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ヒューマンカインド by ルトガー・ブレグマン 要訳


プロローグ

第2次世界大戦前、国のリーダー達は空爆こそ敵をパニックに陥れ、志気を粉砕し戦争に勝利する最善の方法だと考え実行したが、被害にあった人たちは、逆に平然と助け合って平時より生産を増大させた。これは国民性によらない普遍的な人間性だ。

第二次世界大戦の前夜、イギリスのある将軍は、ドイツの爆撃によって「交通は止まり、ホームレスは助けを求めて叫び、都市は大混乱になるだろう」、そして国が終わると考えた。チャーチルは、少なくとも300万から400万人のロンドン市民が都市から逃げると予測した。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、チャーチル、ルーズベルトもギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』を読み込んだ。「人は文明の梯子を数段降りる」パニックと暴力がおこって、人間は本性を現す。
ヒトラーは爆撃でイギリス人の抵抗意志を砕けると言った。ロンドンでは地下シェルター・ネットワークの計画があったが、逃げた大衆は戻ってこないだろうとの判断から頓挫した。精神病院は、患者の殺到を恐れて、郊外に移転した。
1940年9月7日、348機のドイツ爆撃機が海峡を渡った。ブラック・サタデー。それからの9か月間で、ロンドンだけで8万個以上の爆弾が落とされ、100万の建物が壊され、イギリスで4万人以上が死んだ。
しかし、その後の報告は意外だった。カナダの精神科医ジョン・マッカーディは、ひどく破壊された貧しい地域で、「小さな男の子たちが歩道のあちこちで遊び続け、買い物客は喧嘩を続け、警官はとても退屈そうに交通を整理し、自転車は死んでも平気とばかり交通法を無視した。私が見る限り、誰も空を見つめなかった」。
実際、空襲の説明に共通するのは、奇妙な静けさだった。窓が音を立てていても平気でお茶を飲み、破壊されたパブのオーナーも平然として、いつもよりオープンだった。
空爆の間も列車は通常通り運行し、国内経済にはほとんど影響がなく、精神科病棟は空のままだった。逆にアルコール依存症も自殺も普段より減った。空襲が終わってからは、誰もが助け合い、おカネのことを気にかけなかった時期を懐かしんだ。歴史家は「イギリス社会は多くの点で空爆で強化された」と書いている。
危機は最高の人びとをもたらし、現実は、文明の階段を上ったが、軍事専門家たちはイギリス人は特別で、ドイツ人はその1/4の爆撃にも耐えられないだろうと考えていた。
そして、こうした調査は考慮にいれられることがなく、より激しい対抗措置が取られた。チャーチルは最後まで戦争に勝つためにもっとも確実な方法は国民の士気を砕くことだといい続けた。ドイツはイギリスの空爆の10倍の犠牲者をだし、ドレスデンの一晩の空爆でロンドンの犠牲者を上回った。ドイツの街の半分以上が破壊され瓦礫の山となった。
それで、爆撃は意図した効果をもたらしたか?
1945年5月から7月の間に、精神科医のフリードリヒ・パンセ博士は、家が破壊されたおよそ100人のドイツ人にインタビューすると彼らは答えた。「結局、気力十分で葉巻に火をつけた」爆撃後の気分は「勝利した戦争の後のような」陶酔。大衆ヒステリーの兆候はなく、むしろ、安心していた。「隣人は素晴らしく親切」とパンセは記録した。爆撃の後、人々は互いに助け合った。
ドイツの降伏後、アメリカの国防総省が経済学者のチームに調査を依頼したが、爆撃は戦時経済を強化し、戦争を長引かせたことが判明した。1940年から1944年の間に、ドイツの戦車生産は9倍、戦闘機の生産は14倍になった。
イギリスの経済学者のチームも、21の破壊された街は、爆撃されていない14の街より生産力の向上が速かったことを発見した。アメリカの経済学者は「戦争の最大の誤算」と言った。戦争の主な役者たちは皆同じ罠に陥った。
25年後、米軍はベトナムに第二次世界大戦の3倍の爆弾を落としたが、さらに大きな失敗だった。イギリス人が空爆で見せた回復力は特有のものではなく、普遍的な人間性だ。

01.新しいリアリズム

この本は過激な考えに関するもので、それは「ほとんどの人はかなり深くまともだ」ということだ。
パニックが起こった時に、人は他人を押しのけて自分だけ助かろうとするか?それとも、犠牲になっても人を助けようとするか?過去の例を調査すると人びとは例外なく冷静に助け合うことがわかる。一方、エリートは自分の利己心を人びとに投影してパニックになり二次災害をおこす。こうした現実にかかわらず、97%の人は人びとは自分だけ助かろうとするだりうと考えている。これは第2次大戦後の顕著な傾向だ。
広く知られるプラセボ効果は、薬よりも注射が効果があり、偽の手術も全体の3/4は効果があり1/2は実際と同程度の効果になる。その逆のノセボ効果は1999年ベルギーでおこった事件を通して大規模に確認された。
今の社会がノセボに覆われた最大の原因はニュースにある。ニュースが人間の否定性バイアスや可能性バイアスを刺激して私たちの世界観を歪めるのだ。
確かに、伝統的に西洋の思想家はずっと人間は生来利己的だといい続けてきたし、政治学、経済学、心理学、進化論もそれが前提となっている。
ここで、人間の善のために立ち上がることは、シニシズム、権力、嘲笑との闘いを余儀なくされるが、それが認められた社会では、企業はマネージャーを必要としなくなり、市民によるデモクラシーはキャリア政治家を必要としなくなる。

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これは過激な考えについての本だ。長く支配者をナーバスにし、宗教やイデオロギーによって否定され、ニュースメディアによって無視され、世界史の記録から削除されてきた考え。同時に、事実上すべての科学分野で正しいとされ、文明の進化や、私たちの日常生活によって確認されたもの。人間の本質に内在するから、見落とされてしまう考えだ。
真剣に取り組む勇気さえあれば、革命が始まるかもしれない。社会をひっくり返す。一度それが本当に何を意味するかを理解したら、二度と同じように世界を見なくなる。
この過激な考えとは、ほとんどの人は、かなり深く、まともだということだ。
この考えをオランダ・グローニンゲン大学の社会心理学教授であるトム・ポストメス以上によく説明している人はいない。何年もの間、彼は学生たちに同じ質問をしてきた。
飛行機が緊急着陸し、3つに壊れたと想像してみて。キャビンが煙で満たされ、そこから出ないといけないとき、何が起こるだろう?
・惑星Aでは、乗客は隣人に大丈夫かたずね、助けが必要な人は最初に外に出される。人びとは、まったく知らない人のためにでさえ、喜んで命をなげだす。
・惑星Bでは、誰もが自分を守る。パニックが発生し、強引に押しのけ、子供、高齢者、障害者は踏みにじられる。
さて、質問:どっちの惑星に住んでいますか?
「約97%の人が惑星Bに住んでいると思っている」とポストメス教授は言う。 「真実は、ほとんどすべて、惑星Aに住んでいる」。
どんな人でも同じ判断の誤りを犯す。第二次世界大戦以降、人びとはこうかんがえるようになった。
タイタニックの目撃者は、「パニックやヒステリーの兆候はなく、恐怖の叫び声も、あちこち走り回ることもなかった」と言っている。
911のテロの際にも、何千人もが命が危険にさらされていると分かっていても、静かに階段を下り、消防士と負傷者に道を譲った。生存者はその様子は信じられないものだったと言っている。
人間は本質的に利己的で攻撃的でパニックに陥るという神話が根強く残っている。オランダの生物学者フラン・デ・ワールは、「ベニア理論」と呼んだ。文明は、ほんの少しの挑発で割れる薄いベニアに過ぎないというが、実際にはその逆だ。私たち人間が最高の存在になるのは、危機が襲ったときだ。
2005年8月29日のハリケーン・カトリーナでは、家の80%が浸水し、少なくとも1,836人が命を落とした。これは、米国史上最悪な自然災害の1つだった。最初の一週間、新聞には、強姦と銃撃、暴力、略奪が溢れ、狙撃兵が救急ヘリを狙ったという報告もあった。警察の責任者は、無政府状態だと言った。
数ヶ月後、研究者が明らかにしたのは、本当は混乱は一切なかったということだった。警察署長は、強姦も殺人も1つも指摘できなかった。遠く離れたテキサスから救出の船がきたし、多くの民間人が救急隊をつくった。
デラウェア大学の災害研究センターは、1963年からのおよそ700件のフィールド調査で、騒乱は一度もないことを確認した。殺人、強盗、レイプは通常減少する。利他的に商品やサービスが大量に無償提供される中で、略奪は問題とならない。メディアの災害現場の情報とは正反対で、かえって嘘のためにさまざまな障害がおこる。不要な警備隊が動員され、緊急対応は遅れる。ダンジガー橋で警察は6人の無実の非武装の黒人に発砲し、2人を殺害した。
災害時のダイナミクスはほぼ同じで、逆境に対して自発的な協力の波がおこる一方で、当局はパニックに陥り、二次災害をうみだす。
レベッカ・ソルニットは 『災害ユートピア』でいう。
「私の印象では、エリートパニックは権力者が人類すべてを自分のイメージで見ることから起こるということだ」
独裁者、 専制君主、総督、将軍たちは、普通の人が自分たちと同じように自己利益に支配されていると思って、自身の頭にしかないシナリオを防ぐために暴力に頼ることがあまりにも多い。
2
1999年の夏、ベルギーの町ボルネムにある小さな学校で、9人の子供が不思議な病気で倒れた。教師は、原因は休憩中に飲んだコカコーラしか考えられなかった。コカ・コーラ本社で、電話が鳴り始め、すぐに国中から回収されたが、症状はベルギー全体に広がり、フランスにまで及んだ。結局1,700万本のソフトドリンクを回収し、損失は2億ドルを超えた。しかし、飲料から毒物は一切検出されず、1000人以上の子供の血液と尿を調べても原因はつかめなかった。
研究者は「子供たちは本当に病気だったが、原因はコーラではない」と言った。信じると本当になる可能性がある。銀行が破綻すると多くの人が思って行動したらそうなる。医者はプラセボを利用する。薬よりも注射が効果があり、偽の手術も全体の3/4は効果があり1/2は実際と同程度の効果になる。
逆のノセボも、広くテストされていないが、非常に強力である可能性が高い。ベルギーの保健当局がそう結論づけた。
何かを十分に信じれば、それは現実にできる。そして、人間への厳しい見方もまたノセボだ。
ほとんどの人が信頼できないと信じるなら、そうやって人を扱い、みんなの損になる。私たちがどう他人を見るか?これほど世界を形づくる力がある考えはほぼない。結局のところ、期待通りの結果が得られるからだ。この時代の最大の課題に取り組みたいのなら、始めるべきは、人間の本性に対する見方からだ。
これは、人間の根本的な良さについての説教ではない。人間は、複雑な生き物で、良い面とそうでない面がある。問題は、どちらを向くかだ。
私の主張はシンプルだ。危機の時、人間は強く良い面をだす。人間の本性が良いというは確かだという科学的な証拠を出すことで、それを信じるようになれば、さらに現実になると確信している。
起源が不明のインターネット上の言葉は、シンプルで奥深い。
老人が孫にこう言う。
「私の中で争いが起こっている。 2匹のオオカミの間の恐ろしい戦いだ。 一つは、邪悪な怒り、貪欲、嫉妬、傲慢、そして臆病。 もう1つは、平和で、愛情があり、控えめで、寛大で、正直で、信頼できるもの。 2匹のオオカミがあなたの中で、そしてすべての人の中で戦っている」。
少年は尋ねる「どちらの狼が勝つの?」
老人は微笑む「お前が餌をやる方」。
3
ここ数年、この本について話すたびに、多くは眉をひそめ、不信感を表した。ドイツの出版社は出版を拒否したし、パリでも、アメリカでも、正気か?という反応だった。
つい最近の2人のアメリカの心理学者による研究は、人びとがいかに頑固に人間の利己的な性質という考えに固執できるかを再び証明した。被験者に、明らかに良いことをしている人の特徴を示しても、人はそれは利己的な行為だという。高齢者が通りを横断するのを手伝うと、自慢だといい、ホームレスにお金をあげたら、いい気分になりたいだけだ。財布をおいてきても、多くの人が盗まないというデータを示しても、見方を変えない。結局、「無私の行為は利己的でなければならないと決めている」。シニシズムがすべてであって、皮肉屋がいつも正しい。
いや、私はそうやって育ってない。私の出身地では、お互い信頼して助け合い、ドアに鍵はかけない。それは正しい。身近なところで人びとはまともだというのは簡単だ。家族や友人、隣人、同僚。
しかし、それ以外の人をズームするとすぐに疑念に乗っ取られる。
1980年代から、およそ100か国の社会科学者が行った世界価値調査の標準的な質問は
「一般的に、ほとんどの人は信頼できると思いますか、それとも人の対応には細心の注意が必要だと思いますか?」
ほとんどすべての国で、ほとんどの他人は信用できないとほとんどの人が思っている。民主主義国家として確立された国でも変わらない。
長い間私を魅了してきた問い、なぜ人に対してそんな否定的な見方をするのか?
私たちの本能は身近なコミュニティの人びとを信頼するのに、人びと全体についてはなぜ態度が変わるのか?なぜ、多くの法律や規制、多くの組織は、人びとは信頼できないという前提から始めるのか?科学が一貫して惑星Aに住んでいると私たちに告げているのに、なぜ惑星Bにいると信じているのか?
教育不足?
この本で、私たちの不道徳を堅実に信じている知識人を数十人紹介する。
政治的信念?
かなりの宗教が、人間は罪に陥っているという信念を信条としている。多くの資本家は、私たち全員が自己利益に動機付けられていると推定している。多くの環境保護論者は、人間を地球上の破壊的な疫病と見なしている。
なぜ人間が悪いと想像するのか?邪悪な性質を信じ始めたのはなぜか?
想像しよう。新薬が市場に出る、極めて中毒性があって、すぐに誰もが夢中になる。科学者たちがそれを調査すると「誤って危険や不安を感じ、気分が低下、無力感や、他人への蔑視と敵意、そして不感症をもたらす」と結論づける。
あなたは、この薬を使うだろうか?子供が試してもいいのか?政府は合法化するだろうか?
すべて答えはイエス、もうこの時代の最大の依存症だ。毎日使っているこの薬は、かなり助成されて、大掛かりに子供たちに配られている。
その薬はニュース。
私は、ニュースがあなたの発達に役立つと信じるよう育てられた。新聞を読んで夕方のニュースを見るのは市民の義務。ニュースを追って知るほどに、デモクラシーは健全になる。今でも多くの親が子供にそういうが、科学者はひどく違った結論に達している。数十の研究によると、ニュースは、精神の健康に危険だ。
1990年代最初にこの分野の研究を始めたのは、ジョージ・ガーブナーだ。彼は見つけた現象をさす用語も作り出した:ミーンワールド症候群(mean world syndrome)の症状は、皮肉、誤解、悲観。ニュースを追う人は、「ほとんどの人は自分のことだけを気にする」と言ったことに同意する可能性が高くなる。個人は世界を良くするのに無力だと信じている。よりストレスを受け、鬱になりがちだ。
数年前、30か国の人びとが簡単な質問をした。
「全体として、世界は良くなっている?変わらない?悪化している?」
すべての国で、大多数の人びとが事態は悪化していると答えた。
現実は正反対だ。
過去数十年で、極度の貧困、戦争の犠牲者、子どもの死亡率、犯罪、飢饉、児童労働、自然災害による死亡、飛行機事故の数はすべて急減している。私たちは、今までで最も豊かで、安全で健康的な時代に生きている。
なぜそれに気づかないのか?
簡単だ。ニュースが例外的なものを扱う。テロ攻撃、暴動、自然災害など例外的であるほど、ニュース価値が高まる。この25年、毎日正確に報告されているのに、「昨日から極度の貧困に暮らす人びとの数が137,000人減少した」という見出しはない。「私は何もない真っ只中にいて、今日もまだ戦争の兆候はない」もない。
数年前、オランダの社会学者のチームが飛行機の墜落報道を分析した。1991年から2005年の間、事故の数が一貫して減っても、メディアの注目は一貫して高まっていた。より安全になった飛行機に乗ることを人びとはますます恐れた。
別の研究では、移民、犯罪、テロに関する400万件を超えるニュース項目のデータベースを編集して、パターンがあるかどうかを調べた。分かったのは、移民や暴力が減る時、報道は増えるということだ。「ニュースと現実の関係は何もないか、否定的な関係さえあるようだ」
西側諸国の成人の10人に8人が毎日ニュースを消費し、平均して1日1時間を費やしてリニューアルし、その時間は生涯で3年にもなる。
私たちが、ニュースの悲観と破滅の影響を受けやすい理由は2つある。 1つは、心理学者が「否定バイアス」と呼ぶもので、私たちは善よりも悪に染まりやすい。2つ目は「可能性バイアス」。毎日、恐ろしい事件事故の話に襲われていると、それが記憶にとどまり、世界観を完全に歪める。レバノンの統計学者ナシム・ニコラス・タレブは、「報道に触れるほど合理的でなくなる」と指摘している。この時代、SNSが発達して衝撃もパーソナライズされより極端になっている。
そして、メディアの狂乱は、平凡なものへの攻撃にほかならない。ほとんどの人の生活はかなり予測可能で、良いものだが、退屈でもある。さらに、素晴らしいものは広告しない。スイスの小説家が「砂糖が体にやることをニュースは脳にやる」といったことをシリコンバレーは十分に理解してセンセーショナルなクリック誘導をする。
数年前、私は、朝食でニュースを見たり、スマートフォンをスクロールしたりすることをやめた。これからは良い本を探す。でもすぐに気づいた。ほとんどの本は例外的なものを扱っている。歴史的なベストセラーは、いつも大災害や逆境、専制政治や抑圧についてのもの。歴史家は、戦争がないことを「戦争の間」という。科学でも「人間は悪い」というのが長い間支配的だった。人に関する本を検索すると「悪魔のような人間」「わがままな種」「となりのドアに人殺し」。生物学者は最も陰鬱な進化論を唱えた。あるアメリカの生物学者が嘲笑した「協力が辿りつくのは日和見主義と搾取の混合なのが分かった。利他主義者を引っ掻くと偽善者の血がでる」。
経済学でもほとんど同じで、エコノミストは私たちの種をホモ・エコノミカスと定義した。常に利己的で計算ロボットのように個人の利益を追求する。これに基づいて、経済学者は理論とモデルの大聖堂を構築したが、その実在を調査した人はいない。経済学者のジョセフ・ヘンリッヒが2000年にそれをやるまでは。彼らは、5大陸の12か国の15のコミュニティを訪れ、農民、遊牧民、狩猟家、採集者をテストした、10年以上、無駄に。結果はいつも人びとはまともすぎて優しすぎるというものだ。ヘンリッヒは出版後も経済学者たちにとっての神話的な存在を探し続けたが、とうとう見つけた。チンパンジーへの簡単な実験だった。彼は言った「すべての理論は無駄ではなかったが、適用する種が間違っていた」。
問題はそれによるノセボ効果だ。1990年代、経済学者のロバート・フランクの研究では、学生たちが経済学を長く学ぶほど、より利己的になることがわかった。
人間は生来的に利己的であるという教義は、西洋の規範であり、神聖な伝統がある。トゥキディデス、アウグスティヌス、マキャベリ、ホッブズ、ルター、カルバン、バーク、ベンサム、ニーチェ、フロイト、アメリカのファウンディング・ファーザー達など、偉大な思想家たちは、それぞれ独自のベニア理論を持ち、私たちは惑星Bに住んでいると想定した。
紀元前427年にギリシャのコルシラ島で勃発した内戦について、最初の歴史家の1人であるトゥキュディデスの著書は、人間は獣のような振る舞いをしたと書いている。
教会の父アウグスティヌス(354-430)は、「誰も罪から自由ではない」と書き、カトリックと決別したカルバンは、「私たちの本質は貧しく善に欠けるだけでなく、あらゆる悪に満ちていて、それは休まない」、これがプロテスタントのベースとなった。奇妙なことに、啓蒙主義も、人間の本性の厳しい見方に根ざしていて、腐敗した人間のコーティングを処方した。
「これは人間全般に言えることだ。恩知らずで、気まぐれで、偽善的だ」政治学の祖マキャヴェリはまとめた。アメリカのデモクラシーの祖ジョン・アダムスは同意した。現代心理学の祖フロイトは、「私たちは無限の世代の殺人者の末裔だ」と診断した。19世紀には、ダーウィンが進化論とともに出現、すぐに人間をベニア扱いした。ダーウィンのブルドッグと言われたトーマス・ヘンリー・ハクスリーは、人生は「人と人の、そして国と国の」ひとつの偉大な戦いで、自然の全体の営みとは、貧しい人びとを排除、一掃してより良い場所をつくることだとした。
何より奇妙なのは、こうした思想家はほぼ満場一致で「現実主義者」と称賛された一方で、反体制派の思想家は人間の良識を信じていると嘲笑されてきたことだ。エマ・ゴールドマンは、自由と平等を求める闘争で生涯中傷と軽蔑を経験したフェミニストだが、「精神的な欺瞞が大きいほど、人間の邪悪さと弱さをはっきりと言う」と書いている。
つい最近になって、さまざまな分野の科学者たちが、人類に対する厳しい見方は根本的に修正されるべきという結論に達したが、まだ非常に初期であり、多くは仲間がいることに気づいていない。ある著名な心理学者が、私が生物学の新しい流れについて話した時に驚いた「えっ、そこでも起こってるの?」

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人類の新しい見方の探求を報告する前に、3つの警告を共有したい。
まず、人間の善のために立ち上がることは、ヘラクレスが7つの頭をもつヒドラに立ち向かうようだ。シニシズムはそのように働く。第二に、人間の善のために立ち上がることは、権力に立ち向かうことだ。権力にとっては、人間の本性への希望に満ちた見方は実に脅威、破壊的で扇動的だ。それは、私たちが制御、抑制、規制されるべき利己的な野獣ではないことを意味する。違ったリーダーシップが必要で、本質的にやる気のある従業員がいるので、企業はマネージャーを必要としない。市民によるデモクラシーはキャリア政治家を必要としない。
第三に、人間の善のために立ちあがることは、嘲笑の嵐を乗り切ることを意味する。あなたはナイーブで鈍いといわれ、論の弱点は容赦なく公開される。皮肉屋になる方が簡単だ。この本はそれを変えようとしている。今は不合理で非現実的で不可能なことが、将来、避けられない現実になるというのを明らかにする。
新しいリアリズムの時がきた。人間に対して新しい見方をする時。

02.実際の蝿の王

1951年イギリスのウィリアム・ゴールディングが書いた『蠅の王』は、世界的なベストセラーとなりノーベル賞を受賞、20世紀の古典の1つとなった。それは、太平洋に墜落した飛行機で生き残った6人の少年が無人島で暮らす物語だ。ほどなく起こった争いは収集がつかなくなり殺し合いになってしまう。
しかし、1966年、まったく知られていないが、同じことが現実に起こっていた。6人の少年が乗ってトンガから出航した船が遭難し、無人島に流れ着いた結果、実際に起こったことは、ほとんど真逆のことだった。

1
太平洋のどこかの無人島、飛行機が墜落し、何人かのイギリスの生徒たちだけが生き残った。何マイルも続くビーチ、貝殻、そして水以外に何もない。そして、大人がいない。
最初の日、少年たちはある種のデモクラシーを確立した。たくましく、カリスマ的でハンサムなラルフがグループのリーダーに選ばれた。ラルフのゲームプランはシンプルだ。1)楽しむ。2)生き残る。3)通過する船のためにの煙の信号をつくる。
一番は成功したが、他はそうでもない。赤毛のジャックは豚を狩ることに情熱を燃やし、時間が経つにつれて向こう見ずになる。船がようやく遠くを通った時、火の当番を怠った。
「ルールを破ってる!」ラルフは怒り、ジャックは肩をすくめる。「知ったことか」「俺たちにあるのはルールだけだ!」
夜になると、少年たちは、獣が潜んでいるだろうと恐怖に襲われたが、実際には、唯一の獣は彼らの中にいた。やがて、彼らは顔にペイントをして服を脱ぎ捨て、暴力の衝動が大きくなる。ピギーだけが冷静だが、ずんぐりしていて、喘息もちで、眼鏡をかけていて泳げない。その理性の声には誰も耳を傾けない。「俺たちは何だ?人間?動物?野蛮人?」
数週間が経過ってイギリス海軍士官が上陸すると、島は荒れ、ピギーを含む3人の子供が亡くなっている。
この話は決して起こっていない。イギリスの校長が1951年にそれを作った。ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』は、最終的には数千万部を売り、30以上の言語に翻訳され、20世紀の古典の1つとなった。
新しい世代が第二次世界大戦の残虐行為について両親に質問する。アウシュヴィッツは例外なのか?それとも私たち一人一人にナチスが隠れているのか?
蠅の王で、ゴールディングは後者を暗示し、ノーベル賞を受賞した。彼の作品は「現実的な物語芸術の明快さと神話のもつ多様性と普遍性で今日の世界の人間の状態を照らしている」とノーベル委員会は評した。
最近では、蠅の王は単なる小説以上のものとして読まれ、ゴールディングの人間性への取り組みは、ベニア理論の真の教科書にもなっている。
2
私は10代の頃に蠅の王を読んで幻滅を感じたのを覚えているが、ゴールディングの人間性の見方を疑うとは思わなかった。数年後、著者の人生を掘り下げ始めたとき、彼がどんなに不幸な人だったかを知った。アルコール依存症、うつ病を患い、かつて教師として、生徒をギャングのグループに分け、お互いに攻撃するようにそそのかした。彼は告白している「私はいつもナチスを理解した。私が本質的にその種のものだから」。そして、彼が『蝿の王』を書いたのは、部分的にはその悲しい自己認識からだ。
だから私は疑問に思い始め、『蝿の王』を現代の科学的洞察と比較して、おそらく子供たちは非常に異なった行動をとると結論付けたが、読者は、懐疑的に反応した。私の例はすべて、自宅、学校、またはサマーキャンプの子供たちに関するもだ。本当に子供たちが無人島に残されるとどうなるか?
こうして実際の蠅の王への探求が始まった。
しばらくウェブを探して、あいまいなブログに出くわした「ある日、1977年に、6人の男の子が釣り旅行でトンガを出航した。巨大な嵐に巻き込まれ、少年たちは無人島で難破した。この小さな部族は何をする?彼らは決して喧嘩しない協定を結んだ」。
さらに数時間クリックしたら、私はその話が有名なアナーキスト、コリン・ワードの『国の子供』(1988)という本から来ていることを発見した。さらに、ワードは、イタリアの政治家スザンナ・アニェッリが国際委員会などのために編集した報告書を引用したことが分かった。そのレポートはイギリスの古本屋で見つけて入手できたが、アニェッリは2009年に亡くなっていた。1977年の記事を調べてもその事件は見つからない。
ある日、新聞のアーカイブをふるいにかけいて、入力ミスから1960年代を探してしまったら、そこにあった。アニェッリがタイプミスしていたのだ。オーストラリアの新聞The Ageの1966年10月6日版に見出しがあった。SUNDAY SHOWING FOR TONGAN CASTAWAYS。物語は、3週間前に太平洋の島群であるトンガの南にある岩だらけの小島で発見された6人の少年に関するものだった。少年たちは、1年以上そのアタ島で窮地に立たされてから、オーストラリアの船長に救助された。記事によると、船長は少年たちの冒険の再現を撮影するためにテレビ局をまっていた。
3
ある9月の朝、私は妻のマールチェとブリスベンで車を借りて約3時間走り、キャプテン・ピーター・ワーナーと会った。彼は、かつてオーストラリアで最も裕福で力のあった男アーサー・ワーナーの末息子として生まれ、映画にする価値があるような人生をおくった。1930年代、アーサーはラジオ市場も支配していて、ピーターはその事業をすることが求められていたにもかかわらず、彼は17才で家を飛び出して世界の海を航海した。その後、戻って父の事業も手伝ったが、タスマニアに漁船ももっていた。そして、1966年の冬、トンガの国王にロブスター漁の許可を求めに行った。しかし許可は下りず、タスマニアに戻る途中で、少し回り道をして網を投げた。そこにアタ島があった。島には、かつて人は住んでいたが、1863年に奴隷船が現れ原住民を連れ出し、以後、呪われた無人島といわれた。双眼鏡をのぞくと、火事のあとがある。熱帯では自然発火はほとんどあり得ないので調べようと思って近づいたのだ。
4
私はピーターを訪問した数日後、車で数時間離れたマノ・トタウを訪ねた。当時15歳で現在70歳。
実際の蠅の王は、1965年6月に始まったとマノは語った。
主人公は6人の少年、全員が首都ヌクアロファの厳格なイギリス国教会の寄宿学校であるセント・アンドリュースの生徒だった。最年長は16歳で最年少は13歳、みんなの共通点は退屈だと思っていて、分別がなかったことだ。
彼らは500マイル離れたフィジーか、はるかニュージーランドへ脱出することを計画した。多くの子供たちがそれを知っていたが、冗談だと思っていた。誰もボートがなかったので、みんなが嫌いな漁師から「借りる」ことにした。ほとんど準備はせず、持ち込んだのは、バナナの袋2つと、ココナツを少し、あとは小さなガスバーナーだけだった。コンパスや地図を持って行こうとは誰も思わなかった。そして、最年少のテビタだけがボートを操縦できた(だから誘われた)。
その夜、小さな船が港を出て行くのを誰も気づかなかった。
しかし、その後彼らは眠りに落ちて、数時間後、海水が頭上で激突するので目が覚めた。彼らは暗闇の中で、帆を上げたが、風で壊れた。そして次に舵が壊れた。
彼らは8日間漂流した。食べ物なし。水なし。少年たちは魚を捕まえようとし、ココナツの殻をなんとかくり抜いて雨水をため、それをみんなで共有して、朝と夕方に一口ずつ飲んだ。ガスバーナーで海水を沸騰させようとして火傷もした。
そして、8日目に、地平線上に奇跡をみた。それは、熱帯の楽園ではなく、海から1000フィート以上突き出た巨大な岩の塊だった。最近、旅行企画会社がそこでの冒険旅行を検討したが、結局、とても人が住めないと判断されている。
少年たちは、フードガーデン、雨水を貯めるくり抜いた木の幹、奇妙なおもりのあるジム、バドミントンコート、鶏小屋、常設の火を備えた小さなコミューンを、すべて手作業、古いナイフの刃、そして多くの情熱で立ち上げた。数え切れないほどの試みが失敗した後、2本の棒を使って火花を出すことができたのはファタイ(後にエンジニア)だった。 偽りの蠅の王の少年たちが火を吹き飛ばした一方で、現実の蠅の王の少年たちは炎に貢献したので、1年以上も消えることはなかった。子供たちは2人のチームで働き、ガーデン、台所、警備という任務に厳密な当番制をつくった。 時どき彼らは喧嘩したが、いつもタイムアウトを課して解決した。島の反対側に行って頭を冷やし、4時間くらい経ったらもどって「オッケー、ごめん」という。そうやって友達でいた。
毎日、歌と祈りで始まり、そして終わった。コロは、流木、ココナッツの殻の半分、難破したボートから回収した6本の鋼線で間に合わせのギター(ピーターが長年保管してきた)を作り、それを演奏してスピリットを高めた。
スピリットは高める必要があった。夏の間ずっと雨はほとんど降らず、喉が渇いて狂乱状態だった。島を離れるためにいかだをつくろうとしたが、それは波で砕けた。それから、嵐が島を横切り、小屋に木が落ちた。
何よりも悪かったのは、ファタイがある日、崖から落ちて足を骨折したのだ。他の少年たちが下りていって、這い上がるのを手伝った。そして、棒と葉っぱで足を固定した。「心配するな」シオネはいった「王様のように横になっている間、俺たちがお前の仕事をする」。
少年たちはついに1966年9月11日日曜日に救出された。
地元の医師は、彼らの筋肉質な体格とファタイの脚が完全に治っていることに驚いた。
しかし、彼らがヌクアロファに戻ったとき、警察はピーターのボートに乗り込んで、少年たちを逮捕し、刑務所に入れた。少年たちが15か月前に「借りた」船の持ち主はまだ怒っていて、告発することをきめていた。
ピーターは、この話は完璧なハリウッドの素材になると思った。無人島の6人の少年について世界でどれほど話題になったか。彼は、船の損害に150ポンド払い、映画に協力するという条件で少年たちは解放された。
数日後、オーストラリアのチャンネル7のチームが到着し、一緒にアタ島に撮影に行ったが、スーツを着た泳げない彼らは満足な仕事ができず、ドキュメンタリーは失敗した。
しかし、ピーターは少年たちを助けた国民的英雄と言われ、国王から許可されてロブスターの事業を始めた。彼は新しい船を購入してアタと名付け、シオーネ、ファタイ、コロ、テビタ、ルーク、マノは乗組員として雇われた。
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これが実際の蠅の王だ。
この話は誰も知らないが、ゴールディングの本はまだ広く読まれている。メディアについての歴史家は、彼がテレビで最も人気のあるジャンルの1つであるリアリティTVの創始者だろうという。ヒットシリーズ「サバイバー」の作者は、「蠅の王を読み直した」と、インタビューで明かした。こうした番組の舞台裏をじっくりと見てみると、人びとの最悪の事態を引き出すためにどれだけの操作が必要かを示している。
心理学者のブライアン・ギブソンは、『蝿の王』タイプのテレビを見ると人びとがより攻撃的になる可能性があることを示した。暴力的な画像を見る子供の成人期の攻撃性との相関は、アスベストと癌、カルシウムの摂取と骨量の相関よりも強い。イギリスの別の研究によると、リアリティTVを見る少女は、人生を前進させるには意地悪で嘘をつくことが必要だと言うことがよくある。メディア科学者のジョージ・ガーブナーは要約する。文化は本当に人間の行動を支配する。
実際の蠅の王は友情と忠実さの物語で、私たちがお互いに頼り合えばどれほど強いかを示す物語だ。ピーターの回想録の最初のページ「人生は私に多くのことを教えてくれた。人びとにとって何が良くて前向きかを常に探すべきだという教訓もそうだ」。

Part One 自然状態

ホッブズは人間性の邪悪さを信じさせる悲観論者で、ルソーは、すべての人の心の中心は善だと宣言した。私たちは何十年も科学的な証拠を収集してきたが、どっちが正しかっただろう?

私たち人間は善と悪、どちらの傾向があるだろう?
イギリスのトーマス・ホッブズ(1588-1679)のリヴァイアサンは、1651年に出版されて衝撃をもたらし、非難の嵐をおこしたが、オックスフォード西洋哲学の歴史は、「これまでに書かれた政治哲学の最大の作品」と説明している。フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(1712–78)も非難され、本は燃やされ、逮捕状も出されたが両者とも今日まで知られている。二人は会ったことがないが、哲学のリングの両隅にいる。ホッブズは人間性の邪悪さを信じさせる悲観論者で、ルソーは、すべての人の心の中心は善だと宣言した男。そして、ルソーは、「文明」が救いであるどころか、私たちを滅ぼすものだと信じた。
この2人の大物の反対意見は、社会の最も深い分裂の根底にある。これほどの利害関係、広範囲にわたる影響についての議論は他にない。
「自分を読みとけ」とホッブスは書いた。自身の恐れと感情を分析すれば、他のすべての人間の考えと情熱がわかるだろう。かつて私たちは自由だった。私たちは好きなことを何でもできたが、その結果は恐ろしいものだった。自然状態での人間の生活は、「孤独で、貧しく、厄介で、残忍で、短い」、その理由は単純だった。人間は恐怖に駆り立てられる。他人への恐れ、死への恐れ。安全を切望しており、権力に対する絶え間なく落ち着かない欲求を死ぬまで持っている。結果「万人の万人に対する戦争状態」。
しかし、私たち全員が自由を放棄することに同意し、ひとりの主権者の手に自身の体と魂を置けば、平和になる。この絶対君主を聖書の海の怪物、リヴァイアサンと名付けた。ホッブズの考えは、監督や独裁者、長官や将軍たちが何百万回も繰り返す議論に哲学的根拠を与えた。「私たちに権力を与えよ、さもないとすべてが失われる」。
およそ100年後のある日、ルソーは刑務所に友人のディドロを訪ねて行く途中に、エッセイコンテストの案内をみつける。テーマは、「科学と芸術の復興は道徳の浄化に貢献したか?」
すぐに答えがでた。無実の友人が投獄された刑務所に行く途中だった。人は自然に善だが、邪悪になるのはこうした機関のお陰だ。ルソーは書いた「地面を囲んだ後、「これは私のものだ」と頭に浮かび、それを信じるほど単純な人びとを見つけた最初の男は、市民社会の真の創設者だった」。
呪われた市民社会の誕生以来、ルソーは、事態はうまくいかなかったと主張した。農業、都市化、国家は私たちを混乱から解放せず奴隷にした。そして、活版印刷の文字のおかげで、「ホッブズの危険な空想は永遠に残るだろう」。
ルソーが信じたのは、人間が「自然状態」で存在していたとき、私たちはまだ思いやりのある存在だった。 今、私たちはシニカルで自己利益ばかりだ。かつて私たちは健康で強かったが、今は怠惰で弱くなった。文明は大きな間違いだった。私たちは自由を使い果たすべきではなかった。ルソーの考えは、アナキストとアジテーター、自由な精神と扇動者によって、何百万回も繰り返される議論の哲学的根拠を提供した「私たちに自由を与えよ、そうしないとすべてが失われる」。
300年後の今、私たちの政治、教育、世界観にこの2人ほど大きな影響を与えた哲学者は他にいない。経済学全体は、ホッブズの人間性の概念を前提としており、それは私たちを合理的で自己奉仕的な個人と見なしている。ルソーは、18世紀に革命を起こし、子供たちは自由に成長するべきであるというその信念は、教育に多大な影響を与えてきた。今日まで、ホッブズとルソーの影響は驚異的だ。現実主義と理想主義、保守と革新の陣営もそこにさかのぼることがでる。
ホッブズとルソーは、結局のところ、椅子に座った理論家だったが、私たちは何十年もの間科学的な証拠を収集してきた。
どっちが正しかっただろう?

03.ホモ・パピーの台頭

生命の歴史の中でなぜ人間が短期間に世界を席巻したのか?人間は他の動物よりも強くなく、知性が高いともずる賢いとも言えない。5万年前には5つのホモ(ヒト属)がいてネアンデルタール人はサピエンスより屈強で脳も大きかった。
ダーウィンは飼いならされた動物(豚、ウサギ、羊)には注目すべき類似点があると指摘していた。野生の先祖よりも数サイズ小さく、子供の特徴を一生もっていることだ。1960年代にソ連の研究チームがどう猛なシルバーフォックスの中で臆病なものだけを掛け合わせたらわずか4世代目で尻尾を振りだし、外見も大きく変わりだした。攻撃性がなくなり一生子供のように遊んでいる。そして45世代にテストをした結果、家畜化しているキツネは知能が向上していることがわかった。私たちはおよそ5万年前に外見が赤ちゃん猿のように進化したことが分かっている。真似る力、学習能力も大幅に向上した。他の類人猿と違って目に白目ができたことで他人の視線を追えるようになり社会的な存在になった。そして、マキャベリは恥知らずになれと行ったが、人間だけが恥じる。


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地球上の生命の歴史が40億ではなく、たった1年だとしたら、人間は、12月31日の午後11時頃に登場し、狩猟採集民として約1時間歩き回って午後11時58分に農業を発明する。「歴史」は最後の60秒で起こる。瞬く間に、ホモサピエンスは最も寒いツンドラから最も暑い砂漠まで、地球全体に生息し、月を踏んだ最初の種にさえなった。
なぜ人間がそうなったのか?遺伝子としては、人間は私たちはバナナと60%同一、80%は牛と区別がつかず、99%はチンパンジーと同じだ。なぜその1パーセントがすべての違いをうむのか?
生命の進化の基本的な要素は単純明快で、それに必要なものは、たくさんの苦しみ。たくさんの闘争。多くの時間。環境により適応しているものは、生き残って繁殖する可能性がわずかに高くなる。40億年と、親と子の間のわずかな違いが、広大で多様な生命の木に分岐する可能性がある。そこには、首謀者も壮大なデザインもない。
1976年、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスは、書いた。「私たちは利己的に生まれたので、寛大さと利他主義を教えよう」。40年後、イギリスの大衆は『利己的遺伝子』をこれまでに書かれた中で最も影響力のある科学書に投票した。「人間性の恐ろしく悲観的な見方を示しているが、反論を提示できない」とある人が書いている。種の99.9%が絶滅したが、私たちはまだここにいる。
私たちは強くて賢く、痩せていて意地悪だから?
強いといえば、チンパンジーや雄牛は人間より強い。生まれたとき、私たちはまったく無力で弱く、のろい。
とても賢いから?
私たちの脳は体重のわずか2%だが、消費カロリーの20%を使う。私たちが難しい計算やきれいな絵を描くのは、普通、誰かからスキルを学ぶ。個人的には10まで数えられるが、数字のシステムを自分でつくれるかは疑問だ。ドイツの研究チームによって設計された38のテストで、空間認識、計算、原因作用について評価する研究がある。幼児は動物園の動物、チンパンジーやオランウータンと同等かそれより悪かった。日本の研究でも大人がチンパンジーに負けた。
しかし、多分私達はより狡猾だ。これがマキャベリ的知性仮説の核心だ。マキャヴェリは権力を維持するために嘘と欺瞞の網を編むように助言していて、この仮説の支持者は、それはまさに私たちが何百万年もの間行ってきたことだとする。
この仮説が正しければ、相手に悪知恵を働かすゲームで、人間が他の霊長類を簡単に打ち負かすことが期待される。しかし、多くの研究は、チンパンジーがこうしたテストで私たちを上回っていて、人間はお粗末な嘘つきであることを示している。それだけでなく、私たちは他人を信頼する傾向があるから、詐欺師が働ける。
マキャヴェリは、古典の中で、感情を決して明らかにしないようにアドバイスしている。ポーカーフェイスに取り組め、恥は何の役にも立たない。しかし、恥知らずな勝利だけなら、なぜ人間は動物界全体で赤面する唯一の種なのだろう?
チャールズ・ダーウィンによると、赤面するのは、あらゆる表現の中で最も独特で最も人間的なものだ。この現象が普遍的であるかどうかを知りたくて、ダーウィンは外国の知り合い全てに手紙を送ったが答えはすべてイエスだった。
しかし、なぜ?なぜ赤面が消えなかったのだろう?
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1856年8月、ケルンの北にある石灰岩の採石場で、2人の労働者が古い骨を見つけて、地元の高校の理科教師であるヨハン・カール・フーロットにプレゼントした。熱心な化石コレクターだ。
フルロットはすぐに普通の骨ではないことに気づく。人間にしては、頭蓋骨が傾斜して伸びていて、眉が突き出て、鼻が大きすぎる。地元の新聞は、ネアンデル谷での「フラットヘッドの種族」という驚くべき発見について報告した。ボン大学のヘルマン・シャーフ・ハウゼン教授がそれを知って確認した。それは、神が地球を大洪水で氾濫させる前の生き物の残骸だった。
科学者たちは、5万年前に私たちのほかに少なくとも5つのホモ(ヒト属)がいたとする。ホモ・サピエンスは他のホモの兄弟姉妹とどうしていたのか?なぜすべて消えたのか?
さらに、1990年代に、2人のアメリカの考古学者が膨大な数のネアンデルタール人の骨折について詳細な分析をして確認したのは、ネアンデルタール人は、ポパイのような上腕二頭筋を持ったプロトマッスルマンだった。さらに、ネアンデルタール人の脳は、私たちよりも平均15%大きかった。そして、この種は驚くほど知的なものであるというコンセンサスが高まっている。彼らは火を起こし、食べ物を調理し、衣類、楽器、宝飾品、洞窟壁画を作った。私たちのいくつかの石器は、ネアンデルタール人の発明を借りたという兆候さえあり、おそらく死者を埋葬する慣行もあった。
最後に、はるかに不吉な仮説が1つある。ネアンデルタール人の方が、より強く、勇気があり、賢かったとしたら、おそらく私たちはただ意地悪だった。「おそらくそうかもしれない」とイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは推測している。「サピエンスがネアンデルタール人に遭遇した結果は、歴史上最初、最も重要な民族浄化キャンペーンだった」ピューリッツァー賞を受賞した地理学者のジャレド・ダイアモンドは、「殺人者は弱い状況証拠で有罪」と同意する。
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1958年の春、モスクワ州立大学の生物学の学生であるリュドミラ・トルットが、ドミトリ・ベリャーエフ教授のオフィスのドアをノックした。共産主義政権は、進化論は資本家によって広められた嘘として、あらゆる遺伝子の研究を禁止したので彼らが計画したものは貴重なキツネの毛皮の研究ということにした。彼らの研究は、キツネから犬をつくることだった。それは人類の起源を解明する。
100年前、ダーウィンは飼いならされた動物(豚、ウサギ、羊)には注目すべき類似点があると指摘していた。まずは、野生の先祖よりも数サイズ小さく、脳と歯も小さく、バタバタする耳や巻いた尾、白い斑点のある毛皮がある。そして一番興味深いのは、いくつか子供の特徴を一生もっていることだ。
ロシアの遺伝学者は根本的な仮説を立てた。こうしたかわいい特徴は、単に何かの副産物で、長い期間親しみやすさが一貫して選択された場合に起こる変質だ。
彼らは、自然が何千年もかけてつくったものを数十年でやることを考えていた。一番愛想の良い個体だけを繁殖させて、野生動物をペットに変えたかった。ドミトリはシルバーフォックスを対象にした。とても攻撃的で飼い慣らされなく、研究者は厚さ2インチ、肘まで覆う手袋を着けなければならなかった。
リュドミラは何十年研究してもなんの成果もない可能性があることを十分理解してシベリアに向かった。契約したシベリアのキツネの繁殖農場は広大な施設で、何千ものケージがあった。その中から、手を差し出すと少しためらうキツネを選んで繁殖させた。そして、1964年、第4世代の実験で、リュドミラは初めてキツネが尻尾を振るのを見た。これが実際に獲得されたものではない自然淘汰の結果であることを確かにするために、動物との接触は最小限に抑えたが、数世代以内で、キツネは文字通り注意をせがんだ。野生では、キツネは生後約8週間で著しく攻撃的になるが、リュドミラの品種改良されたキツネはずっと幼いままで、一日中遊ぶことしか好まない。「こうした飼いならされたキツネは、成長するという使命に抵抗しているようだった」リュドミラは書いた。その間、目立った身体的変化もあった。キツネの耳が垂れた。尻尾は丸くなり、斑点が毛皮に現れた。鼻は短くなり、骨は細くなり、オスはますますメスに似た。キツネは犬のように吠えだした。やがて飼育員が名前を呼んだときに反応した。彼女が選んだ唯一の基準は親しみやすさで、他はすべてて副産物だった。
ドミトリが打ち出したアイデアは、キツネの変化はホルモンと関係があるのではないかということだった。より愛想の良いキツネは、より少ないストレスホルモンとより多くのセロトニン(幸せホルモン)とオキシトシン(愛のホルモン)をだしていた。もちろん、この理論は人間にも当てはまる。ドミトリ・ベリャーエフの理論は、人々は飼いならされた類人猿だというもので、私たちの種の進化は、最も友好的な人びとの生存に基づいていたということだ。
2014年にアメリカのチームが過去20万年のさまざまな時期から人間の頭蓋骨を調べ、パターンが分かった。顔と体はかなり柔らかくなり、若く、女性らしくなった。脳は少なくとも10%縮小、歯と顎の骨は、子供のようになった。犬とオオカミの関係が、私たちとネアンデルタール人の関係だ。そして、成熟した犬がオオカミの子犬のように見えるように、人間は赤ちゃん猿のように進化した。ホモ・パピー。
私たちの外見の変化は、およそ5万年前に加速した。興味深いことに、それはネアンデルタール人が姿を消したのとほぼ同時に、より良い砥石、釣り糸、弓矢、カヌー、洞窟壁画など、新しい発明を思いついた。人びとはより弱く、より子どもになった。私たちの脳は小さくなったが、私たちの世界はより複雑にった。
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アメリカの発達心理学者ブライアン・ヘアは、2003年にシベリアを訪れ、すでに45世代目になっていたフォックスに知能テストを行なった。結果、親しみやすさで選ばれて繁殖させたキツネは副産物として、知性を向上させていることがわかった。それまでは、家畜化は知能を低下させると根強く思われていたが、そうではなかった。
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チンパンジーとオランウータンは、ほぼすべての認知テストで、人間の2歳児と同等のスコアを獲得するが、学習に関しては、幼児は手に負えない。ほとんどの子供は100%を獲得し、ほとんどの類人猿は0だ。人間は超社会的な学習マシーンであることがわかっている。私たちは学び、絆を深め、遊ぶために生まれた。そして、赤面することは人間だけの表現で、典型的に社会的であることだ。人が他人の考えを気にかけていることを示す。それが信頼を育み、協力を可能にする。
全部で200種以上ある他の全ての霊長類は、目がメラニンで覆われているために、視線が分からないが、人間は唯一白目があるという特徴によって、他人の視線をたどることができる。そしてお互いを目で見ると同じことがおこる。ブライアン・ヘアは、私たちの異常な目が人間の家畜化の別の産物であると推測している。そして、驚き、共感、嫌悪感を表現してみて、眉毛の働きに注目すると分かるが、突き出た眉はコミュニケーションを妨げる。人間は、常に感情を漏らし、周囲の人々との関係を築く。社交的であることは、周りにいるのが楽しいだけでなく、最終的には賢くなる。
この概念化の最良ものは、天才とコピーキャットの2つの部族が住む惑星を想像することだ。天才は10人に1人は人生のある時点で本当に素晴らしいもの(たとえば釣り竿)を発明する。コピーキャットはあまり認知力がないので、1000人に1人だけ釣りができるようになる。しかし、天才は社交的じゃなく、釣り竿を発明しても、釣りを教えられる友達が1人しかいない。コピーキャットには平均して10人の友達がいる。
ここで、誰かに釣りを教えるのは難しくて、半分しかうまく行かないと仮定すると、どっちのグループが発明から利益をえるのか?人類学者のジョセフ・ヘンリッヒが計算したところによると、天才部族の5人に1人だけが釣りを学び、その半分は自分でそれを理解し、残りの半分は他の誰かからそれを学ぶ。コピーキャットたちは、わずか0.1%が自分でできるようになるが、他のコピーキャットからコピーして、最終的に99.9%が釣りができるようになる。
一部の科学者は、人間の言語の発達も社交性の産物であると理論づけている。 言語は、コピーキャットが自分で考えないかもしれないが、お互いから学ぶことができるシステムの優れた例であり、時間の経過とともに、リュドミラのキツネが吠え始めたのとほぼ同じ方法で人間の会話を引き起こす。
では、ネアンデルタール人はどうなったのだろう?ホモ・パピーが滅ぼしたという考古学的な証拠は何もない。より説得力のある理論は、私たち人間は、一緒に働く能力を発達させたので、最終氷期(115,000〜15,000年前)の過酷な気候条件にうまく対処できたということだ。
1990年代後半、熱心なリチャード・ドーキンスのファンだったエネルギーの巨人エンロンのCEOジェフリー・スキリングは、社内の業績評価に「ランク&ヤンク」システムを設定した。スコア1は、会社のトップパフォーマーで多額のボーナスを与える一方で、スコアが5は、2週間以内に別のポジションが見つからなかった場合解雇となった。結果、従業員の間で激しく競争するホッブズのビジネス文化が生まれた。 2001年、エンロンが大規模な会計詐欺に関与していたというニュースが報じられ、スキリングは刑務所に入った。
最近では、米国最大の企業の60%が、ランク&ヤンクシステムのバリエーションを採用している。AmazonやUberのような組織もそうで、労働者を互いに対立させている。
しかし、利己的遺伝子のその後の版では、リチャード・ドーキンスは人間の生来の利己主義についての彼の主張を破棄、生物学者からの信頼は失った。今、生物学を学ぶ1年生は全員、協力がはるかに重要であることを学ぶ。
私たちの遠い祖先は、集団の大事さを知っていて、偶像化された個人は滅多にいなかった。ツンドラから砂漠まで、世界中の狩猟採集民は、すべてがつながっていると信じていた。自分たちを、他のすべての動物、植物、母なる地球とつながるずっと大きな何かの一部と見なしていた。おそらく今の私たちより人間の状態をよく理解していただろう。
孤独は文字通り私たちを病気にする可能性がある。人との接触がないことは、1日に15本のタバコを吸うことに匹敵する。ペットを飼うことで、うつ病のリスクは低下する。人間は、一体感と相互作用を切望する。繋がることを求める精神は体が食べ物をもとめるようだ。
私がこれを理解したとき、進化論にうんざりしなくなった。おそらく、クリエーターも宇宙の計画もない。私たちは、何百万年もの盲目的な手探りの後の単なるまぐれかもしれない。しかし、少なくとも私たちは一人ではなく、お互いがある。

04.マーシャル大佐と撃たない兵士


愛のホルモン、オキシトシンは普遍的な愛を刺激しないことが判明した。自分のグループに限定され、見知らぬ人へは嫌悪感となるようだ。アウストラロピテクスの骨の怪我からレイモンド・ダートは人類の祖先は人喰い人種とし、多くの研究者がそれに続いた。1943年米軍の歴史家サミュエル・マーシャルは日本軍との戦闘に苦戦する兵士たちにインタビューしたところ、兵士のほとんどが発砲していないことを発見した。科学によれば、人間の暴力は実際には、伝染性がなく、それほど長くは続かず、簡単なことではない。そして先史時代の洞窟壁画に戦争を示唆するものはみつかっていない。

1
時々、ホモ・パピーは動物界では前例のない恐ろしいことをする。カナリアは刑務所をつくらないし、ワニはガス室をつくらない。歴史の中で、コアラが仲間全部を数え、閉じ込めて一掃することを強いられたと感じたことはない。これらの犯罪は非常に人間的なものだ。だから、ホモ・パピーは非常に社交的であることに加えて、驚くほど残酷でもある。なぜだろう?
この本能は私たちのDNAにコード化されているようだ。オキシトシンは、出産と授乳に重要な役割を果たす。科学者が最初にこのホルモンがロマンスにも役立つことを発見したとき、興奮の波があった。一方で、2010年、アムステルダム大学の研究者は、オキシトシンの効果は自分のグループに限定されているようだと発見した。このホルモンは、友人への愛情を高めるだけでなく、見知らぬ人への嫌悪感を強める可能性もある。オキシトシンは普遍的な友愛を刺激しないことが判明した。
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たぶん、トーマス・ホッブズは結局のところ正しかった。
多分私たちの先史時代は 「万人に対する万人の闘争」だった。友だちの間ではなく、敵との間、知っている人たちではなく、見知らぬ人たちとの間だ。もしそれが本当なら、考古学者は戦いの無数の遺物を発見しているはずだ。
1924年に、南アフリカ北西部のタウング村の外で、鉱山労働者が小さな類人猿のようなものの頭蓋骨をみつけ、それが解剖学者のレイモンド・ダートの手に渡った。彼はそれをアウストラロピテクスアフリカヌス、地球を歩いた最初のヒト族の1人で、おそらく300万年前のものだと特定した。ダートはこの頭蓋骨と他の祖先の骨を研究して、多くの怪我を見つけた。初期のヒト族は、石、牙、角を使って獲物を殺しただけでなく、お互いを殺したと考えた。ダートは、人間を本質的に血に飢えた人食い人種として特徴づける最初の科学者の1人になり、彼の「キラーエイプ理論」は世界中で話題になった。そして、ほんの1万年前の農業の到来で、食事を思いやりのあるものに切り替えた。
ダートが基礎を築き、多くの研究者が続いた。最初は、タンザニアでチンパンジーを研究したジェーン・グドールだ。チンパンジーは長い間平和な植物を食べる動物と見なされていたので、1974年に彼女が全面的な猿戦争にたどり着いた時、彼女に大きな衝撃を与えた。4年間、チンパンジーの2つのグループによる残忍な戦いを、グドールは隠し続けた。最終的にそれを発表しても、多くの人びとは彼女を信じなかった。
グドールの学生の一人、リチャード・ランガムという霊長類学者は、1990年代、私たちの祖先は一種のチンパンジーだったに違いないと推測し、略奪的な霊長類から20世紀の戦場まで直接たどり、戦争が単純に私たちの血の中にあると推測した。
この判断はシンプルだった。殺人者は生き残り、弱い人が死ぬ。チンパンジーが孤独な仲間を集団で待ち伏せして襲うように、いじめっ子は学校の遊び場で本能を発散する。
一方、1959年、人類学者のエリザベス・マーシャル・トーマスは、カラハリ砂漠に住むクン族についての本を出版した。タイトルは、「無害な人々( The Harmless People)」。そのメッセージは、1960年代の精神と一致し、新世代の左翼科学者が人類学の現場にやって来て、私たちの先祖をルソーにイメージチェンジすることに熱心だった。私たちが過去にどのように暮らしていたかを知りたい人は、現在も採餌している遊牧民を見るだけでよいと彼らは主張した。
トーマスと同僚は、ジャングルやサバンナで時折騒ぎがあったが、こうした部族の「戦争」は誰かが矢を放って、1人か2人怪我をするくらいだったと言った。進歩的な学者は、ルソーは正しく、 穴居に住む人は本当に高貴な野蛮人だったとした。
しかし、ヒッピーにとって悲しいことに、反証はすぐに積み重なっていった。
後の人類学者がより焦点を絞った研究を行い、キラーエイプ理論が狩猟採集民にも当てはまると判断した。儀式的な戦いは十分に無実に見えるが、夜中の血なまぐさい攻撃や、女性や子供までの虐殺はそれほど簡単には説明できない。クンでさえ、長く観察すれば、かなり血に飢えていることがわかった。(そして、1960年代にクンの領土が国家の支配下に置かれた後、殺人率は急落した。つまり、ホッブズのリヴァイアサンが法の支配を課すために到着したときだ。)
1968年、人類学者のナポレオン・シャグノンは、ベネズエラとブラジルのヤノマミ族に関する研究に参加した。それは「慢性的な戦争状態にある」社会だった。さらに悪いことに、人殺しの男ほど、妻と子供が多かったことが明らかになった。
しかし、2011年スティーブン・ピンカーの記念碑的な本『私たちの自然のより良い天使(The Better Angels of Our Nature)』の出版で問題は解決された。「私たちは物語から数字に切り替えることができる」。21の遺跡で暴力的な死の徴候を示す骨格の平均は15%。今でも採餌で生きる8つの部族の暴力による平均死亡率は14%。2つの世界大戦を含む20世紀全体の平均は、3パーセント。今の平均は1%。
私たちは「文明という術」のお陰で高尚になってきた。農業、書くこと、国家の発明は、攻撃的な本能を抑制し、厄介で野蛮な性質の上の厚い文明のコートが役立った。私は、これで、事件は終結し、スティーブン・ピンカーが正しく、ルソーにはひびが入ったと思った。数字は嘘をつかない。
3
1943年11月22日、マキンの戦い、日本が占領する島を初めて奪還しようと派遣された米軍に歴史家のサミュエル・マーシャル大佐が同行した。
苦戦する米軍を目にしたマーシャルは、理由を知るために歴史学上革命的な調査を始めた。兵士のグループインタビューをして自由に話させ、上司と意見が違ってもいいとした。
マーシャルは、その戦闘報告に正確な秘密があることにすぐに気づいた。みんなが、ジグソーパズルのピースが何かを知っていたため、彼は困った発見をしてしまった。
ほとんどの兵士は銃を撃ってない。
何世紀にもわたって、何千年もの間、将軍や長官、芸術家や詩人でさえ、兵士が戦うことを当然のことと思っていた。
マーシャル大佐は太平洋戦線、その後のヨーロッパ戦線で軍人のグループにインタビューを続け、彼らのうち15〜25%だけが実際に武器を発射したということを発見した。決定的な瞬間、大多数はたじろぐ。欲求不満の士官はさけんだ「ちくしょう!撃て!」兵士は、士官が見ている時だけ発砲した。マーシャルが確認したところ、300人以上の大隊のなかで、実際に引き金を引いたのは36人しか特定できなかった。
経験不足?発砲の意欲については、新人とベテランの間に違いはなかった。発砲しなかった人の多くは、訓練では名手だった。
おじけづいて手を引いた?発砲しなかった兵士は持ち場にいて、発砲しないことでさらに危険にさらされた。彼らは勇敢で忠実な愛国者であり、仲間のために命を犠牲にする準備ができていた。それでも、彼らは義務を怠って、撃たなかった。
サミュエル・マーシャルの話に米軍は耳を傾けた。1946年の著書『Men Against Fire』は今日でも軍の学校で読まれている。「平均的で普通に健康な個人は、仲間の人間を殺すことに対して、通常はみえない内面の抵抗をもっているので、自分の意志で命を奪うことはない」。ほとんどの人は「攻撃することへの恐れ」が感情を構成する一部になっている。大佐は、彼の分析が第二次世界大戦の連合軍の軍人に限らないという予感を持っていた。歴史を通してすべての兵士。トロイのギリシャ人からヴェルダンのドイツ人まで。
しかし、1989年2月19日、ニューヨークタイムズのトップページのタイトルは、「SLAマーシャルの戦争に関する代表作は偽りだと誹謗される」。雑誌アメリカンヘリテージはマーシャルがすべて捏造したとしてデマと呼ぶまでになった。グループインタビューは一切実施していないと。マーシャルは12年前に亡くなったが、身を守ることができなかった。他の歴史家は争いに加わって、実際に時々事実をねじ曲げたという兆候を見つけた。
課題は、裏付けの証拠は他にあるかということだが、過去数十年で、マーシャルが正しかったという証拠が山積みになっている。
まず同僚のライオネル・ウィグラム中佐は、1943年のシチリアでの作戦中に、軍隊の4分の1しか頼ることができないと不満を漏らしている。バーナード・モンゴメリー将軍は家にあてた手紙に書いている「イギリスの少年たちの問題は、彼らが本質的に殺人者ではないということだ」。
歴史家が第二次世界大戦の退役軍人にインタビューをすると、半分以上が誰も殺したことはなく、ほとんどの犠牲者は少数の兵士の仕事だった。米空軍では、墜落させた飛行機のほぼ40%は1%未満のパイロットが担い、ほとんどのパイロットは、誰も撃墜したり、撃ち殺そうとしていなかった。
1863年のゲティスバーグの戦いから回収された27,574丁のマスケット銃を調べたところ、驚ろくことに90%がまだ装填されていたことが明らかになった。平均して、ライフルマンは時間の95%を銃の装填に費やし、5%を発砲に費やすが、あまりにも奇妙なことだ。さらに、約1万2千丁のマスケット銃がダブルロードされ、そのうちの半分はトリプル以上、バレルに23個の弾があるライフルもあった。マスケット銃は、誰もが知っているように、一度に1つの弾を発射するように設計されていた。後にわかったのは、銃の装填作業は、銃を撃たないための完璧な言い訳だったことだ。
フランス軍でも1860年代の詳細な調査から分かったのは兵士が戦闘に熱心ではないことだった。兵士は発砲する時、しばしば高すぎる場所をねらう。両軍が何時間もお互いの頭上の空に打つ。
軍事専門家のデイブ・グロスマンは書いている「明らかな結論として、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかった」。
「この戦争では、人間的であるとき、誰もが他の誰をも恋しがった」とジョージ・オーウェルはスペイン内戦についての古典『カタロニアへのオマージュ』で書いている。もちろん、これは死傷者がなかったことを意味するものではないが、オーウェルによれば、診療所に行った兵士のほとんどは事故による自傷だった。
近年、マーシャル大佐の結論を支持する専門家が増えているが、社会学者のランドル・コリンズは、戦闘中の兵士の何百枚もの写真を分析し、銃を撃つのは13〜18%だと計算している。
「最も一般的な証拠から判断して、ホッブスの人間へのイメージは経験的に間違っている」とコリンズは主張する。人間は連帯に固定されていて、これが暴力を非常に困難にしている。
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ハリウッドが作ったイメージと実際の暴力は、ポルノと本物のセックスと同じような関係だ。科学によれば、実際には、暴力は伝染性がなく、それほど長くは続かず、簡単なことではない。もし、ホッブズが正しければ、私たちは皆、他の人を殺すことを喜ぶだろう。確かに深い嫌悪感を刺激するはずはない。一方、ルソーが正しければ、遊牧民の採餌者はおおむね平和だったはずで、ホモ・パピーが地球に住み始めた何万年にもわたって、流血に対する本質的な反感を進化させたに違いない。
学術文献を深く掘り下げると、パターンを発見するのにそう長くはかからなかった。科学者が人間を殺人霊長類として描くと、メディアは彼らの仕事をすぐに食いつく。同僚がその逆を主張した場合、ほとんど誰も聞かない。
1920年代、アウストラロピテクスを調べたレイモンド・ダートは、それは血に飢えた人食い人種であったに違いないと判断し、ヒットした。『猿の惑星』や『2001年宇宙の旅』(どちらも1968年)もキラーエイプ理論を利用した映画だ。「私は人間の残忍で暴力的な性質に興味がある」とスタンリー・キューブリック監督はインタビューで言った「それは本当の姿だから」。
現在の専門家は、アウストラロピテクスの骨は他のヒト族が振り回す石、牙、または角によってではなく、捕食者によって損傷を受けたことに同意している。2006年に新しい評決が下され、犯罪者は大きな猛禽類になった。
50年間に18のチンパンジーコロニーで収集されたデータを示す研究が2014年にでた。それは人間の干渉とチンパンジーの野蛮な行動に相関関係がないというものだった。他にも霊長類はいるが、ゴリラはチンパンジーよりはるかに平和だ。さらにボノボは、首が弱く、手が細く、歯が小さく、一日中遊ぶことを好み、できる限り友好的で、完全に成長することがない。いずれにせよ、霊長類には200種以上の異なる種があって、大きな違いがある。霊長類学者の第一人者であるロバート・サポルスキーは、類人猿が人間の祖先について教えることはほとんどないと信じている。「議論は空虚なものだ」。
ナポレオン・シャグノンの 『The Fierce People』は、これまでで最も売れた人類学の本で、ヤノマミ族には戦争があって、殺人的なヤノマミ族の男性は平和主義者の3倍の子供を産んだことを示した。
現在の科学のコンセンサスは、今日でも狩猟採集社会を生きているほとんどの部族は、私たちの先祖がどのように生きたかを代表していないということだ。彼らは文明社会と接触していて研究対象として「汚染」されている。チャグノンは2つの大きな誤りを犯している。彼のデータの殺人者は、平和主義者より平均10歳年上だから子供が多いのは当然だったが、その調整がない。そして、殺人者は生きている者だけが対象だったが、報復で殺された人に関する検討はなかった。
この人類学者の訪問後、ヤノマミ族は彼らの語彙に新しい単語「anthro」を追加した。 定義は「深く乱れ、野生の奇行がある強力な人でなし」。1995年、この人でなしはヤノマミの領土に戻ることを禁じられた。
そしてピンカーは、8つの原始社会の平均殺人率を計算して14%とした。この数字は、サイエンスのようなジャーナルに掲載され、新聞やテレビで際限なく流れた。しかし、他の科学者が彼のソース資料を調べたとき、ピンカーがいくつかのことを混同していることを発見した。
今日でも狩猟や採集を続けている人びとは、5万年前の人間の生活を代表しているのか?結局のところ、人類の歴史の95%は遊牧民で、比較的平等主義的な小さなグループで世界を歩き回っていた。
ピンカーは、ハイブリッド文化に焦点を当てることを選択した。狩りをして集まるだけでなく、馬に乗ったり、集落で一緒に暮らしたり、近くで農業に従事したりする人びと。こうした活動はすべて比較的最近のもので、人間は1万年前まで農業を始めず、馬は5000年前まで家畜化されていなかった。私たちの遠い祖先が5万年前にどのように暮らしていたかを知りたければ、馬を飼って、野菜畑が好きな人びとから推定するのは意味がない。
そして、その心理学者によると、パラグアイのアシェの死者の30%、ベネズエラとコロンビアのヒヴィの死者の21%は戦争が原因だ。こうした人びとは血を求めているようだ。
しかし、人類学者のダグラス・フライは懐疑的だった。情報源を検討したところ、ピンカーがアチェ戦争の死亡率として分類した46件すべてが、実際には「パラグアイによって撃たれた」と記載された部族のメンバーのことだった。アシェは実際にはお互いを殺し合っていなかったが、「奴隷貿易業者によって執拗に追跡され、パラグアイのフロンティアマンによって攻撃された」。ヒヴィも同じだった。戦争による死者としてピンカーによって列挙されたすべての男性、女性、子供たちは、1968年に地元の牧場主によって殺害された。
遊牧民の採餌者は、習慣的に互いに虐殺するどころか、高度な武器を振るう「文明化された」農民の犠牲者だった。フライは書いている「パーセンテージを表す棒グラフと数値表は、科学的な客観性の空気を伝えるが、この場合、それはすべて幻想だ」。
2013年にサイエンス誌で、主要な部族のリストをつけて、ダグラス・フライは遊牧的な狩猟採集民は暴力を避けていると結論付けている。遊牧民は対立について話し合うか、単に次の谷に移動する。これは、アタの少年たちによく似ている。
そして別のこと。人類学者は長い間、先史時代のソーシャルネットワークは小さいと考えていた。30〜40人の親類でジャングルをさまよったと思った。他のグループと遭遇するとすぐに戦争になる。
しかし2011年、アメリカの人類学者のチームが、アラスカのヌナムイットからスリランカのヴェッダまで、世界の32の原始社会のソーシャルネットワークを調べた。遊牧民は非常に社交的であることが判明した。彼らは絶えず集まって、他のグループの人びとと食べたり、パーティーをしたり、歌ったり、結婚したりしている。確かに、彼らは30〜40の小さいチームで採餌をしているが、それは主に家族ではなく友人で構成されていて、メンバーを絶えず交換している。結果として、採餌者は広大なソーシャルネットワークをもっている。2014年の調査で、パラグアイのアッシュとタンザニアのハッツァの場合、平均的な部族のメンバーが生涯で1,000人もの人びとと出会うと計算されている。
考古学的証拠は、ホッブズとルソーの間の議論を解決するための最良の希望を提供するかもしれない。化石記録は、研究者によって「汚染」されることができないからだ。ただし、問題があるのは、狩猟採集民が身軽な旅をしたことだ。彼らは多くを持たず、多くを残さなかった。
重要な例外は洞窟壁画だ。私たちの自然状態がホッブズの「万人の万人に対する戦争」だったら、この時期のある時点で誰かがその絵を描いていたはずだ。しかし、それは決して見つからなかった。
農業、乗馬、定住社会の前、初期の戦争についてどのくらいの考古学的証拠があるか?
答えはほとんどない。
現在まで400の場所で発掘された約3000のホモサピエンスの骨格は、私たちの「自然状態」について何かを教えてくれるほど古い。これらのサイトを研究した科学者は、説得力のある戦争の証拠を見ていない。後の時代は、違う。「戦争は時間の経過とともに永遠に後退することはない」と著名な​​人類学者ブライアン・ファーガソンは言う「始まりがあった」。

05.文明という呪い

長い間、人類は全員で時間をかけて熟議して意思決定をしてきた。つねに、権威から自由であることにこだわり、リーダーは一時的な存在で、優越感をもったリーダーはすぐに排除された。厳格な階層のない社会で寺院や都市全体をゼロから構築した社会の例は数多くあり、巨大建築の目的はリーダーのエゴではなく人びとを一つにすることだった。
戦争が最初に勃発するのは、最後の氷河期が終わった時点だ。私たちが1つの場所に定住し始めた時、最初の軍事要塞が建設されたと考古学はいう。そして農業が始まって、長時間の過酷な労働が必要になり、家父長性が生まれ男女平等が崩れた。穀物中心の食事と、狭い範囲で排泄物や家畜に近いため感染症が発生した。飢饉や洪水などの災害にも悩まされた。
最初にできた国家は奴隷国家だった。お金や文字、法制度も、抑圧の道具として始まった。古代アテネは人口の3分の2が奴隷だった。1800年まで、世界人口の少なくとも4分の3は領主に束縛されて暮らしていた。
文明の恩恵を感じられるようになったのはつい最近のことだ。奴隷制は廃止され、ほとんどの感染症は撲滅され、極度の貧困にある人は10%以下となり、戦争を含む暴力で死ぬ人も激減した。

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ジャン・ジャック・ルソーは正しかったのか?人間は本質的に高貴であり、文明がやってくるまで皆素晴らしかったのか?
1492年にバハマに上陸した旅行者は、住民がどれほど平和かに驚いた。「彼らは武器をもっておらず、それを知らない。彼らに剣を見せると、知らないので自分を切ってしまった」これは彼にアイデアを与え、50人の男たちは彼らを征服し、奴隷にした。
この問題の旅行者クリストファー・コロンブスは、翌年、17隻の船と1500人の兵士を連れて戻り、大西洋の奴隷貿易を開始した。半世紀後、もとのカリブ人はの1%も残っていなかった。あとは病気と奴隷化の恐怖に屈した。
また、太平洋にイファリクと呼ばれる小さな環礁がある。第二次世界大戦後、米海軍は人びととの親善を育むためにイファリクでいくつかハリウッド映画を上映した。それは島民が今まで見た中で最も恐ろしいものであることが分かった。画面上の暴力は無防備な先住民を苦しめ、何日も病気になった人もいた。数年後、人類学者がイファリクのフィールドワークを行った時、原住民は繰り返し彼女に尋ねた「あれは本当ですか?アメリカには本当に他の人を殺す人がいたのですか?」
人類の歴史の中心にある謎、暴力に対する根深い、本能的な嫌悪感があるのに、どこで問題が発生したのだろう。何が戦争をはじめたのだろう?
先史時代の政治については、まず基本的に私たちの祖先は不平等にアレルギーがあった。決定は、グループで行い、全員が発言権をもち、長い熟議を必要とした。 一人のアメリカの人類学者が、339ものフィールドワークに基づいて確立した「ノマドの採餌者」によると、私たちの社会は、普遍的にみんなで、かつ、権威から自由であることに入念にこだわって運営されてきた。リーダーの権力は、ノマドが完全に認めても、一時的なもので、目的があった。 リーダーは、より知識が豊富で、熟練し、カリスマ性がある。つまり、与えられた仕事を成し遂げる能力があるということだ。科学者はこれを達成ベースの不平等と呼んでいる。
同時に、こうした社会はメンバーを謙虚に保つために単純な「恥」という武器を使った。カラハリ砂漠のクン族で暮らしたカナダの人類学者リチャード・リーは説明している。以下は、狩りに成功したハンターが部族で期待された行動だ。
「彼は、最初に黙って座らなければならない。誰か火に近いて、「今日は何を見たか?」と尋ねると、静かに答える。「ああ、私は狩りに向いていない。私は何も見なかった。...たぶん小さなものだ」それで、何か大きなものを仕留めたことが知られるので、自分自身に微笑みかける」。
プライドは常にあって根強いものだが、ホモ・パピーは、何千年もの間プライドを押しつぶすためにできる限りのことをした。クン族は言う「自慢する人は拒否する。いつの日か、そのプライドによって誰かが殺されるからだ。だから私たちはいつも彼の肉を無価値だと言う。このようにして、私たちは彼の心を冷やして穏やかにする」。
また、狩猟採集民のタブーは、備蓄と買いだめだった。歴史のほとんどの間、私たちは物を集めるのではなく、友情を集めた。ヨーロッパの探検家は、出会った人びとの寛大さが信じられないと言った。「彼らが持っている何かを求めると、彼らは決してノーとは言わない」とコロンブスは日誌に書いている。「それどころか、彼らは誰とでも共有することを申し出る」。もちろん、フェアなシェアを拒否する個人は常にいた。しかし、傲慢または貪欲になりすぎた人びとは、追放される危険があった。そしてうまくいかなくなると、1つの最終的な救済策があった。
クン族で起こった事件だ。すでに2人を殺した部族のツィは、ますます手に負えずみんながうんざりしていた。そこでツィがヤマアラシのようになるまでみんなで毒矢を放ち、彼が死んでから、すべての男女が体に近づき、槍で彼を刺すことで、象徴的に彼の死の責任を分かち合った。
人類学者は、このような介入は先史時代に時折行われたに違いないと考えている。部族は優越感を発達させたメンバーにさっと仕事をする。そして、攻撃的な性格は生殖の機会が少なく、愛想がよいタイプは子孫が多かった。
そして、人類の歴史の大部分において、男性と女性は多かれ少なかれ平等だった。棍棒と短い導火線をもって胸をたたくゴリラの穴居人というステレオタイプとは対照的に、私たちの男の祖先はおそらくマッチョではなく、プロトフェミニストのようなものだった。
科学者たちは、男女の平等がネアンデルタール人のような他のヒト族よりもホモサピエンスに重要な利点をもたらしのではないかと考えている。フィールドスタディによると、男性優位の社会では、男は主に兄弟や従兄弟と付き合う。対照的に、権威が女性と共有されている社会では、人びとはより多様なソーシャルネットワークをもつ傾向がある。そして、3章で見たように、友達が増えると、最終的には賢くなる。
性的平等は子育てにも現れた。原始社会の男性は、現在の多くの父親よりも子供と過ごす時間が長くなっている。子育ては部族全体が共有する責任だった。乳児は全員に抱かれ、時には別の女性に母乳で育てられた。ある人類学者は、「そうした初期の経験によって、採餌社会の子供たちは自分たちの世界を「与える場所」としてつかむようになる」。先史時代、私たちは信頼の食事で育てられたが、現代の親は、見知らぬ人と話をするなと子供たちに警告する。
もう一つ。狩猟採集民は愛の生活についてもかなりのんびりしていたという強い兆候がある。一部の生物学者は私たちを「シリアル・モノガミスト」と説明する。生涯平均で2人か3人のパートナーがいるタンザニアのハッツァは、女性が相手を選ぶ。パラグアイの山に住むアッシュは、女性は一生に平均12人の夫がいる。この潜在的な父親の大規模なネットワークは、すべてが子育てに参加できるので便利だ。17世紀の宣教師が、カナダのイヌ族に不貞の危険性について警告したすると、彼は答えた「ナンセンスだ。フランス人は自分の子供だけを愛するが、私たちは皆、部族のすべての子供たちを愛している」。
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私たちがかつて自由と平等の世界に住んでいたことが真実だったとしたら、なぜ私たちはそこを去ったのだろう?そして、遊牧民の採餌者が横暴な指導者を問題なく取り除いたのに、なぜ今彼らを追い払うことができないのだろう?
歴史は、厳格な階層がない社会で寺院や都市全体をゼロから構築した社会の例をたくさん提供している。1995年、考古学者はトルコ南部で巨大な寺院群の発掘を開始した。美しい彫刻が施された柱の重さは1個あたり20トンを超えている。ストーンヘンジよりはるかに印象的だ。研究者たちはこの複合施設が1万1000年以上前のものであることを知って驚いたが、考古学者はそこに農業の痕跡を見つけることができなかった。この巨大な構造物は遊牧民の採餌者の仕事でなければならなかった。ギョベクリ・テペは、世界で最も古い寺院で、何千人もの人びとが貢献し、巡礼者は手を貸すために遠くから来た。完成すると、ローストガゼルの饗宴で大きなお祝いがあった(何千ものガゼルの骨が発見された)。これは首長のエゴのために建てられたものではなく、目的は人びとを一つにすることだった。
先史時代に個人が時どき権力を握ったという手がかりはある。良い例は、モスクワの北125マイルにあるスンギリで1955年に発見された豪華な墓だ。それは、磨かれた羊毛のマンモスの牙から彫られたブレスレット、キツネの歯から作られた頭飾り、そしてすべて3万年前の何千もの象牙のビーズを誇っていた。こうした墓は、ピラミッドや大聖堂のずっと前から、ある種の王子や王女のものだったに違いない。しかし、数百マイルに数えきれない埋葬地があっても、こうした発掘はほとんどない。 科学者たちは今、支配者が権力を握るのはまれで、彼らはすぐに倒されたと推測している。何万年もの間、私たちは気取った人を効率的に倒す方法をもっていた。 ユーモア、嘲笑、 ゴシップ、それがうまくいかなかった場合は、背中に矢がささる。
しかし、突然、そのシステムは機能しなくなった。 突然、支配者たちはきつく座って、権力に固執した。繰り返す、何故だろう?
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15,000年前の最後の氷河期の終わりまで人類はこの惑星にまばらに住んでいて、寒さをしのぐために団結していた。生き残るために闘うのではなく、お互いを暖かく保つための寄り添った。しかし、気候が変化し、西のナイル川と東のチグリス川の間の地域が乳と蜜の土地に変わると、団結する必要はなくなり、人びとの所有物が増えた。
ルソーはいう「地面の一部を囲んで、「これは私のものだ」と言った最初の男からすべてうまくいかなくなった」。
戦争が最初に勃発するのは、最後の氷河期が終わった時点だ。私たちが1つの場所に定住し始めたちょうどその時、最初の軍事要塞が建設されたと考古学はいう。これはまた、射手が互いに向かい合うことを描いた最初の洞窟壁画が登場したときでもあり、この頃の骸骨が暴力的な怪我の明らかな痕跡を残していることも判明した。
学者たちは、少なくとも2つの原因があったと考えている。1つは、争うための所有物が土地からできたこと。そして、落ち着いた生活は見知らぬ人により不信感を抱かせた。遊牧民の採餌にはかなりのんびりとしたメンバーシップポリシーがあった。常に新しい人びとと道を歩き、他のグループに簡単に参加することができた。一方、村人は、自分たちのコミュニティや自分たちの所有物により集中した。ホモ・パピーはコスモポリタンから外国人排斥になった。
戦場でリーダーが現れ、新しい紛争はさらにその立場を確保した。やがて将軍は権威に非常に固執するようになり、平時でさえ、もはやそれをあきらめなくなった。通常、将軍は強制的に退陣させられたが、十分な数の信者を集めると、介入ができなくなった。
旧約聖書で預言者サムエルがイスラエル人に王を受け入れることの危険性について警告している。それは聖書の中で最も先見の明があって不吉な道だ。入植地と私有財産の出現は、人類の歴史に新しい時代をもたらした。 1パーセントが99パーセントを抑圧し始め、スムーズな話しあいのコミュニティから抜け出た人が、指揮官から将軍へ、そして首長から王へと昇進した。自由、平等、友愛の時代は終わった。
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ルソーは、私たちが一か所に落ち着いたときに物事は崩壊し始めたと考えたが、それは考古学が今まさに示していることだ。 ルソーは、農業の発明を1つの大失敗と見なした。これについても、現在、豊富な科学的証拠がある。
ひとつには、人類学者は、狩猟採集民が1週間で平均20時間から30時間の労働時間で、かなり楽な生活を送っていることを発見した。自然が必要なものすべてを提供するので、リラックスし、たむろし、そしてつながる十分な時間が残った。
対照的に、農民は畑で苦労しなければならず、土を耕すため余暇の時間がほとんどなかった。痛みがないと穀物もない。一部の理論家は、創世記3章の秋の物語が、組織化された農業への移行を示しているのではないかと考えている。「眉の汗でパンを食べるだろう」。
定住生活はプロトフェミニズムの時代を終わらせ、特に女性に犠牲を強いた。息子たちは土地と家畜の世話をするために父方にとどまり、何世紀にもわたって、娘は、牛や羊のように物々交換される商品に過ぎなかった。
新しい家族では、花嫁は疑われ、処女であることが強迫観念に変わり、正当な息子ができた後にある程度受容された。先史時代の女性は自由に行き来できたが、覆い隠されるようになった。家父長制の誕生だ。
ルソーは、定住した農民は遊牧民の採餌者ほど健康ではないと言ったのもまた正しかった。遊牧民として、私たちはたくさんの運動をし、ビタミンと繊維が豊富なさまざまな食事を楽しんだが、農民として、朝食、昼食、夕食に単調な穀物メニューを消費し始めた。より狭い範囲で、自身の排泄物の近くに住み始め、家畜を飼う中で、さまざまな感染症が発生するようになった。処女に対する執着は、性感染症の恐れからでもあった。さらに、飢饉、洪水、私たちは無限の災害サイクルに陥った。
学者たちは、人びとはおそらく常に神と霊を信じてきたと同意している。しかし、遊牧民の祖先の神々は、人間の違反を罰せず、そもそも単なる人間の生活にそれほど興味をもっていなかった。遊牧民の宗教は、タンザニアのハッツァ族のものと似ていただろう。何年も一緒に暮らしたアメリカの人類学者がそう説明している。突然降りかかるようになった大惨事を説明しようとして、私たちに激怒する復讐心に満ちた全能の存在を信じ始めた。
神々がなぜそんなに怒っているのかを理解することを聖職者が担当した。禁じられた食べ物、発言、思想、歴史上初めて、私たちは罪の概念を発展させた。そして、どんな苦行をするべきか、何を捧げるべきかと司祭にたずねた。
1519年、アステカの首都テノチティトランを行進した征服者が最大の寺院に入り、何千もの人間の頭蓋骨が高く積み上げられた巨大な棚や塔を見て驚いた。学者たちは、これらの人身御供の目的は、神々をなだめることだけではなく、人口の抑制だったと考えている。
私たちが陥った罠は、ティグリス川とユーフラテス川の間の肥沃な氾濫原で、そこでは作物はそれほど努力せずに育った。毎年後退する水によって残された栄養豊富な堆積物の層に種を撒けばすむので、仕事をしたがらないホモ・パピーにも簡単だった。
しかし、私たちの祖先が予見できなかったのは、人類がどのように増殖するかということだった。居住地が密集するにつれて、恵まれていない土地に農地を拡大する必要があった。近隣が集落に囲まれると、土地を奪い合う必要が生まれ、より大きな軍がひつようになった。やがて、村は町に征服され、町は都市に併合され、都市は国に飲み込まれた。
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最初の国、メソポタミアのウルクやファラオのエジプトは、例外なく奴隷国家だった。旧約聖書で、バベルの塔の失敗からソドムとゴモラの破壊まで、罪に満ちた都市に対する神の裁きは明確だ。 お金の発明、文字の発展、法制度の誕生など、今日私たちが「文明のマイルストーン」として掲げているものそのものが、抑圧の道具として始まった。最初のコインは、支配者が効率的に税金を徴収するために生まれたし、最も初期の文章は、未払いの負債の長いリストだ。最初の法典であるハンムラビ法典は、奴隷の脱出を防ぐための罰でいっぱいだった。西洋民主主義の発祥地である古代アテネでは、人口の3分の2が奴隷にされた。プラトンやアリストテレスのような偉大な思想家たちは、奴隷制がなければ文明は存在できないと信じていた。
おそらく、国家の本質を最もよく表しているのは、万里の長城、これは、危険な「野蛮人」を締め出すだけでなく、国民を封じ込めることを目的としている。中国帝国は最大の野外刑務所になった。
そして、ほとんどの歴史教科書が沈黙しているアメリカの痛ましいタブーがある。ルソーが本を書いた年に、建国の父ベンジャミン・フランクリンは認めた「未開の暮らしを味わったヨーロッパ人は私たちの社会に耐えられない。インディアンに解放された「文明化された」白人は、捕らえられても、決まって再び森の中に逃げた」。
入植者は何百人も荒野に逃げ込んだが、その逆はめったに起こらなかった。インディアンとして生活することで、彼らは農民や納税者としてよりも多くの自由を享受した。女性にとって、魅力はさらに大きかった。「私たちは好きなだけのんびりと仕事をすることができた」と「救助」のために送られた同胞から隠れて植民地の女性がいった。ある人はフランスの外交官にいった「ここにはマスターがいない。私が望めば結婚でき、再び未婚にもなれる。あなたの街に私と同じくらい独立してる女性はひとりでもいる?」
ここ数世紀、図書館全部が文明の興亡について書いてきた。マヤの茂みのピラミッドとギリシャの放棄された寺院、すべての本を支えているのは、文明が陥ちるとすべてが悪化し、世界を「暗黒時代」に陥れるという前提だ。
現代の学者は、暗黒時代を休息と特徴づけることがより正確だと示唆している。奴隷が自由を取り戻し、感染症が減少し、食事が改善され、文化が繁栄するからだ。人類学者のジェームズC.スコットは、素晴らしい著書 『アゲンスト・ザ・グレイン(性に合わない)』(2017)で、ミケーネ文明の崩壊直後の「暗黒時代」(紀元前1110年から700年)の間にイリアスやオデッセイのような傑作が生まれたと指摘している。それは、ずっと後、ホーマーまで記録されなかった。
では、なぜ「野蛮人」に対する私たちの認識はそれほど否定的なのだろう?なぜ私たちは自動的に文明の欠如を暗黒時代と同一視するのだろう?私たちが知っているように、歴史は勝者によって書かれている。初期の文章には、すべての人を見下しながら自分自身を高めようとする抑圧者による、国と王のためのプロパガンダがたくさんある。 「野蛮人」という言葉自体は、古代ギリシャ語を話さなかった人のためのキャッチとしてつくられた。
そうやって私たちの歴史の感覚が逆さまになった。文明は平和と進歩の代名詞になり、野蛮は戦争と衰退の代名詞になった。実際には、ほとんどの人間存在にとって、それは逆だ。
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ホッブズは、私たちの先祖の人生と時代を「厄介で、残忍で、短い」と特徴づけたが、より真実は、友好的で、平和で、健康的だっただろう。
皮肉なのは、文明の呪いがホッブズを生涯にわたって悩ませた。 1628年に彼のパトロンを殺した疫病、1640年にイギリスからパリに逃げることを余儀なくされた内戦。人類に対するこの人の見方は、人類の歴史の95%で知られていない病気と戦争、大惨事に関する彼自身の経験に根ざしている。ホッブズは「リアリズムの父」として歴史に名を残したが、彼の人間性に対する見方はリアルではない。
しかし、文明はすべて悪いのだろうか?それは私たちにも多くの良いことをもたらしたか?戦争と貪欲は別として、現代の世界も私たちに感謝すべきことをたくさん与えてくれてないか?
もちろんある。しかし、本当の進歩はごく最近の現象であることを忘れがちだ。フランス革命(1789年)まで、ほとんどすべての国が強制労働で動いていた。1800年まで、世界人口の少なくとも4分の3は裕福な領主に束縛されて暮らしていた。人口の90%以上が地面で働き、80%以上が悲惨な貧困状態で暮らしていた。ルソーの言葉によると「人は自由に生まれ、どこにいても鎖につながれている」。
長い間、文明は惨事だった。都市や国の出現、農業と文字の出現は、ほとんどの人びとに繁栄をもたらさず、苦しみをもたらした。過去2世紀(瞬く間)だけ、物事は急速に良くなり、私たちはかつてのひどい生活を忘れてしまった。文明の歴史を24時間にして計かると、最初の23時間45分はまったく惨めだ。最後の15分で、市民社会は良い考えのように見えだす。
最後の15分間で、ほとんどの感染症を撲滅した。ワクチンは、20世紀全体が世界平和だった場合に救われたであろうよりも毎年多くの命を救うようになった。第二に、私たちは今までになく豊かになった。極度の貧困状態にある人びとの数は10パーセント未満に減少した。そして第三に、奴隷制は廃止された。
1842年、イギリス総領事館はモロッコのスルタンに手紙を送り、奴隷貿易を禁止するために何をしていたかを尋ねた。スルタンは驚いた「奴隷制は、アダムの息子たちの時代からすべての宗派と国家が合意したことだ」。彼は、150年後、奴隷制が世界中で公式に禁止されるとは思わなかったろう。
最後に、そして何よりも、私たちはこれまでで最も平和な時代に入った。中世には、ヨーロッパとアジアの人口の12%が暴力的な死を遂げた。しかし、2度の世界大戦があった過去100年で、この数字は世界全体で1.3%まで急落した。米国では現在0.7%であり、私が住むオランダでは0.1%未満だ。私たちは、すべての人に利益をもたらす新しい方法で都市や国をまとめられる。文明の呪いを解くことができる。なんとかやるれるか?長期的に生き残り、繁栄することができるのか?誰も知らない。過去数十年の進歩を否定することはできないが、同時に私たちは生存レベルでのエコロジカルな危機に直面している。
1789年のフランス革命の影響について尋ねられたとき、1970年代に中国の政治家が言ったことをよく思い出す。「言うのは少し早すぎる」と彼は答えたと言われている。
多分同じことが文明にも当てはまる。文明は良い考えか?言うには早すぎる。

06.イースター島の謎


1721年にイースター島が発見されて以来多くの研究がなされてきた。当初は、島民の伝聞をもとに、かつて栄えていた島が部族間の紛争や森林破壊で文明が大きく後退したと発表されてきたが、その後の研究で、そうした事実はなく、1100年頃漂着した人たちは独自の暮らしや文化を堅実に育んできたと修正された。そして19世紀に島の人口を激減させたのは、奴隷商人と彼らがもたらした伝染病だった。

私たちが先祖の生活を取り巻くすべての謎を解決することは決してない。考古学のパズルをつなぎ合わせるには、かなりの推測作業が必要で、現代の発見を過去に投影することには常に注意する必要がある。
だからこそ、自分のやり方に任せたときに人びとが何をするのかを最後にもう一度見てみたい。マノと実在の蠅の王の少年たちのボートに女の子もいたとしたら、子供や孫が生まれ、数百年後までアタは見つからなかっとしたら、何が起こっただろうか?孤立して発展する社会はどのように見えるのだろう?
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地図製作者だったの父親が太平洋のどこかに存在するはずだと確信していたサザンランドを目指して1721年8月に航海にでたヤコブ・ロッヘーベンは、18ヶ月後に3つの火山が集まった100平方マイルの島に到着した。驚くべきことにそこにはたくさんの人が住んでいた。どうやってここに来たのだろう?航海できそうなボートは見当たらない。そして島に点在する巨像。「私たちは理解できなかった」と、ロッヘーベンは日誌で打ち明けた。
今日でも、この島は、地球上で最も謎めいた場所の1つであり、長い間さまざまな憶測がなされた。やがてDNAテストをした結果、太平洋のヴァイキングであるポリネシア人が約1600マイル離れたガンビエ諸島から卓越風に逆らってカヌーで来たと考えられている。
1914年にキャサリン・ラウトリッジという若い人類学者が島でフィールドワークを行ったとき、立っている像は1つもなかった。倒れて、いくつかは壊れてバラバラで、雑草が生い茂っていた。ラウトレッジは島の最古の住民に質問をした。昔々、島には長い耳と短い耳の2つの部族が一緒に平和に暮らしていたが、何百年も前に血なまぐさい内戦がおこり、やがてお互いを食べるようにまでなった。
数年後の1955年、トール・ヘイエルダールというノルウェーの冒険家がイースター島にやってきた。同行したアメリカのウィリアム・ムロイは、沼で花粉を発見し、それをストックホルムの古植物学者に分析してもらった。島はかつて広大な森に覆われていたことが判明した。
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次々と巨人が岩から彫り出されて運ばれるなかで、労働力をえるために多くの食料が必要になり、島の木々は切り倒された。すべての木がなくなり、土壌が侵食され、作物の収穫量が減少した。巨像づくりは停滞し、緊張が高まり、2つの部族の間で戦争が勃発し、1680年頃に長い耳がほぼ完全に一掃された。その後、生き残った住民が騒ぎを起こして、すべてのモアイを倒したとムロイは書いた。島民は今でも彼らの先祖の人食いの話をしていて、考古学者は無数の黒曜石の鏃や大規模な虐殺の証拠を発掘した。
だから1722年にヤコブ・ロッヘーベンがイースター島に上陸したとき、人口はわずか数千人だった。今日でも、岩からモアイが彫られたラノ・ララクの採石場は、急いで廃墟となった工房のような印象を与える。ノミは地面に放置され、何百ものモアイが未完成のまま残されている。
そして1984年に島の3つの火口すべてで花粉の化石が発見され、島はかつて森林に覆われていたという仮説が確認された。
有名な地理学者のジャレド・ダイアモンドは、2005年のベストセラーである『文明崩壊』でイースター島の悲劇的な歴史を不滅にした。イースター島には、900年頃にポリネシア人が住み、発掘された住居の分析から、人口はかつて15,000人に達した。モアイのサイズが着実に大きくなり、多くの労働力、木が必要となり、やがて木がなくなり、土壌が侵食され、農業が停滞し、飢饉が起こった。そして1680年頃、内戦が勃発した。ヤコブ・ロッヘーベンが1722年に到着したとき、数千人しか残っていなかった。
「人類の貪欲さには限りがない」と考古学者のポール・バーンとジョン・フレンリーは著書『地球の島、イースター島』に書いている。「その利己主義は遺伝的に生まれつきのようだ」。
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ライデン大学のジャン・ボルセマは、環境生物学者だが、彼の棚には歴史と哲学に関する本がぎっしり詰まっていて、文芸と科学の両方からアプローチする。2002年、彼は、これまでの説と矛盾する、シンプルだが深遠な発見をした。彼は、多くの研究者や作家が見落としていたものに気づいた。
彼が講義の準備で、ロッヘーベンの日誌を読むと、「衰退している社会については何もなかった」。彼は島を「地上の楽園」と表現、島民は筋肉質の体格とキラリと光る白い歯があって、フレンドリーで健康的。彼らは食べ物を物乞いせず、逆にそれをオランダの乗組員に提供した。島の土壌は「とても肥沃」で、武器や人食い、倒れた彫像についてはどこにも記述がない。
イースター島民が1914年にキャサリン・ラウトリッジに話したことだが、今ではすべての研究者が人間の記憶は間違いやすいことを知っている。
考古学者のカーライル・スミスは、長耳虐殺の現場と言われている塹壕の周りを発掘して、木炭のサンプルを2つ取って送った。1つのサンプルは1676年と絞り込まれ、彼はこれにクリンチした。その後の分析で木炭サンプルの日付を1460年から1817年の間に更新したが、その場所で人間の遺体は発見されなかった。
数百人の住民の骨格に関する最近の考古学的分析により、実際、ロッヘーベンの観察は正しいことが判明した。18世紀初頭にイースター島に住んでいた人びとは健康だった。
スミソニアン協会の人類学者のチームは最近、イースター島の469頭蓋骨を調べたが、先住民の間で大規模な戦争があったことを示す証拠はまったく見つからなかった。確かに、頭蓋骨のうち2つだけが、悪名高いマタア(黒曜石の鏃)を使って負った可能性のある怪我の痕跡を残していた。マタアは一般的なペアリングナイフとして機能した。2016年にアメリカの研究チームは400のマタアを調べて、武器として役に立たなかっただろうと結論付けた。
イースター島はもともと900年頃、あるいは早くて300年頃に人が住みだしたと考えられていたが、最近の高度な技術によって、およそ1100年頃に修正された。
これを使ってボルセマは簡単な計算を行った。 1100年に約100人のポリネシアの船員がイースター島に上陸し、人口が年間0.5%増加した(産業化以前の社会で達成可能な最大値)。 これは、ロッヘーベンが上陸するまでに最大220人の住民がいた可能性があることを意味するが、彼が記録した推定値と一致する。
つまり、お互いを拷問し、殺し、食べたと思われる何千人ものイースター島民は、いなかった。
また、ボルセマは、1つの石像を転がすのに約15本の木が必要だったと考えると、1000個の石像を転がすのには、木が15,000本必要になるが、そもそも、生態学的研究によると、島には数百万本かそれ以上の木があった計算になる。彫像のほとんどは、彫られた採石場に置かれたままだが、科学者たちは今では、採石場の「守護者」として意図的にそこに残されたと考えている。
結局、493体の彫像が転がされたが、せいぜい年に1つか2つを動かすだけだった。そして、彼らには多くの時間があって、退屈だったろう。
モアイを作ることは、1万年以上前のギョベクリ・テペの寺院群の建設のように、実際には集合的な作業イベントと見なされるべきだ。または最近では、スマトラ島の西にあるニアス島で、20世紀初頭に525人もの男性が木製のそりに大きな石像を引きずっているのが観察された。これらは、メガロマニアの支配者が夢見た名声のプロジェクトではなく、人々を結びつける共同の儀式だった。
イースター島民はかなりの割合の木を切り倒した。モアイを動かすだけでなく、樹液を収穫し、カヌーを作り、作物のために土地を開墾する。それでも、森全体の消失にはならない。より可能性の高い原因は、ポリネシアネズミだ。最初に到着したボートの密航者で、イースター島には自然の捕食者がいなかったため、自由に餌をえて繁殖できた。研究室では、ラットの数は47日ごとに2倍になる。生物学者は、これらの急速に増殖するネズミが木の種子を食べて、森の成長を阻害しているのではないかと考えている。木を伐採するとすべて耕作地になったため、イースター島民にとって森林破壊はそれほど大きな問題ではなかった。2013年の記事で、考古学者のマラ・マルルーニーは、島民が農業技術に精通していて、樹木がなくなった後食糧生産が増加したことを示した。人口が15,000人に達したとしても、周りにはまだたくさんの食べ物があっただろうと言う。イースター島はおそらく、人間の創意工夫が成功につながったポスター・チャイルドであるべきだと言う。
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しかし、その成功は短命だった。
最終的にイースター島を破壊する疫病は、内部からではなく、ヨーロッパの船からやってきた。
1722年4月7日にロッヘーベンが島に到着した時、歓迎の様子をしめしていた島民たちに対して、船員たちが発砲し、およそ10人が死亡した。
彼が到着するまで、島の住民は何百年もの間、世界にいるのは自分たちだけだと思っていた。すべてのモアイは島に向かって内側を向いていたのはおそらく偶然ではない。次に華やかにファンファーレで上陸したのはスペイン人だった。彼らは太鼓と旗を振ってパレードし、大砲を発射した。
1804年、ロシアの船乗りの説明によれば、モアイのほんの一部がまだ立っていた。残りはおそらく倒れたか、意図的に倒されたかだった。この頃から、島の住民がヨーロッパの船の形をした家を建て、ボートに似た石の塚を建て、ヨーロッパの船乗りを模倣した儀式を行った。何らかの理由で、帽子に魅了されて、あるフランスの遠征隊は到着してから1日ですべての帽子をなくし、島民は喜んだ。
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最初の奴隷船は1862年のある暗い日に地平線に現れ、16隻の船が合計1,407人をつれて出て行った。これは、島の人口の3分の1に相当した。加害者は、アタ島の住民を誘拐したのと同じ奴隷商人だった。ペルーの鉱山で働かされた人びとは、感染症に遭遇した。1863年、ペルー政府は国際的な圧力に屈し、470人が解放されたが、多くが天然痘を患い島にたどり着けたのはわずか15人だった。そして、ウイルスは島の人びとに広がり、壊滅的な被害を及ぼした。1877年に流行がようやく収まったとき、住民は110人しか残っていなかった。伝統は失われ、儀式は忘れられ、文化は破壊された。奴隷制と伝染病がイースター島を破壊した。
ボルセマ教授との会話の数日後、こんな新聞の見出しがあった「気候変動の危険性イースター島の像」科学者たちが海面上昇と海岸侵食の影響を分析して予測したシナリオだ。
気候変動に関しては私は懐疑的でないが、私が懐疑的なのは、崩壊の宿命論的なレトリックだ。私たち人間は本質的に利己的で、地球の疫病であるという概念が「現実的」だというのには懐疑的、逃げ道がないと言うのも懐疑的だ。
あまりにも多くの環境活動家は、人類の回復力を過小評価している。私の恐れは、彼らの皮肉が自己達成的な予言になる可能性があることだ。気温が上昇する中で、絶望で私たちを麻痺させるノセボだ。
「問題だけでなく解決策も指数関数的に成長する可能性があることを認識できていない」とボルセマ教授は私に語った。
イースター島では、最後の木がなくなったとき、島民は収穫量を増やすための新しい技術で農業を再発明した。イースター島の本当の話は、長く可能性に向き合い、粘り強い、機知に富んだ回復力のある人びとの話だ。それは差し迫った破滅の物語ではなく、希望の源泉だ。

Part Two アウシュヴィッツ後


人間が本質的に心優しいというのが本当なら、避けられない質問に取り組む時が来た。これは、多くのドイツの出版社が私の本に熱心ではなくなった理由。そして、書いている間私を悩ませ続けた質問。
アウシュヴィッツをどのように説明するか?
人類の歴史の中で最も凶悪な犯罪は、世界で最も裕福で先進的な国の1つで起こった。
1950年代から1960年代にかけて、社会心理学者は、普通の男性と女性を怪物に変えるものを突き止めるために、人間が恐ろしい行為をする能力があることを示す実験を次々と考案した。私たちの状況を微調整するだけで、そうなる。一人一人にナチスがやって来る。

07.スタンフォード大学の地下室

1971年、普通の学生のグループが監獄という環境に置かれると、たちまちモンスターに変身した。この歴史的なスタンフォード監獄実験のアーカイブを調査すると実験はデマと言えるほどの仕掛けがなされていた。それでも、その研究は教科書にのったままで、それを行ったジンバルドはアメリカ心理学会の会長にまで出世した。同様の実験は他でも行われていたが、それも仕掛けは似たようなものだった。
2001年にBBCがその実験の再現番組を行ったが、結果は全く違ったものだった。

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1971年8月15日、これまでで最も悪名高い研究の1つとして歴史に残る実験。ニュースの表紙を飾り、何百万人もの大学新入生の教科書にのる実験が始まった。
罪のない10人の大学生たちは、420号館、大学の心理学部の地下室に降りた。スタンフォード群刑務所で9人の学生の警備員が待っている。数日のうちに、この監獄実験は制御不能になり、その過程で人間の本性に関するいくつかの厳しい真実が明らかになる。研究者はフィリップG・ジンバルド。
普通の学生のグループがモンスターに変身した。彼らが悪い人だったからではなく、彼らが悪い状況に置かれたからだ。私たち全員が、最も凶悪な行為をする能力があると結論付けなければならない。スタンフォード大学の地下室で起こったことは、「警備員」の制服を着た結果、「自然な」結果として理解されなければならないとジンバルドは書いた。
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17年前に、ほぼ同じ結論に達した別の実験が行われたことを知っている人はほとんどいない。1954年6月19日。オクラホマシティのバス停で、11才前後の12人の男の子が待っている。お互い誰もしらないけど、良い家庭の普通の子供たちだ。彼らはオクラホマ南東部のロバーズケーブ州立公園でサマーキャンプに行く。後からもうひとつのグループも参加する。そこには、約200エーカーの森、湖、洞窟がある。このトルコの心理学者ムザファー・シェリフが行なった研究は、グループ間の対立がどのように起こるのかがテーマだった。
男の子たちは好きなことを自由に行うことができ、最初の段階では、どちらの少年グループも相手の存在に気づかない。何が起こるか?彼らは友達になるか、それともすべての地獄が解き放たれるか?この強盗の洞窟実験は、ウィリアム・ゴールディングが蠅の王を出版した年に行われた。ゴールディングは子供は本質的に悪いと思っているのに対して、シェリフはすべてが文脈にかかっていると信じていた。
最初の週、みんなすぐに友達になり、それぞれのキャンプの男の子は完全に調和して一緒に遊んだ。翌週、グループに名前をつけ、お互いに紹介され、チームでライバルになって競争することになると、物事は急速にエスカレートする。 2日目、イーグルスは綱引きで負けた後、ラトラーズの旗を燃やした。ラトラーズは真夜中の襲撃で報復し、カーテンを破り、漫画本を略奪する。イーグルスは、武器にするために靴下に重い岩を詰めて点をとることにした。1週間のトーナメントの終わりに、イーグルスは勝利者と宣言され、賞として光沢のあるポケットナイフを獲得する。ラトラーズは、襲撃し、戦利品を奪う。この状況を見てシェリフは「金鉱になる」と書いたが、実際にテレビやメデイアでとりあげられ有名になった。
シェリフは「外集団に対する否定的な態度は状況に応じて生成される」と語ったが、それは、戦争を意味している。
しかし、興味深い事実があった。1週間の大会を開催することに決めたのは実験者で、イーグルスはその考えに乗り気ではなかった。
そして、野球や綱引きのように、明確な勝者と敗者がいるゲームのみをプレイし、残念賞はなく、接戦にするためにスコアを操作した。そして、こうした策略はほんの始まりだった。
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2017年の夏、メルボルンでジーナ・ペリーに会った。オーストラリアの心理学者で、シェリフの実験のアーカイブを掘り下げた最初の人物だ。
そもそも、ペリーはシェリフが以前に彼の「現実的な紛争理論」をテストしようとしたことを発見した。彼は1953年、ニューヨーク州のミドルグローブの小さな町の外で別のサマーキャンプを計画した。そしてそこでも、シェリフは男の子たちをお互いに戦わせるために最善を尽くしたが、中断を余儀なくされた。到着から2日後、男の子たちはみんな友達になり、3日目に実験者がパンサーズとパイソンズに分割し、あらゆるトリックで対立さようとした。実験者がパイソンズのテントを壊してみたが、グループは一緒にテントを復元した。実験がうまくいかず、シェリフはすべての人を非難しトラブルになった。何かが証明されたとしたら、子供たちが友達になると、対立させるのは非常に難しいと言うことだった。
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スタンフォード刑務所実験と強盗の洞窟実験には多くの共通点がある。どちらも24人の白人男性を対象として、善良な人びとが自発的に悪に転じることがありえることを証明するように設計されていた。しかし、スタンフォード監獄実験はさらに一歩進み、それはデマだった。
2007年に出版されたジンバルドの本『The Lucifer Effect』では、前日彼が警備員を訓練したことをはっきりと述べている。そして「私たち」と「彼ら」といって、彼と警備員が同じチームにいるように話した。これは、社会科学者が要求特性と呼ぶもので、被験者が研究の目的を推測できる。さらに悪いのは、こうした自白があっても、この実験が教科書から消されないことだ。
2013年6月、フランスの社会学者ティボールト・ル・テキシエは、スタンフォードで2つの衝撃的な発見をした。1つは、彼がジンバルドのアーカイブを最初に調べたということ、もう1つは、その中身だった。世界をリードする学術心理学ジャーナルのAmerican Psychologistに彼の痛烈な分析が掲載される1年前の2018年秋にル・テキシエは私に語った
「それがすべて偽物である可能性があるという考えを受け入れるまでにはかなりの時間がかかりました」。
2011年に「最悪の事態は、」と囚人の1人は言った「ジンバルドは40年間、多大な注目を集めてきたということです」。ジンバルドは、分析する前に、テレビ局に実験映像を送った。その後の数年間で、彼は当時最も著名な心理学者になり、アメリカ心理学会の会長にまでなった。
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BBCからの呼び出しは、2001年に来た。リアリティTVの初期の頃で、心理学博士であるアレクサンダー・ハスラムとスティーブン・ライヒャーにとって、それは夢の申し出だった。スタンフォード監獄実験の大きな問題は、それが非常に非倫理的で、誰もそれを複製することを敢えてしなかったということだった。
2人は、2つの条件をだしてイエスと答えた。1つは、彼らが研究を完全に管理できること、2つ目は、倫理委員会は、物事が手に負えなくなる恐れがある場合、いつでも実験を中止する権限がを与えられること。
結果、ほとんど何も起こらず、4時間のエピソードすべてをじっくりと見るのは、かなりの努力が必要だった。こんなにつまらない番組は滅多にない。
何を間違えたのか?
ハスラムとライヒャーは、警備員に何をすべきかを指示しなかった。
2日目、ある人は士気を高めるために警備員の食べ物を囚人と共有することを提案した。4日目に、火花が飛びそうなとき、警備員は囚人にアドバイスした「人間らしく話し合おう」。5日目に、囚人の1人がデモクラシーを提案した。6日目に、何人かの囚人が独房から脱出してたばこを吸うために警備員の食堂に向かった。そこで警備員はすぐに彼らに加わった。7日目に、グループはコミューンをつくることに賛成票を投じた。警備員たちは遅ればせながら元の体制に戻るようにグループを説得しようとしたが、真剣に受け止められなかった。行き詰まった実験は、すべてを中止しなければならなかった。最後のエピソードは、ソファでくつろいでいる男性の映像ばかりだ。サンデーヘラルドが要約した「善人を邪悪な場所に置き、それをテレビで撮影するとどうなるか?えー、実際はあまり」。
テレビプロデューサーにとって、実験は厳しい真実を明らかにした:普通の人びとを放っておくと、何も起こらない。悪いことには、平和主義のコミューンを始めようとする。
科学的な観点からは、実験は大成功で、結果に関して10以上の記事が一流の学術雑誌に発表された。しかし、人びとはまだスタンフォード刑務所実験について話す一方で、BBC刑務所実験はそれ以来曖昧に消えた。

08.スタンレー・ミルグラムとショックマシン

1961年にイェール大学のスタンレー・ミルグラムが行った実験。アルバイトに応募した一般市民に、罰が記憶にどんな影響を与えるかの調査だといって教師役になってもらい、隣の部屋の椅子に縛りつけられた学生が質問に間違うたびに電気ショックを与えさせる。その電圧は徐々に上げられ、やがて命の危険水準に達する。もちろん実際にはショックはなく学生は演技をしたのだったが、結果、驚くべきことに被験者の65%が最高の450ボルトまでショックを与えた。人間は権威からの命令に盲目的に従う生き物で、誰もがユダヤ人をガス室に送ることができることが証明された。そしてちょうど同じ時期にナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンが、エルサレムで裁判にかけられた。それをレポートしたハンナ・アーレントは「悪の凡庸さ」と書いた。
後に公開された資料では、ミルグラムに雇われて監視するウィリアムズが執拗に圧力をかけていたことが判明した。そして圧力が最終的に命令になると誰もが即座に拒否していた。
心理学者のドン・ミクソンが70年代にミルグラムの実験を繰り返したときに達した結論は、参加者は服従しようとしたのではなく、信頼して一緒になろうとしたということだ。その際、悪は善を装う必要がある。
アイヒマンはアルゼンチンに潜伏している間の長いインタビュー記録が残っていて、裁判の証言とはまったく違った側面が見えてくる。すべて上司の指示で行なったという裁判の証言はまったくの嘘で、実際は命令はほとんどなかった。アイヒマンは善を行なっていると信じ、彼らは、ヒトラーの精神を先んじて行動しようとどんどん急進的になっていった。
2015年心理学者のマシュー・ホランダーは、ミルグラムの実験を徹底的に分析し、実験を中止できた被験者のパターンを見つけた。それは、1.被害者と話し、 2.白衣を着た男に自分の責任を思い出させ、3.繰り返し拒否すること。疑わしい権威に抵抗するのは、教えることができる技量なのだ。
第二次世界大戦中、デンマークでは、ナチスのユダヤ人襲撃の情報が広まると、あらゆる方面から抵抗が起こり、教会、大学、経済界から、王室、弁護士協会等すべてが反対を表明、結局、99%のユダヤ人が生き延びた。

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スタンフォード監獄実験よりもさらに有名な心理学実験が1つあり、フィリップ・ジンバルドよりも広く知られるようになった心理学者が1人いる。スタンレー・ミルグラム。
1961年6月18日、日刊紙ニューヘブンレジスターに全ページ広告が掲載された。「1時間で4.00ドル支給」、500人必要だった。
数か月の間に、何百人もの人がイェール大学のミルグラムの研究室を訪れた。教師の役割を与えられ、ショックマシンだと言われた大きな装置の前に座らされ、隣の部屋の椅子に縛り付けられた学習者と一緒に記憶テストを行うように指示される。そして、間違った答えに対して、教師は電気ショックを与えるスイッチを押さなければならなかった。実際には、学習者はミルグラムのチームのメンバーで、マシンはまったく衝撃を与えないが、教師たちはそれを知らない。彼らは、これが記憶に与える罰の影響に関する研究であると考え、その研究は、本当は彼らに関するものであることに気づいていない。ショックはわずか15ボルトの小さなものから始まり、学習者が間違うたびに、グレーの白衣を着た男が教師に電圧を上げるように指示した。15ボルトから30、45ボルト。部屋の学習者がどんなに大声で叫んでも、危険:重度のショックというラベルの付いたゾーンに到達しても。 350ボルトで、学習者は壁を叩き、それからぐったりした。
ミルグラムは、約40人の心理学者に、彼の被験者がどこまで進んでいくかを予測するように依頼した。満場一致で、彼らはせいぜい1-2%の完全なサイコパスだけが450ボルトまでやるだろうと言った。
本当のショックは実験の後に起こった。研究参加者の65%が450ボルトを与えた。どうやら、普通の人の3分の2は見知らぬ人を感電死させようとしていた。
どうして?誰かが彼らに言ったからだ。
当時28歳だったミルグラムは、すぐに有名になった。ほぼすべての新聞、ラジオ局、テレビが彼の実験を取り上げた。「痛みを与えるテストに65%が盲目的に従う」ニューヨークタイムズの見出しだった。どのような人が何百万人もの人びとをガス室に送ることができたのか?答えは明らかで、私たち全員だった。
ユダヤ人のミルグラムは、最初からホロコーストの最高の説明として研究を発表した。シェリフが人びとのグループが対決するとすぐに戦争が勃発すると仮定し、ミルグラムと一緒に学校に通ったジンバルドは、私たちはユニフォームを着るとすぐにモンスターに変わると主張したが、ミルグラムの説明ははるかに洗練され、知的、そして不穏だった。
ミルグラムにとって、すべて権威にくくりつけられていた。人間は盲目的に命令に従う生き物だと彼は言った。
ミルグラムの実験のタイミングはこれ以上なかった。最初のボランティアが彼の研究室に入った日、ナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンが、700人のジャーナリストの目の前でエルサレムで裁判にかけられていた。その中には、ニューヨーカー誌からレポートしたユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントがいた。
裁判前、アイヒマンは6人の専門家から心理評価を受けていた。行動障害の症状は見つからなかった。博士の一人は、唯一の奇妙なのは、彼が「通常よりも正常に見えた」、アイヒマンは、サイコパスでもモンスターでもなかったと書いている。アレントは現象を診断して本の最後に書いた「悪の凡庸さ」。それ以来、ミルグラムの研究とアレントの哲学は結びついている。アーレントは、20世紀で最も偉大な哲学者の1人と見なされるようになった。ミルグラムは、彼女の理論を確認するための証拠を提出した。ドキュメンタリー、小説、舞台劇、テレビシリーズのすべてがミルグラムの悪名高いショックマシンに捧げられた。これは、ジョン・トラボルタの映画から、シンプソンズのエピソード、フランスのテレビでのゲームショーまで、あらゆるものに登場した。
シェリフは、「ミルグラムの服従実験は、社会心理学、おそらく心理学一般でこれまでに行われた人間の知識への唯一最大の貢献である」とさえ言っている。
正直に言うと、もともと私はミルグラムの実験を崩壊させたかった。彼のショックマシンの実験ほど皮肉で、気がめいると同時に有名な研究は他にない。
ジーナ・ペリーはメルボルン訪問中に私に言った「アーカイブ資料が利用できると聞いたとき、私は舞台裏を見たいと思っていた」。
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1962年5月25日、実験の最後の3日間が始った。ミルグラムが何かが足りないことに気付き、参加者の反応を記録するために、隠しカメラが急いで設置された。そこで有名なフレッド・プロジの様子が記録された。
人が良さそうでずんぐりした50才くらいの男が、明らかに気が進まない様子でが、言われたことをする。「でも、これで死ぬかもしれない!」 彼は苦痛で泣く、そして次のスイッチを押す。
台本から逸脱した人は誰でも、ミルグラムが雇った生物学教師ジョン・ウィリアムズに連れて行かれて、強い圧力をかけられた。もっと高いスイッチを押し続けるように、8-9回も言われた。 ショックマシンの電源を切った46歳の女性にさえ、それをオンに戻し、続けるよう要求した。
「権威への奴隷的な従順」とジーナ・ペリーは書いている。「録音を聞くと、いじめや強制のように聞こえます」。
重要な問題は、実験対象者が実際のショックを与えていると信じているかどうかだ。研究が終わったとき、ミルグラムは参加者に質問票を送った。1つの質問は、状況をどの程度信じられたのかということだった。回答は10年後まで発表されなかったが、ここで、被験者の56%だけが、実際に学習者に苦痛を与えていると信じていたことがわかった。ミルグラムの助手の一人による未発表の分析では、ショックが本物であると信じた場合、大多数の人びとがそれをやめたと言ったことを明らかにしている。
ミルグラムは、実験の衝撃が現実のものではなかったことを約600人の参加者に知らせなかった。そのため、何百人もの人びとが、他の人間を感電死させたと思ったままになった。参加者はいった。
「私は実際に、実験後少なくとも2週間、ニューヘブンレジスターの死亡通知をチェックしました」。
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ミルグラムの偏った見方、いじめの助手、そして志願者の懐疑論を考慮に入れても、権威に屈した人びとはまだ多すぎた。あまりにも多くの普通の人びとは、ショックが本物であると信じていて、それでも最高のスイッチを押し続けた。どう見ても、ミルグラムの結果は深刻な不安を残している。
そして、世界中の心理学者は、大学の倫理委員会を満足させるために、わずかな変更を加えて、さまざまな反復で彼のショック実験を再現している。こうした研究について批判はあるが、不快な事実は、何度も何度も結果が同じということだ。
私が最初に疑問に思ったのは、ミルグラムの服従実験が本当に服従をテストしたかどうかだ。彼がウィリアムズのために書いたスクリプトは、最初「続けてください」次「実験を続けるには、続ける必要があります」その後「継続することは絶対に不可欠です」そして最後だけ「あなたは他に選択肢がありません、あなたは続けなければなりません」。
現代の心理学者は、この最後の行だけが命令だと指摘している。
テープを聞くと、ウィリアムズがこの言葉を発するやいなや、拒否した。誰もがやめるのは明らかだった。これは1961年の真実であり、ミルグラムの実験が20年間コピーされたときの真実だ。ホモ・パピーは当局の命令に頭を悩ませることはなかった。私たちは、偉そうな振る舞いにまったく嫌悪感を抱いていることがわかった。
では、ミルグラムはどのようにして被験者にスイッチを押し続けるように誘導することができたのだろう?
BBC刑務所実験のハスラムとライヒャーは、興味深い理論を考え出した。参加者は、ウィリアムズに服従するのではなく、一緒になろうとした。
どうして?
彼を信頼したから。
心理学者のドン・ミクソンが70年代にミルグラムの実験を繰り返したとき、彼は同じ結論に達した。つまり、人びとを十分に強く押すなら、小突いて餌を与え操作したら、私たちの多くは確かに悪を行うことができる。 地獄への道は善意で舗装されている。 しかし、悪は水面下に住んでいるわけではなく、引き出すには多大な努力が必要だ。 そして最も重要なことは、悪は善を行うように偽装しなければならないということだ。
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アイヒマンの訴訟は、大規模な歴史の授業であり、何百万人もの人びとがメディアを通して注目した。法廷に座ったアーレントは、 アイヒマンの問題は、後に彼女が書いたように、「とても多くの人が彼のようであり、多くの人が倒錯はせず、サディスティックでもなく、ひどく恐ろしく正常だったことだ」。それから、アイヒマンとは思慮のない「机の殺人者」、つまり私たち一人一人の悪の凡庸さを表すようになった。
ごく最近、歴史家はいくつか非常に異なる結論に達している。彼はアルゼンチンに隠れている間、元オランダのSS将校ウィレム・サッセンからインタビューを受けていた。1300ページのインタビューから、アイヒマンが頭の悪い官僚ではなかったことは明白だ。彼は狂信者で、無関心からではなく、信念から行動した。ミルグラムの実験対象のように、彼は自分が善を行っていると信じていたので悪を行った。
「私は、アドルフ・ヒトラーまたは上司からの事前の明らかな指示なしに、大小を問わず何もしなかった」とアイヒマンは裁判中に証言したが、厚かましい嘘だった。
第三帝国の官僚機構の中で出される命令は曖昧な傾向があり、公式の命令が出されることはめったになかったので、ヒトラーの支持者たちは彼ら自身の創造性に頼らなければならなかった。歴史家のイアン・カーショーは、単に指導者に従うのではなく、彼らは「彼の方を向いて働いた」と説明したように、総統の精神をもって行動しようとした。そして、ヒトラーの恩恵の中で、先んじようとしてますます急進的な手段を考えた。
アイヒマンは怪物ではないと書いたアーレントは、誤解だというのが多くの歴史家の意見だが、アーレントは、裁判中にサッセンのインタビューも研究しており、アイヒマンが単に命令に従っているとはどこにも書いていない。そして、ミルグラムはアレントを賞賛していたが、アレントはミルグラムの服従実験には公然と批判的だった。そして、ミルグラムとは違ってナチスが私たち一人一人の中に潜んでいるとは思わなかった。
やがて心理学者たちはミルグラムの研究について同じ結論に達するだろう。ショック実験は服従についてではなく、調和についてのものだった。アレントはあの時代にそう観察していたのは驚くべきことだ。悲しいことに、ミルグラムの単純な推論「人間は考えずに悪に服従する」は、アーレントの複層的な哲学「人間は善になりすました悪に誘惑される」よりも長く続く印象があった。
何よりも、ミルグラムを有名にしたのは、彼が昔からの信念を裏付ける証拠を提供したことだろう。この実験はそれを強力に支持しているように見えたと心理学者のドン・ミクソンは書いている。「歴史上最も古く、最も重大な自己達成的な予言-私たちは罪人として生まれた。 ほとんどの人は、無神論者でさえ、私たちの罪深い性質を思い出すのは良いことだと信じている」。
なぜ自分の腐敗を信じたがるのだろう?
奇妙なことに、私たち自身の罪深い性質を信じることは慰めで、一種の放免を提供する。ほとんどの人が悪いなら、関与と抵抗は努力するに値しないからだ。そして、憎しみや利己心に直面したとき、それはただの人間性だと認められる。しかし、人びとが本質的に善であると信じるなら、なぜ悪が存在するのか疑問に思う必要がある。それは、関与と抵抗は価値があることを意味し、行動する義務をうむ。
2015年、心理学者のマシュー・ホランダーは、ミルグラムのショックマシンでの117セッションの録音を徹底的に分析し、パターンを発見した。実験を中止することができた被験者は、3つの戦術を使った。
1.被害者と話す。 2.白衣を着た男に自分の責任を思い出させる。 3.続行するのを繰り返し拒否する。
コミュニケーションと対立、思いやりと抵抗。 ホランダーは、事実上すべての参加者がこれらの戦術を使用していることを発見した。結局は、事実上すべての人が止めたかったのだが、実際に止めた人はずっと多くそれを使った。良いことに、これらはトレーニング可能なスキルだ。「ミルグラムの実験の英雄を分けるものは、疑わしい権威に抵抗するという教えることができる技量だ」。
あなたが抵抗が失敗する運命にあると思うなら、そのテーマについて最後の話をする。第二次世界大戦中にデンマークで、並外れた勇気を発揮した庶民の物語だ。それは、たとえすべてが失われたように見えても、抵抗は常に価値があることを示している。
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1943年9月28日。コペンハーゲンのRømersgade 24番地にある労働者集会ビルの本部で、社会民主党の指導者全員が召集された。ナチスの制服を着た訪問者が彼らの前に立っている。船がコペンハーゲン沖に停泊中で、ゲシュタポに捕まった気の毒なユダヤ人たちが強制的に船に乗せられ、未知の運命に連れて行かれる。
青ざめて震えながら話すゲオルク・フェルディナンド・ダックヴィッツは、回心したナチスとして歴史に残る。
SSの襲撃は、10月1日午後8時に行われ、6,000人のユダヤ人を収容する予定だった。しかし、ユダヤ人は襲撃について事前に警告されていて、当日、ほとんどがすでに逃げていた。その警告のおかげで、デンマークのユダヤ人の99%が戦争を生き延びた。
デンマークの奇跡はなぜ起こったのだろう?
重要な要因の1つは、ナチスがデンマークで権力を完全に掌握しておらず、2つの政府が調和して協力しているという印象を維持したいと考えていたことだ。結果として、ドイツ人に対する抵抗は、他の国ほど危険ではなかった。
襲撃のニュースが広まると、あらゆる方面から抵抗が起こり、教会、大学、経済界から、王室、弁護士協会等すべてが反対を表明した。ほぼ即座に、脱出のネットワークが組織された。あらゆるデンマーク人は、今が行動の時で、目をそらすことは裏切りだと理解していた。学校や病院は扉を開け、小さな漁村でも何百人もの難民を受け入れた。警察もナチスへの協力を拒否した。
強大なドイツが何年にもわたって人種差別的なプロパガンダを流してもデンマークはヒューマニストの精神に浸り、指導者たちはいつも民主的な法の支配の神聖さを主張してきた。人びとを互いに戦わせようとする人は誰でも、デンマーク人と呼ぶに値しないとされた。ユダヤ人問題はなく、差別する人はただの田舎者だと扱われた。
「デンマークで起こったこと、市民社会のヒューマニズムを動かすことは、理論的に可能なだけではないことを示している。できる、ここで起こったのだから」と歴史家のBo Lidegaardは書いている。
デンマークの抵抗はとても伝染力があり、ヒトラーの忠実な信者でも疑念を抱くようになり、正当性を失っていった。Lidegaardはいう「不正でさえ法という外観が必要で、社会全体が強い者の権利を否定すると、それを見いだすのは難しい」。
他にもナチスはブルガリアとイタリアだけで、同じような抵抗にあったが、そこでもユダヤ人の死者数は少なかった。歴史家は、占領地域での強制送還は、各国の協力の程度に左右されることを強調している。
「エルサレムのアイヒマン」の中で、アーレントはデンマークのユダヤ人の救出について書いている「それは私たちが知っている唯一のケースだ。ナチスがオープンなネイティブの抵抗に遭遇し、それにさらされた人びとは心を変えたようだ。 当然のことながら、彼らはもはや全国民の絶滅は見通さなかった。原則に基づいた抵抗にあってし、彼らの「タフさ」は太陽の下のバターのように溶けた...」

09.キャサリン・スーザン・ジェノヴィーズの死

1964年3月13日未明、ニューヨークの自宅前で28歳のキャサリン・スーザン・ジェノヴィーズが暴漢に襲われて死亡した。「殺人を見た37人は警察を呼ばなかった」とニューヨークタイムズが一面で報じ、「私は関わりたくなかった」という傍観者の言葉は世界中を駆け巡った。やがて社会心理学の実験で傍観者効果が確認される。助けを求める声を聞くと誰もが助けに外に出るが、近くに人がいると思うと行動を起こすのは62%になる。
2016年2月9日、アムステルダムの運河に車が落ちた。悲鳴を聞いた近所の4人が即座に真冬の運河に飛び込み、すぐに車が沈みだす中、奇跡の連携で女性と子供を助け出した。傍観者が連携できる場合、救助の相乗効果が起こることも確認されている。
心理学者マリー・リンデガードは、コペンハーゲン、ケープタウン、ロンドン、アムステルダムでの乱闘、レイプ、殺人未遂を記録した1000以上のビデオを分析した結果、90%のケースで、人びとが互いに助け合っていることを確認した。
10年後、ニューヨークの事件の場所に引っ越したアマチュアの歴史家が興味をもって検証すると、当日あったことは報道とはまったく違っていた。みんなが傍観者だったというのは、センセーショナルなストーリーを求めるジャーナリズムがつくりあげたものだった。

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1960年代の人間性についての痛ましい真実を明らかにする別の物語。今回は私たちがやらないことについてだ。それは、第二次世界大戦で何百万人ものユダヤ人が逮捕され、国外追放され、殺害された後、ヨーロッパ中の非常に多くのドイツ人、オランダ人、フランス人、オーストリア人などが主張することを反映した物語でもある。Wir haben es nicht gewußt. ノーアイデア。
1964年3月13日、午前3時19分、ニューヨークの地下鉄オースティンストリート駅の近くに住む28才のキャサリン・スーザン・ジェノヴィーズは、赤いフィアットから降りて100フィートもないアパートに向かおうとした時に襲われた。
「オーマイガッ!刺された!助けて!」
叫び声が夜を貫き、近所を目覚めさせた。いくつかのアパートで、灯りがつく。窓が上がり、声がする。「放っておけ」と叫ぶ人もいる。
暴漢が戻ってきて、もう一度彼女を刺した。角を曲がったところでつまずいて、彼女は叫ぶ。「死にそう!死ぬ!」
誰も外に出ない。まるでリアリティ番組を見ているかのように、何十人もの隣人が窓から覗き込んでいる。暴漢が3度目に戻ったとき、アパートの建物のすぐ内側の階段の吹き抜けの下で倒れているを見つけた。二階で同居するメアリー・アンは気づかずに寝ている。
警察署で最初の電話が鳴るのは午前3時50分。発信者は、何をすべきか長い時間かかった隣人だ。警官は2分以内に現場に到着したが、手遅れだ。「私は関わりたくなかった」と発信者は警察に認めている。
この「私は関わりたくなかった」は、世界中で反響した。やがてキティの殺害は歴史の本になった。暴漢や犠牲者のではなく、傍観者の歴史。
3月27日。「殺人を見た37人は警察を呼ばなかった」とニューヨークタイムズが一面に書いた。「30分以上の間、クイーンズの38人の立派な法を遵守する市民は、キューガーデンで暴漢が3回女性をストークして刺すのを見ていた」。 キティはまだ生きていたかもしれないと書いた。 ある探偵が言った「電話していたらそうだろう」。世界中の大きなニュースになった。ソビエトの新聞イズベスチャは「資本主義ジャングルの道徳」と書いた。
メディアがキューガーデンに群がったが、こんなに素晴らしく、きちんとした、立派な近所の住民が、どうしてこんなに完全で恐ろしい無関心を示すことができるのか、信じられなかった。
テレビが影響して人を鈍くする、いや、フェミニズムが男を弱くした、大都市の匿名性の象徴、そして、ホロコースト後のドイツ人を彷彿とさせる。彼らも言った「どうしたらいいか分からなかった」。
しかし、最も広く受け入れられたのは、ニューヨークタイムズのメトロポリタン編集者であり、当時の主要なジャーナリストのエイブ・ローゼンタールの分析だった。「オースティンストリートの家やアパートで起こったことは、人間の状態がひどいという現実の現れだ」。結局のところ、私たちは一人だ。
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この運命的な13日の金曜日は演劇と歌の主題になった。「となりのサインフェルド」の全エピソード、Girls and Law and Orderがそれだ。1994年のキューガーデンでの演説で、ビル・クリントン大統領はキティの殺害の「身も凍るようなメッセージ」を思い出させ、国防副長官のポール・ウォルフォウィッツはそれを2003年のイラク侵攻の正当化として利用した。
しかし、キティの死を取り巻く状況の研究を読み始めたとき、私は再びまったく別の話の中にいることに気づいた。
ビブ・ラタネとジョン・ダーリーは当時若い心理学者だった。彼らは、緊急時に傍観者が何をするかを研究していて、奇妙なことに気づいた。キティが殺害されて間もなく、彼らは実験をした。対象は無防備な大学生で、密室に一人で座って、インターホンで仲間の何人かと大学生活についてチャットするように依頼した。
そこで、録音のテープを再生した「私は本当に、はぁ、たすけがあったら、うううう、助けて、死んじゃう」
何が起こったか?被験者は一人でその声を聞いたと思ったとき、廊下に駆け込んだ。すべて例外なく、助けるために外に出た。しかし、他に5人の学生が近くの部屋にいると信じさせられると、62%だけが行動を起こした。これが傍観者効果。
ラタネとダーリーの調査結果は、社会心理学への最も重要な貢献の1つだ。それから20年で、緊急時の傍観者の行動について1,000を超える記事や本が出版された。それは、キューガーデンでの38人の目撃者の不作為も説明している。キティ・ジェノヴィーズは、悲鳴で多くの人を起こしたにもかかわらず死んだのではなく、起こしたからこそ死んだ。ある建物の居住者が後に記者に語った。彼女の夫が警察に電話をかけに行ったとき、彼女は引き止めた「きっともう30回も電話があるはずといいました」。キティがひと気のない路地で襲われ、目撃者が一人だけなら、助かったかもしれない。
この話は心理学の教科書のトップ10に入り、ずっとジャーナリストや専門家が話題にしているが、それは大都市生活の危険な匿名性についてのたとえ話に他ならない。
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2016年2月9日、午後4時15分頃、サンネはアムステルダムのスローテルカーデ地区の運河沿いの通りに白いアルファロメオを駐車する。彼女は助手席にまわって、幼児を車の座席から降ろそうとすると、突然、車がまだ動いていることに気づいた。サンネはなんとかハンドルに戻ったが、ブレーキをかけるには遅すぎる。車は運河に落ちて沈み始める。間違いなく、キューガーデンよりもっと多くの人びとがサンネの悲鳴を聞いた。同じように、現場を見下ろすアパートがある。そして、ここもまた、素敵なアッパーミドルクラスの地区だ。
しかし、その後、予期しないことが起こる。「まるで一瞬、神経反射のようだった」と、角の不動産会社のオーナー、ルーベン・アブラハムズは後に地元のテレビ記者に語った。彼はオフィスの道具箱からハンマーを取り出して、氷の運河に向かって全力疾走する。1月のある寒い日に私と会って、教えてくれた「それは奇妙な偶然で、すべてが一瞬でひとつになった」。
ルーベンが運河に飛び込んだとき、同じ傍観者のリエンク・ケンティはすでに車に向かって泳いでいて、ライニエ・ボッシュも水中にいる。最後の瞬間、ひとりの女性がレイニエルにレンガを手渡した。すぐに必要になる。4人目のヴィーツ・モルは車から緊急ハンマーをつかんで飛び込む。
「私たちは窓を叩き始めました」とルーベンは語る。レイニエは窓を壊そうとするが、うまくいかない。その間、車は前から傾いて沈む。レイニエは、レンガで後ろの窓を激しくたたいてとうとう割れる。「母親は後ろの窓から子供を私に渡しました」とルーベンは続ける。レイニエは子供を安全にして泳ぐ。それから、ルーベン、リエンク、ウィッツェは彼女が脱出するのを手伝う。2秒も経たないうちに、車は運河の真っ黒な海に消えていった。
その時までに、傍観者すべてが水辺に集まってきた。彼らは母と子と4人の男性を水から上げてタオルで包むのを手伝う。
救助活動全体は2分足らずで終わった。その間ずっと、4人の男性(お互いにまったく知らない同士)は言葉を交わさなかった。誰かが一瞬でも躊躇していたら、それは手遅れだっただろう。4人が飛び込んでいなかったら、救助は失敗した可能性がある。そして、無名の傍観者が最後の瞬間にレイニエにレンガを渡さなかったなら、後ろの窓を壊して母と子を連れ出すことができなかっただろう。
つまり、サンネと幼児は、多くの傍観者にもかかわらずではなく、彼らのお陰で生き残った。
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2011年に発表されたメタアナリシスは、緊急時に傍観者が何をするかについて新たな光を当てた。メタアナリシスは、研究に関する研究、つまり、他の多くの研究を分析する。このメタアナリシスは、ラタネとダーリーによる最初の実験を含む、過去50年間の傍観者効果に関する105の研究をレビューした。
この研究から2つの洞察が得られた。1つは、傍観者効果は存在する。他の誰かに責任を負わせる方が理にかなっているので、緊急事態に介入する必要がないと考えることがある。時々、私たちは間違いや非難を恐れて介入しない。そして、他の誰も行動を起こしていないから、自分も何も悪くないと思うことがある。そして2番目の洞察は、緊急事態が生命を脅かすもので、傍観者が互いにコンタクトできる場合、逆の傍観者効果がある「追加の傍観者が、むしろより多くの助けにつながる」。
ルーベンの救助活動についてインタビューした数か月後、アムステルダムのカフェでデンマークの心理学者マリー・リンデガードに会った。マリーはコペンハーゲン、ケープタウン、ロンドン、アムステルダムからの1000以上のビデオを含むデータベースを持っている。それは乱闘、レイプ、殺人未遂を記録していて、彼女の発見は社会科学に小さな革命をもたらした。「ほら、明日、この記事を主要な心理学ジャーナルに投稿します」仮題は「傍観者効果についてあなたが知っていると思うほとんどすべてが誤りだ」。「見てください。ここでは、90%のケースで、人びとが互いに助け合っていることがわかります」。
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キティ・ジェノヴィーズの目撃者の無関心に最初に疑問を呈した一人は、キューガーデンの新参者であるジョセフ・デメイだった。このアマチュアの歴史家はキティの死から10年後にそこに引っ越し、近所を悪名高いものにした殺人に興味をそそられた。彼はアーカイブを調べ始め、色あせた写真や古い新聞、警察の報告書を見つけた。彼がすべてをまとめ始めたとき、少しずつ、実際に起こったことが浮かび上がった。
恐ろしい悲鳴がオースティン・ストリートの沈黙を破るのは午前3時19分。しかし、外は寒く、ほとんどの住人は窓を閉めていて、通りは照明が不十分、外を見るほとんどの人は奇妙なことに気づかない。何人かは女性のシルエットに気づき、彼女が酔っているに違いないと思う。通りのすぐ上にバーがあるので、それは珍しいことではない。それにもかかわらず、少なくとも2人の居住者が電話を取り、警察に電話する。 一人は後に力を合わせるマイケル・ホフマンの父、もう一人は近くのアパートに住むハッティ・グルント。
「警察は言った、 「彼女は何年も繰り返している」、もう電話があった」。
でも警察は来ない。これは夫婦喧嘩だと思った可能性がある。現在は引退したホフマンは、それが彼らが現場に到着するのがとても遅かった理由だと考えている。 夫が妻を殴ることにあまり注意を払わなかった時代、配偶者によるレイプが刑事犯罪でなかった時代だ。
でも、38人の目撃者は?
歌や演劇、大ヒット作やベストセラーに至るまで、この悪名高い人数は、警察が事件で質問した人びとのリストの全数から来ている。そして、そのリストの大多数は目撃者ではなかった。せいぜい何かを聞いただけで、まったく目を覚まさめなかった人もいた。
明らかな2つ例外があった。一人は建物の隣人であるジョセフ・フィンク、ユダヤ人を憎むことで知られている変わり者の孤独な男だった(地元の子供たちは彼を「アドルフ」と呼んだ)。事件が起こったとき、彼は目を覚ましていて、キティへの最初の攻撃を見たが、何もしなかった。
キティを悲運に捨てたもう一人は、彼女とメアリー・アンと友達だった隣人のカール・ロスだった。ロスは階段の吹き抜けで2回目の暴行を目撃したが(実際には暴行は3回ではなく2回だった)、パニックになって立ち去った。ロスは、警察に「巻き込まれたくない」と言った男でもあった。彼はその夜酔っていて、そして自分が同性愛者であることが明らかになるのではないかと心配していた。当時、同性愛は違法であり、ロスは、同性愛を危険な病気として非難したニューヨークタイムズのような新聞と警察の両方を恐れていた。1964年、ゲイの男はまだ警察に日常的に容赦ない扱いをうけ、新聞は同性愛を疫病として描いた。(特に、キティを有名にした編集者であるエイブ・ローゼンタールは有名なホモ嫌いで、その本をだしたばかりだった)
カール・ロスが別の友人に電話をかけると、その友人はすぐに警官に電話するように促した。しかし、ロスはそれをやらず、屋根づたいに隣の家に行って女性を起こした。キティが階段の下で血を流して倒れていると聞いたソフィア・ファラーは、一瞬も躊躇しなかった。夫がズボンをはきながら待ってと言うのを聞かず、アパートを飛び出した。ソフィアは暴漢に突っ込む可能性があって、それをわかっていたが、止めなかった。 「私は助けに走った。それは自然なことのようでした」。階段の吹き抜けへの扉を開けたとき、暴漢はいなかった。ソフィアは腕をキティのそばに置き、キティは少しリラックスして友人に寄りかかった。これがキャサリン・スーザン・ジェノヴィーズが実際に死んだ様子:隣人の抱擁に包まれた。 兄弟のビルが何年も後にこの話を聞いたときに言った「キティが友人の腕の中で死んだことを知っていたら、家族は違っただろう」。
ソフィアはなぜ忘れられたのか?なぜ彼女はどの紙面にも書かれなかったのか?
真実はかなりがっかりする。彼女の息子によると、「当時、母は新聞社の女性に話しかけた」が、翌日掲載された記事は、ソフィアは関与したくなかったと伝えた。ソフィアはそれを読んで激怒し、そのジャーナリストと二度と話さないと誓った。
ソフィアだけではなかった。実際、数十人のキューガーデンの住民は、彼らの言葉がマスコミによってねじ曲げられ続けていると不満を言い、多くは結局その地域から出て行った。その間、ジャーナリストは立ち寄り続けた。キティの死の1周年の2日前の1965年3月11日、ある記者は、キューガーデンに行って真夜中に血まみれの殺人を装って叫び声をあげるのは良い冗談だと考え、カメラマンはカメラを持って立っていた。
状況はすべて狂っているようだ。ニューヨーク市でアクティビズムが芽吹き、マーティン・ルーサー・キングがノーベル平和賞を受賞し、何百万人ものアメリカ人が街頭を行進し始め、クイーンズのコミュニティ組織が200以上にのぼったのと同じ年、マスコミはそれを「無関心の流行」として打ちのめした。
ダニー・ミーナンという名前のラジオ記者は、無関心な傍観者の話に懐疑的だった。彼が事実を調べると、ほとんどの目撃者は、酔っ払った女だと思っていたことを発見した。ミーナンがニューヨークタイムズの記者になぜその情報を記事にしなかったのかと尋ねたとき、彼の答えは「それは物語を台無しにしていただろう」だった。
なぜミーナンはこれを自分に留めたのか?保身。当時、世界で最も強力な新聞と矛盾することが頭に浮かぶジャーナリストは一人もいなかった。仕事を続けたいのであれば。
数年後、別の記者が批判的な原稿をだした時、ニューヨークタイムズのエイブ・ローゼンタールから激しい電話を受けた。「この話がアメリカの状況を象徴するようになったことに気づいていないのか?」編集者は切り捨てた。「それは社会学のコース、本、記事のテーマになっているのですか?」
元のストーリーがほとんど持ちこたえられないのは衝撃的だ。悲運の夜、堕ちたのは一般のニューヨーカーではなく、当局だった。キティは一人で死んだのではなく、友人の腕の中で死んだ。そして、結局のところ、傍観者の存在は、科学が長い間主張してきたものとは正反対の効果をもたらす。私たちは、大都会、地下鉄、混雑した通りで孤独ではない。お互いをもっている。
そして、キティの話はそれだけではない。最後に、奇妙なひねりが1つあった。
キティの死から5日後、クイーンズに住むラウル・クリアリーは通りで見知らぬ人に気づいた。彼はテレビを持って、昼間に近所の家から出てきた。ラウルが彼を止めたとき、その男は引っ越し業者だと主張した。
しかし、ラウルは疑わしいと思い、隣人のジャック・ブラウンに電話をかけて「バニスターは引っ越すの?」と尋ねた。 「絶対にない」とブラウンは答えた。
躊躇しなかった。ジャックが男の車を動かないようにしている間、ラウルは警察に電話をかけた。警察は泥棒が再び現れた瞬間に到着した。ほんの数時間後、男は自白した。侵入だけでなく、キューガーデンでの若い女性の殺害も。
そう、キティの殺人犯は2人の傍観者の介入のおかげで逮捕された。それを伝えた記事は1つもない。
これがキティ・ジェノヴィーズの実話。心理学の1年生だけでなく、ジャーナリスト志望者にとっても必読の物語だ。それは私たちに3つのことを教えてくれる。 1つは、人間の本性に対する私たちの見方がいかに的外れかということ。 2つ目は、ジャーナリストがいかにこうしたボタンを巧みに押してセンセーショナルなストーリーを売るかだ。そして、最後に大事なことだが、私たちがお互いに信頼できるのは、緊急時の対応がどれほど的確かということだ。
アムステルダムの運河をみながら、ルーベン・アブラハムに聞いた。運河に浸かってヒーローだと感じたか?彼は肩をすくめた。「いや、人生ではお互いに気を配らないとね」。

Part Three なぜ善なる人が悪くなるのか


なぜ人びとは邪悪なことをするのか?どうしてその友好的な二足歩行のホモ・パピーが刑務所とガス室を建てた唯一の種なのか?
前の章で、人間は、悪が善になりすましていると、誘惑される可能性があることを学んだ。しかし、この発見はすぐに別の疑問を提起する:なぜ悪は歴史の中で私たちをだますことにそれほど熟練したのだろう?どうやって私たちが互いに宣戦布告するようになったのだろう?
「私たちを最も親切な種にするメカニズムは、私たちを地球上で最も残酷な種にする」。
人類の歴史のほとんどについて、この声明は当てはまらなかった。私たちはいつもそれほど残酷ではなかった。何万年もの間、私たちは遊牧民として世界を歩き回り、紛争を十分に避けてきた。私たちは戦争をしなかったし、強制収容所をつくらなかった。
しかし、最初の戦争の考古学的証拠が約1万年前に突然現れ、私有財産と農業の発展と一致するのは偶然ではない。この時点で、私たちは自分の体と心が準備できてない生き方を選んだのだろうか?
進化心理学者はこれをミスマッチと呼び、それは私たちが現代に対して肉体的、精神的に準備が不足していると意味する。最もよく知られている例は肥満だ。そもそも体脂肪の余分な層をつくるのは自己保存戦略だった。しかし今、安価なファーストフードが溢れる世界では、余分な脂肪を積むのは自己破壊のようなものだ。
私たちは、何千年もの間悩みにならなかったのに、その後突然欠点が明らかになった傾向がいくつかある。

10.共感はどのように盲目になるのか

ほとんどの心理学者は、軍隊の戦闘能力はイデオロギーが一番大事だと考えていたが、実際はわずかな役割しかない。第二次世界大戦は、普通の人間が、最高の資質、友情、忠誠心、連帯をもって歴史上最悪の虐殺を犯す勇気ある闘いだった。同じように精神疾患をかかえたテロリストはほとんどいない。多くは友人、知人に誘われて参加し、ほとんどが信仰心がない。彼らも友人や恋人と一緒に過激化する。
2007年、エール大学の乳児認知センター、「ベビー・ラボ」のカイリー・ハムリンは、幼児には生来の道徳的感覚があることを実証した。そして、18ヵ月になると見返りを求めず遊びをやめても人を助けるようになる。一方で、早くから馴染みのないことに嫌悪感をもつことも確認され、グループ間の違いについても敏感だ。
私たちの共感力はスポットライトのようで、光が当たらない部分は全く見えなくなるために、歪んだ行動につながる。
そして、戦争においては、ほとんどの犠牲者は対面しない遠くの誰かに殺される。特に権力の座にある人は、普通の人とは違う心理もち、高所から指示を出すために自分の共感力に悩まされることがない。

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ほとんどの心理学者は、軍の戦闘能力はイデオロギーが一番大事だと考えていた。愛国心や党への信仰。ドイツ軍は傑出していて、兵士の脱走はほぼゼロで、イギリス人、アメリカ人より激しく戦い、犠牲者は50%多かった。数千万のチラシが投下され、もはやドイツは絶望的でナチスの哲学は卑劣で、大義は連合国にあると伝えても、なんの効果もなかった。
大学で社会科学を学んでからロンドンの心理戦課に駐留したモリス・ジャノウィッツは、解放されたパリに行って、何百人ものドイツ人捕虜をインタビューした。彼らはイデオロギーを信じていないし、勝てるという幻想も思っていない、洗脳されていない。彼らが超人的な戦いを続けられた理由は、友情だった。仲間を失望させたくないから戦った。
ハリウッドでは、長い間連合軍の勇気とドイツの狂気が物語られたが、モンスターは人間性の善によって動機づけられていた。勇気と忠誠心、献身と連帯。それがモリス・ジャノウィッツの結論だ。
「ドイツのリーダーへのイデオロギー的な攻撃に多くの努力が費やされたが、囚人のわずか約5%だけがこの問題について話した」。ほとんどのドイツ人は、チラシが国家社会主義を批判したことさえ覚えていなかった。
2001年、ワシントンDCのフォートハントの捕虜収容所で約4000人のドイツ人の15万ページの記録が発見された時に、決定的となった。これらの筆記録が示したドイツ人は、途方もない「勇敢な精神」をもっていて、反ユダヤのイデオロギーなどは、わずかな役割しかなかった。
1949年、同じように社会学者のチームは、約50万人の米国の退役軍人の調査結果を発表した。イギリスでデモクラシーが動機になってない以上に、アメリカで愛国心は動機にならなかった。兵士たちは所属を移って昇進することを断ったし、怪我をしても新人に代わって欲しくないので休暇を拒否した。ベッドから前線に逃げる男もいた。学者は驚いた「他の人を失望させたくないために自己利益に従えない人になんども出会った」。
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第二次世界大戦は、何百万もの普通の人間が、最高の資質、友情、忠誠心、連帯をもって歴史上最悪の虐殺を犯す勇気ある闘いだった。
心理学者ロイ・ボーマイスターは、私たちの敵は悪意のあるサディストであるという誤った仮定を「純粋な悪の神話」と呼んでいるが、実際には、敵は私たちと同じだ。これはテロリストにも当てはまる。
自爆テロをするのはモンスターである必要があり、心理的、生理学的、神経学的、あらゆる種類の失敗でなければならない。サイコパスで、おそらく学校に行ったことがなく、ひどい貧困の中で育った。平均的な人から遠く離れていると説明できる何かがあるはずだ。
データサイエンティストは、「平均的なテロリスト」のようなものはないと結論付けている。テロリストは、高等教育からほとんど教育を受けていない人、裕福な人から貧しい人まで、愚かな人から真面目な人、信仰深い人から無神の人まで、さまざまな範囲に及ぶ。精神疾患を抱えている人はほとんどおらず、子供時代のトラウマをもつ人もまれだ。テロの後で、知人がショックを受けて、彼らを「友好的」、「ナイスガイ」ということが報道される。
テロリストが共有する特徴の1つがあるとすれば、安易に揺れているということだ。他の人の意見や、権威。見られたいと思っていて、家族や友人に正しく行動したいと思っている。あるアメリカの人類学者は 「彼らはお互いのために、殺して死ぬ」という。テロリストは単独で過激化するのではなく、友人や恋人と一緒に過激化する。2001年のツインタワーへの攻撃には4組以上の兄弟が関与し、2013年のボストンマラソンの爆破も兄弟による。ナチスやアルカーイダやISのようなテロ組織のリーダーにとってイデオロギーは大切だが、兵士たちには、その役割は小さい。ジハードの兵士の4分の3は知人、友人に誘われて参加し、ほとんどがイスラム教への信仰心がなく、出発直前にダミーのコーランを買う。CIAは「宗教は後からの思い」という。ほとんどが宗教的な狂信者ではなく、最高の友人がいて、自分の人生以上の何か大きなものを感じ、ともに物語をつくった。
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2007年、エール大学の乳児認知センター、「ベビー・ラボ」のカイリー・ハムリンは、幼児には生来の道徳的感覚があることを実証した。生後6か月の乳児は、善悪を区別できるだけでなく、悪より善を優先する。役に立ちそうな人形と間抜けな人形、どちらにたどり着くか?ほとんどすべての赤ちゃんが良い方を選んだ。
しかし研究を掘り下げると、すぐに楽観はできなくなった。グラハムクラッカーとインゲンマメどちらが好きかを選ばせてから、それぞれを好きな2つの人形を与える。圧倒的多数が自分と好みを共有する人形に引き寄せるが、意外だったのは、好みが似た人形が意地悪で他の人形が素敵であることが明らかになった後でも、この好みが持続したことだ。私たちは言葉を覚える前でさえ、なじみのないことに嫌悪感をもっているようで、全員が外国人嫌いで生まれたかのようだ。
ドイツの心理学者フェリックス・ワーネケンの研究では、18ヵ月の幼児は「歩くエゴ」ではなく、遊びをやめて知らない人でも熱心に助ける一方で、見返りは何も求めないことがわかった。この実験は世界中でコピーされたが、結果は同じだった。
一方で、子供たちが反目する結果もある。ムザファー・シェリフの強盗洞窟実験や、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺の翌日に開始された実験だ。
1968年4月5日、ジェーン・エリオットは、アイオワ州ライスビルの学校で、3年生のクラスに人種差別のレッスンを行った。茶色い目の子供は優秀で良い子だといって、差別を始めた。エリオットがテレビのショーに出演すると、白人たちが怒り出し、彼女は人種差別と生涯闘った。
2003年の秋、心理学者のチームが、テキサスの2つのデイケアセンターで、3歳から5歳までのすべての子供に、赤または青いシャツを着せた。わずか3週間でいくつかの結論が出た。子供たちはグループ・アイデンティティの感覚を発達させ、自分の色を「よりスマートで良い」と言った。大人が違いを強調するとその傾向はより強まった。その後の調査では、5歳のグループが赤または青のシャツを着て、同じ色か他の色を着た仲間の写真を見せると、違う色のグループにかなり否定的な見方をした。子供たちは違いに敏感で、大人が平等に扱っても違いを認識する。まるで脳に部族主義のボタンをつけてうまれてくるようだ。
4
科学者たちは、愛と愛情に重要な役割を果たすオキシトシンが、見知らぬ人に不信感を抱かせる可能性があることを知っている。
オキシトシンは、善良な人びとがなぜ悪いことをするのかを説明するか?グループとの強い結びつきが、他者に対する敵意を感じる素因になるのか?社交性が、人類の最悪の罪の源なのか?
共感を感じる能力。人は感情的な掃除機であり、常に他の人びとの感情を吸い上げる。他の人の痛みを感じるこの素晴らしい本能が人々を互いに近づけることに役立つと思っていたし、確かに世界に必要なのは、より共感することだ。しかし、ポール・ブルーム教授の本は、「共感に反対している」。
共感は世界を照らす慈悲深い太陽ではなく、スポットライトやサーチライトで、光が当たった場所の感情を吸い込む間、残りの世界は消える。
別の心理学者は、あるグループに難病の女の子の話をして、救命治療の待機リストに載せるが、客観的であるように求めた。誰も彼女を有利な位置に置こうとしなかった。2番目のグループには、女の子がどのように感じているか想像するように促した。するとほとんどが非道徳的な選択をしたいと思った。その子にスポットライトを当てると、他のリストの子が死ぬかもしれないというのに。「実際には、共感は絶望的に限られたスキルだ」とブルーム教授はいう。
より良い世界は、より多くの共感から始まらない。悲しい真実は、共感と排外恐怖症は密接に関係していて、同じコインの両面だ。
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なぜ善良な人びとが悪くなるのか?
スペイン内戦で、ジョージ・オーウェルは、ある日、共感に圧倒された。
塹壕から飛び出した男は、「ファシスト」ではなく、自分に似た仲間の生き物で撃つ気がしなかった。人間を刺すことはもっと難しい。ウォータールー(1815)とソンム(1916)の戦いで銃剣で負傷した兵士は1%未満だった。
第二次世界大戦中のイギリス兵の死因を例に取ると、
  その他:1%
  ケミカル:2%
  ブラスト、クラッシュ:2%
  地雷、ブービートラップ:10%
  弾丸、対戦車地雷:10%
  迫撃砲、手榴弾、空爆、砲弾:75%
ほとんどがリモートで排除された。圧倒的多数の兵士は、ボタンを押したり、爆弾を投下したり、地雷を埋めたりした見たことのない誰かに殺された。軍事技術の進化は、敵から離れるプロセスとして説明できる。武器は、私たちの暴力へ根本的な嫌悪を克服することで改良されている。目で見ながら誰かを殺すことは事実上不可能だ。
軍は敵との心理的な距離を伸ばす手段も追求している。相手を害虫と描写して非人間化できれば、実際にそう扱うことが容易になる。暴力への反感と自然な共感を鈍らせるのに薬物を与える。訓練で「KILL!KILL!KILL!」を絶叫させたりもする。リアルな人間の姿で本能的に発砲する訓練もある。パブロフの反応のように自動的に撃つ。
狙撃兵を椅子に縛り付けて、目を開いたままで、恐ろしいビデオを見せる。現代の軍隊では、同志関係はそれほど重要ではなくなり、代わりに、「つくられた侮辱」が使われる。
このコンディショニングは機能して、古い訓練をする軍はいつも粉砕される。フォークランド戦争(1982年)もそうだった。米軍は発砲の比率を高め、朝鮮戦争で55%、ベトナムで95%に増やしたが、代償が伴った。兵士が心的外傷後ストレス障害(PTSD)で戻るのは驚くべきことではない。他の人びとを殺して自分の中の何かも死んだ。
最後に、敵を簡単に遠ざけることができる1つのグループがある。リーダーだ。
軍やテロ組織の指揮官は高所から命令を下すので、敵への共感を抑える必要がない。そして、兵士は普通の人の傾向がある一方で、権力の座にいる人びとは異なる心理的側面を持っているとテロの専門家や歴史家は一貫して指摘している。アドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッペルスのような戦争犯罪者は、権力を必要とする偏執的なナルシストの典型例だ。アルカイダとISの指導者たちは、自己中心的で、人を巧みに操り、思いやりや疑いの感情に悩まされることはめったにない。
これは私たちを次の謎に導く。ホモ・パピーが生まれつき親しみやすいのに、なぜ、極端な自己中心や日和見主義者、ナルシシストや社会病質者がトップに登場し続けるのか?私たち人間は赤面する唯一の種なのに、なぜ、まったく恥知らずな変人に支配を許すのか?

11.権力はどのように腐敗するのか

ほとんどの人がマキャベリは正しく現実的だと思っているのに、それを裏付ける科学がないと気づいたダッチャー・ケルトナー教授が調査をすると、人間社会の自然状態ではマキャベリ的な行動は一切受け入れらないことがわかった。それはチンパンジーの社会に顕著な特徴だった。人間は生来、不平等を嫌悪し、3歳の子供はすでにケーキを分けるし、6歳の子供は1人に大きな部分をやるよりそれを捨ててしまう。
一方で、権力とは副作用カタログ付きの麻薬のようなものだ。グループからランダムにリーダーを選ぶだけで、その人のマナーが悪くなり、高級車に乗ると人は法律を守らなくなる。社会病質的な傾向を示す。
人間のソーシャルサークルは150人が限界だが、それを超えた事業をするために神、宗教、企業、国家など私たちの心の中にだけ存在する物語がつくられたという主張があるが、文明が始まる前から人間は1000人を超える人と出会い、人びとがひとつになるために巨大建築物を作っていたことが判明している。
マキャベリは書いた「なぜすべての武装した預言者が勝利し、すべての非武装の預言者が倒れたのか」。大きな軍事力によって神々と王は簡単に追放されなくなった。今でも、暴力/強制力の脅威は蔓延している。

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1513年の冬、落ちぶれた市役所の職員が、パブで長い夜を過ごしてから「ザ・プリンス」というパンフレットを書き始めた。マキャベリがいうように、このちょっとした風変わりなものは、西洋史で最も影響力のある作品のひとつになった。「ザ・プリンス」は、カール5世、ルイ14世、スターリンのベッドサイドテーブルに置かれた。ビスマルク、チャーチル、ムッソリーニ、ヒトラーもコピーを持っていた。ワーテルローでの敗北直後のナポレオンの馬車にもあった。
ニッコロ・マキャベリの哲学の大きな利点は実行可能なことだ。権力を必要とするなら、それを手にしなければならない。恥知らずになり、原則や道徳に縛られてはならない。目的は手段を正当化する。「人間は、恩知らずで、浮気性で、しらばっくれ、偽善的で、臆病で、貪欲」。誰かがあなたに良いことをしても、だまされてはならない。それは偽物であって「人は必要以上に良いことはしない」。
マキャベリの本はしばしば「現実的」といわれる。最寄りの書店に行けば、彼の思想をベースにした本はあるし、映画やテレビもいくつもある。ゴッドファーザー、ハウスオブカード、ゲームオブスローンズは、基本的にこの16世紀のイタリアの作品の脚注だ。
ダッチャー・ケルトナー教授は、マキャベリ主義の応用の第一人者。 90年代に権力の心理学に最初に興味を持つようになったとき、彼は2つのことに気づいた。 1ほとんど全員がマキャベリが正しいと信じている。 2それを裏付ける科学はほとんどない。彼は最初の人になることを決め、「自然状態」の実験をした。寮やキャンプなど、人が初めて出会う場所で、どのように支配権を争うか?
彼はがっかりした。誰かがプリンスがいう通り振る舞うと、すぐに人はそのキャンプから逃げる。先史時代の小さな社会でも傲慢さを我慢はしない。強引だと思われるとすぐにシャットアウトされる。現実は、一番友好的で共感する人が権力をもつ。
しかし、彼らは権力をもった後の実験も行った。1998年、ケルトナー達は、セサミストリートにちなんだクッキーモンスターという実験をした。3人のグループでランダムにリーダーを割り当て、簡単なタスクをしてもらう。そこにクッキーを4枚おいた皿が持ち込まれると、エチケットとして残された4枚目のクッキーは、ほとんどいつもリーダーが食べる。しかもリーダーは、食べ方が汚くなる。こんな実験は笑われがちだったが、近年、世界中で数十の同じような研究が発表されている。彼らは高級車の心理的影響を調べる研究もした。普通車に乗った場合、横断歩道に人が見えると、法律に従ってすべての人が車を止めたが、高級車に乗った途端、45%がそれをしなくなる。車が高級なほどマナーが悪くなる。
ドライバーの行動を観察した結果、ケルトナーは、それが「後天性社会病質」だと気づいた。19世紀に心理学者によって最初に診断された非遺伝性の反社会性人格障害。これは、頭を打って、脳の主要部を損傷すると起こる。優しい人びとを最悪のマキャベリアンに変える可能性がある。権力をもつ人びとがそれと同じ傾向を示すことが判明している。文字通り脳損傷がある人のように行動する。平均よりも衝動的で、自己中心的で、無謀で、傲慢で、失礼であるだけでなく、配偶者をだます可能性が高く、他の人びとへの注意力が低く、他人の見方にあまり興味がない。より恥知らずで、人間に特有な現象である赤面することがない。
権力は、他の人に対して無感覚になる麻酔薬のように機能する。2014年の3人のアメリカの神経科医の研究では、TMS(経頭蓋磁気刺激)を使って、権力者とそうでない人の認知機能をテストした。彼らは、権力の感覚が、共感に必要なミラーリングを混乱させることを発見した。誰かが笑うとあなたも笑うというミラーリングをしなくなる。
無数の研究が示しているように、権力の影響の1つは、他の人を否定的に見ることだ。権力があると、ほとんどの人は怠惰で信頼できないと思う可能性が高くなる。監督、監視、管理、規制、検閲、そして何をすべきかを伝える必要がある。そして、権力はあなたが他の人よりも優れていると感じさせるので、すべての監視があなたに任されるべきであると信じるようになる。
悲劇なのは、権力を持たないことは正反対の効果をもたらす。心理学の研究では、無力感を感じる人は自信もない。意見を述べるのをためらう。グループで自分自身を小さく見せて、自分の知性を過小評価する。
こうした不安な感情は権力者にとっては便利だ。人びとが反撃する可能性が低くなるからだ。自信がない人は沈黙するから、検閲は不要になる。ここでノセボが動作する。人びとを愚かであるように扱うと、愚かだと感じるようになる。大衆があまりにも鈍くて自分で考えられないので、支配者のビジョンと洞察力が必要だ。
でも、本当は、まったく逆ではないか?人間を近視眼にするのは権力だ。トップにつくと、他の視点から物事を見る刺激が少なくなる。共感は必要ない。苛立たしい人は誰にでも簡単に無視や制裁、それ以上のことを理由なしでできる。共感テストをすると男性より女性の方が共感力があることがわかるが、2018年のケンブリッジ大学の研究では、そこに遺伝的な根拠は見つからず、社会的な要因とされた。社会でそう求められるからなのだ。
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権力の心理学について知るほど、それは副作用カタログ付きの麻薬のようだ。「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」19世紀、イギリスの歴史家アクトン卿が言ったのは有名だが、心理学者、社会学者、歴史家がこれほど満場一致で同意する声明はほとんどない。
ケルトナーはこれを「パワーパラドックス」と呼ぶ。研究の数値から、私たちは、リーダーとして、最も控えめで親切な個人を選ぶが、彼らがトップになると権力は直接、頭を打ちつけて幸運を取り除いてしまう。
リーダーを倒すのがどれほど難しいかを知るには、いとこのゴリラとチンパンジーを見ればいい。ゴリラ軍には、すべての決定を下し、女性のハーレムに独占的にアクセスできる一人のシルバーバックという独裁者がいる。チンパンジーのリーダーたちもトップを維持するのに最大限の努力を払う。連携が得意なオスの地位だ。「マキャヴェリの一節はチンパンジーの行動に直接当てはまるようだ」と生物学者のフラン・デ・ワールは、80年代初頭に出版された著書『チンパンジーの政治学』でいった。
科学者たちは、人間はDNAの99%をチンパンジーと共有していることを何十年も前から知っている。1995年、下院議長のニュート・ギングリッチは、数十冊のデ・ワールの本を同僚に配った。政治家がやるべきことは、せいぜい本能を少し隠すだけで、チンパンジーとあまり変わらないと思ったからだ。
しかし、DNAの99%を共有する別の親類がいる、ボノボ。メスはオスより弱いが、ハラスメントに抵抗し、優しいオスを選ぶ。そして、まるでカーマスートラを読んだように多様な性生活がある。
多くの研究が示唆するのは、人間社会は、マキャベリ・チンバンジーではなく、ボノボのシステムに似ている。アメリカの人類学者は、狩猟採集社会に関する48件の研究の分析で、マキャヴェリズムはほとんど災害時のものだと判断した。先史時代のリーダーに選ばれるために必要な特徴は、寛大さ、勇敢さ、賢さ、カリスマ性、公正、公平、信頼性、機転、強さ、控えめさ。
狩猟採集者の間のリーダーシップは一時的なものであり、決定はグループとして行われた。マキャヴェリのように振る舞うほど愚かな人は、命を危険にさらした。利己的で貪欲な人は部族から追い出され、飢餓に直面した。そして、人間は、生来、不平等を嫌悪する。グーグルで「不平等 嫌悪」を検索すると、この原始的な本能に関する1万を超える科学記事が見つかる。3歳の子供はすでにケーキを分けるし、6歳の子供は1人に大きな部分をやるよりそれを捨ててしまう。ボノボのように、人間は熱狂的に頻繁に分かち合う。
しかしそれを誇張してはいけない。心理学者が強調するのは、正当化できれば、少しの不平等は大丈夫だ。自分がより賢く、善良で、神聖だと大衆を納得させられれば、役割を担うことに意味があり、反対を恐れる必要がなくなる。遊牧民の部族の長はみな謙虚だったが、やがて、王たちは彼らが神の権利によって統治している、または自らが神であると宣言した。
また、資本家の社会では、メリットの議論をする傾向があり、話が上手いほど、パイのピースは大きくなる。実際、文明の進化全体を、自分たちの特権のために新しい正当化を絶えず考え出した統治者の歴史として見ることができる。
しかし、リーダーが語る物語をなぜ信じるのだろう?
一部の歴史家が言うのは、私たちのソーシャルネットワークは、都市や国をつくるには不十分なので、その接着剤は親しみやすさよりも強力でなければならない。1990年代に科学者たちは、クリスマスカードの送り先の調査から、私たちのソーシャルサークルは150人が限界だとした。この数字はどこにでもある。ローマの軍団から信仰による入植者、企業の部門からフェイスブックの本当の友達まで、人間の脳は150を超える意味のある関係をやりくりする能力がないことを示唆している。問題は、150人の素晴らしいパーティーはできても、それは、ピラミッドをつくったり、ロケットを月に送るのには、十分ではないことだ。そのため、宗教、企業、国家、私たちの心の中にだけ存在する物語ができた。もちろん、神も。少年時代、神がなぜ私たちの平凡な行動に強い関心があるのか疑問に思ったが、当時は、遊牧民の神は人間の生活に関心がないことを知らなかった。
見知らぬ人と一緒に大きなグループで暮らし始めたとき、私たちはお互いを見失って不信が高まった。だから、支配者は大衆を監視する誰かを必要とした。万物を見通す目、神。「あなたの頭の髪の毛にもすべて番号が付けられている」と聖書でマタイが言う。神話は人類の鍵であり、リーダーたちが他の種がしないことをした。そして偉大な文明がうまれた。ユダヤ教とイスラム、ナショナリズムと資本主義はすべて私たちの想像力の産物だ。イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、「物語を語ることを中心に展開し、人びとにそれを信じるよう説得した」と「サピエンス全史」で書いた。
これは人類の歴史の95%を無視している。遊牧民の祖先はすでに150人の限界を超え、巨大なネットワークをつくった。パラグアイのアシェやタンザニアのハッツァのような部族に見られる。彼らは生涯にわたって1000人を超える人々と出会っている。さらに、先史時代の人びとも豊かな想像力を持っていて、多数の人びとの協力の輪に油を差したという独創的な神話を紡ぎ、受け継がれた。トルコのギョベクリ・テペにある世界で最も初期の寺院は、数千人の協力で建てられた。違いは、先史時代の神話は安定性が低かったことだ。数千年間、私たちは、語られた話に懐疑的になる余裕があった。開けられた不平等の蓋を再び閉じることができた。
しかし、軍隊と指揮官の出現ですべてが変わった。 「これが理由だ」とマキャベリは書いた「なぜすべての武装した預言者が勝利し、すべての非武装の預言者が倒れたのか」。
この時点から、神々と王はもはや簡単に追放されなくなった。
退屈な官僚制つきの整ったデモクラシーでは、もはや暴力は大きな位置を占めないと考えるかもしれないが、間違ってはいけない。暴力の脅威はまだ蔓延している。子供連れの家族が住宅ローンの不履行で追い出されたり、移民がフィクションである国境を渡れなかったりする理由だ。そして、それはお金を信じ続ける理由でもある。
考えよう。金属片や紙きれ、銀行口座に追加される数字と引き換えに、人びとが週に40時間も「オフィス」と言う檻に隠れるのはなぜか?権力のプロパガンダに説得されたから?もしそうなら、なぜ事実上反対者がいないのか? なぜ誰も税務署に行って、「あのさ、権力の神話ついての面白い本を読んで、お金はフィクションだとわかったから、今年は税金をスキップするよ」と言わないのか?
理由は明らかだ。 法を無視したり、税金を支払わなかったりすると、罰金が科せられるか、拘束される。 あなたが従わなければ、当局は後を追う。 お金はフィクションかもしれないが、それはとてもリアルな暴力の脅威によって強制されている。
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ケルトナーや権力の心理学について読むと、私有財産と農業の発展がホモ・パピーをどのようにして迷わせたのかが分かる。何千年もの間、私たちは責任担当として素晴らしい人たちを選んだ。先史時代にも権力が腐敗することをよく知っていたので、羞恥心と仲間の圧力のシステムを利用して、グループのメンバーをチェックし続けた。
しかし、1万年前に、強力なものを外すことは実質的にさらに困難になった。都市や国に定住し、統治者が全軍を統率するようになったとき、小さなうわさ話や狙いを定めた槍ではもはや不十分だった。
一部の歴史家は、私たちが実際に不平等に依存していると言う。ハラリは、「複雑な人間社会には想像上の階層と不当な差別が必要であるように思われる」と書いている。(そうした発言は、トップで大事な承認をえることは確かだ)。
しかし、私を魅了するのは、首長や王の登場後も、世界中の人びとが指導者を飼いならす方法を見つけ続けていることだ。明白な方法の1つは革命だ。フランス(1789年)、ロシア(1917年)、アラブの春(2011年)を問わず、すべての革命は同じ力学によって支えられている。大衆は暴君を打倒しようとする。
しかし、ほとんどの革命は最終的に失敗する。すぐに新しいリーダーが立ち上がって権力への飽くなき欲望を育てる。ナポレオン、レーニンとスターリン、エジプトも別の独裁者に戻った。社会学者はこれを「寡頭政治の鉄則」と呼ぶ。社会主義者や共産主義者も、あまりにも大きな権力の腐敗から免れられない。
一部の社会は、デモクラシーという権力分散システムの設計で対処している。統治するのは人びとであることを示唆する言葉だが(古代ギリシャ語では、デモスは「人びと」、クラトスは「権力」を意味する)、そのようには機能しない。
ルソーはすでに、この形態の政府は、実際には人びとがまったく権力をもたないため、より正確には「選挙による貴族政治」であることを認めた。それでも、誰が私たちを支配するかを決定することはできる。このモデルがもともと社会の階層と縦列を除外するように設計されていたことを認識することも重要だ。アメリカ憲法をとると、歴史家は、それが本質的にその時代の民主主義的傾向をチェックするように設計された貴族政治の文書であったことに同意する。一般大衆が政治において積極的な役割を果たすことはアメリカの建国の父の意図ではなかった。今でも、どんな市民も公職に立候補することができるが、ドナーやロビイストの貴族ネットワークにアクセスすることなく選挙に勝つことは困難だ。アメリカのデモクラシーが王朝の傾向を示すことは驚くべきことではない。
より良いリーダーをいつも望んでいるが、あまりにも希望は打ち砕かれる。その理由は、ケルトナー教授によれば、権力は人びとが優しさと謙遜さをなくす原因となるか、最初から資質をもっていなかったからだ。階層的に編成された社会では、マキャベリは一歩先を行く。彼らは競争に打ち勝つための究極の秘密兵器をもっている。恥知らずということだ。
ホモ・パピーだけが恥を経験するように進化し、何千年もの間、それがリーダーを飼いならす最も確実な方法だった。今でもまだ機能する。恥は、規則、規制、批判や強制よりも効果的だ。貧困による恥など恥には暗い側面もある。しかし、それがない世界を想像すると、地獄だろう。
残念ながら、権力という薬物の服用や、社会病理学的特徴をもって生まれたマイノリティの中にいるため、恥を感じることができない人びとは常にいる。そうした人たちは、遊牧民族では追い出されて一人で死ぬが、現代の大きな組織では、キャリアの階段を先に行く。調査によると、CEOの4-8%が社会障害と診断できるのに対し、一般の人口では1%だ。
今の民主主義では、恥知らずなことが有利になる可能性がある。そして、ニュースが異常で不合理なものにスポットを当てているので、彼らの大胆な行動は私たちの現代のメディアクラシーに利益をもたらす。
このタイプの世界では、もっとも友好的で共感的なリーダーではなく、恥知らずが生き残る。

12.啓蒙主義が間違ったこと

人間には、他の生き物と違う救いの恵み、理性がある。共感、感情、信仰ではなく、合理的な思考の力を信じた。それで、生来の利己主義を考慮に入れたインテリジェントな制度を設計できると確信した。それによって、生活は飛躍的に向上し、世界はかつてないほど豊かで、安全で、健康的になった。感染症も克服し、過去数十年で子供の死亡率、飢餓、殺人、戦争犠牲者まですべてが見事に急減している。
一方、歴史家は、啓蒙主義が私たちに平等を与えたが、人種差別も生み出したと指摘している。それがホロコーストへとつながった。

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イギリス軍が独自の爆撃キャンペーンを計画したとき、腐敗した権力が醜いリーダーを育てた。チャーチルのインナーサークルのひとり、フレデリック・リンデマンは、爆弾は士気を損なわないというすべての証拠を捨てた。反対する人は誰でも裏切り者にされた。
後に歴史家が言った「爆撃政策がほとんど反対なしで強行されたのは、権力の催眠術の典型的な例だ」。
最後に、ホッブズとルソーが提起した質問に対する答えを導く。人間の本質は基本的に善か悪かという問題。
ホモ・パピーは完全に逆説的な生き物で、答えには2つの側面がある。まず、私たちは動物界で最も親しみやすい種の1つで、過去のほとんどの期間、王や貴族、大統領やCEOのいない平等主義の世界に住んでいた。時折、個人が権力を握ったがすぐに倒された。
見知らぬ人に対する本能的な警戒心は長い間大きな問題を引き起こさなかった。人びとを対立させる宣伝やプロパガンダ、ニュースや戦争はなかった。
しかし、1万年前に問題がおこった。
私たちが一か所に定住して私有財産を集め始めた瞬間から、集団本能はもはあまり無害ではなくなった。希少性とヒエラルキーとが混ざり合って、実に有害になった。そしてリーダーが命令するために軍隊をつくりだすと、権力の腐敗をとめることができなくなった。
農民と戦士、都市と国の新しい世界で、私たちは親しみやすさと他人恐怖症の間の不快な細い線にまたがった。私たちは、帰属意識に憧れすぐに部外者をはじく傾向があった。たとえリーダーが間違った方向に私たちを行かせたとしても、ノーと言うのが難しいことが分かった。
文明の夜明けとともに、ホモ・パピーの最も醜い面が前面に出てきた。イスラエル人とローマ人、フン人とヴァンダル人、カトリック教徒とプロテスタント、その他多くの無数の虐殺が記録されている。名前は変わってもメカニズムは同じだ。フェローシップに触発され、皮肉な有力者に刺激されて、人びとはお互いに最も恐ろしいことをする。
文明の歴史は、史上最大の過ちに対する壮大な闘争と見なすこともできる。何千年もの間、文明という呪い、病気、戦争、抑圧という呪いを取り除くために努力してきた。
そして、つい最近になって、私たちはもうやれそうになっている。
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17世紀初頭、「啓蒙主義」運動が始まった。それは哲学的な革命だった。法の支配からデモクラシー、教育から科学まで、現代世界の基礎を築いた。一見すると、ホッブズのような啓蒙思想家は、以前の司祭や牧師とそれほど変わらず、人間の本性が腐敗しているという同じ仮定にたった。スコットランドの哲学者デビッド・ヒュームは、「すべての人は悪党であると想定されるべきであり、私的な利益以外、すべての行動に他の目的がないはずだ」。それでも、こうした思想家によると、自己利益を生産的に活用する方法があった。私たち人間には驚異的な才能が1つある、他の生き物と違う救いの恵み、それは理性。共感、感情、信仰ではなく、理性。合理的な思考の力を信じた。それで、生来の利己主義を考慮に入れたインテリジェントな制度を設計できると確信した。
啓蒙思想家は貪欲という罪を支持し、「私的悪は公益」というモットーが吹聴された。個人レベルでの反社会的な行動がより広い社会に利益をもたらす可能性があるという独創的な概念だ。アダム・スミスは、自由市場の原則を擁護した最初の本である「国富論」(1776)でこの考えを述べた。利己主義は踏みにじられるべきではない、と現代の経済学者は主張したが、緩んだ。
啓蒙思想家は、同じ原理を使用して、現代のデモクラシーのモデルを支えた。世界で最も古く、まだ有効な米国憲法を取り上げる。私たちの本質的に利己的な性質は抑制される必要があるというのは彼らの悲観的な見方を前提としている。そのため「チェックとバランス」のシステムが設定された。
人びとは腐敗しているが、調和して共存することができる。そして、腐敗しやすい政治家を抑制する唯一の方法は、他の政治家とのバランスを取ることだった。ジェームズ・マディソンは、「野心は野心を打ち消すためになされなければならない」。
一方で、この時代には、現代の法の支配が誕生した。共感や愛、あらゆる偏見に妨げられることなく、正義は理性だけに支配される。同様に、理性が新しい官僚制度の土台を提供し、すべて同じ手続き、規則、法律が適用された。
これによって、宗教や信条に関係なく、誰とでもビジネスを行うことができるようになる。神の役割は、国家への信仰に取って代わられた。
デンマークやスウェーデンのような国で無心論者が多いのは、強力な法の支配と信頼できる官僚機構があるからだ。神は官僚から仕事を奪われた。
数世紀の理性の時代、すべてを考慮した上で、啓蒙主義は人類の勝利であり、資本主義、デモクラシー、法の支配をもたらしたと結論付けなければならない。統計は明らかだ。生活は飛躍的に向上し、世界はかつてないほど豊かで、安全で、健康的だ。
ほんの200年前、世界中どこでも入植生活は極度の貧困を意味していた。今では世界人口の10%未満だ。最大の感染症も克服している。そして、過去数十年で子供の死亡率、飢餓、殺人、戦争犠牲者まですべてが見事に急減している。
見知らぬ人を信用しない場合、どのようにして調和のとれた生活ができるのか?1万年以上私たちを悩ませてきた文明、病気、奴隷制や抑圧の呪いをどう清めればいいのか?啓蒙主義の冷たくてハードな理性がこの古いジレンマへの答えを提供した。今までで最高の答えだった。
正直に言うと、啓蒙主義にも暗い面があった。過去数世紀、資本主義が無秩序になり、社会病質者が権力を握り、ルールとプロトコルに支配された社会は個人をほとんど考慮しないことを学んだ。歴史家は、啓蒙主義が私たちに平等を与えたが、人種差別も生み出したと指摘している。
18世紀の哲学者は、初めて人間を異なる「人種」に分類した。たとえば、デビッド・ヒュームは、「黒人が自然に白人に劣ると疑う傾向がある」と書いた。フランスでは、ヴォルテールが同意した。「彼らの理解が私たちと違わなければ、それは少なくとも大幅に劣っている」。アメリカ独立宣言で「すべての人は平等に造られている」という不滅の言葉を書いたトーマス・ジェファーソンは奴隷所有者だった。彼は言った「黒人が平凡なナレーション以上の考えを言うのをまだ見てない」。
そして、歴史上最も血なまぐさい紛争が起こった。ホロコーストは啓蒙主義のゆりかご、超近代的な官僚機構によって実現された。強制収容所の管理はSSのメイン「経済と行政」部門が担った。多くの学者は、600万人のユダヤ人の根絶を残虐性の高さだけでなく、現代性の高さと見なしている。
現代の資本主義、デモクラシー、法の支配はすべて、人びとが利己的であるという原則に基づいている。しかし実際に啓蒙主義者の本を読むと、決して熱心な皮肉屋ではなかったことに気づく。資本主義の聖書「国富論」を出版する17年前、アダム・スミスのThe Theory of Moral Sentimentsにはこうある。
「人をどのように利己的に想定しても、その性質には明らかな原則がある。人の幸せに興味を持ち、それは自分にとって必要で、ただそれをみて嬉しいのだ」
こうした哲学者たちが人間の資質に同調するのなら、なぜ彼らの機関(デモクラシー、貿易、産業)は悲観論を前提にするのか?
ヒュームは本でこう言う。
「すべての人が悪党と見なされなければならないのは、まさに政治的な格言だ。同時に、政治において格言が真であるべきだという事実は、いくぶん奇妙に見え、本当は間違いだ」
これは啓蒙主義、ひいては私たちの現代社会が間違っているのか?
私たちは間違った人間の性質のモデルの上で、ずっと働いているのか?
今私たちは尋ねなければならない:違うものは可能だろうか?
私たちの頭、合理性を利用して新しい制度を設計することはできるか?
人間の本質についてまったく異なる見方をしている機関は?
学校や企業、都市、国が最悪じゃなく最高の人間を期待したらどうなるだろう?
こうした質問に残りの部分でフォーカスする。

Part Four 新しいリアリズム

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19歳の時にユトレヒト大学で最初の哲学の講義を受けた時、イギリスの数学者で哲学者のバートランド・ラッセル(1872–1970)を知った。彼は、私の新しいヒーローになった。ラッセルの知的誠実さ、真実への忠実さに魅かれた。ラッセルは、自分に合ったものを信じるというすべての人の人間的すぎる気質を理解し、それに生涯抵抗し、何度も何度も、潮に逆らって泳いだ。1959年、BBCに将来の世代にどのようなアドバイスをするか尋ねられて答えている:
何かを勉強したり、哲学を考えたりするときは、事実とは何か、事実が裏付けている真実は何かだけを自問してください。あなたが信じたいことや、それが信じられたら、社会に有益な効果をもたらようなことで、自分自身をそらすことは決してしないで、事実だけを見てください。
私が、自分自身の神への信仰に疑問を抱き始めた時にやってきたこの言葉は、大きな影響を与えた。伝道師の息子であり、キリスト教の学生団体のメンバーの私の本能は、自分の疑問を風に吹かせることだった。
この本を書いている間、私は最善を尽くした。
ラッセルを引用すると、「私たちの信念はどれもまったく真実ではない。すべてに少なくとも曖昧さと誤りの影がある。だから、私たちができるだけ真実に近づくことを目指すなら、私たちは確実性を避け、道のあらゆる段階で自分自身に疑問を投げかける必要がある」。このアプローチをラッセルは「疑う意志」と呼んだ。
ラッセルは、ウィリアム・ジェームズ(1842–1910)というアメリカの哲学者に反対するために、「疑う意志」というフレーズをつくり出した。ジェームズは、セオドア・ルーズベルト、ガートルード・スタイン、WEBデュ・ボワ、その他多くのアメリカ史の先駆者の指導者だった。彼に会ったラッセルは、ジェームズは人間の優しさ、暖かさに満ちていた。
ジェームズは1896年に「信じる意志」について講演し、たとえそれが真実であると証明できなくても、信仰をもって受け止めなければならないことがいくつかあると公言した。友情、愛、信頼、忠誠心のようなものは、私たちがそれらを信じてるからこそ真実になる。
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ラッセルのインタビューから4年後の1963年、若い心理学者のボブ・ローゼンタールがハーバード大学の研究室でちょっとした実験をした。彼は、 2匹のネズミの檻の横に、それぞれ標識をおいた。一匹は特別に訓練されたという知的な標本、もう一匹は鈍くてボケたものというものだ。そして、学生たちにネズミを迷路に入れて脱出にかかる時間を記録するように指示する。彼が生徒たちに言わないのは、実際はどちらも普通の実験用ラットだということだ。
しかし、その後、奇妙なことが起こる。生徒たちが賢くて速いと信じているネズミは、実際にパフォーマンスが向上する。それは魔法のようだ。 賢いネズミは、鈍いネズミと何も変わらないが、パフォーマンスが倍になる。ローゼンタールが気付いたのは、学生たちが「賢い」ネズミ(より期待されたネズミ)をより暖かく穏やかに扱ったことだ。この扱いはラットの行動を変え、パフォーマンスを向上させた。
次にローゼンタールは、サンフランシスコのスプルース小学校で「ローゼンタール博士のテスト」という実際はただのIQテストを実施し、成績はすべて無視して、コインを投げて「可能性が高い」子供を選んで教師に伝えた。子供たちには何も言わない。
案の定、期待の力はすぐにその魔法を働かせた。教師は「賢い」生徒のグループに、より多くの注意、励まし、賞賛を与え、それにによって子供達も自己認識を変えていった。結果として、IQスコアが1年間で平均27ポイント上がり、特に最年少の子供たちへの影響が顕著だった。そして、一番スコアが上がったのがカリフォルニアでは一番期待の低いラテン系にみえる少年たちだった。
ローゼンタールはこの発見をピグマリオン効果と呼んだ。ピグマリオン効果は、プラセボ効果に似ているが、自分自身ではなく他者に利益をもたらす期待である点が違う。
この効果は、2005年の研究レビューによって、「豊富な自然で実験的な証拠により、教師の期待が明らかに生徒に影響を与えることを示している。少なくとも時々は」と結論づけられた。高い期待は強力なツールになりえる。マネージャーが使うと従業員のパフォーマンスが向上する。将校が振るうと、兵士はより激しく戦い、看護師が使うと、患者はより早く回復する」。
それにもかかわらず、ローゼンタールの発見は革命を起こさなかった。「ピグマリオン効果は十分に適用されていない素晴らしい科学ですが、世界にあるべき違いを生み出しておらず、非常に残念です」」イスラエルの心理学者は嘆いた。
より悪いニュースは、悪夢も現実になる可能性があることだ。ピグマリオン効果の裏側は、ゴーレム効果として知られているもので、プラハの市民を保護することを目的とした生き物が代わりにモンスターに変わるというユダヤ人の伝説にちなんで名付けられた。ピグマリオン効果と同様に、ゴーレム効果はいたるところにある。ゴーレム効果に関する研究は乏しいが、倫理的な反対を考えると、驚くべきことではない。ゴーレム効果は一種のノセボで、貧しい生徒をさらに遅れさせ、ホームレスは希望を失い、孤立した10代の若者は過激化するノセボだ。人種差別の背後にある陰湿なメカニズムでもある。
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ピグマリオン効果とゴーレム効果は、私たちの世界の構造に織り込まれている。これは人間の状態のまさに核心だ。ホモ・パピーはアンテナのようなもので、常に他の人に同調し、お互いをミラーリングするようにできているが、前向きにも後ろ向きにも効果を発揮する。
バブル経済をとろう。1936年に、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、金融市場と美人コンテストの間に著しい類似点があると結論付けた。他の人がどう思うかを推測する。そして、他の誰もが価値が上がると思うと、価値は上がる。これは長く続く可能性はあるが、最終的にはバブルが崩壊する。1637年1月にチューリップマニアがオランダを襲ったとき、1つの球根が熟練した職人の年収の10倍以上で売られましたが、数日後にはほとんど価値がなった。この種のバブルは金融界だけではなく、いたるところにある。
デューク大学の心理学者ダン・アリエリーは、かつて大学の講義中に見事なデモンストレーションを行った。コンピューターが選んだランダムな単語を文章にして、弁証法のような謎めいた理論「ネオデコンストラクティブ合理主義」を授業で説明したところ、超名門校の学生たちは、誰も笑わず、誰も手を挙げず、誰も彼らが理解していないそぶりを見せなかった。
この現象は、心理学界では多元的無知として知られている。学生たちは、この物語を追うのは不可能だと感じたが、クラスメートが注意深く聞いているのを見て、問題は自分自身にあると思う。そして、この場合は無害だが、研究によると、多元的無知の影響は悲惨なものになる可能性があって、致命的でさえある。
研究者たちは、この種のネガティブなスパイラルが、人種差別、輪姦、名誉殺人、テロリストや独裁政権への支援、さらには大量虐殺などのより深い社会的悪にも影響を与える可能性があることを示すデータをまとめた。加害者は、これらの行為を自分の心の中で非難する一方で、自分が一人であると恐れているため、流れに沿って進むことにする。結局のところ、ホモ・パピーが苦労していることが1つあるとすれば、それはグループに立ち向かうことだ。私たちは、数オンスの恥や社会的不快感よりも、最悪に惨めな1ポンドを選ぶ。
ここで考えてみよう。
人間性についての私たちの否定的な考えが実際に多元的無知になったらどうだろう?
ほとんどの人が自分の利益を最大化しようとするという私たちの恐れは、他の人がそう思っていると思うからではないか?
私たちのほとんどがより親切で連帯した人生を切望しているなら、私たちは皮肉な見方をするだろうか?
アリはお互いのフェロモンの軌跡をたどるようにプログラムされているので、数万匹のアリを幅数百フィートの円に閉じ込めると、疲労と空腹で死ぬまで、盲目的に回り続ける。
私たちは時々、家族、組織、さらには国全体でさえ、この種のスパイラルに巻き込まれているようだ。 お互いに最悪の事態を想定して、私たちは輪になって回り続ける。抵抗して動く人はほとんどいないので、私たちは自分たちの没落に向かって進む。
ボブ・ローゼンタールのキャリアが始まってから50年が経ったが、彼は今でも、期待の力をどのように活用できるかを考えている。憎しみのように、信頼も伝染する可能性があることを知っているからだ。
信頼は、誰かが流れに逆らうことを敢えてしたときに始まることがよくある。最初は非現実的で、ナイーブだとさえ見なされていた人。ウィリアム・ジェームズが「信じる意志」と呼んだものに刺激された人々で、自分のイメージで世界を再現する人。

13.本質的なモチベーションの力

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「マネージはクソだ。ただ人びとに仕事をしてもらおう。」
ジョス・デ・ブローグは、14,000人以上の在宅医療組織ビュートゾルフで管理職を一切なくした。インタビューでは、従業員にモチベーションを与えないし、目標もないと答えている。

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20世紀初頭に生まれた経営学は、「人間は本質的に貪欲である」というホッブスの見解を土台とした。マネージャーが管理し、適切な「インセンティブ」を提供する。これは、資本主義と共産主義の双方が共有した。人間は、自分でやる気を出すことはないという前提に立ち、人々を行動に駆り立てるには、ニンジンとムチの2つしかないと考えた。そして、資本家はカネというニンジンに依存し、共産主義者は罰を用いた。
他人のやる気を起こすのはお金だけだと考えることをスタンフォード大学のチップ・ヒース教授は、「外的インセンティブバイアス」と呼ぶ。法学部の学生に質問すると、64%が、法学を学んだのは長年の夢で法律に興味があるからと答えたが、仲間のほとんどはお金が目的で、自分と同じ人は12%しかいないという。
「労働者が雇用主に一番望むのは、何よりも高い給料」世界初のビジネスコンサルタントであるフレデリック・テイラーは言った。テーラーは、科学的管理法の発明者として名を馳せ、すべての生産ラインにマネージャーを配置して、パフォーマンスを計測させた。レーニンからムッソリーニ、ルノーからシーメンスまで、テイラー主義はウイルスのように広がった。

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山に登る(難しい!)、ボランティアをする(無料!)、赤ちゃんを産む(激しい!)・・・
人間は、行動主義者の見方に合致しないあらゆるくだらないことを自由意志でやっている。
1969年、心理学者エドワード・デシは、ニンジンと鞭がパフォーマンスの低下を引き起こす可能性に気づいた。パズルを解くために学生ボランティアに1ドルを支払うと、彼らはその仕事への興味を失った。「お金は、活動に対する人の本質的な動機を買い取るように機能する」。
1990年代後半にイスラエルのハイファでは、デイケアセンターが窮地に立っていた。親の4分の1が、閉店時間をすぎてから子供を迎えに来るために、スタッフは残業を余儀なくされていた。それを防ぐために3ドルの延滞料を課すことにした。モラルと経済面の両方のインセンティブを与えたのだ。すると、数週間で4割の親が遅れるようになった。延滞料は追加料金と解釈され、時間を守る義務から解放されたのだ。
数年前、マサチューセッツ大学の研究者は、職場の経済的インセンティブの影響に関する51の研究を分析した。彼らは、「ボーナスが従業員の本質的な動機と道徳的な羅針盤を鈍らせる可能性がある」という圧倒的な証拠を見つけ、さらに、「ボーナスと目標が創造性を損なう可能性がある」ことを発見した。
外的インセンティブは通常、現物で支払われる。治療ごとに報酬を受け取る外科医は、より良いケアよりメスを研ぐ。時間単位で請求する法律事務所は、弁護士はより良くではなくより長く働く。共産主義者または資本家でも数の専制政治は私たちの本質的な動機をかき消す。
行動経済学者のダン・アリエリーによる調査では、タスクが日々の単純作業である場合にはボーナスが効果的であることが示された。それはロボットが得意で、ロボットにモチベーションはいらないが、人間はそれなしではできない。
イギリスの調査によると、人口の大多数(74%)は、富、地位、権力よりも、役立つこと、誠実さ、正義などの価値観にずっと近いことがわかった。しかし、ほぼ同じくらいの割合(78%)が、他人は実際よりも自己利益が大事だと考えている。
フレデリック・テイラーから100年経った今でも、私たちはお互いの本質的なモチベーションを大規模に弱体化させてばかりだ。 142か国の23万人を対象とした主要な調査によると、実際に仕事を「ちゃんとやってる」と感じているのはわずか13パーセントだ。どれだけのやる気とエネルギーが無駄になっていて、違ったやり方の余地がどれほどあるかがわかる。

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デ・ブロークは言う。
「マネージャーは団結する傾向があります。彼らはさまざまな講義や会議を立ち上げて、お互いに正しいことをしていると話し合っています。」
それは彼らを現実の世界から切り離す。「動く人たちは戦略的に考えることができないという観念があります」「彼らにはビジョンが欠けている。しかし、仕事をしている人々はアイデアに溢れて、千のことを思いついても聴いてもらえない。マネージャーは働きバチに提示する計画を夢見みて、何か引っ込めないといけないと考えています」。
デ・ブロークは、とても異なる物の見方をして、従業員は本質的なモチベーションのある専門家としている。一方で、マネージャーはアイデアがほとんどない。彼は、潮に逆らって泳ぐ。
ビュートゾルフは、人口15万人のオランダの都市エンスヘーデの4人の看護師のチームから始まった。今日では、全国で800を超えるチームが活動している。マネージャーもコールセンターもプランナーもいない。目標やボーナスはない。間接費用や会議に費やされる時間もごくわずかだ。それぞれ12人で編成されたチームには最大の自律性があって独自に運営される。
組織には、同僚が知識と経験をプールできるイントラネットサイトがある。そして、行き詰まった場合に呼び出すことができるコーチがいる。最後に、財務面を担当する本社がある。これで、従業員は多くの自由と報酬を手にし、ケアのコストは抑えられ、クライアントの満足度もとても高い。患者にとって、従業員にとって、そして納税者にとっても良い存在だ。
ビュートゾルフが他の企業を買収した時、「最初にやるのは、スタッフの給与を上げること」。
デ・ブロークは言う。
「物事を難しくするのは簡単だが、簡単にするのは難しい。マネージャーは、複雑さを好む。それをマスターしないといけなくなるから」。
これは、ウォール街の銀行家だけでなく、理解できない専門用語を売り込むポストモダンの哲学者の収益モデルでもある。どちらも単純なことを不可能なほど複雑にする。
ビュートゾルフのような取り組みは他の分野にも適用できる。フランスの自動車部品会社のFAVIは、1983年にジャンフランソワ・ゾブリストがに新しいCEOに任命された。ゾブリストは初日から、自分ではなくスタッフが決定を下す組織を想像していた。「私は、誰もが家のようにする場所を夢見ていた。それ以上でもそれ以下でもない」。
経営陣が現場を監視できる大きな窓をレンガにして、タイムレコーダーを廃止し、保管室から錠を外し、ボーナスシステムをやめた。会社を25人から30人の従業員のミニ工場に分割し、それぞれに独自のチームリーダーを選ばせ、ほとんどのことを自分たちで決められるようにした。これで、FAVIの生産性は大幅に向上し、従業員は100人から500人に増え、製品は市場の50%のシェアをもった。製品製造の時間は11日から1日に短縮された。ゾブリストの哲学は非常に単純で、本のサブタイトルは、「人間は善だと信じている会社」


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ビュートゾルフやFAVIのような企業は、疑心を人間の本性に対するより前向きな見方に変えると、すべてが変化することを証明している。
エドワード・デシは、問題はもはや他人をやる気にさせる方法ではなく、人びとが自分自身をやる気にさせるような社会をどうつくるかだと考えた。この質問は保守的でも進歩的でもないし、資本主義でも共産主義でもない。新しい運動、新しいリアリズム。何かをしたいという理由で何かをする人ほど強力なものはないからだ。

14.ホモ・ルーデンス ー 遊ぶ人

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社会全体を信頼に基づくものにするには、子供から始めなければならない。
遊びとは好奇心が導くところならどこへでも行く自由のことだ。探して見つけて試してつくる。親や教師によって設定されたものではなく、それ自体の楽しみのために。
10か国の12,000人の親を対象とした最近の調査によると、刑務所の受刑者はほとんどの子供よりも屋外で過ごす時間が長くなっている。ミシガン大学の研究者は、子供が学校で過ごす時間が1981年から1997年にかけて18%増加したことを発見した。宿題に費やす時間は 145パーセント増えた。
子供たちは、自分たちの生活が他人によって決められているとますまし感じている。最大の変化は、親は子供とはるかに多いの時間を過ごすようになっていることだ。本を読む、宿題を手伝う、スポーツの練習に連れて行く。オランダでは、子育てに費やされる時間が1980年代よりも150%以上多くなっている。
10,000人のアメリカの学生を調査すると、80%が、親が思いやりや優しさなどの資質よりも良い成績に関心を持っていると考えている。そして、自発性や遊びころといった価値あるものが滑り落ちているという感覚が広がっている。
遊びの意味を定義する必要がある。遊びは、制限がなく、自由。子供たちが親の監督なしに外で戯れ、次第に独自のゲームを作り上げること、自分で考え、リスクを冒し、ルール外のことをやる過程で、マインドやモチベーションを訓練する。組み立てられていない遊びは、退屈さへの自然な治療でもある。最近では、プレハブのエンターテイメントがたくさんあるが、それでも好奇心と想像力を育てられるかが課題だ。退屈は創造性の源泉かもしれず、心理学者のピーター・グレイが言うように、「創造性を教えることはできない、できることはそれを開花させることだけだ。」
生物学者は、遊ぶ本能は自然に深く根ざしているという。ほとんどすべての哺乳類が遊ぶし、他の多くの動物もそうだ。
「遊びは人生に意味を与える」とオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは1938年に書き、人間ををホモ・ルーデンス「遊ぶ人」と名付けた。「私たちが文化と呼ぶものはすべて、遊びに端を発している」とホイジンガは言った。
人類学者は、人類の歴史のほとんどの間、子供たちは好きなだけ遊ぶことが許されていただろうと気づいている。何よりも重要なのは、若者に与えられる莫大な自由だ。遊牧や狩猟採集の世界では、遊ぶことと学ぶことは同じだ。そして、一緒に遊ぶなかで、子供たちは協力することを学ぶ。

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親が子供を殴るべきだという考えは、ごく最近になって生まれた。農耕が始まり、都市や国が現れると、教育システムが登場した。 教会の敬虔な信者、軍の忠実な兵士、そして政府の勤勉な労働者を必要とした。 遊びは敵だと合意した。イギリスの聖職者ジョン・ウェスレー(1703-91)は、自身がつくった校則でいった。「遊ぶ時間はいつも認めない。子供の時に遊べば、大人になっても遊ぶ。」
19世紀になって宗教教育は国の教育にとっては代わられ、全国一律のカリキュラムとなり、子供の頃から良い市民であることが訓練され、国を愛することを学ばなければならなくなった。フランス人、イタリア人、ドイツ人が鍛造された。
産業革命で多くの製造業の苦役を機械が追いやると、教育の目的が変わった。子どもたちは、大人になったら自分のやり方で支払いができるようになるために、読み書きを学ぶ。
19世紀後半まで、子供たちは再び遊ぶ時間がなかった。歴史家は、児童労働が禁止されて親がますます子供を好きなようにさせた時期を構造化されていない遊びの「黄金時代」と呼んでいる。ヨーロッパや北アメリカの多くの地域で、子どもは、監視されずに一日中自由にただ歩き回っていた。
しかし、黄金時代は短く、1980年代以降、個人主義と達成の文化が優先された。家族は小さくなり、親は子どもの成績の心配を始めた。
今は遊び心が強すぎる子供たちは、医者に送られるかもしれない。ここ数十年で、行動障害の診断は指数関数的に増加し、その最良の例がADHDだ。かつて精神科医の話しを聴いたが、それは季節的なもので、夏休みがつまらなかったら、学校が始まる時にわずかとは言えない子供がリタリンを飲まないといけなくなる。
確かに、学校は19世紀のように刑務所に似た場所ではなくなった。行儀が悪い子どもは平手打ちじゃなく薬を受け取る。学校はもう教義は教えないが、多様なカリキュラムで、「ナレッジ経済」で高給の仕事が見つかるように、できるだけ多くのナレッジを学生に伝える。
達成主義社会のルールを内面化する新しい世代がやって来ている。成功の指標が履歴書と給料のラットレースのやり方ることを学ぶ世代。要するに、それは遊び方を忘れている世代だ。

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別の方法はあるのか?自由と創造性の余地がある社会に戻れるだろうか?遊び場をつくり、制約がなく、むしろ遊びの必要性を解き放つ学校をデザインできるだろうか?
答えは、イエス、イエス、イエス。
砂場、滑り台、ブランコ...月並な遊び場は、役人の夢だけど、子供の悪夢だ。デンマークのランドスケープアーキテクトであるカール・テオドール・ソレンセンは、子供たちが廃品置き場や建築現場で遊ぶことがもっと好きなことに気づいた。不思議ではない。彼はまったく新しい、規則や安全規制のない遊び場をデザインした。子供に任せる場所。
1943年、ドイツの占領の真っ只中で、ソレンセンはコペンハーゲン郊外のエムドラップでアイデアを試した。75,000平方フィートの区画を、壊れた車、薪、古いタイヤで埋めた。子供たちはハンマー、ノミ、ドライバーで割ったり、叩いたり、いじくり回したりすることができた。木に登ったり、火をつけたり、穴を掘ったり、小屋を作ったりすることができた。ソレンセンが後でいったように、「夢見て想像して、夢と想像を現実にする」ことができた。
「ジャンクプレイグラウンド」は大成功で、かなりの数の「トラブルメーカー」がいても、チャンスがとても豊富で争う必要がなかった。監視のためにプレイリーダーが雇われたが、「私は子供たちに何も教えることはできないし、実際にそうしません」と、1人目のジョン・バーテルセンは誓った。
戦争が終わってから数か月して、イギリスのランドスケープアーキテクトがエムドラップを訪れた。ハートウッドのアレン夫人は、その後の数年間、ジャンクという福音を広めた。「心が壊れるより骨が折れた方がいい」と唄いながら。
間もなく、爆破目標は、ロンドンからリバプール、コベントリーからリーズまで、イギリス全土の子供たちに開放された。ドイツの爆撃で破壊された街から、うれしそうな叫び声が聞こえてきた。新しい遊び場は、イギリスの再建のたとえとなり回復力のあかしとなった。
この遊び場に異議を唱えるのは、 1:醜く目障り。しかし、親が無秩序を見るところに、子供は可能性を見る。大人が汚物に耐えられないところで、子供は退屈ではいられない。2:危険だ。保護者たちは怪我の量産を恐れたが、1年後、最悪の怪我は石膏をつけただけだった。イギリスの保険会社はとても感銘を受けて、標準以下の保険料にした。
1980年代までに、安全規制が急増してアドベンチャー・プレイグラウンドはかなり少なくなったが、最近、カール・テオドール・ソレンセンへの関心が復活した。科学は今、構造化されていない危険な遊びが子供の心身の健康に良いという証拠を山のように出している。

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屋内はどうだろう?多くの学校は今でも栄えある工場のように運営されており、チャイム、時刻表、テストを中心に組織されている。しかし、子供たちが遊びを通して学ぶなら、それに合わせた教育をモデル化してみないか?これが、数年前、アーティスト兼スクールディレクターのジェフ・ドルメン(Sjef Drummen)に起こった質問だった。
ドルメンは、いつも遊びのコツを得ていて、ルールと権威に嫌悪感をもってきた。オランダ南端のルールモントに住んでいる。
クラスや教室がない学校、宿題や成績も。副校長とチームリーダーのヒエラルキーはなく、自律的な教師(ここでは「コーチ」と呼ばれる)のチームだけがある。実は学生が運営を担っている。この学校は、あらゆるバックグラウンドの子供たちがいるアゴラだ。
すべては、学校が仕切り壁を壊すことを決定した2014年に始まった。 ドルメンはいう。「子供たちを檻の中に閉じ込めると、ネズミのように振る舞う。」次に、すべてのレベルの子供たちが一緒に投げ出された。 「それが現実の世界のようなものだからだ。」それぞれの学生は個別の計画を立てなければならなかった。「学校に1000人の子供がいる場合、1000とおりの学習コースがある。」
学校に入ると、まずは、がらくたの遊び場がある。即興な机、水槽、ツタンカーメンの墓のレプリカ、ギリシャの柱、二段ベッド、中国のドラゴン、69年のスカイブルーのキャデラックの前半分、カラフルな混沌だ。
現在17歳のブレントは、バイリンガルの進学校に通ったが落第、オランダの3コース制度の中で中級コースに移され、そこでも遅れをとって職業コースに移された。しかし、友人のおかげで、ブレントはアゴラにたどり着いた。そこで自由に欲するものを学ぶことができた。現在、彼は原爆についてあらゆることを知っていて、最初の事業計画を書き上げ、ドイツ語ができる。上海のモンドラゴン大学の国際プログラムにも受け入れられている。
または、14歳のアンジェリークは、小学校から職業コースに送られたが、分析が恐ろしく得意だ。彼女は何かの理由で韓国に夢中になり、すでにかなり韓国語を自習している。アンジェリークはビーガンでもあり、肉を食べる人に反対する議論の本をまとめた。
14歳のラファエルはプログラミングが大好きだ。彼は、ダッチ・オープン・ユニバーシティのウェブサイトでセキュリティ・リークを見つけて、ウェブマスターに通知したが、修正しないので、その人の個人パスワード変えて、気づかせた。請求書を送った方がいいんじゃないかというと、「え?それじゃ、やる気をなくす」という。
彼らの目的意識以上に素晴らしいのは共同体意識だ。アゴラでは誰もいじめられない。誰もがそう言う。 「私たちはお互いをまっすぐにしたんだ」と14歳のミロウはいう。
いじめは私たちの性質、癖、子供がもつ何かだと見なされるが、違う。いじめが流行する所の長年の広範な研究をした社会学者は、いじめを「総合的な制度」と呼ぶ。社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、約50年前にこう説明している。
・みんなが同じ場所に住んでいて、ひとつの権威に服している。
・すべての活動を一緒に行い、みんなが同じタスクをする。
・活動は厳密にスケジューリングされ、多くの場合1時間ごと。
・権威から課されるフォーマルで明確なルール体系がある。
もちろん、刑務所はいじめが横行している究極の例だ。養護施設もそうだ。いじめに関するあるアメリカの専門家は、ビンゴを「悪魔のゲーム」とさえ呼ぶ。そして、学校。いじめは、典型的なイギリスの寄宿学校で群を抜いて蔓延している。こうした学校ほど刑務所に似ているものはない。逃げられず、厳格な階層の中でポストを獲得しなければならず、生徒とスタッフには厳密な区分がある。こうした競争制度は、イギリスの上流エスタブリッシュメントの一群で、多くのロンドンの政治家は寄宿学校に通っていて、遊び心を妨げている。
一方、アゴラのような構造化されていない学校では、いじめは事実上存在しない。必要なときにいつでも息抜きができ、ドアは常に開いている。そして、重要なことは、誰もが異なっている。すべての年齢、能力、レベルの子供たちが混ざり合っているので、違うことが正常だ。
学校では一日を一定の期間に切り刻む慣習があるが、「学校でだけ、世界はテーマの塊に分割されます」とコーチのロブはいう。「他のどこでもそれは起こりません。」ほとんどの学校では、生徒が流れをつかんだ時に、ベルが鳴る。学びを止めるのにこれ以上のシステムがあるだろうか?
アゴラは自由だが、最小限だけど重要な構造がある。毎朝、学生は授業日を始める。毎日1時間の静かな時間があり、すべての生徒は週に1回コーチと会う。さらに、子供たちは期待は高いことを知っていて、コーチと協力して個人的な目標を設定する。コーチは不可欠で、育てながら、挑戦し、励まし、導く。正直なところ、彼らの仕事は通常の教育よりも難しく見える。「子供たちが学びたいことのほとんどは、教えることができません」とロブは言う。韓国語を話せず、コンピュータープログラミングについても何も知らないが、それでも、アンジェリークとラファエルがそれぞれの道を歩むのを手伝っている。
このモデルはほとんどの子供に有効だろうか?
アゴラの学生の体の信じられないほどの多様性は、そう信じられる理由になる。子供たちは慣れるのに少し時間がかかるが、好奇心に従うことを学ぶ。
そもそも、教育の目的は何か?良い成績と良い給料に釘付けされるのはありえるのか?
2018年、2人のオランダのエコノミストが37か国2万7000人の労働者の世論調査を分析した。回答者の4分の1が自分の仕事の重要性を疑っていた。疑うのは、掃除する人、看護師や警察官ではない。データは、ほとんどの「無意味な仕事」が民間部門、つまり銀行、法律事務所、広告代理店などに集中していることを示している。成功したと言われる人たちがやる仕事は、彼ら自身が思うには、社会にとって役に立たない。
政治家は、国際的なランキングでより高い地位を確保する必要性を説き、私たちはより多くの教育を受け、より多くのお金を稼ぎ、経済をより成長させる必要があると語っている。
しかし、すべての学位が実際に意味することは、創造性と想像力なのか?それともじっと座ってうなずく能力なのか?哲学者のイヴァン・イリイチは数十年前に言った。「学校は、社会がそう必要だと信じさせる広告代理店だ。」
遊びの学校であるアゴラは、別の方法があることを証明している。
問題は、子供たちは自由を使いこなせるか?そして、親は自由を与える勇気があるか?
「遊びの反対は仕事ではない」と心理学者のブライアン・サットン・スミスはかつて言った。 「遊びの反対はうつ病だ。」
今、私たちの多くが、自由も遊びも本質的な動機もなく、うつ病の流行を助長している。私たちの最大の不足は銀行口座や予算表ではなく、私たち自身の中にある。それは人生を意味のあるものにするものの不足、遊びの不足。
アゴラは狩猟採集社会と同じ教育哲学を持っている。子供たちは、すべての年齢と能力を集め、コーチとプレイリーダーによってサポートされているコミュニティで、自分のデバイスに任せたときに最もよく学ぶ。ドルメンはそれを「教育0.0」と呼んでいる。

15.これはデモクラシーのように見える

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それは革命としてはありそうにない設定だった。ベネズエラ西部の自治体の人口は20万人に満たず、小さなエリートが何百年も銃撃を求めてきた。それでも、トレスで一般市民が現代の最も緊急の質問の答えを見いだした。
どうすれば政治への信頼を取り戻すことができるか?どうすれば社会のシニシズムの流れを止められるか?そして、どうすればデモクラシーを救うことができるか?
世界中のデモクラシーは少なくとも7つの伝染病に苦しんでいる。病んだ政党、お互いを信んじなくなった市民、除外されたマイノリティ、興味をなくした有権者、腐敗が明らかな政治家。税金逃れする金持ち。そして、不平等に染まったデモクラシー。
トレスはこれらすべての問題の治療法を見つけた。ソリューションは、驚くほどシンプルで、25年間、トライ、テストされた。世界中で採用されているが、ニュースがでることはめったにない。おそらく、ビュートゾルフ&アゴラのように、それは人間の本質について根本的に異なる見方を前提とした現実的なイニシアチブだからだ。人びとを自己満足と見なし、怒っている有権者に過ぎないとするのではなく、それぞれの中に建設的で良心的な市民がいるとしたらどうか?
別の言い方をすると、もし真のデモクラシーが可能だとしたら?
トレスの物語は2004年10月31日に始った。選挙の日。立候補した2人の候補者:商業メディアに支えられた裕福な地主である現職のハビエル・オロペザと、ウゴ・チャベス大統領の強力な党の統治によって支持されたウォルター・カティベリ。
ほとんど選択の余地はなかった。オロペザとカティヴェリ、どちらでもエスタブリッシュメントは腐敗のショーを続ける。トレスが未来のデモクラシーを発明しようとしていることを示唆するものは何もなかった。
触れる価値はないが、実際には、別の候補者がいた。フリオ・チャベスは、わずかな学生、協同組合、労働組合の活動家が支援する隙間のアジテーターだった。彼の政策は一文で要約できたが、なんとも笑えた。市長になったら、フリオはトレスの市民に権力を譲る。
敵は彼を真剣に受け止めようとしなかった。誰も彼がチャンスに立ったとは思わなかった。しかし、時には最大の革命は、最も期待しないところから始まる。 10月の日曜日、この3者間レースで、フリオ・チャベスは、35.6%の得票で僅差で市長に選ばれた。

そして彼は約束を守った。
地域の革命は何百という集会から始まった。すべての住民が歓迎され、問題を議論するだけでなく、実際の決定をした。自治体の投資予算の100%、およそ700万ドルは、彼らのものだった。
新しい市長が発表した本当のデモクラシーの時だった。公務員やキャリア政治家ではなく、トレスの市民による統治。
腐敗したシステムが解体されたとき、古いエリートたちは恐怖におののいた。「彼らはこれは無政府状態だと言った」とアメリカの社会学者とのインタビューでフリオ(誰もがこの市長をファーストネームで呼んでいる)は思い出した。「権力を放棄するなんて気狂いだと言った」。
トレスのあるララ州知事は、彼の操り人形であるオロペザがこの成り上がりに負けてしまったことに激怒した。彼は自治体の資金を断ち切り、新しい議会をつくることにした。すると、何百人もの住民が州庁舎まで行進し、予算が採択されるまで家に帰ることを拒否した。結局、人びとは勝った。フリオ・チャベスの選挙から10年かからずに、トレスは数十年分の進歩を遂げた。カリフォルニア大学の研究によると、汚職と恩顧がなくなり、市民はかつてないほど政治に参加した。新しい家や学校が増え、新しい道路が建設され、古い地区がどんどん整備されていった。
今日、トレスには世界最大の参加型予算のひとつがある。約15,000人が参加し、毎年市の560の場所で集会が開かれる。誰でも提案を出して、代表者を選ぶことができる。トレスの人びとは一緒に数百万の税収をどこに割り当てるかを決める。

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トレスで起こったことはほんの一例で、より大きな話は、ブラジルの大都市が予算の4分の1を全住民に預けるという前例のない一歩だった。1989年、ポルトアレグレ。10年後、このアイデアはブラジル全土の100を超える都市でコピーされ、そこから世界中に広まった。2016年までに、ニューヨークシティからセビリア、ハンブルクからメキシコ・シティまでの1,500を超える都市で、何らかの形の参加型予算が制定された。
これは、実際には21世紀の最大の動きのひとつだが、聞いたことがない可能性がある。ニュースとして旨味がない。市民政治家は、スター性がないしスピンドクターや広告キャンペーンのカネもない。彼らは、いわゆるディベート向けの気の利いたジョークも考えていないし、日々の世論調査を気にしない。
市民政治家がするのは穏やかな熟議だ。退屈なようだが、魔法だ。疲れた古いデモクラシーを苦しめている7つの伝染病のまさに治療法かもしれない。
1.シニシズムからエンゲージメントへ
ほとんどの国では、人びとと政治体制の間には深い隔たりがある。ワシントン、北京、ブリュッセルの一群がほとんどの決定を下しているので、平均的な人が、聞いてもらえない、代弁されてないと感じるのは、何の疑問もない。
トレスとポルトアレグレでは、ほとんどすべての人が個人的に政治家と知り合いだ。人口の約20%が市の予算編成に参加しているので、政治家が何をしているのかについての不満も少なくなっている。
同時に、ポルトアレグレでは市議会への信頼が高まっている。イェールの政治学者は、市民をエンパワーする市長が再選される可能性が高いため、市長が一番利益があると言う。
2. 二極化から信頼へ
ポルトアレグレが参加型予算編成実験を始めたとき、ブラジルほど人びとがお互いを信じない国はほとんどなかった。ほとんどの専門家は、デモクラシーの泉が湧きだす可能性はほとんどないと言った。人びとがまず団結し、仲間をつくり、差別に取り組む必要がある。そして、デモクラシーが根付く基盤が整う。
ポルトアレグレはこの方程式を変えた。政府が参加型予算を立ち上げてはじめて、信頼は高まりだした。それから、コミュニティ・グループは1986年の180から2000年の600に増えた。まもなく、参加する市民は、同胞、兄弟、同志と互いに呼び合った。
ポルトアレグレの人びとは、アゴラの創設者であるシェフドラメンがかつて言ったかごのニワトリのように振る舞った。最初に解放されたとき、地面に釘付けされたように立っていた。でも、すぐに足があることに気づいた。ある人がいう。「最も重要なのは、より多くの人々が来るということです。初めての方も大歓迎です。彼らを見捨てない責任があります。それが最も重要なことです。」
3.排除から包含へ
政治論争は非常に複雑なため、人びとはついていくのに苦労する。学位デモクラシーでは、お金や教育がほとんどない人びとは、傍に寄せられる傾向がある。デモクラシーの多くの市民は、せいぜい、自分の貴族を選ぶことが許される。
しかし、何百もの参加型予算編成実験でよく象徴となるのは、まさに伝統的に権利を奪われたグループだ。 2011年のニューヨーク市での実施以来、会議には主にラテン系とアフリカ系アメリカ人が集まった。ポルトアレグレでは、参加者の30%が最も貧しい20%から来ている。
「私が初めて参加したときは確信が持てませんでした」とポルトアレグレの参加者の1人が認めた。「大学の学位を持っている人がいて、私たちにはないからです。 でも、時間とともに、私たちは学び始めました。古い政治システムとは異なり、新しいデモクラシーは裕福な白人男性のために予約されていません。代わりに、社会の少数派や貧しく教育水準の低い人たちがはるかによく代表されます」。
4.自己満足から市民権へ
全体として、有権者は政治家に対してかなり見込みがないとみなす傾向があり、逆もまた同様だ。しかし、トレスとポルトアレグレで実践されているデモクラシーは、市民権の訓練の場だ。物事がどのように実行されるか声で与えられ、人びとは政治のニュアンスを知る。より共感し、賢くなる。
カリフォルニア州ヴァレーホでの参加型予算編成について報道しているジャーナリストは、人びとのコミットメントのレベルに驚いた「さまざまな年齢や民族の人々がここにいて、ワールドシリーズで地元の野球チームを自宅でみている。ルールと投票手順について話しし、さらに、情熱をもっている」。
研究者たちは、誰もが真剣に受け止めている限り、ほとんどの人が正式な教育に関係なく貢献する価値のあるものをもっているという事実を何度も繰り返し伝えている。
5.汚職から透明性へ
参加型予算編成がポルトアレグレにくる前は、政治家に聴いてほしい市民は、事務所の外で何時間も待つことを予想した。そして、テーブルの下を通る現金をもつようにした。
ポルトアレグレの研究に長年を費やしたブラジルの社会学者によると、参加型のプロセスは手のひらに油を塗るという古い文化を台無しにした。人々は市の財政についてよく知らされていて、政治家が賄賂を受け取って仕事をするのを難しくした。
シカゴの市民はいう「参加型予算は組織化のツールだと考えています。私たちが市の予算についてもっと知るのに役立ち、それから市会議員がコントロールする他のことについて圧力をかけられます」。つまり:参加型予算編成は、政治と人びとの乖離に橋をかける。
6.自己利益から連帯へ
信じられないかもしれないが、参加型予算では実際に人びとが税金を支払う意思を強めることが研究によって判明している。ポルトアレグレでは、市民は税の引き上げさえ求めた。政治学者には考えられないことだ。
「固定資産税をそんなに多く払ったことを分かっていなかった」とレスター・イースト(イギリス)のある参加者は熱狂した。「それが支払われるサービスを見つけたのはとても良かった」これにより、税金を、社会の一員として支払う寄付として再定義する。参加型予算編成に携わる人々の多くは、その経験で、初めて本当の市民のように感じたという。あるポルトアレグレ市民が言ったように、自分のコミュニティを超えて考えることを学ぶ:「街全体を見る必要があります」。
7.不平等から尊厳へ
ポルトアレグレが民主的な冒険にとりかかる前、悲惨な財政状態にあった。人口の3分の1はスラムに住んでいた。
しかし、その後、参加型予算を採用していない都市よりもはるかに速く状況が変化しだした。水道へのアクセスは1989年の75%から1996年の95%になり、都市の下水サービスへのアクセスは人口のわずか48%だったのが95%になった。学校に通う子供の数は3倍になり、建設された道路の数は5倍になり、脱税は急減した。
市民予算のおかげで、不動産のようなステイタス目的のプロジェクトに投入される公的資金は少なくなった。世界銀行は、特に貧しい地域社会で、インフラ、教育、ヘルスケアへの投資が増えていることを発見した。
2014年にアメリカの研究チームが、ブラジル全体の参加型予算編成の社会的および経済的影響に関する最初の大規模な研究を発表した。 「PBプログラムは医療費の増加、市民社会組織の増加、乳幼児死亡率の低下と強く関連していることがわった。 PBプログラムがより長い時間軸で実施されるので、このつながりは劇的に強化される」。

1990年代半ば、イギリスのチャンネル4は人びとの国会と呼ばれる新しいテレビ番組を立ち上げた。このショーでは、ドラッグ、武器の販売、少年犯罪など、物議を醸す問題について、何百人ものイギリス人をランダムに招待した。各エピソードの終わりに、彼らは妥協点に達しなければならなかった。
エコノミスト誌は、「人びとの国会の多くの視聴者は下院での討論よりも質が高いと判断した」と報じた。前者のメンバーは、後者とは異なり、仲間の言うことに耳を傾けているように見える。 それでチャネル4は何をしたか?プラグを抜いた。プロデューサーたちは、議論が冷静すぎ、思慮深く、賢明すぎると感じ、私たちが「政治」と呼んでいる対立的なエンターテインメントを好んだ。
しかし、参加型デモクラシーはテレビのための実験ではない。それは古い民主主義の伝染病に取り組むための健全な方法だ。
この形式のデモクラシーには欠点がある。毎年の投資に焦点を当てることは、街の長期的なビジョンを犠牲にするかもしれない。さらに重要なことに、参加型プロセスの多くは制限が多すぎる。保守連立が政権を握った2004年、ポルトアレグレの予算は削減されたが、この伝統のすべての始まりとなった街で存続するかどうかは現在のところ不明だ。
また、参加型予算編成は、舞台裏でまだショーを運営しているエリートによる隠ぺいのための偽の譲歩として使用される場合がある。当然、これは皮肉を生むが、市民に直接の声を否定することは正当ではない。

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「能力に応じてそれぞれから、ニーズに応じてそれぞれへ」という共産主義、オックスフォード辞典によると「すべての財産がコミュニティに所有され、それぞれの人が能力に応じて貢献し、ニーズに応じて受け取る社会組織の理論またはシステム」
すべてを平等に共有することは素晴らしいアイデアかもしれない、子供の頃そう思うが、すぐに現実にがっかりする。カオス、貧困、血の海へと堕落する。レーニンとスターリンのロシア、毛の中国、ポルポトのカンボジア。共産主義は機能しない、私有財産がなければ、私たちはすべての動機を失い、無関心な寄生虫にあっという間に戻ってしまう。
10代の頃、共産主義の失敗の理由が、一般市民がまったく権力をもたず、すべての権力をもつ警察と腐敗したエリートに支えられた血に飢えた政権だけにあるとするのは奇妙だった。
公式の定義の共産主義は、少なくとも数百年にわたって成功したシステムであり、ソビエト連邦との類似点はほとんどない。実際、私たちは毎日それをやっている。あまりにノーマルで明らかなので見えないほどだ。夕食のテーブルで「塩をとって」というと誰かが無料でやってくれる。人類学者がいうように毎日の共産主義、公園や広場、音楽や物語、ビーチやベッドを共有している。
おそらく、この公平無私の最良の例は家族だ。世界中の何十億もの家族が共産主義の原則に基づいて組織されている。親は自分の所有物を子供たちと共有し、可能な限り貢献する。economyはギリシャ語で「家族のマネジメント」を意味するオイコノミア(oikonomíā)に由来する。もちろん職場でも無料の助け合いはいくらでもあるし、社会でも無料の善意は溢れている。
私たちの生活はこのような共産主義の行為で満たされている。共産主義(communism)という言葉はラテン語でコミュナルを意味するコミュニス(communis)から来ている。コミュニズムは、市場、国や官僚制度などすべてが築かれる基盤だ。これは、2005年のニューオーリンズなどの自然災害をきっかけに起こる協力と利他主義の爆発を説明するのに役立つかもしれない。大惨事では、私たちはルーツに戻る。
このコミュナルな基盤は、資本主義の重要な柱だ。Facebookは、ユーザーが無料で共有する写真やビデオがないとはるかに価値がない。Airbnbは、旅行者が無料で投稿した無数のレビューがなければ、存続しない。共有していることに気づかないのでコミュニズムに盲目になる。誰かが権利を主張すると、共有に気づく。
私たちが共有するものをコモンズという。コミュニティによって共有され、民主的に管理されている限り、コミュニティガーデンからウェブサイト、言語から湖まで、ほぼすべてのものを含めることができる。飲料水などの自然の恵みや、Wikipediaなどの人間の発明もそうだ。
数千年の間、コモンズは地球上のほとんどすべてを構成していた。私たちの遊牧民の祖先には、私有財産の概念はほとんどなく、確かに国という概念はなかった。狩猟採集民は自然をすべての人のニーズを提供する「与える場所」と見なし、発明や音楽の特許をとることは決してなかった。
コモンズの大きな部分が市場と国によって飲み込まれたのは、過去10,000年だけだ。最初に族長と王が、すべての人が共有していた土地を自分のものだと言った。今では、水源から救命薬まで、新しい科学知識からみんなが歌う歌まで、あらゆる種類のコモンズを着服するのは主に多国籍企業だ。広告業界も、公共空間を傷つけて経済成長している。
コモンズというコンセプトは、アメリカの生物学者、ギャレット・ハーディンがサイエンス誌に発表した作品によって得られた。1968年、革命の時だった。世界中で何百万人もの人が通りに集まって抗議、叫んだ。Be realistic. Demand the impossible.
ハーディンは「コモンズの悲劇」という6ページの論文を出した。共同の牧草地でそれぞれが最大限に牛を飼ったら、荒地しか残らない。これは残念ながら避けられないことで、「コモンズの自由は、すべてに破滅をもたらす」。彼は人口過多を究極の悲劇と見なし、生殖に関する権利の制限を解決策と見なした。
共有財産は悲劇的に失敗する運命にあったので、私たちは国家の目に見える手、または市場の目に見えない手が必要だった。クレムリンまたはウォールストリートのみが利用できるオプションのようだった。1989年にベルリンの壁が崩壊した後、1つが残り、私たちは、ホモ・エコノミカスになった。

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少なくとも1人はハーディンの主張に左右されなかった。エリノア・オストロームは、理論モデルにはほとんど興味がなく、人びとが現実の世界でどのように振る舞うかを見たかった。ハーディンの論文は重大なことを見落としていたことに気づくのに時間はかからなかった。人間は話すことがでる。農民や漁師、隣人は、畑が砂漠になったり、湖が乱獲されたり、井戸が干上がったりしないように完全に合意することができる。イースター島民が集まり続け、参加型予算担当者が建設的な対話を通じて意思決定をするように、普通の人びとはあらゆる種類のコモンズをうまく管理している。
オストロームは、世界中のコモンズの例を記録するデータベースつくり、どこを見ても、資源をプールすることは決して悲劇のレシピにならないことを知った。彼女のチームは、5000を超えるワーキングコモンズの例をまとめ、多くの人びとが何世紀も前から資源の調整をしっかり行なっていたことを確認した。
オストロームは’Governing the Commons(1990)’で、コモンズが成功するための設計原則をつくった。コミュニティには最低限の自律性と効果的な監視システムが必要だ。しかし、最終的には個別の事情によるので、成功の青写真はないと強調した。
やがて、大学のオストロームの学部がコモンズのようになり始め、彼らは、1973年、インディアナ大学で政治理論と政策分析のワークショップと呼ばれるものを設立、世界中の学者を集めてコモンズを研究した。オストロームはパーティでフォークソングを歌ったが、ワークショップは、アカデミックなヒッピーコミューンのように成長した。そして、オストロームは、2009年に女性として初めてノーベル経済学賞を受賞した。1989年にベルリンの壁が崩壊し、2008年に資本主義が崩壊した後、コモンズ(国家と市場の代替案)にふさわしいスポットライトを与えられた。

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中世後期、ヨーロッパではティネ・ド・ムーアが「沈黙の革命」と呼んだ共同体の精神の爆発があった。11世紀から13世紀にかけて、牧草地の共有が増加し、18世紀に圧力がかかるまで何百年もの間、うまくいった。
啓蒙主義時代の経済学者たちは、集団農地が生産を最大化しないと言って、政府に囲いを作るように助言して、裕福な地主たちに分割させた。資本主義は自然には発展していない。農民を農場から工場へと導いたのは、市場の見えない手ではなく、銃剣をもった国家の冷酷な手だった。世界の至る所で「自由市場」がトップダウンで課せられた。一方で、19世紀の終わりまでに、無数の労働組合がボトムアップで形成され、 20世紀セーフティネットの基礎になった。
今、再び同じことが起こっている。特に2008年の金融危機以降、ケア協同組合、病気休暇のプール、エネルギー協同組合などのイニシアチブの爆発的な増加がある。
「歴史が教えるのは、人間は本質的に協同の存在で、ホモ・コーペランだ」ティネ・ド・ムーアは指摘している。
私たちの深い本能である利己主義に根ざした資本主義に対して、国は連帯の粉をまくことができるが、それは上からのみで、監督業務と官僚制なしには起こらない。
現在、この見方は完全に逆さまになっている。私たちの自然な傾向は連帯だが、市場は上から課される。過去数十年、ヘルスケアを人工的な市場に変えるために何十億ドルも投じられた。私たちは利己的であることを教えられなければならないからだ。
これは健全な市場がたくさんはないと言ってるのではなく、過去200年の資本主義が繁栄に大きな利益をもたらしたことも忘れてはならない。デムーアが「制度の多様性」と呼んでいるものを提唱する。そして、現時点で未来は不透明だが、オストロームが自分の目で見たということを評価する。

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既存の資本主義モデルに代わる最も有望な選択肢の1つは、アラスカにある。
1960年代後半に故郷で巨大な石油埋蔵地が発見されたとき、共和党の知事ジェイ・ハモンドは、この石油がすべてのアラスカ人に属していると判断して、利益を大きな共同貯金箱に入れることを提案、1976年にAlaska Permanent Fundが設立された。貯金は、保守派の多くが州に渡すことに反対した。そして、1982年から、アラスカのすべての市民は銀行口座で年間配当金を受け取る。良い年には、3,000ドルにもなることもある。今日まで、永久基金配当PFDは完全に無条件、特権ではなく権利、昔ながらの福祉国家とは正反対だ。
無条件配当は、信頼を育む。アルコールや薬物へ配当を浪費するだろうという皮肉な予想は現実になっていない。
ほとんどのアラスカ人は、配当を教育と子供たちに投資した。 2人のアメリカ人エコノミストによる詳細な分析は、PFDが雇用に悪影響を及ぼさず、貧困を大幅に削減したことを示した。医療費は下がり、子供たちは学校でより良い成績を収め、投資費用を効果的に取り戻した。
この市民の配当、信頼と帰属を前提とするこの無条件の支払いは、私たち一人一人に自身の選択をする自由を与える。人びとのためのベンチャーキャピタル。
ポルトアレグレやトレスの本当の民主主義のように、これは別の道であり、誰もが共有する新しい社会に向かっている。

Part Five もう一方の頬


若いソーシャルワーカーのフリオ・ディアスは、ニューヨークのブロンクスにある自宅まで地下鉄に乗っていた。ほぼ毎日のようにお気に入りの定食を少し食べるために1駅早く降りる。
地下鉄の駅からレストランに向かうと、影から人が飛び出した。ナイフを持っているティーン。
財布を受け取って逃げようとするとき、彼は強盗を呼んだ。
「ねえ、ちょっと待って。これからまだとるつもりなら、暖かくするために、俺のコートを着たほうがいいよ」。
その少年は信じられなかった「なぜ?」
「数ドルで自分の自由を危険にさらすのだったら、君は本当にお金が必要なんだ。俺は夕食をとるだけだから、一緒に食べたいなら大歓迎だ」。
フリオと加害者は食堂のブースに座った。ウェイターは暖かく迎え、マネージャーはおしゃべりに立ち寄り、食器洗いも挨拶した。
子供は驚いた。
「あなたはみんなを知っています。ここのオーナー?」
「いや、ここでよく食べるんだ」
「でも食器洗いにまで親切だ」
「まあ、みんなに親切にすべきだと教えられない?」
「そう、でも、実際にそうするとは思わなかった」
フリオと強盗が食べ終わって請求書が来たが、フリオは財布がなかった。
「きみは俺のお金を持っていて、私は払えないから、きみはこの請求書を支払う必要がある。だから、財布を返してくれたら、喜んでご馳走するよ」
子供は彼に財布を返した。フリオは請求書を支払い、それから彼に条件付きで20ドルをあげた。ティーンはナイフを渡さなければならなかった。
ジャーナリストが後になぜ強盗を夕食に扱ったのかと尋ねたとき、彼は躊躇しなかった「人を正しく扱ったら、人があなたを正しく扱うことを望めるだけだと思います。 この複雑な世界で、得ることは単純です」。
フリオの話を友人にしたとき、彼はいった「ごめん、吐いていい?」
少し甘すぎる。子供の頃に山上の説教のように教会で聞いたお決まりのレッスンを思い出した。マタイ伝5章:
「目には目を、歯には歯」は知ってるでしょう。でも、あなたに言います、悪人に抵抗しないでください。誰かがあなたを右の頬を叩いたら、もう一方の頬を向けてください。そして、誰かがあなたを訴えて上着を持って行くなら、マントを持たせてください。そして、誰かが1マイル行けと強制したら、一緒に2マイル行きなさい。
私たち全員が聖人だったらいいが、 問題は、私たち全員が人間的すぎることだ。そして現実の世界では、もう一方の頬を向けるのはもっとも素朴なことだ。
ごく最近、イエスがとても合理的な原則を提唱していることに気づいた。 現代の心理学者はそれを非補完的な行動と呼んでいる。 ほとんどの場合、人間はお互いを映し出す。 誰かが褒めるとあなたはすぐに好意を返す。 誰かが嫌なことを言ったら、嫌味を返したいという衝動を感じる。
あなたが親切に扱われるとき、正しいことをするのは簡単だ。 簡単だが、十分ではない。 イエスをもう一度引用すると、「あなたがあなたを愛する人を愛するのは、どんな見返りがあるだろう? 徴税人でさえ同じことをしないか? そして、あなたが兄弟姉妹だけにあいさつするなら、あなたは他の人よりも何をしているか?」
問題は、物事をさらに一歩進めることができるかということだ。 子供たち、同僚、隣人だけでなく、敵についても最善を尽くしたとしたらどうだろう。 それはかなり難しく、本能に反する可能性がある。 マハトマ・ガンディーとマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、おそらく20世紀の2人の最も偉大な英雄を見よう。 彼らは非補完的な行動のプロだったが、それでも並外れた個人だった。
残りの私たちはどうだろう? あなたと私はもう一方の頬を向けることができるか? そして、それを大規模に働かせることができるか?たとえば、刑務所や警察署、テロ攻撃の後、または戦争のときに。

16.テロリストとお茶を飲む


1
オスロの南約60マイルに世界で最も奇妙な刑務所がある。独房やかんぬきがない。拳銃や手錠をもった警備員もいない。白樺と松の木の森があるなだらかな風景の中に背の高い鋼鉄の壁が一周している。
ハルデン刑務所の受刑者は、床暖房、薄型テレビ、専用バスルーム、受刑者が調理できるキッチン、磁器の皿とステンレス鋼のナイフがある個室が与えられる。図書館、クライミングウォール、音楽スタジオまであって、囚人は自分のレコードをつくり、クリミナル・レコードというレーベルで発行される。3人がノルウェーのアイドルコンテストに参加し、最初の刑務所ミュージカルが動いている。
ハルデンは、「非相補的刑務所」の教科書と呼ばれるが、スタッフは、被拘禁者の行動を監視するのではなく、重罪犯者に別の頬を向ける。警備員は武器をもたず、みんなに話しかけることが武器だという。
ハルデンは2番目に大きく、セキュリティが一番強く、およそ250人の麻薬の売人、性犯罪者、殺人者がいるが、ほんの数マイル先のバストイ島は、最後の数年間の刑期が残る115人の重罪犯を収容する美しい島だ。
この島の写真を最初に見たとき、信じられないと思った。囚人と警備員が一緒にハンバーガーをひっくり返し、水泳をしたり日向ぼっこをしたりしている。刑務所の職員と受刑者を区別することは困難だ。警備員は制服を着ておらず、同じテーブルで一緒に食事をする。島には、映画館、日焼けベッド、2つのスキーコース、教会、食料品店、図書館もある。
受刑者は、コミュニティを運営し続けるために一生懸命働かなければならない。耕し、植え、収穫し、料理し、自分の木材を切り刻み、自分の大工仕事をしなければならない。すべてがリサイクルされ、彼らは食べ物の4分の1を自給している。一部の囚人は、囚人が運営するフェリーサービスで本土での仕事に通勤している。仕事のために、ナイフ、ハンマー、木を倒す場合は、チェーンソーが使える。
40%が女性であるノルウェーの看守は、2年間の訓練プログラムを完了する必要がある。彼らは、囚人をひいきして屈辱を与えるよりも、友達になる方がよいと教えられる。
ノルウェーではこれを「ダイナミック・セキュリティ」と呼び、昔ながらの「活気のないセキュリティ」(有刺鉄線、監視カメラなど)と区別している。ノルウェーでは、刑務所は、悪い行動を防ぐところではなく、悪い意図を防ぐところだ。警備員は、できるだけ被拘禁者が普通の生活をすごす準備をすることが自分たちの義務であることを理解している。この「正常性の原則」によれば、壁の内側の生活は、外側の生活に可能な限り似ている必要がある。
そして、それは信じられないほど機能する。伝統的な刑務所、いじめ蔓延の伝統的な総合施設だが、ノルウェーの刑務所では、対立が生じるときはいつでも、双方は座って話さなければならず、握手するまで立ち去れない。
「それは本当にとても簡単です。人々を汚物のように扱えば、汚物になるでしょう。彼らを人間のように扱ってください、そうすれば彼らは人間のように振る舞います。」バストイの看守、トム・エバハルトは説明する。
ノルウェーでは、囚人の90%以上が1年足らずで路上に戻って、誰かの隣人になる。
「毎年隣人を解放しますが、彼らを時限爆弾として解放しますか?」
2018年の夏、ノルウェーとアメリカのエコノミストのチームがこの問題に取り組み、再犯率に注目した。ハルデンやバストイなどの刑務所の元受刑者の再犯率は、社会奉仕や罰金を課された犯罪者より、なんとおよそ50パーセントも低くなっている。これは、有罪判決ごとに、将来、平均して11件の犯罪が減少することを意味する。さらに、元受刑者が就職する可能性は40パーセント高くなっている。ノルウェーの刑務所に閉じ込められることは、人びとの生活の流れを本当に変える。
ノルウェーが世界で最も低い再犯率を誇る一方、アメリカでは、囚人の60%が2年後に刑務所に戻る。ノルウェーは20%、バストイはさらに低く、わずか16%だ。
エコノミスト達はコストとメリットも集計した。ノルウェーの刑務所は、有罪判決ごとに平均60,151ドルの費用がかり、これは、アメリカのほぼ2倍だ。しかし犯罪が減るので、ノルウェーの法執行機関は1件あたり71,226ドル節約できる。そして、多くが就職するため、政府の支援を必要とせず、税金を支払うので、平均してさらに67,086ドル節約する。犯罪の犠牲者の数も減少する。ノルウェーの刑務所は、より良く、より人間的で、より安価なシステムだ。

2
1965年7月23日、ジョンソン大統領が19人の犯罪学者を招集、2年で警察から拘留に至るまでのアメリカの法執行システムの根本的な新しいビジョンを策定した。報告書は200以上の勧告を含んでいたが、最も急進的なのは刑務所に関するものだった。
アメリカが現在のノルウェーと同様の刑務所システムをほぼ構築したことはほとんど知られていない事実だ。最初のパイロットは、60年代後半に開始されたが、潮の満ち引き​​の速さ、そしてその原因は衝撃的だ。
フィリップ・ジンバルドーがスタンフォード刑務所実験の最初の学術記事を発表した。彼は、実際の刑務所を見たことはなかったが、どんな待遇をしても、刑務所は本質的に残忍であると主張した。これは、1年後に登場した悪名高いマーティンソンレポートで歓迎された。ロバート・マーティンソンは、ニューヨーク大学の社会学者で、若い頃、公民権活動で、3日間の独房監禁を含む39日間の収監の経験があった。
マーティンソンは、60年代後半、犯罪者の矯正戦略をつくる大きなプロジェクトに招待され、世界中の200を超える研究データを収集した。そして、736ページの最終報告書では、いくつかの例外を除いて、リハビリテーションに効果はなかったのでやめるべきとした。これは事実ではなく、分析された研究の48%の結果は肯定的だったのだが、これは保守的な政策立案者たちに証拠として利用された。単に悪く生まれている人たちがいて、リハビリという概念は人間の本性に逆らう。腐ったリンゴは閉じ込めて鍵をかけるべきだ。数年後、マーティンソンは結論を撤回したが、誰も耳を貸さなかった。

3
ハーバード大学の政治学教授ジェームズ・Qウィルソンは、犯罪行為の「起源」を探すのは時間の無駄で、最善は、閉じ込めることとした。彼の著書「Thinking About Crime」(1975年)は、フォード大統領を含むワシントンの犬たちに大ヒットした。
さらに1982年にウィルソンは、「割れ窓」理論を提唱している。「建物の窓が壊れて修理されないままになっていると、残りの窓はすべてすぐに壊れる」。犯罪の流行理論、「歩道のゴミ、通りの浮浪者、壁の落書き、すべて殺人と騒乱の前兆だ」。
1980年代半ば、ニューヨーク市の地下鉄は落書きで覆われていた。運輸局はウィルソンの共著者であるジョージ・ケリングをコンサルタントとして雇い、彼は大規模な浄化を勧めた。
次にフェーズ2が始まった。ウィルソンとケリングの割れ窓理論は、騒動だけでなく、それを引き起こす人びとにも適用された。最終的に重要な原因は1つだけ、人間の本性だと強調された。ウィルソンは、ほとんどの人は犯罪がペイするか計算していると見なした。警察が怠惰か、刑務所が快適すぎる場合、より多くが犯罪を選ぶ。犯罪率が上がった場合、解決策も同様に簡単だ。より高い罰金、より長い刑期、より厳しい強制といった強い外的インセンティブで修正する。
1990年に、彼はニューヨーク市交通警察の新しいチーフに任命されたウィリアム・ブラットンは、ウィルソンの教義を熱心に信じ、割れた窓の記事のコピーいつも配っていることで有名だった。彼は、窓を修理する以上のこと、鉄拳でニューヨーク市の秩序を回復したかった。最初のターゲットに、彼は運賃回避者を選んだ。1.25ドルのチケットを提示できなかった地下鉄の乗客は、交通警察に逮捕され、手錠をかけられ、儀式のようにみんなが見えるところにならばされた。逮捕者の数は5倍になった。
1994年にブラットンは市警察長官に昇進、幹部は規則と実施要綱で妨害したが、ブラットンは彼らを一掃した。今では、誰もがほんの少しの違反で逮捕される可能性がある。ブラットン自身の言葉によれば、「通りでしょんべんすると、刑務所に入れられることになった」。
奇跡的に、この新しい戦略はうまくいったように見えた。犯罪率は急落した。殺人は1990年から2000年の間に63%減少した。強盗は64%減。車の盗難は71%減。ウィルソンとケリングは、国内で最も尊敬されている犯罪学者になった。ブラットン長官はタイム誌の表紙を飾り、その後も昇進を続けた。

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壊れた窓の記事がアトランティック誌に最初に掲載されてから、ほぼ40年が経過した。その間、ウィルソンとケリングの哲学は、アメリカの一番遠い場所を超えて、ヨーロッパからオーストラリアまで浸透していった。マルコム・グラッドウェルは「ティッピングポイント」でこの理論を大成功といい、私の最初の本でもそれについて熱心だった。私が気づかなかったのは、それまでにほとんどの犯罪学者がもうそれを信じていなかったということだった。実際、ウィルソンとケリングの理論が1つの疑わしい実験に基づいていることをアトラティック誌で読んだらすぐに警報が鳴りだしたはずだ。
この実験では、研究者がちゃんとした近所で車を1週間放置する。待っても何も起こらない。それから彼はハンマーをもって戻り、研究者自身が車の窓を壊すと、数時間のうちに、普通の通行人が車を壊した。
研究者の名前は?フィリップ・ジンバルドー!
科学雑誌に載ったことのないジンバルドーの自動車実験は、割れ窓理論のインスピレーションだった。そしてスタンフォード刑務所実験のように、この理論はそれ以来徹底的に暴かれた。たとえば、ウィリアム・ブラットンとブラットニスタの「革新的な」警察は、ニューヨーク市の犯罪率の低下の原因ではなかった。低下はそれ以前に、他の都市でも始まっていた。2015年に、割れ窓理論に関する30の研究分析は、ブラットンの積極的な警察戦略が犯罪を減らすのに貢献したという証拠がないことを明らかにした。
「大丈夫、だから浮浪者や酔っぱらいを逮捕しても深刻な犯罪は減らない、それでも公の秩序を強制することは良いことだよね?」これが私の最初の反応だった。
いったい誰の「順序」?
ニューヨークでの逮捕が急増したのにともなって警察の違法行為の報告も急増した。2014年までに、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ワシントンなど都市の街頭に出たデモ参加者のスローガンは、「壊れた窓、壊れた命」。
ブルックリンパークでドーナツを食べる女性、インウッドパークでチェスをやってる人、午前4時に座席に足を置いた地下鉄の乗客、クイーンズで処方薬を買うために運転していた老夫婦は、凍えるような寒い夜にシートベルトを着用していないと言われ、男性は数ブロック先の家から身分証明書をもってくるように言われ、戻った時には、警官は、処方箋から違反切符をつくっていた。それから老人は心臓発作で亡くなった。
ますます軽薄な逮捕に集約され、昇進のための罰金のクオータ制が生まれた。そして、違反をつくり始めた。通りで話をする人は公道を封鎖したとされ、地下鉄でダンスをする子供達は平和を乱す候補になった。深刻な犯罪は完全にスキップされるようになった。
ブラットン長官はニューヨークの英雄となり、実際には、何千人もの罪のない人々が容疑者になった一方で、犯罪者は自由に歩いた。
さらに、割れ窓戦略は、人種差別と同義であることが証明されている。データによると、軽罪で逮捕された人のうち白人はのわずか10%。一方、犯罪を犯したことがないにもかかわらず、毎月立ち止まって身体検査を受ける黒人の10代の若者がいる。壊れた窓は、法執行機関とマイノリティーとの関係を害し、支払えない罰金で莫大な貧しい人々を苦しめ、2014年にたばこを売った疑いで逮捕されたエリック・ガーナーのケースのように、致命的な結果をもたらした。ガーナーは抗議した。
「あなたは私に会うたびに、ひどい目にあわす。うんざりだ、私を放っておいてくれ。前にも言ったが、放っておいてくれ」。
それで警官は彼を地面に倒し、絞め殺しにした。ガーナーの最後の言葉は「息ができない」だった。
割れ窓理論は、ベニア理論の変形で、人間の本性への完全に非現実的な見方に支えられている。それはニューヨークの警察に一般の人々を潜在的な犯罪者のように扱わせた。
その間、役員は自身の判断を持っていないかのように管理されていた。本質的な動機はなく、上司に訓練され、ペーパーが出来るだけ見栄えがいいようにした。「割れた窓」は誤解を招くような比喩で、実際には、登録され、拘束され、規制されていたのは普通の人びとだった。

割れ窓理論を好転させたらどうなるだろう?
ノルウェーでは、コミュニティポリシングの長い伝統がすでにある。これは、ほとんどの人びとがまともで法を遵守する市民であると想定する戦略だ。役員は、人びとがあなたを知っていれば彼らが助けてくれる可能性が高いという考えに基づいて、コミュニティの信頼を勝ち取るために働く。近所の人は、より多くのヒントを与え、子供が間違った道を進んでいるように見える場合、親より早く電話をかける。
1970年代に、コモンズを調査したエコノミストであるエリノア・オストロムは、アメリカの警察署に対して史上最大の調査を実施した。彼女のチームは、小さな力が常に大きな力よりも優れていることを発見した。彼らは、現場でより速く、より多くの犯罪を解決し、近所とより良い関係をもち、そしてすべて低コストだ。より良く、より人間的で、より安価だ。
アメリカでは、平均的な警察訓練プログラムはわずか19週間だが、これはヨーロッパのほとんどでは考えられないことだ。ノルウェーやドイツなどでは、法執行機関のトレーニングに2年以上かかる。
いくつかのアメリカの都市はアプローチを変えている。ニュージャージー州ニューアークの人びとは、2014年に新しい黒人の市長を選んだ。彼は、警察がどのようであるべきか、明確なビジョンを持っていた。人びとの祖母を知っている、コミュニティの機関を知っている、人びとを人間として見ている警官が必要だと彼は言った。
私たちはもう一方の頬をさし向けるという原則をとることができるだろうか?非相補的な戦略は対テロ戦争でも機能するだろうか?
答えを探していたところ、この戦略はすでに実際に自分の国で試されていることがわかった。専門家の間では、それはオランダ・アプローチとさえ呼ばれている。それは、オランダが激しい左翼テロに直面した70年代に始まった。それでも、政府は新しい治安法を制定せず、法執行機関はメディアに報道制限をした。西ドイツ、イタリア、アメリカが大きな銃(ヘリコプター、道路封鎖、軍)を持ち出す一方で、オランダはテロリストに彼らが望むプラットフォームを与えることを拒否した。
実際、警察は「テロ」という言葉を使うことすら拒否し、「暴力的な政治活動」または昔ながらの「犯罪者」という言葉を選んだ。その間、オランダの諜報機関は舞台裏で過激派グループに潜入していた。人口の全セグメントを容疑者に変えることなく、特にテロリスト(いや犯罪者)に目を向けたのだ。
これは、4人のメンバーのうち3人が覆面捜査官という小さな赤い青年支部のようなコミカルな状況につながった。日常で、誰かがトイレ休憩したり、地図を逆さまにすると、攻撃を実行するのかなり困難なことが判明した。
「舞台裏の、タイムリーで、慎重なテロ対策は、渦巻く暴力を止めた」とオランダの歴史家を結論付けた。
もう一方の頬を向けるアプローチのもっと最近の話は、デンマークの都市オーフスから来ている。2013年後半、警察はシリアに行って戦うことを望んでいた若いイスラム教徒を、逮捕、投獄するのではなく、お茶を提供することを決めた。そしてメンターになる。家族や友人は、彼らを愛する人びとがいることを確かにするために動員された。警察は地元のモスクとの関係を強化した。
多くの評論家がオーフスのアプローチを弱くてナイーブだと言ったが、実際には、警察は大胆で難しい戦略を選択した。警察の本部長は言った「簡単なことは、きつい新しい法律を通すこと。個人との実際のプロセスを経験するのは難しい。専門家のパネル、カウンセリング、ヘルスケア、教育に戻るための支援、雇用、たぶん宿も・・・政治信条からはやらない。それがうまくいくと思うからやっている」。
そしてその仕事。他のヨーロッパの都市では、脱出は衰えることなく続いたが、オーフスからシリアに旅立つジハード主義者の数は、2013年の30人から2014年に1人、2015年に2人に減少した。
「私の知る限り、オーフスは初めて健全な社会心理学の証拠と原則に基づいて過激主義に取り組んだ」とメリーランド大学の心理学者は述べている。
そしてノルウェーがある。そこの人びとは、国の歴史の中で最も恐ろしい攻撃の後でも、なんとか冷静な頭を保つことができた。右翼過激派のアンネシュ・ブレイビクが2011年に行った流血の後、この国の首相はこう宣言した「もっとデモクラシー、オープン、ヒューマン」。
こうした応答は安易な道を選んだと非難されることがよくあるが、まさに容易ではないことだ。それどころか、厳しい話だが、報復、国境の閉鎖、爆弾の投下、世界を善人と悪人に分けることは簡単だ。

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目をそらすことができなくなる瞬間がある。真実が無視されることを拒否するとき。2015年10月、ノースダコタ州の刑務所の幹部代表団はまさにそんな瞬間を経験した。ノースダコタ州は人口がまばらで保守的な州、投獄率はノルウェーの8倍だ。刑務所は昔ながらの家畜の囲い。しかし、彼らはハルデンとバストイを見た。
オスロのラディソン・ホテルのバーに座った局長のリーン・バーシュは泣いた「
人間を檻のような環境に置いても大丈夫だとどうして思えるの?」
1972年から2007年の間、アメリカで投獄された人は500パーセント以上増加し、ノルウェーよりも平均63か月、7倍長く閉じ込められている。今日、世界の刑務所人口のほぼ4分の1がアメリカの刑務所にいる。
この大量投獄は、意図的な政策の結果だ。ジェームズ・ウィルソン教授と彼の信奉者は、閉じ込める人が多ければ多いほど、犯罪率は低くなると信じたが、真実は、多くのアメリカの刑務所が犯罪者のための訓練場に発展した。
「私たちの大多数は、私たちが言われている通りになります」と、元カリフォルニア刑務所の受刑者は言う。「暴力的で、不合理で、分別ある大人のように行動することができない んだ」。
リーン・バーシュはノースダコタ州に戻って、新しいミッションをつくった
「私たちの人間性を実行する」。
ステップ1:割れ窓戦略を棚上げする。以前は300を超える違反の規制があったが、すべて廃止された。
次に、警備員の新しいプロトコルが作成された。とりわけ、彼らは受刑者と少なくとも1日2回の会話をしなければならなくなった。これは大きな移行で、かなりの抵抗に直面した。「私は死ぬほど怖かった」と警備員の一人が思い出した。「スタッフが怖かった、施設が怖かった、誰かが去るという話が怖かった、そして私は間違っていた」。
数ヶ月たち、警備員たちは仕事にもっと喜びを感じだした。彼らは合唱団と絵画のクラスを始めた。スタッフと囚人が一緒にバスケットボールを始めた。そして、事件の数が著しく減少した。ある警備員によると、以前は「少なくとも週に3、4回」事件があったという。「自殺しようとする人、独房を水浸しにする人、完全に混乱している人。今年はそのようなことはほとんどありませんでした」。
アメリカの他の6つの州の高官がはそれからノルウェーを旅した。ノースダコタのバーシュ局長は、改革は常識の問題であると強調し続けている。「私はリベラルではない、ただ実務的」。

17.憎しみ、不正、偏見に対する最善の治療


1
私はノルウェーの刑務所の背後にある考えについて考えるのをやめられなかった。犯罪者やテロリストになる可能性のある人にもう一方の頬を向ける、それをより大規模にできるかもしれない。人種差別や憎しみを打ち消すことができる。
2
1990年2月11日、27年間投獄されたネルソンマンデラは自由になった。南アフリカの黒人と白人の和解、平和が望まれた。「銃、ナイフ、パンガ(刀)を海に捨てるんだ!」マンデラは解放された直後に叫んだ。
4年後の1994年4月26日、すべての南アフリカ人を対象にした最初の選挙が行われた。投票所での先が見えないほどの列、2300万人の有権者。生まれて初めて投票する老齢の黒人男性、女性。かつて死と破壊をもたらしたヘリコプターは、投票用紙と鉛筆を投下している。差別体制が終わってデモクラシーが生まれた。2週間後、マンデラは国の最初の黒人大統領になった。レインボーカラーの新しい国旗は、地球上で最もカラフルだった。
まったくそうならない可能性がどれほどあったか、ほとんど誰も知らない。釈放から大統領就任までの4年間、国は内戦の危機に瀕した。完全に忘れられたのは、一卵性双生児の兄弟が担った重要な役割だ。
コンスタントとアブラハム・ビルジョーンは1933年10月28日に生まれ、白人の優越を同じ先生から教わった。彼らの先祖は1671年にやってきたフランスのユグノーで、オランダの入植者と混血していた。1899年、アフリカーナー達はイギリスの支配に立ち向かったが、容赦なくつぶされた。少年たちの父親は子供の頃、イギリスの収容所を経験していた。彼の兄と2人の姉妹が母親の腕の中で死ぬのを、父は無力に見つめた。彼らの家族は抑圧される側に属していたが、時にはそれが抑圧する側になる。その真実が双子を引き離した。18歳の誕生日の直後、母親は、両方をプレトリアの大学に行かせるお金がないと告げた。コンスタントはアブラハムに「お前が行け」と言った。アブラハムは「ブラーム」として知らたが、賢かった。
兄弟が神学を学んでいる時、コンスタントは軍隊に加入した。軍隊生活は彼に向いていて、第二の家族のようになった。ブラームが著作のために研究する間、コンスタントはヘリコプターから飛び降りた。ブラームがオランダとアメリカで勉強している間、コンスタントはザンビアとアンゴラで戦った。そして、ブラームが世界中の学生と仲良くなった一方で、コンスタントは彼の軍の同志と深い絆を築いた。
ブラームは、自分が育ったアパルトヘイトが犯罪システムであり、聖書が教えているすべてと矛盾していることに気づき始めた 。
彼が留学から戻ったら、多くの南アフリカ人から、脱走兵、異端者、裏切り者といわれたが、彼は黒人の同胞の平等な扱いを求め続けた。80年代にアパルトヘイトを終わらせる党を代表して公職に立候補した。
一方、コンスタントは南アフリカで最も愛される兵士の1人に成長した。制服はすぐにメダルでちりばめられ、陸軍、海軍、空軍を含む南アフリカ国防軍の長になった。そして1985年まで、彼はアパルトヘイトの偉大なチャンピオンであり続けた。
ビルジョーン兄弟は完全に話すのをやめた。愛国者、戦争の英雄であり、多くのアフリカーナーに愛されたビルジョーン将軍に双子の兄弟がいたことは、誰も知らなかった。
3
罵倒しあう敵をどうに和解させるか?
アメリカの心理学者は1956年の春に南アフリカに向けて出発した。ゴードン・オールポートは、生涯を通じて2つの基本的な質問を考えた。偏見はどこから来るのか?どうすれば防げるのか?
長年の研究で、彼は奇跡の治療法を見つけた。
それは、触れあうこと。それ以上でもそれ以下でもない。アメリカの学者は、偏見、憎しみ、人種差別は触れ合いの欠如からくるのではないかと思っていた。私たちは見知らぬ人を知らないから乱暴に一般化する。だから、救済策は明白だろう:より多い触れあい。
多くの白人の南アフリカ人にとって、オールポートの理論はいい意味でショックだった。アパルトヘイトは問題の解決策ではなく、原因であると主張する学者。黒人と白人が、学校、職場、教会、どこででも会うことができれば、お互いをもっと知ることができる。つまるところ、私たちは自分が知っていることしか愛せない。
一言で言えば、触れあい仮説。信じられないほど単純だが、オールポートには、それを裏付ける証拠がいくつかあった。例えば、1943年にデトロイトで発生した人種暴動では、「隣人になった人びとは暴動を起こさなかった。ウェイン大学の白人と黒人は、血の月曜日でも平和にクラスに行った。軍需工場の白人と黒人の労働者の間に混乱はなかった」
それどころか、隣人はお互いを守った。暴動があったとき、一部の白人家族は黒人の隣人を保護したし、逆もあった。
さらに注目すべきは、第二次世界大戦中に米軍が集めたデータだ。公式には、黒人と白人の兵士が並んで戦うことは想定されていなかったが、戦いの最中にそれが時々起こった。陸軍の調査オフィスは、黒人と白人両方の小隊を持つ中隊では、黒人を嫌う白人の数がはるかに少ないことを発見した。正確には、9分の1。他にも、黒人の子供と白人の子供が同じ学校に通った場合、彼らは偏見をなくすのが分かった。
オールポートが1956年に南アフリカを旅したとき、出会った多くの白人のアフリカーナー全員が排除と差別をしていたが、60年代に南アフリカを訪れて、「歴史の力」を知らなかったことを認めざるを得ないと感じた。
4
1993年5月7日、ヨハネスブルグの南75マイルのラグビースタジアムに、15,000人の白人アフリカーナーが終結した。ハーゲンクロイツにそっくりなシンボルが付いた赤と黒の旗が何百枚も振られ、茶色のシャツを着たあごひげの農民たちは、ショットガンとピストルで武装している。集会の講演者の中には、アフリカーナー抵抗運動のリーダーであるユージン・テレブランシュがいる。長い間、ヒトラーの演説に魅了され、彼の子分たちはKKKよりより暴力的だ。
スタジアムは、マンデラが選挙に勝ち、国旗と国歌を失い、文化が消える恐れに包まれた。そこで、「アフリカーナーは自分たちを守る準備をしなければならない」とコンスタントがマイクに向かって吠えた。
コンスタントはアフリカーナー・フォルクスフロントと呼ぶ新しい連合のリーダーになった。これは軍隊で、2か月で、10万人の軍人を含む15万人のアフリカーナーを採用した。
アブラハムは、兄弟の心を変えることができるかもしれない唯一の人だった。40年間ほとんど話をしなかったが、今はその時だ。
ブラームがプレトリアのAVFの事務所に行ったのは、選挙まで10か月の1993年7月初旬だった。コンスタントは、マンデラとの極秘裏の面談をなんども拒否してきたが、今回は兄弟が訪ねてきた。
1993年8月12日、ヨハネスブルグの別荘に一卵性双生児が一緒に到着し、マンデラが出迎えた。
マンデラはアフリカーナーの歴史と文化を理解し、100年前の、イギリスからの自由を求めるビルジョーン家の闘いと、アパルトヘイトの戦いが似ているといい、コンスタントはそれに感銘を受けた。マンデラは、「将軍」とアフリカーンス語でよびかけ、「私たちが戦争をしたら勝者はいない」といった。それから4か月間の秘密の話し合いが続いた。
結局、元将軍は武器を置き、一緒に選挙に参加することにした。
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1956年にオールポートと一緒に南アフリカをツアーした学生トーマス・ペティグルーは反逆者、アクティビストだった。アメリカの公民権運動で重要な役割を果たして、FBIは彼の厚いファイルをもていた。南アフリカに滞在中ペティグルーはANC会議に参加したので、南アフリカから入国禁止にされた。
半世紀後の2006年、彼は南アフリカで開催された国際心理学会議に招待された。
彼のチームは、38か国515の研究を分析した。結論は触れあいは機能する。多くの証拠があった。
触れあいは、より多くの信頼、連帯、優しさを生み出す。他の人の目を通して世界を見ることを促す。そして人を変える。多様な友人のグループを持つ個人は見知らぬ人に対してより寛容になる。そして、触れあいは伝染する。隣人が他の人と仲良くしているのを見ると、自分の偏見は考え直される。
しかし、研究から得られたのは、単一の否定的な経験、衝突や怒りが、冗談や救いの手よりも深い印象を与えるということだった。それが私たちの脳の働きだ。当初、これはペティグルーたちにとって難問だった。悪いことをより覚えているのなら、どうして触れあいが私たちをより近づけるのか?
悪いことが強いように見えるかもしれないが、良いことは数で勝る。
触れあいの力を理解した人が1人いるとすれば、それはネルソン・マンデラだった。1960年、マンデラはANCの武装部門の創設メンバーの1人だった。
しかし、かんぬきの後ろの27年は、人を完全に変えることができる。数年たつとマンデラは科学者が後に示すことを理解しだした。非暴力の抵抗は暴力よりもはるかに効果的だ。
アメリカの社会学者、エリカ・チェノウェスは、力は無数の銃を通して行使されるという考えを証明するために、1900年からのレジスタンス運動のデータベースを作成した。
彼女は2014年に書いた。
「私は、数字を使い、ショックを受けた」
非暴力キャンペーンの50%以上が成功したのに対し、過激派キャンペーンは26%だったその理由は、非暴力キャンペーンはより多くの人が参加することだ。平均して11倍以上。テストステロンが多すぎる男だけでなく、女性や子供、高齢者、障害者もいる。体制は、そんな多数に耐える準備がない。それが、善が悪を打ち負かす方法、数で上回る。
非暴力キャンペーンでは、1つの要素が不可欠、それは自制心だ。刑務所にいる間、マンデラは冷静な頭を保つ達人になった。彼は敵を研究すると決め、アフリカーナーの文化と歴史についての本を何十冊も読んだ。ラグビーを見て、彼らの言語を学んだ。「わかる言葉で話しかけたら、頭に届く。話す言葉で話しかけたら、心に届く」そう説明した。
マンデラは仲間の囚人に警備員も人間だと分からせようとした。数年後、マンデラはコンスタント・ビルジョーンを「信じていた政権のために一生をかけて戦った、正直で忠実で勇敢な男」と見た。
1995年6月24日、マンデラは白いラグビーチームのシャツを着てヨハネスブルグのスタジアムに入ると、「ネルソン、ネルソン!」という歓声で迎えられた。かつてマンデラをテロリストだと思っていた何千人もの人たちから。
マンデラはマーティン・ルーサー・キングのように情熱的に演説したり、チャーチルのように火のように討論したりしなかった。最初の記者会見で、誰かがマイクだと耳元でささやくまで、彼は目の前の毛皮のような物に戸惑った。
ジャーナリストのジョン・カーリンは、彼を世界史上最も偉大なリーダーの1人にしたのは、「100人中99人が贖罪できないと判断する人びとの中に善を見ることを選ぶこと」だと見た。
マンデラの最も親しい友人の一人ウォルター・シスルは、マンデラの欠点を指摘するように言われた。「彼は人を信頼すると、全力を尽くす...でもそれは欠点じゃない」
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ここ数十年で最も希望に満ちた変化を振り返ると、信頼と触れあいがいつも役に立ったことがわかる。1960年代から始まるゲイとレズビアンの解放。多くの勇敢な魂がクローゼットから出てきたので、友人や同僚、そして母親や父親は、誰もが同じ性的嗜好を持っているわけではないことを学んだ。そして、大丈夫だ。
しかし、その逆もある。2016年、ドナルド・トランプが大統領に選出された。2人の社会学者は、郵便番号レベルで人種的、民族的に孤立している白人が一番トランプ支持になりがちだったことを示した。また、アメリカとメキシコの国境までの距離が遠いほど、壁をつくるとキャンペーンした男への支持が高まった。問題は、トランプに投票した人が、イスラム教徒や難民と接触が多すぎるのはなく、少なすぎることだ。
2016年のイギリスのEU離脱の可否に関する国民投票でも同じパターンが見られた。文化の多様性が少ないコミュニティでは、それに比例してより多くの住民がブレグジットに賛成票を投じた。そして、私の母国オランダでは、白人住民が最も集中している地域でポピュリスト党の支持者が集中する。オランダの社会学者チ​​ームは、白人が(主に職場で)イスラム教徒とより触れあうと、イスラム恐怖症も少なくなることを発見した。
2018年、シンガポール大学の国際的な研究者チームは、5つの新しい研究に基づいて、より多様なコミュニティに住む人びとほど人間はみな同じだと思うとした。結果、彼らは、見知らぬ人に対してより親切で役立つ行動をする。これは、2013年のボストンマラソン爆破事件の後、より多様な地域の住民がより多くの支援を提供したときに実証された。
でも、ミックスされた場所に住んでいるだけでは十分ではない。近所の人と話すことがめったにない場合、多様性は実際に偏見を高める可能性がある。移民が急速に流入したコミュニティは、ブレグジットやトランプの支持者の割合も高かったという兆候もある。
触れあいのリサーチャーは、お互いに慣れるには時間が必要であることを強調している。オランダでは、シリア難民のレセプションセンターの開設に対して、2015年に激しい抗議があった。しかし、それを別の場所に移さなければならなかったとき、その怒りは悲しみに変わった。数年前に暴力的に脅迫したある男性は言った。「問題はなかった。実際、それはすべて前向きで、コミュニティセンターのように、社交の場になった。私はコーヒーを飲みに行くのを楽しんでいる」。
見知らぬ人との交流は、学ばなければならないことだ。マーク・トウェインは、1867年に、「旅行は偏見、狂信、偏狭さにとって致命的である」と考えていた。
それは自分を変える必要があるということではない。触れあいの科学から得られた最も注目すべき発見の中には、私たちが自分のアイデンティティを保持している場合にのみ偏見を排除できるというものがある。私たち全員が異なっていても問題はないことを認識する必要があり、そうすると、頑丈な土台に、アイデンティティのための強力な家を建てることができる。それから、ドアを開けることができる。
1956年に南アフリカを訪れた後、ゴードン・オールポートはヨハネスブルグでの講義で話した。「人間は部族的な動物だ。そう、私たちはすぐに偏見をつくる。ステレオタイプで考えることは私たちの本質に深く根ざしているようだ」。
しかし、オールポートはズームアウトの重要性も強調した。「絶望することは、歴史の長い教訓を誤解することだ。南アフリカは、今後数十年にわたってアパルトヘイトの遺産を引き継ぐだろうが、それは過去50年間の息​​を呑むような進歩を損なうものではない」。
コンスタント・ビルジョーンは2020年4月に亡くなった。晩年、彼と兄弟のアブラハムはまだ別の世界に住んでいた。兵士と牧師、退役軍人とピースメーカーだったが、長い隔たりの世界は終わり、触れあいが戻った。

18.兵士が塹壕から出てきたとき


1
第一次世界大戦前夜、1914年の夏、ほとんどの人は戦争はすぐ終わるだろうと考えていた。クリスマスまでには家に帰れるだろうと、兵士たちは恋人に言った。人びとはパリ、ロンドン、ベルリンの中心部に押し寄せ、もういくつかの勝利に歓喜した。何百万人もの新兵が歌いながら行進した。
そして、20世紀の重大な大惨事が始まった。
第一次世界大戦がなければ、第二次世界大戦はなかっただろう。イープルとヴェルサイユの戦いがなければ、ヴェルサイユ条約、ロシア革命、レーニン、スターリン、ヒトラーはいない。
1914年のクリスマスまでに、100万人以上の兵士が死亡した。最前線は、ベルギーの海岸からフランスとスイスの国境まで、500マイルも伸びて、4年間、ほとんど動かなかった。毎日、せいぜい数エーカーと引き換えに、若い世代の男たちが間引きされていった。馬、太鼓、トランペットがある英雄的な戦いだったはずだったのに、それは無意味な虐殺になった。
しかし、絶望的な年、ヨーロッパ全体が暗闇に支配された時に、1つの小さい輝く光があった。1914年12月、一時的に天国が開き、何千人もの人びとが別の世界を垣間見ることができた。つかの間の時、彼らはみんな一緒にいることに気づいた。兄弟として。人間として。
2
この話で、本を閉じたい。それは、何度も何度も、私たちが塹壕に戻っていることに気付くからだ。とても簡単に、100ヤード離れた他の男が私たちと同じであることを忘れてしまう。何度も何度も、私たちは離れた場所から、ソーシャルメディアやオンラインフォーラムで、安全な場所からお互いに発砲する。恐れ、無知、疑惑、固定観念をガイドとして、出会ったことのない人びとについて一般化する。
しかし、別の方法がある。憎しみは友情に変わる可能性があり、苦い敵は握手する可能性がある。
1914年のクリスマスイブ。ラ・シャペル・ダルメンティエールの夜は晴れて寒く、月明かりは塹壕の間の雪に覆われた無人地帯を照らす。イギリスの最高司令部は緊張を感じて、最前線にメッセージを送る「敵がクリスマスか新年に攻撃を検討している可能性があるから、期間中、特別な警戒が維持される」。
将軍は、実際に何が起こっているのかを知らない。
夕方の7時か8時ごろ、第2女王連隊のアルバート・モレンが信じられない思いで目をぱちくりする。反対側、あれは何だ?明かりがチラチラする、ひとつずつ。ランタン、トーチ、・・・クリスマスツリー? 'Stille Nacht、heilige Nachťc 今までキャロルがこんなに美しく聞こえたことはない。「決して忘れない」モレンは後に言う。「私の人生のハイライトだった」。負けないように、イギリス兵は'The First Noel'のラウンドを始める。ドイツ人は拍手喝采し、‘O Tannenbaum'と対抗する。しばらくの間行き来し、ついに2つの敵の陣営がラテン語で'O Come, All Ye Faithful'を一緒に歌う。「本当に、何より異常なことだった」とライフルマンのグラハム・ウィリアムズは後に思い出した。
ベルギーの町プロウグステエールのすぐ北に駐屯しているスコットランド連隊はさらに進んでいる。敵の塹壕から、ジョン・ファーガソン伍長は誰かがタバコを欲しくないかという声を聞く。「光のために」とドイツ人は叫ぶ。それでファーガソンは人のいない土地に頭を出した。
「すぐに、何年もお互いを知っているかのように会話していた」と彼は後に書いている。「なんて光景だ。ドイツ人とイギリス人のグループが、正面ほぼ全域広がっている。暗闇の中の笑い声、火のついたマッチ。ほんの数時間前に殺そうとした男たちと笑っておしゃべりをしていた!」
翌朝のクリスマスの日、勇敢な兵士たちが再び塹壕から登りでる。敵と握手するために有刺鉄線を通り抜け、後ろの人びとを手招きする。「みんな歓声を上げた」と、クイーンズ・ウェストミンスター・ライフルズのレスリー・ウォーキントンは思い出した。そして、フットボールの観衆のように群がり、ギフトの交換が始まった。イギリス人はチョコレート、お茶、プリン、ドイツ人は葉巻、ザワークラウト、シュナップスをシェアする。彼らは冗談を言って、まるでそれが大きな幸せの再会であるかのように集合写真を撮る。ゴールポストにヘルメットを使って、いくつかサッカーゲームが行われる。ある試合はドイツが3-2で、別の試合はイギリスが4-1。
フランス北部、フルベ村の南西では、敵同士が共同埋葬サービスを行う。「ドイツ人は一方で整列」とアーサー・ペラム・バーン中尉は後に書いた。「もう一方はイギリス人、将校が前に立ち、すべてがヘルメットをとった」。 彼らは'The Lord is my Shepherd'と'Der Herr ist mein Hirt'を歌い、声は混ざり合う。
その夜、クリスマスのごちそうがある。あるイギリス兵は、ドイツ軍のワインセラーに案内され、バイエルンの兵士が1909年のヴーヴクリコのボトルを開けた。男たちは住所を交換し、戦後ロンドンまたはミュンヘンで会うことを約束する。
証拠がなかったら、信じるのは難しいが、信じられないと思った兵士の目撃証言がたくさんある。
ほとんどのイギリス人はドイツ人がどれほど友好的であるかにあ然とした。彼らはデイリーメールなどの新聞の宣伝や偽のニュースに刺激されていた。新聞の40%以上は、当時のルパート・マードックであるノースクリフ卿に支配されていてたが、そこでドイツ人は、銃剣で幼児を突き、司祭を教会の鐘からつるす凶暴なフン族として描かれた。
戦争が勃発する少し前に、ドイツの詩人エルンスト・リサウアーは「イングランドに対する憎悪の賛美歌」を書いたが、それは国歌のように人気になり、ドイツの生徒はそれを暗記しなければならなかった。ドイツの新聞は、フランス人とイギリス人は神を知らないので、クリスマスを祝うことすらしないと主張した。
あるイギリスの兵士が家に手紙をおくった「新聞報道の多くは恐ろしく誇張されているに違いないと思う」。
長い間、1914年のクリスマス休戦は神話、感傷的なおとぎ話、悪いのは、裏切り者が語った嘘とされた。休日の後、戦争が再開され、何百万人もの兵士が殺され、クリスマスに実際に起こったことはますます信じられなくなった。
1981年のBBCのドキュメンタリー「無人地帯の平和」で明らかになったのは、イギリスの最前線の3分の2はそのクリスマスに戦いをやめた。ほとんどは、イギリスにフレンドシップを伝えたドイツ人の話だった(ベルギーとフランスのの国境線だが)。総じて、10万人以上の兵士が腕を組んだ。
これは、1914年のクリスマスの平和だけではなかった。スペイン内戦、ボーア戦争でも同じことが起こった。アメリカの南北戦争、クリミア戦争、そしてナポレオン戦争でも。ただ、フランダースのクリスマスほど広範で突然おこったことはなかった。
私は、兵士の手紙を読んで、ひとつの疑問が消えなかった。百万人の命を奪った恐ろしい戦争で男たちが塹壕から出られるのなら、今ここで私たちが同じことができないか?
かつてデイリーメールが血に飢えたフン族のデマを広めたが、私たちもまた、ヘイトをかきたて、デマを広める人たちに争いをしいらている。泥棒の外国人、人殺しの移民、レイプ魔の難民が侵入している。彼らは仕事を盗む一方で、怠け者だ。
これが、ヘイトのやり方で、今回の犯人は新聞だけでなく、ブログやツイート、ソーシャルメディアがうそをついている。最高のファクトチェッカーは、この種の悪意に対して無力なようだ。
しかし、それが逆に機能する場合はどうだろう?もしプロパガンダが不和をまくだけでなく、人々を元に戻すことができるとしたら?
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2006年のコロンビア、カルロス・ロドリゲスとフアン・パブロ・ガルシアは世界有数の広告代理店であるマレンロウで働いている。いつもはキャットフードのコマーシャルを考えたり、新しいブランドのシャンプーを売ろうとしたりしたが、今回のクライアントはコロンビアの国防相だ。ラテンアメリカで最も古いゲリラ軍であるFARCとの戦いで、政府はマーケティングでゲリラを攻撃したいと思っている。コロンビアの戦争は50年以上続いており、約22万人の命を奪った。コロンビアの軍隊、右翼の準軍組織、FARCのようなゲリラ運動はすべて凶悪な戦争犯罪を犯しながら、平和を知らない。そして今、軍は力ずくで勝つことは決してないことを理解している。
1年で、エージェンシーは100人近くの元FARC戦闘機と話し合う。調査員たちは、何が彼らをジャングルに追いやったのか、そして何が彼らをそこに留めているのかを突き止めようとするが、結論は同じで、彼らは普通の男性と女性だった。
「彼らがゲリラではなく人間であることを本当に理解すると、コミュニケーションは完全に変わります」カルロスは言った。カルロスとフアンは、FARCのイデオロギーを攻撃するのではなく、プロパガンダはより家族に近づくべきだと理解する。特に復員する数が毎年クリスマスにピークに達することを発見した。
クリスマス作戦は、2010年12月に始まった。
ブラックホークヘリコプターの2つの特殊部隊チームは夜に敵の領土に深く飛び込んで9つの戦略的な場所、75フィートの木に2000個のクリスマスライトを落とした。「クリスマスツリー」には、誰かが通るたびに点灯するモーションディテクターとバナーが取り付けられている。「クリスマスがジャングルに来たら、あなたは家に帰ることができる。復員。クリスマスには、すべてが可能だ」。
作戦は圧倒的な成功をおさめ、1か月で331人のゲリラ武装勢力が戦いをあきらめた。ある反政府勢力は言った「指揮官は怒っていなかった。私たちが見た他のプロパガンダとは違っていた・・・」彼は感動した。
マレンロウのチームはインタビューを続ける。クリスマスツリーについて知ってはいたが、ほとんどの武装勢力はそれらを見ていなかった。FARCはがジャングルのハイウェイである川を移動するからだ。そして、それはアドメンの次のアイデアを刺激する。
リバーズオブライト作戦は2011年12月に始まる。新兵を供給する川の近くに住むコロンビア人は、反乱軍に加わった家族に手紙を書くよう求めらる。「家に帰ってきて。あなたを待っている」手紙と小さな贈り物は、6,823個の浮かぶ透明なボール(透明なクリスマス飾り)の中に入れられ川に落とされる。結果は、FARCの爆弾メーカーを含む180人がさらに武器を置いた。
翌年、ベツレヘム作戦が始まる。インタビューで、カルロスとフアンはゲリラがジャングルの中でしばしば迷子になことを知る。家に帰りたくても、道がみつけられるとは限らない。だから、軍用ヘリから何千もの小さなライトを落とす。そして、巨大な標識灯を置いて、ビームが空をぬけて何マイルもの間見ることができるようにした。ジャングルから抜け出そうとする反乱軍は、星を追ってベツレヘムに行った羊飼いのように、見上げるだけで済む。
その後、チームは大きな銃を持ち出すことにした。母親。まずコロンビアのシークレットサービスから、FARCに子供がいる女性のリストを入手する。20年以上子供に会っていない人もいる。子供時代のスナップショットの提供をお願いして、それをジャングルに置く。写真には簡単なキャプションが付いている「ゲリラになる前、あなたは私の子供だった」。
これもまたヒットして、218人が帰った。再会すると、彼らは恩赦を与えられ、商売を学び、仕事を見つけるのを助けるために再統合プログラムに送られる。キャンペーン全体の秘訣は、反逆者は怪物としてではなく、普通の人びとと見なされる。ファンはいう「私たちは犯罪者を探しているのではない。ジャングルで行方不明の子供を探してるのだ」。
この寛大さはどこから?なぜ反政府勢力は恩赦と訓練と仕事を提供されたのか?コロンビアの人々は、過去をそのまま置いておくことをどうやって気づいたのか?
私はフアンとカルロスの上司であるホセ・ミゲル・ソコロフに疑問を投げかけたら、彼は笑った。
「戦争の影響を受けたことのない人びとは、最悪の強硬派になる傾向がありました」とホセは確認する。しかし、実際に誘拐されたり、愛する人を失ったりした人々は、過去を彼らの後ろに置きたかったのだ。
広告チームは、コロンビア全土が両手を広げて戻ってくる反政府勢力を歓迎するふりをすることに決めた。そしてそれはうまくいった。2010年以来、数千人のゲリラが帰国、FARCはわずか数年で2万人のメンバーが半分以下になった。
マレンロウのキャンペーンは、2011年に始まったコロンビアの和平プロセスに重要な推進力をもたらした。数年後、かつてマレンロウと契約した国防相だったフアン・マヌエル・サントス大統領はノーベル平和賞を受賞した。半世紀以上の戦いの後、紛争は終わりを告げた。翌年、FARCは数千の武器を手放し、最後の戦闘員はジャングルから出て行った。
「今日は特別な日です」とサントス大統領は宣言した。「武器が言葉と交換される日だ」。
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これは、コロンビアが突然ある種の平和な王国に変わったということではない。左翼のFARCの復員によって、極右の準軍事組織や麻薬密売人の余地ができたため、他の反政府勢力は依然としてジャングルを占拠している。また、半世紀にわたる流血の傷跡が完全に消えることはない。それでも、この話は希望のひとつだ。
コロンビアの広告チームが見たのは、100年前に見られたのと同じもの、優しさの伝染力だ。1914年のクリスマスに平和が流行のように広まったとき、それに免疫をもつ兵士はほとんどいなかった。まれな例外は、第16バイエルン予備歩兵連隊の頑固な25歳の伍長、彼は「そのようなことは戦時中に起こるべきではない」と言った。その名前はアドルフ・ヒトラー。
他のほとんどの軍人は、人生のハイライトとして塹壕の休戦を思い出した。いつもいつも最初に手を差し伸べるのは戦闘に最も近い人間だった。そこから友情の精神は階級をこえて大尉、少佐、大佐に感染した。将軍が平和の疫病を止めるためにひっくりがえり、最上部のリーダーだけが抵抗を示した。 12月29日、ドイツ陸軍司令部は敵との友愛を厳しく禁止する命令を出した。 これは、イギリスの陸軍元帥が、すべての友情のジェスチャーをやめるようにと繰り返された。従わなかった者は誰でも、軍法会議にかけられただろう。
その後の数年間、軍のリーダーはより準備した。1915年のクリスマスに、イギリスの最高司令部は、ユールタイドの感情の火花を鎮圧するために、昼夜を問わず戦略的な陣地を砲撃した。
イギリスの少佐はいった「もし自分たちに任せられていたら、さらに銃弾が発射されることはなかっただろう」。
何千人もの兵士が平和を維持するために最善を尽くした。 手紙は秘密裏に前線を越えて渡された。「明日は警戒してください」とフランスの部隊はドイツの部隊に書いた。「 将軍が現場を訪ねてきます。私たちは発砲しなければなりません」。 イギリスの大隊はドイツ人から同じような手紙を受け取った。
「私たちはあなたの同志のままです。 もし私たちが発砲を余儀なくされるなら、私たちは高すぎるように撃つでしょう」。
前線にたつ兵士は、何週間も停戦を延長することができた。そして、どんなに押さえつけられても、停戦は起こり続けた。
戦争中、平和はいつでも噴火する恐れがあった。軍事歴史家のトニー・アシュワースは、1914年のクリスマスを「氷山全体の突然の浮上」と表現している。その山を水面下に押し戻すために、将軍、政治家、そして戦争を焚きつける人たちは、偽のニュースから純粋な権力まで、あらゆる手段を利用しなければならない。人間は単に戦争のために繋がってない。
自分を含めみんなが覚えておく必要があるのは、他の人びとは私たちにとても似ているということだ。テレビで怒っている有権者、統計上の難民、犯罪者の顔写真、みんな血と肉のある人間であり、別の人生では、友人、家族、最愛の人だったかもしれない。あるイギリス兵が気付いたように、私たちと同じように、彼らには愛する人びとが家にいるのだ!
自分の塹壕に穴を開けると、現実を見失う。私たちは、憎しみをかき立てる少数派がすべての人類を反映していると考えるように誘惑される。TwitterやFacebookのほぼすべての中でこき下ろしの原因となる一握りの匿名のインターネット・トロールのように。そして、最も苛酷なキーボードの十字軍でさえ、時には、思いやりのある友人や愛情ある介護者である場合がある。
人々が親切であると固く結ばれていることは、感傷的でも素朴でもない。それどころか、平和と許しを信じることは勇気と現実だ。ホセ・ミゲル・ソコロフは、広告代理店のクリスマスメッセージを広めるのに役立ったコロンビア陸軍部隊の1人の将校について語っている。数ヶ月後、将校は戦死した。ホセはいまでも彼から学んだことを思い出して感情的になる。「私はこれをやりたい」と将校は彼に言った、「寛大さが私を強くするから。そして部下もより強く感じる」。
それは昔からの真実。 あなたが与えるほど、あなたはより多くをもつからだ。 それは信頼と友情に当てはまり、平和にも当てはまる。

エピローグ 生きるための10のルール

伝説によると、デルファイのアポロ神殿の前庭には2つの言葉が刻まれていた。GNOTHI SEAUTON、汝自身を知れ。
心理学、生物学、考古学、人類学、社会学そして歴史の最新の証拠を考慮すると、人間は何千年もの間、不完全な自己イメージによってナビゲートされてきたと結論づけることができる。長い間、私たちは、人は利己的で、私たちは、獣かもっと悪いものと仮定してきた。文明がほんのわずかな挑発で割れる薄っぺらなベニヤであると信じてきた。今これはまったく非現実的であることを知っている。
結局のところ、ほとんどの人がきちんとしていて親切であると私たちが信じるなら、すべてが変わる。学校や刑務所、ビジネス、デモクラシーをどう組織するかを完全に再考できる。そして、私たちがどう生きていくのかも。
私は自助のファンではない。内省しすぎて外省が少なすぎる時代、より良い世界は私からではなく、私たち全員から始まる。主な任務は、別の法制度をつくることだ。 キャリアのはしごの登り方や、富への道が分かる100のヒントは、私たちをどこにも導かない。
人間の本性を現実的に見つめることは他の人とのやりとりに大きな影響を与える。
過去数年学んだことに基づいて、私自身の生きるための10のルールが以下だ。

I:疑わしい時は、最善を想定する
自身に対する最初の戒めが最も難しい。人間は繋がるために進化したが、コミュニケーションには注意が必要だ。
同僚が自分を好きではないと思うとする。それが本当であるかどうかに関係なく、確実に、自分の行動は関係をよくしないものに変わる。人間には否定性バイアスがあることが分かっている。1つの不快な発言は、10の褒め言葉を組み合わせよりも深い印象を与える。そして、疑わしいときは、最悪の事態を想定する傾向がある。
非対称フィードバック、あなたの誰かへの信頼が見当違いなら、真実は遅かれ早かれ表面化する。しかし、誰かを信頼しないことにしたら、フィードバックは得られないから、それが正しいかは決して分からない。
他人の意図に疑問があるとき、最善を想定するのが一番現実的だ。ほとんどの人が善意を持っているので、通常これは正しい。
でも、それでも詐欺に遭ったら?
詐欺やペテンの第一人者の心理学者のマリア・コンニコワは、本の中で話している。彼女のヒントはいつも警戒しろだと思うだろうが違う。はるかに良いのは、あなたがたまに騙されるという事実を受け入れて理解することだ。それは他の人を信頼するという一生の贅沢のために支払う小さな代償だ。ほとんどの人は、信頼が見当違いだった時に恥ずかしいと思うが、リアリストは、少し誇りに思うべきなのだ。実際、もっと前に進める。もし一度も騙されたことがないなら、自分の態度は、十分に人を信頼しているかと見つめるべきだ。

II:ウィン・ウィンのシナリオを考える
トーマス・ホッブズが友人とロンドンを歩いていて、物乞いにお金を渡すために突然立ち止まったという話がある。友人は驚いて、それはホッブズが不快感を消すための利己的な動機なのだと解釈した。
数世紀にわたって哲学者と心理学者は、純粋な無私無欲のようなものがあるかどうかという疑問に頭を悩ませてきたが、私にはあまり興味がない。素晴らしい事実は、私たちは、良いことをすると気分がいい世界に住んでいるということだ。食べ物がないと飢えてしまうので、私たちは食べ物が好きで、セックスがなければ絶滅してしまうので、セックスが好きだ。お互いがいないと枯れてしまうので、助けあうのが好きだ。よいことをするのは、それがよい事だから、通常は気分がいい。
悲しいことに、企業や学校などは、互いの競争に監禁されるのが私たちの本性だという神話に基づいて組織されている。ドナルド・トランプは著書で、「大いに勝って、相手はそうじゃない取引」、敵を粉砕してよりよいものを手に入れるのだ。
実際、これはまったく逆に機能する。最高の取引は誰もが勝つものだ。ノルウェーの刑務所はより良く、より人道的でより安価だ。ジョス・デ・ブロークのオランダの在宅看護の組織は、より低いコストでより高い品質を提供し、より多くの従業員に支払い、そしてスタッフと患者の両方をより満足させる。これらは、誰もが勝つシナリオだ。
同様に、許しに関する文献は、他人を許すことは私たち自身の利益になることを強調している。許すことは、反感や恨みにエネルギーを浪費するのをやめることだ。生きることに自分を解放する。 神学者ルイス・B・スメデスは書いている。「許すことは、囚人を解放すること、そして、囚人があなただったことを発見すること。」

III:もっと多く問う
「己の欲せざる所人に施すことなかれ」2500年前に孔子が言ってから事実上すべての哲学の黄金律は、ギリシャの歴史家ヘロドトスとプラトンの哲学で言われ、その数世紀後、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経典にコード化された。今でも、何十億もの親が子供たちに繰り返す。一部の神経学者は、これを何百万年もの人類の進化の産物であって、脳にプログラムされているとさえ信じている。
それでも、私はこの黄金律が不十分だと信じるようになった。すでに共感が悪いガイドになる可能性があることを確認したが、単純な事実は、人が何を望んでいるかを私たちがいつも知ることはできないということだ。自分たちはやっていると思っているマネージャー、CEO、ジャーナリスト、政策立案者はすべて、事実上人の声を奪っている。だから、難民がテレビでインタビューされるのをめったに見ないし、デモクラシーとジャーナリズムが一方通行で、福祉国家は家父長主義に陥る。
質問をすることから始めるのがはるかによい。ポルトアレグレの参加型デモクラシーのように、市民が発言する、ジャンフランソワ・ゾブリストの工場のように、従業員が自分のチームを指揮する、シェフ・ドルメンの学校のように、子供たちが自分が学ぶことを計画する。
プラチナルールとしてジョージ・バーナード・ショーがまとめている。
「人があなたにすべきと思うことをやってはならない。好みが違うかもしれない」。

IV:共感を和らげ、思いやりを訓練する
プラチナルールは、共感ではなく、思いやりを求める。違いを説明するために、伝説的な思想の指揮官である僧侶マチウ・リカールを紹介する(これがアピールするなら、彼の5万時間の間瞑にグッドラックと言えるだけだ)。
少し前、神経内科医のタニア・シンガーは、リカールにルーマニアの施設での孤独な孤児たちのドキュメンタリーを見てもらった。翌日、スキャナーの下で脳をスライドするとき、彼らの空虚な目や、とげのある手足を思い出すように頼んだ。1時間後、リカールは共感のために疲れ切った。別のグループに、毎日目を閉じて15分間共感して過ごすように依頼すると、彼らは1週間しかもたなかった。電車に隣り合わせる人を見るだけでも、その人が苦しんでいるように思えた。
もう一度シンガーは僧侶にルーマニアの孤児について考えるように頼んだ。今度は、苦痛を分かち合うのではなく、暖かさ、関心、そして気遣いの気持ちを呼び起こすことに集中してもらった。
モニターですぐに違いは分かった。共感は主に私たちの耳のすぐ上にある前島皮質を活性化するが、今回は彼の線条体と眼窩前頭皮質が点滅していた。
リカールの新しい考え方は、思いやりで、共感とは違って私たちのエネルギーを奪うことはない。実際、リカールはずっと気分が良くなった。 それは、思いやりが、制御できて、遠隔で建設的だからだ。分かち合わないが、認識して行動するのに役立つ。それだけでなく、思いやりは私たちにエネルギーを注入する。まさに助けるために必要なものだ。
そして、瞑想が私たちの思いやりを訓練できるという科学的証拠がいくつかある。脳は順応性のある器官で、体の形を保つために運動するなら、心にも同じことをしてみよう。

V:相手の素性を知らなくても理解するようにする
ズームアウトの他の方法がある。理性、知性。物事を合理的な視点に置く私たちの能力は、私たちの脳のさまざまな部分を参加させる心理的プロセスだ。私たちが知性を使って誰かを理解しようとすると、これは前頭前野を活性化する。額のすぐ後ろにある、人間では非常に大きい領域だ。
さまざまな研究は、私たちが結局それほど合理的でも冷静でもないことを明らかにしているが、それを誇張しないことが大事だ。私たちは、日常生活の中で常に合理的な議論と証拠を用いて、法律と規則​​と合意に満ちた社会をつくってきた。人間は私たちが考えるよりもはるかによく考える。そして、私たちの理性の力は、私たちの感情的な性質を覆う薄いコーティングではなく、私たちが何ものか、何が私たちを人間にするのかの本質的な特徴だ。
ノルウェーの刑務所へのビジョンは、私たちの直感に反するようだが、私たちの知性を使って再犯統計を調べることで、それが犯罪者に対処する優れた方法であることがわかる。 または、ネルソン・マンデラの政治家精神。 彼は何度も何度も言葉を飲み込んで、感情を抑え、鋭く分析し続けなければならなかった。 マンデラは心優しいだけでなく、同じように鋭かった。他人を信じることは、感情的な決断と同じくらい合理的な決断だ。合理的なレベルで他人を理解することはスキルであって、トレーニングできる筋肉だ。
理性の力が必要なのは、ほとんどの場合、気持ちよくなりたいのを抑えることだ。私たちの社交的な本能が真実と平等の邪魔になることがある。誰かが不当に扱われているのに、不快にならないように黙っているのを見たことはないか?平和を保つためだけに言葉を飲み込んだのではないだろうか?ボートを揺さぶる権利のために戦う人びとを私たちはみな非難していないか?
大きなパラドックスは、人間は根本的に社交的な生き物として進化したが、時には私たちの社交性が問題になることがある。歴史が教えるのは、進歩はしばしば、ビュートゾルフのジョス・デ・ブロークやアゴラのシェフ・ドルメンのような人びとから始まるが、他の人びとは彼らを説教じみてフレンドリーじゃない人だと感じる。演説台に乗る神経をもち、不安をもたらす不快なテーマを取り上げる人。彼らは進歩の鍵なので、こうした人びとを大切にして欲しい。

VI:他の人が自身を愛するように、自分自身を愛する
2014年7月17日、マレーシア航空のボーイング777がウクライナの親ロシアの分離主義者によって撃墜され、乗客は298人全員が死亡、うち193人はオランダ人だった。
最初、死亡報告は抽象的だったが、死亡した若いカップルの搭乗直前の自撮り写真が広まるにつれて、多くの人にとってオランダ人であることが今までになく意識された。家族は、私たちの痛みを国と世界に見せたいと言ったが、それは正しかった。
なぜ人は自分たち似た人たちをより気にするのだろう?
悪は遠くで仕事をする。距離があるから、知らない人をインターネットで叩くし、距離は、兵士が暴力への嫌悪感を回避するのに役立つ。そして、距離は、奴隷制からホロコーストまで、歴史上最も恐ろしい犯罪を可能にした。
しかし、思いやりの道を選ぶと、知らない人とほとんど距離がないことに気づく。思いやりは自分自身を超えて、近くの愛する人びととそれ以外の世界の大事さが変わらなくなる。なぜ仏陀は家族を捨てたのか?なぜイエスは、弟子たちに家族を置いてくるように言ったのか?

でも、やりすぎることがある。
人が仲間を愛するのは小さく始まる。自己嫌悪でいっぱいだと人を愛せない。家族や友人を見失ったら、世界の重荷は引き受けられない。小さなものを手に入れないと大きなものは引き受けられない。
人間として、私たちは違いをつくり、人は自分を一番気にかける。それは恥ずべきことではなく、それが私たちを人間にする。一方で、遠い見知らぬ人も私たちと同じくらい人間的だということも理解しないといけない。

VII:ニュースを避ける
距離感の最大の源泉はニュースだ。夕方のニュースは、現実と同調した気分にさせるかもしれないが、真実は、世界観を歪めている。ニュースによって、政治家、エリート、レイシスト、難民のようなグループを人びとが一般化する。もっと悪いことに、腐ったリンゴにズームインする。
同じことがソーシャルメディアにも当てはまる。ヘイトスピーチを遠くに吐き出すいじめっ子のカップルが、アルゴリズムによってFacebookとTwitterのフィードの上位に押し出される。人間の否定性バイアス、悪い行動がより注意を引くので、それを利用して、悪い人びとの行動を広告という利益に変える。これでソーシャルメディアは私たちの最悪の品質を増幅するシステムに変えた。
神経学者は、私たちのニュースとプッシュ通知への欲求は、完全に中毒症状だと指摘している。シリコンバレーの企業のマネージャーは既にこれをよく知っていて、子供たちの時間を制限している。
私の親指のルールはいくつかある。テレビのニュースやプッシュ通知を避け、特集記事を読む。画面から離れて、直接人と会う。
食べ物が体に与える影響について慎重に考えるように、情報が心に与える影響について考えよう。

VIII:ナチスを殴らない
ニュースの熱心なフォロワーなら絶望にとらわれるのは簡単だ。義務を怠るポイント、皮肉とは単純に怠惰という他の言葉であることを忘れてはならない。責任を取らないのは言い訳だ。ほとんどの人が腐っていると信じるなら、不正について悩む必要はない。いずれにしても世界は地獄に堕ちる。
皮肉のような怪しいある種の行動主義もある。いつも自己イメージにばかり関心を寄せる良いことをする人。他者を尊重せずにアドバイスをする最善を知る反逆者。悪いニュースは、彼らがずっと正しいかったことを証明するから、よい良いニュースだ。

しかし、ドイツの小さな町、ヴンジーデルのように、別の方法がある。1980年代後半、ヒトラーの副官ルドルフ・ヘスが地元の墓地に埋葬されると、ヴンジーデルは急速にネオナチの巡礼地になった。今でも、スキンヘッドは、暴力、暴動を扇動しながら、ヘスの命日の8月17日に毎年町を行進する。
そして毎年、ネオナチがまさに望むものを与えるために反ファシストがすぐにやってきて、誇らしげに打ってかかるビデオが流れ出す。それは逆効果となり、中東を爆撃することがテロリストのマナであるように、ナチスを殴るのは過激派を強化するだけで、彼らの世界観を検証して、新たなリクルートを容易にする。
2014年、ファビアン・ウィッチマンは、ルドルフ・ヘスの行進をチャリティーウォークに変えると提案し、町の人たちがそれに賛成した。ネオナチが1メートル歩く度に町の人たちはウィッチマンの団体EXIT-Deutschlandに10ユーロを寄付する。団体は極右グループから抜け出すのを助けるのだ。町民はスタートとゴールに線を引いて、歩く人たちの努力に感謝する横断幕をつくった。そして歩く人たちに歓声をおくり、ゴールでは紙吹雪を浴びせた。ネオナチは何が起こっているか見当もつかなかったが、結局、寄付は2万ユーロ以上集まった。ウィッチマンは、このようなキャンペーンの後の重要なことはドアを開けておくことだと強調する。2011年の夏、彼の組織は過激派のロックフェスティバルでTシャツを配った。極右のシンボルが刷られたシャツは、洗濯すると別のメッセージが現れた。Tシャツができることはあなたもできる。あなた自身を極右から解放するのを私たちは手伝う。その後の数週間で、EXIT-Deutschlandへの電話の数は300%増加した。嫌悪感と怒りを期待していたところに、彼らは手を差し伸べた。

IX:クローゼットから出よう、恥ずかしがらずによい事をしよう
手を差し出すのに何よりも必要なのは勇気だ。
「貧しい人びとに与えるとき、ラッパを鳴らしてはいけない」イエスは山上の説教で警告した、そして「祈るときは、部屋に入ってドアを閉め、秘密の父に祈りなさい」。
現代の心理学者は、人が心の良心に背く何かをするとき、よく利己的な動機をつくりあげることを発見した。
寡黙はノセボのように機能する。善行を隠すことによって、それは検疫される。そこでは、他の人の模範となることができない。ホモ・パピーは真似することがとても得意なのに、それは残念なことだ。
山上の説教で、イエスは弟子たちに警告する一方で励ました。「あなたは世界の光だ。丘の上にある街は隠せない。ランプに火をつけてカゴの下に置くのではなく、スタンドの上に置くと、家の中のすべてに光を与える。同じように、あなたの光を他の人の前に輝かせて、彼らがあなたの良い行いを見ることができるようにしなさい」。
2010年、よいことをするのは伝染することが、2人のアメリカの心理学者によって実証された。誰も知らない120人のボランティアが4人のグループに分けられ、最初にいくらかの現金をもらい、公共積立に寄付するかどうか、その金額も自由に選べるようにする。その次に、すべてのグループがシャッフルされ、2人が同じグループに2回参加することはない。
次に起こったことは、本当の掛け算トリックだった。誰かが最初のラウンドで寄付したら、グループの他のプレーヤーは、違う人びととプレイしても、次のラウンドで平均20セント多く寄付した。この効果は第3ラウンドまで持続し、プレーヤーは平均5セント多く貢献した。最終的な集計では、1ドルの寄付はすべて2倍以上になった。
すべての善行は池に投じられた小石のようなもので、あらゆる方向に波紋を送る。
優しさはキャッチされる。そして伝染性が非常に高いので、遠くから見ているだけの人にも感染する。心理学者のジョナサン・ハイトは、人びとが単純で寛大な行為にしばしば驚いて感動することを発見した。どんな影響があるかと質問すると、「外に出て誰かを助けたいという抑えらえない衝動だ」と答えた。
ハイトはこの感情を「気高さ」という。人間は、単純な親切によって、文字通り、暖かい、ゾクゾクした感じになるように配線されている。魅力的なのは、話を聞いただけでも、この効果が発生することだ。まるで冷笑的な感情を一掃するメンタルリセットボタンを押すかのようで、私たちはもう一度世界をはっきりと見ることができるようになる。

X:現実的になろう
そして今、私の最も重要な生きるためのルール。
この本で私がやろうとしたことが一つあるとすれば、それは「リアリズム」という言葉の意味を変えることだ。悲観的な見通しをもつ人にとって、現実主義者は皮肉屋の代名詞ではなかったか?
本当は、現実を知らないのは皮肉屋だ。私たちが住む惑星Aでは、人びとはお互いによい事をする傾向がある。
だから現実的になろう。勇気を出そう。あなたの本性に正直になって、信頼を与えよう。真っ昼間に良いことをし、寛大である事を恥じない。あなたは最初は、騙されやすくナイーブだから退けられるかもしれない。でも、今、ナイーブなことは、明日は常識かもしれないことを忘れないように。
新しいリアリズムの時が来た。人間に対して新しい見方をする時が来た。

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