試験を終えて。

先日、精神保健福祉士の試験がありました。結果が出るのは来月の半ばですが、ひとまず無事に試験を迎えられたことにほっとしています。

社会人として働きながら、あるいは当事者として生活しながら勉強したことについてまとめてみようと思います。

勉強は、大切。

もう、本当にこれに尽きると思います。知識を得ること、他者の考えに触れること、自分の考えを整理すること、どれもが本当に楽しかったです。私はもともと研究者を目指していました。その道を諦めてからはずっと、「勉強(研究)をしていない自分は、いったい何者なのだろう」という思いをずっと抱いていました。いま思えば当時はそこまで真面目に勉強(研究)していなかったのですが、結果を出すことにとらわれすぎていて、自分に必要なものを身につけることの大切さや楽しさ、その理由を考えることができませんでした。

「学び方」を学ぶ。

精神保健福祉士の資格を取るためには、試験に合格して登録を行う必要がありますが、受験資格を得るためには、学校で所定の科目全てを修了しなければなりません。科目は精神疾患に関する知識から、社会学や福祉の理論、制度や法律に関する知識など多岐にわたります。このように「決められた科目を修了する」というある種の枠組みを与えられることは、研究室で自分の研究テーマを中心に物事を考えていた自分にとっては新鮮なことでした。どちらがいいかではなく、枠組みがあることで、最終的な目標(資格の取得)に向けて、何をすることが必要で何を身につけなければいけないかについて細かく分けて考えられたことは、有難かったです。

情報技術が発達して、試行錯誤しなくても「正しい方向の努力」ができることが前提になっているように感じます。その中で未経験だった分野に挑戦して「やってみた」ことで多少なりとも得られたものはあったように思います。

勉強以外のことも、大切。

見出しのとおりです。勉強の大切さと同時に強く感じたのはこれでした。実は、勉強を始めるときは、今の職場で働きながら勉強することにかなり迷っていました。私は仕事を辞め勉強に専念したいという気持ちもありましたが、家族や職場の先輩と相談して、働きながら勉強することを選びました。これは、結果としてよかったといまでは思います。勿論、仕事はきっちりやらなきゃいけないし、嫌なこともあったし、疲れて勉強どころではないときもありましたが、仕事と勉強を切り替えて行うこともできましたし、逆に仕事をしていることで得られる充実感や安心感もたくさんありました。仕事に限らず、趣味に使う時間やそこでの仲間との交流、家族と過ごす時間なども勉強するうえでは大きな支えとなりました。これらがなければ、とてもじゃないけどやっていけなかったと思います。

知ることの、苦しさ。

ここまで「勉強してよかった」ということを書いてきましたが、知識を得ることはいいことばかりではないと思います。精神障害をとりまく歴史や現状、あるいは自分個人に関して、「どこかで病気になることを防げたのではないか」という思いとずっと向き合わなければなりませんでした。苦しいことではありますが、それだけ課題があるということです。また、試験はあくまで最低限の知識を問われているだけなので、これからもまだまだ勉強は続きます(持続可能な状態で)。読みたい本もたくさんありますし。

最後に。

合格できるといいなあ。

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