひきつけられてしまいます。サイリウムなのか、もっと長い光の棒なのか(前行ったRadioheadのコンサート照明が、高い天井からまっすぐの細いLEDを何本も吊り下げる、というもので、それも思い起こしました)。でも物体、というよりは書かれているとおり、棒状の光なんだな、とそのままもらいたいところです。このイメージがいいからこそ、着地の煮え切らなさがやっぱりすこし引っかかります。
──────────西脇祥貴

とりあえずトロピカルには光っとこ

銀杏BOYZ"人間"のパンチライン「とりあえず戦争反対って言ってりゃあいいんだろう」に近いとりあえずの用法だと感じました。トロピカル、光る、と合わせると、たんじゅんにカジュアルな句に受け取れるしそれでもいいのかもしれませんが、それだけだとかえって軽すぎる。光る、という行為が「光っとこ」と投げ遣りなあたり、そして「に」でなく「には」なあたり、なんらかの諦めや迎合のにおいがしてきます……。そこで思い出される、光⇔影の表裏関係。光れば光るほど影は濃くなり、絶望もきわだちます。ましてや「トロピカル」。見せかけの華々しさが増幅させる、正気じゃいられない空気。光っとかないと置いて行かれる。意味は分からないけど、光っとく。そのむごさ。深読み上等でここまで読んでみましたが、どう見たって字面通りのシンプルにたのしい句とは思えません。ましてビー面ですし。でもちょっと踏み込みすぎた気もする。他の方の評、作者コメントが待たれます。
──────────西脇祥貴
そうしよう!と思わず乗りたくなるテンションの高さがよい。トロピカルに光るとはどのようなことなのか、熱帯のカラフルな色味や日差しの強さが想起されるが、大事なのはそのノリなのだと思う。フレンドリーな口調と定形の型が調和している珍しい句。
──────────小野寺里穂

火葬も土葬も、ついでに理想も

なるほど、その葬り方があったか……! 理想の想を葬にしていたら一気に興ざめだったところ、そのままにしておくことで、より穴の深さが際立っています。具体的に理想がどういう葬り方なのかはわかりませんが、なにせ「理」によるとむらい、あまりハートウォーミングなものとは言えなそうです。耳で聞くとさらに効く句かも。
──────────西脇祥貴

友達は最高 バンギラスは最低

ポケモンの対戦においてバンギラスはかなり強い部類で、登場する作品の対戦環境ではある程度対策しておかないと痛い目に遭う。「バンギラスは最低」という言葉は対策せずに対戦に挑んだ人間のセリフなんだろう。しかし、バンギラスは強いが対策もそこまで難しくないはず。主体はもしかしたら使いたいポケモンを使うために対策を怠っているのではないだろうか。となると「友達は最高」が少し嫌味っぽいニュアンスにもなってくる。
──────────スズキ皐月
だからゲームすんのやめたんだよな。
──────────西脇祥貴

 努力に応じ熟れる汎称
違法の四季は夏期講習で事足りる

異物としておくにはいい見た目ですが、読み解こうとするにはルビが長く、どの文字からどの文字までかかるかが分かりにくいか……。あるいは詞書きなのかな。
──────────西脇祥貴
BLEACHに勝てているか、という指標はどうしても生まれちゃう。
──────────雨月茄子春

黒豹が体を駆け巡っちゃう系

時期的に、黒豹でブラックパンサーが想起され過ぎるか(WAKANDA FOREVER)。だとしても、~系、の言い方との落差はおもしろいです。結局どういう系なのかわかりゃしないところも。
──────────西脇祥貴

そうなんです、晴れ間に眠るのが仕事

「そうなんです、」という受け答えがありそうでなかった。絶妙ですね。
──────────南雲ゆゆ
主体、すべり台とかかな。無機物な気がしたんですが、でも晴れ間のが使われてるよな……もしかしたら滑り台は本来むちゃくちゃ暴れる代物で、晴れ間のうち眠って遊ばれることが仕事なのか? 晴れ間に眠るのは仕事にならないはずのところ、仕事になっているからかように想像が働きます。たぶんもっとたくさん想像できると思うので、他の方がどう見たかが気になります。
──────────西脇祥貴

後味をくれもうすぐで屠るから

屠るの重みなあ……気になっちゃう。おおごとですから。その分その前は離れなきゃいけないと思うんですけど、にしては近い気がしました。
──────────西脇祥貴
「で」が気になってしまった。この句の持つスピード感が損なわれてしまうように思うんだけどどうですか?
──────────雨月茄子春

特売の信心がお似合いだよ部

一文字どうしようか問題の結果。
──────────西脇祥貴

生か死かとりあえず生での2番線

快速線が通ります意味のわからないひとはさがって?という短歌をきいたことがある気がしましたが、オマージュ?
──────────公共プール
とりあえず、便利かも。気をつけなきゃな。。。はまり方は今回18.の方が不可欠ですが、この句の色付け方も悪くはないと思います。ビールにかけて、でもあくまで「生(せい)」。
──────────西脇祥貴
「生か死か」という、ともすればありきたりで終わってしまうテーマから「生での2番線」に着地する発想と意外性が素晴らしいです。
──────────南雲ゆゆ

どうせお前も平氏なんだろ

だからビュッフェで平気で食い物残すんだろ
──────────西脇祥貴
派閥が……「僕はうなぎ」みたいな面白さですよね。
──────────雨月茄子春

年一の悲恋で得られる紫綬勲章

紫綬勲章を悲恋ごときで得られるものとすることで権威性を剥奪しているようにも取れるし、年一で悲恋するくらい人間関係に積極的な者が結局重んぜられるのだという人脈社会への皮肉にも取れますね。
──────────南雲ゆゆ
うーん、悪くないけど、中八だけこれは気になってしまう……。
──────────西脇祥貴

何度でも家族を殺すヤクルトレディ

大暮維人川柳……! これ殺されても殺されてもよみがえるんですよね家族、でまた殺されて、よみがえって……永遠に循環する殺戮のgif。戯画というか、もう悪意まみれの(でかえって神聖になってしまう)ファルス。この句だけだと悪趣味に終わってしまいかねないから、ぜひとも連作にして描ききってほしいです……!!
──────────西脇祥貴
ヤクルトレディという名称の存在がまず面白すぎる(あくまでもネーミングの話であって、従事者のことを面白がってるわけじゃない。実家は毎週お世話になってます)。描いてるシーンがタイムリープホラーとしてかなり良いのではなかろうか。ヤクルトレディってこう、概念というか、のっぺらぼうの姿で想起されがちな気がして(これは概念のことを面白がってます)、チャイム押してくるし、ホラーの素材にちょうど良いなと思った。
──────────雨月茄子春
ループサスペンス物でありそうな展開。ヤクルトレディの動機は?どうやって彼女を倒す?ご近所さんも巻き込む?ヤクルト派?ジョア派?無限に想像力がわいてきます。川柳では家族がひどい目に遭わされがちと言われますが、これはその亜種って感じ。日常を破壊する主体がヤクルトレディなのが、ひねりがあって記憶に残ります。
──────────南雲ゆゆ

絵の中のヒビ、手の甲にいる、舐める

完成度が高いと思う。観察対象が自身の身体に移動して、行動を生起させる。意識の流れがたどたどしい韻律によって支えられている。モチーフと動作も調和してるし、句の美意識が安定していて、作者の「仕事」が見える(jobではなくて、workのことを言っています)。
──────────雨月茄子春
技術的なところで1点、「中の」と冗長にしたこと。この気味がわるいところは取りこぼされないままに舐め取られている。ヒビはおそらく全体にわたってあるはずなんだ。中の、はただそのどこかの全体の一部をわざわざいうつもりですよの働きがあるのだが、おそらくそれは手の甲ではない、というところが何個めかな気味の悪さ。
──────────ササキリ ユウイチ
ヒビの遷移が見えて反応としても面白いのですが、それゆえ読点でつなぐつなぎ方がちょっと平凡に見えちゃいました。
──────────西脇祥貴

イミテーションの花火で良い

イミテーション=模造品。模造品の花火とは、火薬を使わない、例えばドローンで魅せるような花火でしょうか。火薬よりも安全で複雑な形にも対応できそう。「が良い」ではなく「で良い」なのが、「人間の芸術じゃなくてAIで良い」という現代的問題を含有する句だと思いました。そして何よりも「イミテーションの花火」がキラーワードですね。最高です。
──────────南雲ゆゆ
一見自由律俳句なんですけど、イミテーションの花火ってなん? の部分で川柳にひねりこまれる感じがあります。
──────────西脇祥貴

あんぱんをごろんと生きるカブトムシ

夏休みの作文みたい。と思ってかるく読んでいたら、実はカブトムシ→あんぱん転生譚であった、というオチがありそう。
──────────西脇祥貴

素麺がどんどん流れでる産道

圧巻。無から有が生まれているのか、体内でなにごとかがあって生まれ出ているのか……。ブリューゲルの版画とかエルンストのコラージュにありそうな、グロテスクなんだけど目が離せない一幕です。本来それが生まれないところから生まれ出ているという点で神秘的、神話の一部のような雰囲気まであります。勝手に脳内イメージはクロースアップになっていました。……と、これは外から見た感想。では実際自分の体内から素麺(これ茹でてあるやつでいいんですよね?)がどんどん流れ出ているとすればどうか? うーむ、結構無、かも。流れ出る現象は止められないとすれば眺めているしかなくて、わりに日常のことにもなり得てしまうような。ただものが素麺なので違和感というか、気味の悪い感触は残ります。この内外の落差でもって、結局日常的な方の地平に落ち着く句なような。でも月のものをパロディした、とかそういう安直なことではない魅力があると思いました。
──────────西脇祥貴
流し素麺を幻視させてくる凄まじい手腕。人体を冒涜することの悦びがある。ヤプー的な背徳感。産道という生産通路(生産通路?)を選択したのも、ど真ん中に最悪をやろうとしてるのがわかるし、それはこの句の背後にある暗い意識と合っている。なのになんだこの楽しそうな雰囲気は。幻冬社アウトロー文庫かるたがあったらこんな感じなんだろうな。「どんどん」て……
──────────雨月茄子春
たぶん産道としたところが語彙選択でバランスをとったところ。こういう挑発的な言葉遣いに、まだ自分が観測できない領域がある気もする。
──────────公共プール

シドは天才。天才は地獄の水煮

シドはバンドのことかと思ったけど、確定はできないかも。そこよりは天才と断じた上で、天才を再定義するあたりが面白い。地獄の水煮も難しいところだけど、沸騰しているあたりは地獄っぽくあり、水煮というあたりは少しやさしい。
──────────スズキ皐月
気持ちがいい。川柳の断定性ってこれ!と思った。
──────────雨月茄子春
天才のシドといったら、セックスピストルズでしょうが、それが地獄の水煮。意外とさっぱりしてるし、缶詰を想像しちゃう。凡才を極楽の味噌煮とするのは、確かに?変に甘そうであんまり良くないな。死んだあともお腹を満たしてくれるから、おれらは?ありがたいね。
──────────公共プール
シドでよかったのか。
──────────西脇祥貴

湯場が桜皮を区別なく諸機関に

ササキリみ、というものをつい考えさせられた句でした。桜皮→漢方→薬湯→釜爺→湯場、でどうにか結び付けられそう。あそこの薬湯は釜爺の釜場から各浴場に送られる仕組みだったような。
──────────西脇祥貴

片方は甥になるかもしれぬ帯

小池正博さん「島二つどちらを姉と呼ぼうかな」の系譜につらなりそうな句。
──────────西脇祥貴


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