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毒親への悲しみ

自身の親が毒親なのではないかと思い始めたのは、
嘘のようだけどごく最近のことである。

「癖のある親」くらいには思っていたが、
10数年実家を離れている間に
良くも悪くも外の世界を知ったのだ。

ここ数日で、自分の好きなもの・気に入っているものを
めたんくそんに言われ、
ボディーブローのようにじわじわと精神的なダメージがきており、
上手く息をはけず、生理も相まって片頭痛の調子もすこぶる悪い。
キモチワルイ。
おかげで仕事合間のファミレスで注文したパスタは
ほぼ口にすることができずに店を出ることになってしまった。

振り返ってみれば、
交際期間から結婚生活の終わりまでのたった数年の中には一応幸せな時間もあったので、
当時、平凡なファミレスや自炊で食べる食事が普通に美味しいと感じていたのだが、
実家に戻ってからというもの同じファミレスに行っても同じ料理を作っても
あのときのようなささやかなきらめきは、もはや感じることもなくなってしまった。

おいしいと言い合う相手がいないことが問題なのではない。
もはや「さしておいしくない」のである。

私の作る料理は、保守的な父の口には合わない。
大皿に盛った料理を、父は箸でつまみ、
自分の皿にぺっぺっと叩きつけるように移す。
仏頂面で食べる父のその様子を、私はとても気にしてしまい、
父の言動、一挙手一投足に苛立ちや悲しみが生まれる。

そして、さらに追い打ちをかけるのが、それらがとても嫌で傷つくということを母に伝えても、
母にはピンとこないようなのだ。
それが夫婦の形というのであれば、
もはや私が口を出せるものでもない。

なぜ私には味方がいないのだろう、
私が間違っているのだろうか、
人が嫌ということをしていい正当な理由はあるのだろうか、
自分で気持ちを浄化しなくては、
悲しみに向き合うにはどうしたらいい、
このままでは頭をかきむしりながら叫ぶことしかできないのに
息が詰まりそうなのに泣くこともできない、
こんな気持ちをどうしたら。

▶︎笹木南はこんらんした


しかし、目指すところはわかっているのだ。

ここを出れば。
自立をすれば。
ささやかでいいから子と生活を作れたら。

自分で自分を痛めつけることをやめ、健やかに暮らせれば。

過去に囚われてはいけない。
他者に自分の人生を決められてもいけない。
自分がどうありたいか、何を達成したいかを考えて。

いつか悲しみを手放して、
どうか丈夫な身体としなやかな心を手に入れられれば。

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