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7/22(土)『ササエル人のためのサポートグループ』実施レポート

先日ひそかに、ササエル人を対象としたサポートグループを開催した。
ササエル人とは、日常的に他者を支援する活動を行っている人、感情労働を行っている人を指す造語である。
そして「ひそかに」というのは、クローズドなモニター開催であることを示している。

グループの目的は、ササエル人の自己発見とエンパワメント。
ワークショップ形式での開催が久しぶりの私自身へのゆるゆる甘やかしプランで、お客様は精鋭の感性豊かな知人のみ。

とてつもなく豊かで愉快な会になったのだけど、当日のアドレナリンが落ち着いてくるにつれ、細かい反省点が浮き彫りになる。
場のちょっとしたゆらぎ、参加者のなにげない発言に、感性の毛穴は反応していたにもかかわらず、それを介入や促進という行為に落とし込めていないところが、あるわ、あったわ・・。

もう穴があったら潜りたい。
岩戸があったら籠りたい。
暖簾があったら隠れたい。

せっかく表現してくれたのに、当事者や他の参加者のために活かせませんでしたな。きちんと反応するために整えるべきは何でしょうかな。

そんなことを、昼夜問わず考え続ける。
こうやって、すっかり眠りこけている毛穴を立ち上げることができるのは、モニター参加を快諾してくれた皆様の貢献あってのこと。

繊細な、大切な、自分の心を、「モニター開催の場」なんてふざけた俎板に気前よく乗っけてくれる人って、実はそんなにいない。
(私は不信感の強い人間なので、モニターの場でモルモットみたいに扱われると傷ついて、しつこくギャーギャー恨みごとを垂れ流しますよ)

簡単に他者の心に入っていく技を駆使する責任として、そして異様に傷つきやすい自分の性質からしても、無神経に他者から「奪う」ことは避けたい。
それが私の根深い怖れ。

ひょっとして
奪っていないか、奪ったのではないか。
もしかして
傷つけていないか、傷つけたのではないか。
はたして
その一瞬、私は誠実であったのか、なかったのか。

本番前も、本番後も、孤独に神経質に試行錯誤を続ける。
でも結局は、モニターの俎板に潔く飛び込んでくる知人たちから差し出される「全幅の信頼」に涙することになる。

「じぶんが奪われようが奪われまいが、傷つこうが傷つくまいが、あなたがやるなら何でもいいんだよ」って、そんなおそろしいこと言えます?こういうときに、アタシは自分の不信感の根深さに直面するですよ。

なんだか自分は、すごい人たちに囲まれて守られて助けられている贅沢なやつんだなと思う。
空っぽになるまでエネルギーを吐き出して、たっぷり無条件の愛とか信頼とかを充填されて、調子に乗って、またやるしかなくなってしまう。
少し残念なことに、私はとてもビビりで刺激に弱く疲れやすいので、たとえいいことだとしても、次の予定を入れるのを遠く遠くに先延ばしがち。

しかしだね。
こうして東の方で小さな狼煙をあげたのが見えたらしく、西の方から「こっちでもやらん?」って声がかかった。
かつての仲間は、「講演の企画があがったときから、もう顔がちらちら浮かぶねん。専門外はわかってんけど、ダメもとで誘ってみてん」と語った。

確かにね。久々にマンツーマンじゃなくてグループやったら、めちゃくちゃ楽しかった。それは事実。
相変わらず人見知りで刺激に弱いし、人前に立つのはそんなに好きじゃないし、「場面緘黙スイッチ入って機能不全になったらどうすっかな。誰か回収してくれっかな」とか余計な心配するけど、やっぱりエネルギーうねりまくって予想外のことが起きていくグループの展開は楽しすぎる。

そうすると、かつてえらく楽しい時間を共有した仲間が「なーんか東の方でやっとるな。アイツ、岩戸から出てきたな」って察知する。
そういうのって時空を越えてバレる。

専門外はたしかに専門外の話だった。
でも、一緒にやりたいと思えたからやるよ。
まだ時間はある。なんか楽しいやつ創ろう。

「やる。それ、私の仕事」と決めるのが先で、「なにを、どうやって」は後。直観に導かれて決めるときは、結果としてだいたいうまくいくんだけど、なんの保証もないから同時に不安も襲ってくる。

そうしたら、さらに西の方からヘルプがやってきた。
「自分の仕事って気がしてやるって決めたけど、実際なにができるかわからん。正しいことも立派なことも言えんしな」とつぶやいた私に、「私だから伝えられること」のコアメッセージが手渡された。
いやはや、参りました。忘れてました。

一歩先の展開って、あらかじめ見えてはいない。
葛藤して、体験して、その場に身を置いて、観念して、越えない限り、次の展開はやってこない。
だから、不安はいつも背中合わせにあって、そして自分自身を生きることを選んでいるなら、それこそ不安はずっと友達で、ときどきガクブルで泡吹きそうな自分を「はいはい、わかったよ。不安で死にゃせんからよ」ってギュッと抱きしめてあげなきゃいけない。
つまり、いつも前のことは見えないままだけど、必ず必要なものを手に入れていく自分をバカみたいに信じて進めばいいんだってことなんじゃないか。

進んだら、たぶん次のなにかが現れる。
その繰り返しで、たどり着きたい場所が近づいてくる。

しつこいようだけど、いちいち怖い。
あー、もー、いっそのこと目をつぶって歩きたいわ。
(お化け屋敷か)






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