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世界の市民が目指すダイレクトデモクラシー改憲と、ずっと思考停止がつづく日本

世界のパイオニア達は、現代社会の機能不全の根本的な原因は、「代議員しか立法できないことにある」という認識にいたって、代議制を克服するために、市民と一緒に具体的な行動に出ている。かつてジョージ・オーウェルは「エリートを買収するのは簡単だ」といっていたが、代議員となるのはほとんどエリートだ(日本はそうでもないが・・・)。エリートはエリートであり続けることが行動目的になる。彼らが立法を独占すると、ごく一部の人たちを利するだけ、国民全体の利益に反する法律が、一見もっともらしい言い訳とともに公然と成立してしまう。

そうではなくて、人口のおよそ1%の署名と国民投票によって、市民の提案が直接、法になる社会を目指す。なんとなく市民参加があればダイレクトデモクラシーだと理解している人は少なくないようだが、そうじゃない。そして次の課題は、一般法は常に新しいものが優越することだ。だから、例えばイタリアでは、政党助成金が国民投票で廃止されても、すぐに国会議員たちは法の名前を変えてそれを復活させてしまった。こうした抜け道をなくすためにも、一般法に優位して基本的に国民の同意なしに変えられない憲法に、社会の大事な決まりを盛り込む。そのためにまずは市民立法権を憲法に明記したら、社会ははっきりと変わる。憲法が市民の手によって常にアップデートされる社会がどれほど風通しが良く、結果豊かになるのかは、ダイレクトデモクラシーの長い歴史をもつスイスを見ればよくわかる。

アメリカ

世界最初の成文憲法は、We the peopleという言葉ではじまるアメリカ合衆国憲法だが、最近の歴史研究では「アメリカの建国の父たちは市民の政治参加を望んではいなかった」と結論づけられている、ルトガー・ブレグマンは、『ヒューマンカインド』の中でそう紹介している。建国の父たちにとってデモクラシーとは権力のバランスをとることに過ぎず、アメリカは実質的には貴族政治がいまだに続いている。市民ができるのは、せいぜいお気に入りの貴族を選ぶことに過ぎない。

ダイレクトデモクラシーのグローバル・フォーラムの共同議長をつとめるロサンジェルスのジャーナリスト、ジョー・マシューは昨年の大統領選挙の際に、「アメリカの腐敗したポピュリズムと政治の麻痺に対するソリューション」として、国レベルでのダイレクトデモクラシーの導入を提言している。

アメリカの憲法改正も日本と同じで発議に上下両院の2/3以上の賛成が必要なためにとても困難だが、ジョーは南カリフォルニア大学のジョン・マツサカが『Let the People Rule』で述べているより現実的なステップを紹介している。そしてこういう。

アメリカは、250年の歴史の中で国民投票を許可しなかったという点はたいへん異常だ。世界のすべての地域の国の大多数、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカの国の90%は、1980年以降、少なくとも1回は国民投票を行っている。ここでそうした国民投票を始めるのは、信仰の飛躍を必要としない。 アメリカ人の3分の2以上が、その考えを支持すると世論調査員に話した。

普通の人たちは、マスメディアに簡単に操られてしまうので、その投票できめるなんてとんでもないという人は少なくない。知識層にそういう意見は多い。しかし、実際は、国民投票は過激主義を促進しない。スタンフォード大学フーバー研究所の調査によると、一般市民の見解は政治エリートほど極端ではないことが判明していて、投票で国民が暴走するというのは印象の域をでないことが明らかになっている。現実にはそうならないのだ。

フランスとイタリアの連携、そしてこれから

フランスでイエローベスト運動が起こった頃、イタリアの副首相のルイジ・ディマイオは彼らとの連帯をもとめて活動家と面談したが、それが破壊活動もする過激派だったためにメディアに批判されていた。

私が最後に海外に行ったのは2019年11月。ずいぶんと時が経ってしまったが、このフランス訪問を機に、少しよい仕事ができた(報酬はないが・・・(笑)。イタリアとフランスの良識あるアクティビストをつなげることで、改憲案について国を超えた議論が始まっている。


イエローベスト運動のきっかけは、フランス政府が温暖化対策のために燃料税をあげることに怒った名もない地方の女性がChange.orgで反対署名を集めだしたことだ。以後、毎週土曜日の午後フランスのあちこちで自然発生デモが続いた。これは歴史上なかったことだ。そして、そもそも中央集権と官僚主義が日本以上に強いフランスでは、ダイレクトデモクラシーに対してほとんど理解がなかったのだが、この運動とともにそれを求める声が急速に高まり、やがてこの市民立法権の確立が運動の目標とされるようになっている。

そして、イタリアの五つ星運動は、早くから運動のゴールとしてダイレクトデモクラシー改憲を掲げている。市民が直接法律がつくれるようになったら、運動は終わるのだ。ともに「知の巨人」といえるベッペ・グリッロとジャンロベルト・カザレッジョが始めたこの運動だが、「私たちは本当に勉強して、スイスやカリフォルニアでやってることは自分たちもできるはずだという結論に達した」とリカルド・フラカーロは私のインタビューで話した。やがて総選挙で勝利して第1党になり、リカルドは世界初のダイレクトデモクラシー担当大臣になって改憲をリードした。しかし、極右政党・同盟との連立運営は困難を極め、同時に提案した国会議員345人の削減は実現したものの、市民立法権は宙に浮いたままだった。やがて同盟との連立が解消され、民主党との連立政権が誕生するとコンテ首相に信任が厚いリカルドは官房長官に任命され、改憲の実現も期待された。しかし、今年の初め、典型的なグローバリストで五つ星とは犬猿の仲である元首相のレンツィが一派を連れて民主党を離脱、政権は過半数を失い五つ星政権の幕は閉じた。コロナ危機の今、欧州中央銀行の前総裁であるマリオ・ドラギが新首相となり、主要政党がすべて政権入りした挙国一致内閣になっている。

かつて日本の社会党は自民党と連立を組んで政権につくことがきっかけとなって事実上、崩壊したことは、連立政権の怖さを端的に物語っている。五つ星運動が既存政党と連立を組むことは、当初から困難が予想されたが、その心配は想像以上のものだった。極右の大臣が移民排斥を実行してマスメディアがそれを騒ぎ立てることで大きく支持率を伸ばすと、五つ星はそれと反比例して急速に支持を失い、以後何をやっても支持を回復できなかった。彼らは「マスメディアは大事なことを隠すために存在する」といい、どうせ取材を受けてもロクな記事は書かないから付き合わないというスタンスだった。ベッペのブログはマスメディア並みの力があったから、それで支持率1位をずっと維持していた。しかし、政権を担うとそうはいかない。私は、単独過半数をとるまで野党でいる方が賢明だろうと思ったが、第1党の責任を回避していいのか?それができたのか?難しい問題だ。

彼らは、もともと選挙に出ようとは思っていなかった。社会課題を話し合い、ソリューションを見出し、提案に署名を集めて政治家や行政にもっていった。でもそれがことごとく無視されるから、他に方法はないといって自分たちが選挙に出て、結果的に急速に支持を拡大していった。

運動は今年で11年目、今、15万人の市民が集って議論を続ける彼らのオンライン・プラットフォーム「ルソー」と政党になった五つ星運動を分離するという構想も現実味を帯びているようだ。

動画の中でベッペは話している

僕らは現実を知っている
自分たちの頑張りだけにかかっていることも
この国が瓦礫だということも
とても難しい時代がまっていることも
緊張 問題 葛藤があるだろう
でも進む道は決まっている

今ひとつだけ言えることは、五つ星が再びダイレクトデモクラシーの市民運動体にもどった時、彼らの署名つきの提案を政治家たちはもはや無視はできないだろうということだ。ガンジーの言葉を思い出す

よいことはカタツムリのように進む

ドイツ

ヒトラーもムッソリーニも戦争はデモクラシーとの戦いだといって敗れた。だから、戦後ドイツは800万人もの犠牲をだして茫然自失状態の中で、ゼロというよりマイナスからデモクラシーの制度をつくっていった。それでも、スイスに近い州から署名による市民発議と住民投票によって条例をつくる制度が整備されていき、東西ドイツ統合によって旧東独を含めすべての州での導入が実現している。

特に最近バイエルン州で起こった「蜂を救う」キャンペーン、昆虫に有害な農薬を禁止する署名運動では、わずか2週間で、全人口の2割近い180万人もの市民が、IDカードをもって市役所の前に長い行列をつくって署名した。これに圧倒された州政府は、住民投票を行う前に、農薬禁止を表明せざるをえなかった。ヒューマニティの偉大さを端的に示した出来事だと思う。



さらにドイツにはOmnibus for Direct DemocracyというNPOがあって、ずっとバスのキャラバンでドイツ中の街をまわりながら、ダイレクトデモクラシーの国レベルでの導入の署名活動を続けている。



アーティストが主導して始まったこの運動が素晴らしいのは、街頭で自分達から次々と話しかけてたくさんの署名をあつめるのではなく、街のメインの広場にバスをとめて、その前に黙ってたって人びとが話しかけてくるのを待っていることだ。なによりひとりひとりの市民と熟議することに重きを置いているのだが、これこそデモクラシーにおいてもっとも大事なことだ。当然時間はかかるが確かな下地ができる。いつもすぐに逆戻りしてしまう即席な革命とは真逆のやり方だ。

台湾と韓国

台湾は、若者が国会を占拠したひまわり運動を機に国民投票法を改定してスイスに近い市民イニシアチブの制度をつくった。今やもっとも世界でダイレクトデモクラシーが発達した国のひとつだ。人口2300万人のなかで28万人の署名があれば市民の提案が直接国民投票に付されて法になる。国民投票法の改定にあたって蔡英文総統は「権力を国民に返す」と宣言している。かつて日本の植民地だった台湾で、政治家がなぜここまでデモクラシーの意識をしっかりと育んでいるのか?ただただ驚くしかない。日本の政界の実態はかなり深刻で、羨ましがっている場合ではない。

韓国もまたかなり先を行っている。1987年、韓国の市民は大規模なデモを展開して、長く続いた軍事独裁に終止符を打った。この時に制定された現行憲法では、大統領の任期は1期5年に制限されるとともに、大統領による非常事態措置や国会の解散が禁止された。そして憲法裁判所が設置されている。かつて安倍総理は、「憲法は公権力を縛るものという考えは絶対王政時代のものだ」と言ったが、本当は国会の解散こそ、まだ王権が強かった頃の名残だ。「大統領と国会がねじれていた方が対話がすすんでいいんだよ」と韓国の人があっさりと話すのを聞いて驚いたが、いまだに首相の個人的な都合で解散を繰り返す先進国は日本の他にあるのだろうか?さらに、今どき、憲法に緊急事態条項をいれて人権を制限しようとしているとか、いまだに憲法裁判所がなくて、違憲審査は誰かが訴訟を起こさないとなされない先進国もあるのだろうか?だから、言論の自由だって公然と踏みつけられっぱなしだ。問題なのは、こうした日本にはないよい制度があることを伝えながら、積極的に取り入れて社会を良くしようという声が私たちの社会にはほとんどないことだ。

そして2016年秋から韓国の市民たちは、世界史上最大のデモを完全に平和裡に続けることで、汚職した大統領を辞任に追い込んだ。そして、新たに大統領になった文在寅は公約通り改憲を実現するために直属の改憲諮問委員会を立ち上げたが、そこに任命された30人の委員たちは全会一致で市民立法権の確立を提言した。
だが、文在寅はこの提案を採用せずに、代わりに、一定数の署名によって国会審議を義務付けるアジェンダ・イニシアチブに留めた。私は、韓国デモクラシー財団のフォーラムに参加して、委員の1人と話す機会があったので尋ねたが、大統領が拒否した理由は分からないということだった。そう、もちろん代議員の決議より主権者である国民の決議が優位すべきなことはデモクラシー/国民主権において道理だから、世界の政治家たちは表立ってこのデモクラシーの進化に対してノーとはいえない。しかし、実際に立法権の独占を積極的に放棄しようとする議員はほとんどいないのが現実だ。結局、少数与党の韓国で改憲は実現しなかったが、大統領が提案を拒否したことを受けて韓国デモクラシー財団は、「市民イニシアチブの実現こそキャンドルデモの最終目標とすべきであって、そのために署名活動を始める」と宣言していた。特別立法で設立され、税金で運営される公益法人がここまでやるなんて日本ではおよそ想像できない。そもそも日本のデモは政府がやる〇〇に反対するばかりで、社会を良くしようとする主張がない。さらに、デモ自体が正当なデモクラシーの行使とはみなされず、少数の左翼の危険分子がやってるとレッテルばりされて無視されるのが関の山だ。そしてただ無視され捨てられる署名をたくさん集めてばかりで、その署名に法的拘束力をもたせようという声さえない。

そして、ああ日本

著名な憲法学者である小林節さんが参議院選挙に立候補した際、初めての集会で私は手を上げて提案した。
「単に安倍の改憲反対ではなく、ここでぜひ、市民発議の国民投票で立法ができる制度を憲法に盛り込むことを政策にしましょう」。
何百人か集まり、マスメディアもけっこうきていたその会場からは、かなり大きな拍手が起こったが、残念ながらこの提案が検討された様子はなかった。また、韓国デモクラシー財団の人に「日本でダイレクトデモクラシーを研究する学者知らない?いたらぜひ紹介してほしい」と言われても、それに回答できないのは私の情報収集力の問題だろうか?私がここで紹介した国々とのギャップは本当に深刻だ。

あきれるほど長い間、日本で憲法を変えるといえば、憲法9条を変えて軍備を認めるということだった。ちょっと歴史を調べればすぐに分かるが、そもそも軍隊をもたないというのは、憲法制定時の首相の幣原喜重郎が、天皇が戦犯として訴追されるのを防ぐためにマッカーサーに提案したことなのは明らかだ。マッカーサーはそれを認めて今の憲法ができたが、その後すぐに朝鮮戦争が始まった。そこで、憲法が邪魔して日本を戦争に連れ出せないアメリカは、直ぐに方針転換して、憲法を変えて再軍備することを日本に要求した。そして、それを実現するために、A級戦犯だったのに突然無罪放免され、CIAのエージェントになった岸信介に資金提供して自民党をつくらせた。これもアメリカの公文書から明らかなことだ。私は、戦前の政治がどのようなものだったか詳しく調べていないが、日本の金権政治はここがひとつのきっかけになっていることは間違いない。日本の名ばかりデモクラシーでは、実際はカネだけで物事が決まり、政治家にとって政治とは公権力を傘にした口利き商売にすぎず、それが家業として世襲され、親の代のヒエラルキーがそのまま子孫に引き継がれる。ハナから職業倫理は踏みにじられている。ここまで公然とそんなことが行われている国は、他にあるだろうか?先進国ではあり得ないだろう。
戦前、教育現場では天皇の写真が神聖なものとして特別の蔵に置かれていたが、国民が戦争でひどい目にあったすぐ後に、まるで神様がくれたご褒美のように突如降臨してきた新しいデモクラシーの憲法は、まるで指一本でも触れたらタタリでも起こるかのような存在として扱われ、憲法を変える話はタブーとなった。当然、戦争は懲り懲りな国民にとって、改憲再軍備を推し進める岸信介はまったく不人気で、一方の野党は選挙で「憲法を護る」といえば勝てたからそうした。やがて岸は安保闘争の中で汚名にまみれて首相の座を追われた。最近になって、憲法をほとんど学んだ形跡もないその孫は、本当は単純におじいちゃんの汚名を晴らすためだけに改憲をやろうとした。しかし、どんなに長く首相をやろうが国会で多数を占めようが、それを実現できていない。それは当然だと思うが、それでも左派な人たちは、改憲にただ危機感を募らせるばかりで、憲法に関する健全な議論はどこにもない。憲法変えなくたって、もうとっくに軍隊が戦場に行ってるし、コロナが緊急事態だといって私権が制限されている。憲法を変えなきゃいいという話じゃまったくない。

「まるで日本だけが中世にいるよう」とイタリアに住む日本人の友人が言ってたが、外の言葉があまり通じないガラパゴスでは情報統制も簡単で、そこに住む人たちは、思考停止して取り残されている事実に気づかない。70年も堂々めぐりしてるなんてクールすぎる。

さて、どうしましょう?

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