Day7

子どものころから性的な表現に忌避を感じるほうではなかったので、フェティッシュ・エログロもそれなりにたくさん通ってきた。

だからたとえば、ツイッターで起こっている性的広告表現の規制における論争を見て、高校生のときの自分は鼻で笑ったと思う。現実はもっともっとクソであることをすでに私たちは知っていた。塾の隣にはラブホ街がある。公共交通機関に乗れば性被害に遭い、女子数人で歩いていてすら売春を持ち掛けられる。私たちも性的な表現に萌えるし必要としている。搾取されるだけではなくこちらも搾取しながら、強かに生き延びられると思っていた。こんな現実に、たかがエロ広告ひとつ増えたところで何が変わることがあるだろうか?

 しかし30代後半にさしかかった今は、やはりある程度のゾーニングはあったほうがよいと思っている。これは性的にアグレッシブな表現を含む作品の出版を差し止めろとか本屋に置くなということとは異なる。
 ただ、せめて13歳以下くらいの眼に入ってしまうものは安全であれと願ってしまう。子どもは(もちろん個人差はあるが)仮想と現実の区別が付けづらく、影響されやすく、その点では未成熟だ。そして、個人間での暴力は、問題になって可視化される数より、表には出てこないもののほうがずっと多い(子どもー子ども間を含め)。

世界は今後も決して清潔でも安全でもなく、それはもうどうしようもないことではあるが、少しでもフェアで安全な方向に行くように抵抗する義務が、大人になった自分にはあると思う。

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われら永く悪友たりき春火鉢   高柳重信

ちょうBL!!でも過去形!!!!

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