川柳句会ビー面 2023年10月
匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。
笑ってる葬儀屋の目が番茄の花
トマト、なのか……。しかも花。番茄、でなくトマトの表記でもそれなりにおもしろいのに、番茄を選んだことでくさかんむりが葬儀の葬と対応、さらに妙な印象をうんでいます。が、番茄にしたことで読みやすさが下がったこともたしか。トマトの時点でそれなりにいいから、この点はちょっともったいないかも。と、思ったのですが「トマト 花」で画像検索しておお、と。黄色の星型かつ真ん中がびょーんと飛び出た花でした。この目のやつ……『不安の種』じゃないか……。そして葬儀屋。追い打ちのかかる不安。その増幅のためにはたしかにトマトじゃなくて番茄だな、と納得しました。あとはこの不安感を、番茄の表記だけから引き出せるのかというところだけ。
──────西脇祥貴
うぬぼれの水族館に降る指紋
「うぬぼれ」の水気の多い音は水族館とよく合っている。指紋も水族館の水槽から持ってきやすいイメージ。まとまった綺麗さがある。手堅い美しさ。
──────スズキ皐月
手がため。水族館に降る指紋、がちょっと説明っぽいかなあと思うあたりに、ああ、韻律意識するってこういうとこか……と勝手にしみじみしてしまいました。特に「に降る」が説明っぽいか。あと降るものとしての指紋の既視感。でも光景といい場所といい(うぬぼれの水族館!)パワー十分で、そこから探って行くと指紋の必然性は出て来そうです。水槽の中に憩うのは大小色さまざまのうぬぼれたち。うぬぼれた演出でそれを見せられる客たちも、またうぬぼれの固まり。そこに降ってくる指紋はうぬぼれにどんな波紋を起こすのか。その指紋のつくことでうぬぼれや客たちに何が起こるのか、そして指紋の持ち主は。これ、うぬぼれの挙句指紋を失くした人たちが集まる水族館でもありそう。怖い寓話のおもむきです。
──────西脇祥貴
主役にも明日があって手を下ろす
、ということは手を上げてたはず。で、手を上げる=①発言の許可を求める、②無抵抗の意志を示す、のいずれかとすれば、なにやら意味が浮かんできそう。①スト中。待遇等に意見しようと上げていた手を、明日からの生活のためにやむなく下ろしている。②その日の最後の撮影シーン。ホールドアップで終わるシーンにOKが出て、カットの声とともに手を下ろした。②をベースに①をにおわせる社会詠(ハリウッド、ストしてましたしね)、だとすると、より違和感を禁じ得ない「手を下ろす」。
──────西脇祥貴
カーテンのすき間をずっと走ってる
小動物でもいいのだろうけど、直感では光とか風みたいな掴みどころのないものについての句だと思った。というのも「ずっと」の長さに対する感覚が問われているきがしていて、スズキの「ずっと」観からは小動物はずっと走ってはいないと判断した。彼らはある程度で止まる。光や風の方が長い時間動いている。ここまで推測はできるが、断定はできない。その不確かさが不在の不気味さを招いていて、一方で「ずっと走ってる」の一心不乱な感じがユーモアを呼ぶ。このバランスがうまいと思った。
──────スズキ皐月
夜、横になって静かにしていると、カーテンの隙間から天井に外の明るさがこぼれてきて、車が通るとそのライトが走っていきます。通りに面した部屋の夜の、眠る前の黙っている時間。その沈黙のなかを、光がずっと走っているような……そういう、暗さと沈黙のことを思いました。黙っている時間の温度にも似た、不思議な感じのする句です。
──────城崎ララ
それを言ってどうする系句を好み以外の点から評する方法が未だよく分かってないのですが、とりあえずこの句は好みです。どこが好みか、というところから切り崩していくとすれば、まずは場所の設定。窓とカーテンのすき間=外と中のあわい、とも取れるし、カーテンだらけの部屋で、カーテンのすき間を出口を探して迷い迷い走ってる、というシュルレアルな夢の一幕とも取れる。どっちに転んでも良。なうえに例の川柳性アイテム「ずっと」があるし、それが「走ってる」にかかるうえ場所がこのようであるならもうばっちり精神分析の対象にできる整いようでは。つまり気持ちの裏打ちがありそうってこと。ありそう、であって、なにかはっきりしないのがなお良いです。私事ですが、巨大な駅の中で乗り換える電車を探して右往左往する夢を、少し前までよく見ていました。
──────西脇祥貴
あの隙間をポニョみたいに。
──────小野寺里穂
カーテンのはためきと、走っているあなたのはためきが、すき間でつながる。んですねぇ。
──────雨月茄子春
ビッチにも八百万の色無き海
今回あまりお行儀のよくない単語揃えにしたのですが、お行儀がよくないとされる言葉、裏返しにして自己肯定感を爆走させるためにもつかわれるようです。そういううつくしさをつかまえたかった句(しゃべりすぎ)
──────西脇祥貴
肩こりの値付けも終わり舵を切る
疲れているアピール、寝ていないアピールを想起した。いや、あくまで肩こりが商品として流通しているのか。人様の肩こりへの値付けも終わり、この人の、今日一日凝り固まった自分の肩をほぐしながらトボトボと家路へとつく背中が目に浮かぶ。
──────太代祐一
5・7はいいと思いました。下5がこれでよかったのか……舵を切る、ちょっと便利ワードかも。急に景色が海上に飛ぶのは魅力的ですが。
──────西脇祥貴
死んだ真似しているなんてイヤな人
間違いない。イヤな人。それなりにリアルな死んだ真似なんだろうなと思える口語体がイヤさを際立たせている。
──────城崎ララ
しごくまっとうな指摘で、このまま新聞柳壇に載ってても良さそう。だけど載らないんだろうな、そんなに死んだ真似している人なんか見ないから。反応への共感は得られても前提への共感が得られないという、千々に裂かれた句。でも新聞柳壇に載っててほしいな。イヤな、って表記なんかいかにもな気がして、そういうところに載る句を模倣しつつそこにも居心地よくないかんじを狙ったようでもあります。
──────西脇祥貴
ファック標準語。ファック人造真鯛。
正確に真鯛を造る、人造することは難しすぎるという圧倒的な事実を念頭に置きつつ、というか置かれている人造真鯛、というよりもその念頭の置き方がむしろ標準語の微妙な位置に適切なんじゃないか。
──────ササキリ ユウイチ
「標準語」という大括りな、しかし主体が見えるような言葉に対置される言葉として、「人造真鯛」という世界にない存在が現れる、そのバランス感覚がいい。一般の正解に「ない」からこそ、主体の見ている世界では「ある」んだよね。そこへ中指を立てる。
──────雨月茄子春
ファックって書いてある句そういえばあんまりないな、むずかしいからかな、と思いとりあえず一句やってみました。下はともかく上はわりとよくそう思っています。※10/29追記。むかし自分で一句作ってました。今見たら力んでるな、という感じでした。じゃあいまはどうなんだという。
──────西脇祥貴
照明を通過させない家父長制
通過させない、をどう取るかで……。①なんらかの主体(子? 家の構成員?)がいて、家父長制はその主体が照明を通過することを妨げる、の意。②家父長制そのものが主体で、それが本来はどうやら照明を通過しているべきものらしいのだけど、通過させなかった家父長制がこちら。の意。
──────西脇祥貴
もう犬のほうから朝を乗りこなす
あくまで主導権は犬の側にあるということ。「もう」に現状へのしびれを切らしている感が滲み出ている。
──────太代祐一
「もう」が抜群に効いていると思った。「朝」の方から「犬」にいろいろアプローチをかけて四苦八苦したんだなというのが伝わる。なんだか情けないシチュではあるのだがずっと見ていたくなるような趣がある。
──────スズキ皐月
川柳性アイテム「もう」スタート。と来れば後ろに相当の期待がかかりますが、こちらはなお面白いです。犬のほうからもおもしろいし、朝を乗りこなす、の言い回しも面白い。そして組み合わせて互いをころさないでいるパワーバランスも絶妙です。朝の散歩でしょうか。とすると大体の犬はまず朝に飲まれてる、ってことか……。朝散歩しないので知らなかったのですが、犬って朝とかうんぬんより、散歩したい欲が勝つ生き物なんだと思っていました。それが朝に臆し、朝に挑み、そしてついに朝を乗りこなす……この分の時間も含んだ、犬ビルドゥングス・ロマン句といえましょう。シンプルゆえの、奥行きの深さを味わいたいです。
──────西脇祥貴
「もうAのほうから」がうますぎる……ここに至るまでの物語を想起させる力がとんでもなくあって、やけくそ感も感じられる。やけくそ感は「犬」に起因するのかな。具体的な動作ではなく、朝という時間を乗りこなす、というこじゃれた言い回しもクリティカル。スピード感がいい。気持ちがいい朝です。
──────雨月茄子春
もう感覚が、「朝を乗」ることに栄華を極めることのすでに遠くなったものを認め始めている。
──────ササキリ ユウイチ
どうにも弔いがしたたったいる
液体的なイメージは訝しげとセットなところ、なんであるんだろう、しっくりくる。あとそもそもリズムなんだ、と。
──────ササキリ ユウイチ
……あえてなのか、どうなのか……ビー面という場に挑むかのような、この誤字(?)。すごいと思うんです、よそで見たらすっと誤字だろうな、と言い切れるものが、ここで見ると含意のあるなにかになってしまう、という場の力。すごい信頼だと思うしなんならうれしいです。……つってほんとに誤字だったら、それはそれでおもしろいけど……。とまれここでは狙っての誤字として読みます。
──────西脇祥貴
カラフルなパン屋を抱いちゃいけないよ
二者択一の扌をにぎった
あっぱれ。IPPONグランプリのバカリズムみたいな鮮やかさ。
──────小野寺里穂
緊張感がたまらんです。漢字を書くときに辺を「選ぶ」のだ、という考え方をしたことがなかった。日常の中の、避けては通れないはずなのに無意識に選択している、そういうものたちに気づかせてくれる。すべての服はあなたが選んで着ている……
──────雨月茄子春
てへん、と音読することはできるのでしょうが、読めない字として置いておきたい扌。そしてこれは二者に含まれるのでしょうか。
──────西脇祥貴
終わりのあるカモミール止まりかけの鼻血
海外文学の目次にありそう。長いのでどうしても半分のところ(~カモミール/止まりかけの~)で切って読みたくなりますが、おそらく続けて読む道もある。
──────西脇祥貴
HwylというバンドのSIRENという曲にビート?が似てる。畳みかけ方が気持ちいい。含意を込めるのがとても上手です。真似したい。
──────雨月茄子春
堕落も駱駝も見せてやろうぜ
威勢の良さの脱臼。でも駱駝、どう見せるんだろう。買うのかな。あるいは体から捻出するのか。
──────西脇祥貴
蛇だけがいてなにも見えない
この抜き方、気になります……! 七七でこれだけ要素が少ないと流してしまいそうになるところ、縁取り方がなにか特殊なせいで、戻ってきてしまう。蛇のレートの高さは言うまでもないのですが、あとは、なんなんだろう。その一語でふさがれた、うしろで「見えな」くなったものが、気になって読み返すほどに大きくなっていく。七七のみじかさも余計その増幅に力を貸していると思うのですが、そういうもろもろの要素(蛇一語の選択、なにも見えないという状況設定、七七)がほとんどミラクルにかちっとはまり合って、ちょっとことばの追い付かないくらいの効果を出しているように思えます。しかしやはり蛇かな……。この一文字一語がふさぐ大きさなんて知れてるはずなのに、蛇——とぐろを巻いていても、伸びていても、かま首をもたげていてもいいけど、なにせ目を引く動物ゆえ、見てしまうがゆえにうしろがぼけて来る=「なにも見えない」。あとは蛇が暗示するもろもろでうしろに隠れたものが描き出されるわけですが、たぶんどの時代にこの句を放り込んでもなにがしかは描き出される。蛇がなにをも暗示しない時代なんてない(←傍点つけたい)、という事実がこうして浮き彫りになるという。そんな普遍性を、ぼんやりと暴いているあたりの力加減に特選です。
──────西脇祥貴
ピット器官だと理に落ちちゃうんだけど、大丈夫。この蛇は概念。真っ黒な景色の中に、一匹の白い(白い?)蛇が、ふっ、と浮かび上がって、あなたを挑発している。
──────雨月茄子春
冰箱からさようならばの声がする
すぐ思い出すのは小津夜景さんなんだけれども、それは置いといて、さようならばの声がしてもいいし、してしかるべしだし、その「ば」ってなんだってツッコミをしてあげてもいいし、お料理が待たれている。
──────ササキリ ユウイチ
冰箱は中国語で冷蔵庫。冷蔵庫からの声、お洒落な川柳。
──────小野寺里穂
冰箱=冷蔵庫……。「笑ってる葬儀屋の目が番茄の花」と同じ人でしょうね……。これも、音数はともかく冷蔵庫、と置き換えたとしても面白いのが、冰箱にしたときにどうか問題。こういう漢語で置き換える句がもっとあって連作になれば、どういう語を漢語にしているのか、などでリンクを張れて面白い気はしました。
──────西脇祥貴
春が出所した クリームソーダ忌
句は一切以下のようなことを言ってはいないのだが、春の煙った空に、枝葉を伸ばし泡立つ一樹の葉桜の姿が理屈もなく頭に浮かんだ。字義通り受け取ると、春とクリームソーダの不穏な関係が浮かび上がる。
──────太代祐一
16音の不安定さは出所の衝撃に対応。出所、多方面に衝撃と余波の大きい出来事ですからここは妥当です。そして出所したものが春。ベタかな、と思いつつも、ことの重大さを思わせるには効果の大きい選択。どことなく、売ったり買ったりする春のこともにおわせられます。つづいて忌、川柳便利ワードの代表なので要注意で読むことになりますが、クリームソーダなのが救っています。稲垣足穂風こじゃれ感。これもこじゃれ単体で終わってしまうとつらいのですが、春の出所と合わさることで句に幅が出ています。
──────西脇祥貴
力になれず顔になってた
こんな顔の使い方があるなんて、すごい。
──────小野寺里穂
「顔になる」という慣用句的な書き方にキューンとしました。その顔は、力になれなかった人の顔。眉毛の力ない垂れ方すら浮かぶようです。
──────雨月茄子春
特選と迷った句。七七ですね。アンパンマンを連想させるフレーズですが、力になれなかったらしいのが面白い。おまけにアンパンマンは顔であるだけで力になれるので、逆説的に作中主体はどうやらアンパンマンでないらしいこともわかる。そうすると途端に無力感に塗れてしまう「顔になってた」。真実の口のような?
──────城崎ララ
なる、の連続。慣用句からの変身、というずらし。
──────西脇祥貴
瞬間はひび割れたイワシの魚群
見立て、比喩がとてもうまい。ビジュアル的にも、時間経過的にも。
──────雨月茄子春
なんか「序盤には少し木霊が多すぎる」とぱっと見混ざってみえて、「序盤はひび割れたイワシの魚群」だと思っていい句! って評しようとしたらちがいました。いっそ気づかずに序盤は~のままのつもりで評してしまえていたら面白かったのに。閑話休題。
──────西脇祥貴
序盤には少し木霊が多すぎる
どことなく暴力性を感じる。というのも「多すぎる」の断定には身勝手さが伴っているからだ。「木霊」というと長寿の木々に宿る精霊のことだし、彼らには他者を害する能力はなさそう。環境問題的な読みもできそうではあるのだが、それよりも個人の暴力性に焦点を当てたい句だった。
──────スズキ皐月
妹を増殖させるメタフィクション
手がたいかなあ……妹が自動的に出て来ているように見えるのはなぜでしょう。
──────西脇祥貴
私人逮捕にたとえ話はいらない
ふさわしい言い切り。
──────西脇祥貴
F U C K(フタつきうさぎ、長期に孤独!)
声に出す際は( )内のみで。「スポーンジボーブ、ズボンは四角!」のノリで。
──────西脇祥貴
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