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投影のお作法

かつて心理学をかつて学んでいた友人と、投影について話して悶えた。

投影って、簡単にいうと相手が自分の鏡になってくれている状態。
もしくは自分の見えない心の在り様を、相手がスクリーンとなって映し出してくれている状態。
しかしね。投影している最中は『してくれている』みたいな謙虚な気持ちとはほど遠い感情に取り憑かれる。それが悶えポイント。

投影って、コツをつかむとすごいお得な現象で、お得ポイント回収し放題なんだけど、一般的には「ざるレベル」で逃している場合が多い。

なぜか。
それはね、投影が実際の人間同士の関係で起こるからに他ならないのだよ。

「これは投影だ。相手の姿を借りて私の内面が豊かになるチャンスだ」って自覚できたら、自分のなかで完結できる。でも、多くは実際の他者との『関係性』のままにプロセスが進んでしまうっていうのが厄介な点。

人は他者を通してしか自分を理解できない未熟さを持っている(そこが愛しくて可愛いくてめんどくさいところ)。だから、謙虚に他者の姿から学ばせてもらうしかないんだけど、それこそがめちゃくちゃ難しいってこと。

自分のエネルギーの源泉を守り育てることを放棄して、相手にどんなエネルギーの源泉を預けてしまっているのか。
変化可能な自分の可能性を追求しないで、不確実な他者になんの幻想を期待しているのか。
実は、もっとまじめに考えないと勿体ない話。
良いも悪いも他者に貴重な資源を預けっぱなしでは、いつまでたっても自分の力(魅力)として使えない。

もう少し、具体的にいこう。
自分が抑圧している受け入れがたいマイナスの一面を相手に投影するときは、『何かムカつく』『腹立つ』『嫉ましい』などなど、心がざわつきウネウネした気持ち悪さがつねに漂う。
それでも、まさか相手を通して自分の醜さや未熟さや過去の誰かとの未完了の課題を見ているとは思いたくないので、私たちは一生懸命に腹を立てる。
こうして相手を『嫌いな人』『苦手な人』『いけ好かないやつ』として処理した場合、真実は煙に巻かれる。嗚呼、勿体ない。

もうひとつ、いこう。
私たちは、マイナスばかりでなくプラスの一面も投影する。
自分の中ではまだ未分化な良き資質や可能性、ひょんなことで解離してしまった良きエネルギーの源泉を相手という鏡に映し出す。
この場合、相手に強烈に惹かれる。憧れて恋して焦がれて、うっとりしちゃう。ずっとお側にいたい、一体化したいと願うこともある。
だけどまさか、鏡に映った自分の可能性に頬ずりしそうになっている状態とは到底気づけないので、良き物は相手の中にのみあって、相手を丸ごと摂取し結合することでしか幸せになれないと思い込み執着する。
本当は、相手という鏡に映った自分自身の良き種に気づき、自分の内側で大切に育て上げればよいのだけど。

目に映るものは自分が選んでキャッチしたものだから、どんなことも自分自身と無関係ではない。
そして、どんなに酷くく受け入れがたい一面でも、どんなに自分とかけはなれているように思える憧れでも、おそらく自分にルーツがある。そして自分で制御および活用できる。
「いったん投影を起こしたら、自分の大切な一部を相手に無責任に預けたままではいかん。愛と勇気と覚悟をもって回収に当たらねばならぬ」というのが私の持論。しつこいようだが、投影がおきたら良いも悪いも素晴らしきエネルギーの源泉との結合のチャンスなんだから、自分ごとにしないと勿体ないって話。(いちいちただの恋愛とかで結合してる場合じゃない。それじゃあ、身体がもたんだろう)

話をしている間に、先の友人がなにやら無意識の尻尾らしきものをつかんだらしく、にわかに遠い目で宙を仰ぐ。言葉が意味をもたなくなる瞬間。
これ、めちゃ愛しいやつ。

「投影ってさ、つかんだと思うと離れていくよね。もどかしいよね」みたいな会話をしたと思う。
図と地の反転。ルビンの壺みたいな。図をみると地が消えて、地を見ると図が消えて。無意識レベルで「つかんだ、みえた」と意識に顕在化した途端、するりと意識レベルからすり抜けていく。

でもあきらめない。そうやって意識と無意識をいったりきたりしているうちに、そのとき統合すべきものが統合されていく。
投影を引き戻した暁には、なんだか以前よりも良いものになった自分と、自分の内面を投影しない「ありのままの他者」がいる。本当の他者と出会えるのは、投影が解けたあと。

嫌な上司も同僚も、不和で不実なパートナーも、めんどくさい友達も、大好きな推しも、憧れのあの人も、尊敬する師匠も。
出会ってくれて、投影させてくれてありがとう。私に学びの機会をくれてありがとう。そういうふうに思えたら、すべての出会いはとても豊かになる。

その関係を、ただの恋愛関係、ただの夫婦関係、ただの友人関係、ただの親子関係、ただのキャリアの行き詰まり、ただの挫折や喪失体験で終わらせるのか。それとも、出会いに感謝して協働して学び合うのか。

このちがいは、かなりデカい。

人間関係はじっくり楽しめばいい。見えていること以上のプロセスがすでに始まっていて、それは決まって想像をはるかに超えて豊かだから。本当の自分も、本当のあの人も、きっともっと面白い。


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