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これらの本はすべて風呂場で読んだ

だからなんだという話ですが、WFHが続いていて電車に乗る機会が極端に少なくなった結果として、読書はすべて風呂場でするようになった。というわけで2020年の46冊目から56冊目。

MISSING 失われているもの(村上龍)

村上龍と聞いてイメージするスタイルと全然違って、それが実によかった。自分も、年をとったらこういうものを書けるようになりたい。
どこか一部を抜粋することに意味を見出しづらい幻想的な小説だが、印象に残った部分を一箇所だけ。

記憶。ぞっとする言葉だ。経験や学習で記憶が定着する機能は人間のサバイバルと進化に役立ったらしい。その通りだと思う。だが、記憶として強く刻まれ、決して消えることがないのは、残像となって失われたものの記憶だ。正確には「失われたもの」ではない。残像が存在しているので、それは常に「失われている」という現在形になる。今も、今後も、失われたままなのだ。

誤作動する脳(樋口直美)

内容も装丁も素晴らしく、こんな丁寧な本づくりを続ける医学書院とはなんと素晴らしい出版社だろうと思う。
脳の働きに関する本には興味を持ち続けていて継続的に読んでいるのだが、幻覚を見る当事者にはそれがどのように感じられているのかが、実にありありとよくわかった。また、「時間意識の低下」というトピックでは、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』を思い出した。出来事しかないと考えた時には、むしろこの「時間意識の低下した状態」というのが普通なのかもしれない。

ザシキワラシと婆さま夜語り(佐々木喜善)

喜善の『老媼夜譚(ろうおうやたん)』が好きなので、その現代語訳が刊行され、今後多くの人の手に渡る可能性が増えたことがうれしい。
佐々木喜善の本が紹介されるときには大抵の場合、『遠野物語』がどうとか、柳田國男がどうとか、日本のグリムがどうとか、そういう枕詞のパートが分厚くて、その本自体の中身に触れられることが少なく残念。この本で言えば、辷石谷江(はねいしたにえ)という婆さまの語りの凄みこそが味わうべきところ。民話・神話生成機械となった婆さまが、ときに軽妙にときに憑依したように語りまくるのがめっちゃおもしろい。「むかしあったずもな」ではじまり「どんどはれ」で終わるような形式化された語りになる前の、土着的な、神がかった語りがこれでもかと収められている。

ポップ・ミュージックを語る10の視点

SpotifyのプレイリストにアクセスできるQRコードがついてくるので、それを鳴らしながら読むのが本当に楽しい読書体験だった。こういう本、もっと読みたい。

怪談前後(大塚英志)

来週、6月26日(金)の19時半から、講座「大塚英志の著作を通じて『遠野物語』を読む勉強会」のホストを務めることになり、そのために再読。なんでこの本を取り上げるかは、こちらのnoteに書きました。ご興味あればぜひご参加ください。無料です。

最後の言葉の村へ

14章の「ルーク、手紙を書く」と15章の「地獄への旅」で、ぞっとするような、胸がひしゃげてしまうような気持ちになった。それを簡単な言葉で感想にしたくないのでこれくらいで。Amazonのレビューなどでは好意的なレビューが集まっているように見えないけれど、何を期待して読むかの行き違いかな。読んでよかった。

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以上です。


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