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『料理雑記その4:不道徳的トリエビチリ』

嘘をついてはいけません。
私たちは生まれてから幾度となくそう説かれてきた。

嘘をつくのはいけないことだ。幼い頃から繰り返し教えられれば、当然のように幼い頃に疑問を抱く。

どうして嘘をついてはいけないの?
いけないことなのに、なんで嘘をつく人がいっぱいいるの?

汚れを知らない瞳で見上げながら、そんな疑問を家族や学校の先生にぶつけてみた諸兄もいるかもしれない。

素朴な疑問に彼らはなんと答えただろうか。

嘘をつくとそれがばれないようにと嘘をつき続けなければならなくなるから…
嘘をつく人は相手も自分に嘘をつくと考えるので、いずれ人を信用できなくなって孤立してしまうから…

さまざまな答えがあり、そのどれもが正しいのだろう。

嘘から出た実り(みのり)、嘘も方便といった言葉はあるが、それらも嘘を積極的に肯定しているわけではない。
いずれにしろ嘘とは道徳的に問題のあるものに違いはない。

だが長じるにつれて人は知る。
世の中にはあらゆる種類の嘘が満ちていることを。
優しさからついた嘘が自分も相手も傷つけることがあると。
嘘をつかずに生きる事の難しさを…

とまあ、そんな汚れちまつた哀しみはひとまず置いておいて。
今回の料理はエビチリのアレンジ版、トリエビチリである。

エビチリ。
エビのチリソース煮の略称である。
日本では中華料理店でお馴染みのメニューだが、中国本土には存在しなかった料理だ。

日本における四川料理の父と謳われた料理人の陳建民氏が、上海風四川料理の乾焼蝦仁(ガンシャオシャーレン)をアレンジしたレシピが広まったものである。

ちなみに乾焼蝦仁は「蝦仁(剥き身の小エビ)の乾焼」という意味になる。
乾焼(ガンシャオ)とは加熱した材料に調味料と水分を加え、熱して味を染み込ませた後に煮汁を煮詰める調理法であり、煮汁にとろみは必ずしもつかない。
とろみのついたチリソースが特徴のエビチリには湿焼(シーシャオ)という調理法が該当するらしい。

更に余談だが、チリソースのチリは古代メキシコのアステカの言葉「Cili:赤唐辛子」に由来するものであり、中国だけでなくタイやベトナムなどアジア圏で広く親しまれている。南米のチリとは関係ない。

閑話休題。
昭和中期、陳建民氏は豆板醤の辛味に慣れていなかった日本人の舌にあわせてケチャップや鶏ガラスープなどを用い、更に調理法を簡略化したエビチリのレシピを発表した。
当時の中華料理ブームも追い風となったのか、エビチリは大衆に受け入れられ、現在も人気の和風中華料理となっている。

さて、そんな経緯で今に至るエビチリだが、これは「嘘」になるのだろうか?
中国には存在しなかったくせして、さも当然と中華料理屋のメニューに居座る厚顔さはともかくとしても、もとの乾焼蝦仁から日本人向けにアレンジされたものだから嘘の料理だとは、私は思わない。

もっとも、料理という時代・地域・文化、その他あらゆる要因によって影響を受け、常に変化してきた営みについては、正しいとか嘘といった視点で評価すること自体がナンセンスなのかもしれないが…

だがしかし、私が何を考えようとエビチリには嘘があるのだ。
なぜならエビチリを考案した陳建民氏自身が、こう述べているのだから。

「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と。

美味しいウソ。
微笑みを誘うような素晴らしい言葉だと思う。

そのウソがなければ生まれなかった数々の料理と笑顔があるのだ。
材料の産地偽装だの名物の本家元祖対立だのといった、料理に纏いつく汚い嘘ではない。
美味しい料理を求めて工夫を重ねる料理人の背中を後押ししてくれる金言である。

そして多くの先達に勇気をもらった結果、私の作るエビチリには鶏ムネ肉が混ざり、茹でたモヤシも乗ることになった。
低予算で量も増えるし、何よりチリソースとの相性がよい。
独身時代の給料日前、金がなくてピーピーしていた時のご馳走だった、思い出の一品である。

~トリエビチリ~
※底の深いフライパンを使うと作りやすい

①エビの殻を剥いたら背わたをとる。少量の紹興酒をまぶしておく
②鶏ムネ肉は皮を剥がして削ぎ切りにしたら少量の塩コショウをして片栗粉をまぶす
③フライパンにちょっと多めのサラダ油を熱したら②を入れて焼き揚げる。8割程度火が入ったら皿に取り出しておく
④フライパンを洗いゴマ油を入れ、ショウガとニンニクのみじん切りを弱火でじっくり熱する。①で剥いたエビの殻をよく洗って何個か一緒に入れておくと風味が出てよい感じ。
⑤3~4分ほどしたらエビの殻は取り出し、フライパンに①、皿に取り出した③を入れてお好み量の豆板醤を加え中火で炒める
⑥ ⑤に鶏ガラスープ、トマトケチャップ、紹興酒、オイスターソース、醤油、キビ砂糖を加えて軽く煮込む。この間にモヤシを茹でておく
⑦ ⑥に長ネギのみじん切りを加え弱火にしたら、水溶き片栗粉で固めにとろみをつける
⑧好みでゴマ油とラー油を回し入れ、皿に移したら茹でたモヤシを乗せて完成

酒はビールやハイボール等の炭酸系がオススメ。

片栗粉をまぶして焼き揚げた鶏ムネにはたっぷりのチリソースが絡む。
噛みきった断面から溢れる鶏の旨味とチリソースの辛味が混じって舌に染み込む。
パチパチと弾けるビールの苦味と炭酸が舌をリセットする。
プリプリのエビとチリソースの相性は、もはや言うまでもない。
茹でたモヤシの水分がチリソースとなじんできたら頃合いだ。
モヤシでチリソースをかき集め、一片残らず平らげる。

舐めたかのような綺麗な皿を前に、頭を下げる。
偉大な料理人の美味しいウソに感謝を捧げて。

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