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 嫌いがあっていい

「好き嫌いなく食べるのよ。」

こう言われたことはないでしょうか。

親も学校の先生も、上の言葉を繰り返して言ったのではないでしょうか。おそらく、それが教育的で正しいとされてきたからでしょう。

私も、嫌いな食べのものがあるのはわがままだと思ってきました。

ここで一つのエピソードを紹介しましょう。

小学校3年生の時のことです。H君はトマトスープと肉が嫌いでした。それが給食に出ると、固まって箸を上げないのです。すると、M女先生は、「少しでも食べなさい。好き嫌いしないの。やればできる。」と決まって言いました。「食べないと、昼休みなし。」とまで付け加える時がありました。

「好き嫌いなく誰とでも遊びましょう。」

これも、教育の場でよく言われることです。

好きはいいことで、嫌いは悪いことでしょうか。

人類が適者生存してきた歴史を振り返ると、毒キノコを鼻を近づけで、それが好きになるか、確かめた筈です。生き残るためには、あるものを嫌うことは必要な生存戦略でした。一度口の中に入れて、そのキノコが嫌な味がしたら、2度と口の中に入れないでしょう。それは味覚嫌悪学習と言われています。嫌悪することは、自分を守るための身体学習だったのです。

これが、人と人の関係にも拡張されます。出会った瞬間に苦手だなあ、と思う人がいるでしょう。これも自分を守るために遺伝子に刻まれた防衛能力と言えます。


努力によって嫌いだった食べ物や人を、やがて嫌いでなくなった、ということもあるかもしれません。が、嫌いなものを無理して好きになることはありません。そんなことにエネルギーを使うより、嫌いがあったっていい、と受け入れたほうが理に叶っていると言えるでしょう。

なんたって、人類は好き嫌いがあったから生き延びてきたのですから。


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