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当たり前なことは何一つない
おはようございます。
最近友人と話すことにハマりすぎて、やっぱり自分は寂しがりやなんだなと痛感している佐々木譲崇です。
#ゴリラでも寂しがり
昨日は小さな友人の「カワウソ(あすか)」と話しをしたのですが、たわいない会話の中で突然、「私最近すごい出来事があったんよ」と話してくれました。
『なんのことだろう』と自分の中で考えましたが、出てきた話は、全く予想だにしない話でした。
その話とは、
「最近心肺蘇生する機会が2回あって、1回目は助けられたけど2回目は助けられなかったんよ」
その後に、「カワウソ」は、こう言いました。
「これが当たり前になってしまったらダメだと思う」
彼女がこう感じたのには理由があって、一回目の時はかなり慌てたけれども2回目は慌てることがなかったことで慣れてしまう事を感じたからです。
人の命が関わる時でも、状況が続けば慣れてしまう。
つまり、何も意識をしていないと、続けていくことと慣れていくことは同じ曲線を描いてしまうという事です。
慣れてしまうことが悪いことではありませんが、今以上のものにすることができなくなってしまいます。
それは、命に関する時以外でも同様です。
そんな慣れないためには、どうすればいいのかについて今日はお話ししていきます。
慣れると成れるの間の溝
まず、慣れてしまうのはなぜかというと、その事象に対して「なんでもできる」状態になってしまうからです。
もちろん自信を持って何かを行うことは非常に大切ですが、「なんでもできる」状態になってしまうと、いざできない局面に立たされた時に太刀打ちできなくなってしまいます。
では、どうすればいいのか。
それは、「どこまでできるかを明確にし、できないことに対しての準備をすること」です。
ちょっとわかりづらいと思うので例えを出すと、
腕立てのやり方を教えることはできるけれど、それができない人に対してどうすればできるようになるのかという方法がわからないから、解剖学の勉強をする。
というようなことです。
この棲み分けを明確にすることで、慣れる事を抑えることができます。
そして、慣れることなく常に一つ一つできるようになっていくと勝手にできるようになっているということに気づきます。
地道にこれができる人が周りから見たときに「成功する人」に成れるのだと思います。
しかし、ここで間違ってはいけないのが、その人自身は慣れることなく常に前に進み続けているということです。
つまり、成功者と思われるためにひたすら地道な努力をする他ないと僕は思っています。
人生は、失われる時間をどう生きるかだと思っています。
その失われていく時間の中で、当たり前のことなんて何一つありません。
いつもする挨拶でも、その時々によって全く違います。
「当たり前をどれだけ大切にできるか。」
ここが一番大切だなと改めて感じました。
では、僕からは以上です。
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