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「やりたい仕事がやれない」なんて当然!

「希望する職業につけない...」「やりたい仕事ができない...」と悩んでいる人は大勢いる。会社員の多くが、「望む仕事が与えられない」としきりに嘆いている。よくある悩みだが、一体、何が問題なのだろう?

やりたい仕事ができない。それだけ聞くと、なんだか問題のように感じる。しかし、少し冷静に考えてみると、この世の中には「やりたいこと」なんてほとんどないことに気づく。私たちの周りにあるのは「やらなければならないこと」だらけだ。

子供を産んだ母親は、「やりたいから」という理由で、1日に何度も赤ちゃんにオッパイをあげているだろうか? 子供たちは、好きでたまらなくて学校に行って勉強しているだろうか? そんなことはない。ほぼ間違いなく、「やらなければならないから」やっているのだ。

赤ちゃんは真夜中だろうがお構いなしに泣きわめき、お母さんにオッパイを求める。そんな赤ん坊に、「今あげたくないから、明日の朝にして!」と後回しにする母親はいない。まともな母親なら、寝不足になりながら、自分の時間を犠牲にして、子供の世話を続ける。それこそが母親の仕事なのだが、彼女らが望んでやりたがっているかは、また別の話。彼女らは「やりたいか、やりたくないか」とは関係なく、「やらなければならない」からこそ、その役割を全うしている。本来、仕事とはそういうもの。「この仕事はイヤだ」「やりたくない」などという選択肢は、そもそも存在しない。

そのくらい「生きる」というのは厳しいもの。やりたいことだけやって、やりたくないことはやらないなんて虫のいい話は通用しない。生きるためには何か仕事して、お金を稼がなくてはならない。ほとんどの人が、稼いだお金で生活を成り立たせている。私が何か仕事して、誰かがお金を払う。この関係が成り立つから、「生きるためのお金」を稼げる。実にシンプルな構造なのに、すぐに忘れてしまう人がたくさんいる。

「こんな仕事はイヤだ、やりたくない」「あんな仕事がした~い」「○○ができる職業に就きた~い」と考えるのは、もちろん自由。希望する仕事をして、誰かがお金を払ってくれるなら、何の問題もない。それは、私に能力があって、周囲の環境が認めてくれたらの話。もし私に仕事の能力がなかったり、周囲の環境が認めてくれないとしたら、「こんな仕事はイヤ」「あんな仕事がしたい」といくら希望を並べ立てても、何の意味もない。

仕事をすること、生きることは、「好きだ、嫌いだ」「やりたい、やりたくない」なんて感情が通用するほど甘いものではない。好きだろうが、嫌いだろうが、やらなければならないこと、自分にできることを精一杯する。結局は、それしか選択肢がない。自分が置かれている環境に適応することが生き残る道。誰もが知っている自然界の常識。

自然界で生き残るのは、強い者でも、体が大きな者でも、個体数が多い者でもなく、環境に適応した者だけ。それは人間社会でも、職場でも同じ。職場という環境に適応するのが私のミッション。会社や上司という環境が「Aという仕事をやってほしい」と求めているなら、応じるのが最適解。「私はBがやりたい」と言ったところで淘汰されて終わり。それが自然界の厳然たるルールで、まずはその大原則を理解するべきだろう。

もちろん世の中には「やりたい仕事をやっている」という幸運な人もいる。しかしそれは「環境に認められ、環境に応じた最適な行動をとって、適応している結果」だということを忘れずにいよう。どんなにやりたい仕事があっても、環境に求められていなかったら、その仕事には就けない。「やりたい仕事ができない」のは当たり前で、あくまでも大原則は「やらなければならないことをやる」なのだ。

環境に適応せずに、環境に文句を言うなんて、自然界の掟に完全に反している。そんな不自然な生き方は今すぐやめて、環境に応じた最適な行動をとろう。智慧があれば、どんな大自然でも大都会でもサバイブできる。

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