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原日本の集会

ダイレクトデモクラシーの旅」の一節です。自分の意見を決していわず、奥ゆかしさを美徳にチラつかせながら、陰ですごく陰湿な日本というのは、紛れもなく戦時下で育まれた処世術で、それ以前の素朴な日本人にどうしたら戻れるんでしょうね?

ここで日本に話を向ける。これは、私たちの憲法の前文の文言だ。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

代議制が人類普遍の原理だからそうすると書かれているのだが、本当にそうだろうか?

日本を16万キロ歩いた空前絶後の民俗学者である宮本常一氏は「忘れられた日本人」の中で、対馬の北端に近い伊奈の村の寄合の様子を記している。

いってみると会場の中には板間に二十人ほどすわっており、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話しあっている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情をきいてみると、村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。用事のある者は家へかえることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。とにかくこうして二日も協議がつづけられている。この人たちにとっては夜もなく昼もない。ゆうべも暁方近くまではなしあっていたそうであるが、眠たくなり、言うことがなくなれば帰っても良いのである。
私にはこの寄りあいの情景が眼の底にしみついた。この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合わせ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話しがきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。
日本中の村がこのようであったとはいわぬ。がすくなくとも京都、大阪から西の村々には、こうした村寄りあいが古くからおこなわれて来ており、そういう会合では郷士も百姓も区別はなかったようである。領主-藩士-百姓という系列の中へおかれると、百姓の身分は低いものになるが、村落共同体の一員ということになると発言は互角であったようである。

歴史とは階級闘争だというカール・マルクスの説に基づいて、例えば、江戸時代は士農工商の厳しい階級社会だったと私たちは学校の歴史の時間に教わる。でも、歩く以外にほとんど交通手段がない時代、自給自足で生きている社会で、階級支配が社会の隅々まで行き届くとは、実際は考えにくい。マスメディアがあるわけでなく、紙さえ貴重な時代、人びとを情報の洪水に巻き込んで、頭の中に共同幻想をつくりあげることは簡単なことではなく、実際は、より素朴に人間らしく生きていたに違いない。

また、星川淳氏は「魂の民主主義」の中で、欧米の近代民主主義は、イロコイ連邦から様々な影響を受けていると述べている。アメリカの語源となったイタリア人アメリゴ・ベスプッチは彼らのことを「王も君主も持たず、誰の命令にも従うこともない・・・ 彼らは自らの自由のもとで生きている」と記し、アメリカ建国の父のひとりであるトマス・ジェファーソンも「インディアンがヨーロッパで生きる人たちよりずっと大きな幸福を享受していることは疑いない」と言った。フリードリヒ・エンゲルスも彼らの社会を「貧乏人も困窮者も有り得ない社会 万人が平等であり自由だ・・・女子もである」と記している。
アメリカの政治制度の多くはイロコイ連邦の仕組みを取り入れていて、そもそも連邦制さえヨーロッパではなかった。実はスイスの連邦制はアメリカから取り入れたもので、そのルーツはまさにここにある。その見返りではないが、アメリカの多くの州ではスイスのダイレクトデモクラシーが導入され影響しあっている。他にアメリカの制度の中で、下院のもつ正副大統領の弾劾訴追権や大統領の拒否権、軍の文民統制や、大統領の間接選挙などは、イロコイ連邦の政治システムから学んだものとしている。また、イロコイは母系社会で女性の地位が高いが、アメリカの女性参政権獲得の運動は、1848年にイロコイのゆかりの地であるセネカフォールズから始まっている。彼らの会議でも、日本の寄合いと同じように、ワンマインド、意見が一つになるまでじっくりと議論することが基本となっていた。
「会議の場では完全な静寂と傾聴によって話者を尊重すること。話の腰を折ったり野次を飛ばしたりするのは厳禁。話者自身も、語り終えたあとしばらく沈思して、訂正や補足があれば追加する。どちらも<グッドマインド>の働きを最大限に引き出す工夫だろう。
あらゆる会議の冒頭では、人間を取り巻く森羅万象への感謝を捧げ、七世代の福利まで配慮した決定を誓う。また、すべての会議は日暮れで打ち切って、話し合いは翌日に持ち越し、あとは会食と歌や踊りの交歓となる」

私たちがテレビで目にする国会中継とはおよそかけ離れた世界だが、実際のところ、近代になって国民国家が誕生して、各国に議会制度ができるまでは、ネイティヴのコミュニティではおよそこうした意思決定がなされていたに違いない。

代議制こそ人類普遍の原理だと決めつけ、醜い党派対立は避けて通れない人間社会の性だとあきらめる前に、もう一度、社会の合意形成のあり方をゼロベースから考えてみる必要があるんじゃないのかな?


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