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信用貨幣論・商品貨幣論、それぞれからみる貨幣観について

日本政府に財政問題はない。
日本政府は「何もないところから」自国貨幣を創造することができるし、実際にしている。

日本円で税金を払いますが、日本に最初から日本円があったわけではない。
最初に政府が「何もないところから」創出したから日本円がある。

このことは、年度はじめの4月1日に政府が国会の議決を経た予算を「何もないところから」執行する。
そして確定申告によってその年度の税収が確定する(税の払込が終わる)のは翌年の5月頃。

だから、政府は、町内会のように集めた会費で成り立っているのではない。
「何もないところから」貨幣を生み出して供給し、その後に税金を徴収している。

会計上、日本政府の貨幣供給は「日本政府の負債」・「日本国民の資産」となる。
家計や企業のBSを見慣れた私達には、この会計上の記載をもって政府は国民から貨幣を借りているように見える。

しかし、実際の政府は国民を含む他の誰かから自国貨幣を借りているのではなく、「日本政府の負債」・「国民の資産」を創出している。

日本国債も日本政府が発行する貨幣の一種です。

政府が誰かから借りているわけではなく、その発行は「日本政府の負債」・「日本国民の資産」の創出。

国債は金利がつくので後者は「国民の定期預金」の創出と言った方がわかりやすいかもしれない。

「国債発行=一種の貨幣供給」ですので、政府の債務は政府の貨幣供給残高が増えると大きくなる。

ちなみに、銀行もまた融資の際に「何もないところから」貨幣(いわゆる「万年筆マネー」)を生み出す。
これを「信用創造」と呼ぶ。

しかし、この場合、生み出された貸出金は「銀行の資産」・「借りた人の負債」になりますので政府が貨幣を生み出す場合と逆になる。

それは政府が自分の信用を担保にしているのに対し、銀行は借り手の信用を担保にしているからだ。

つまり、日本政府の負債は返済する必要がないが、銀行からの負債は返済する必要がある。

ここが、わかるかわからないかで認識がガラリと変わる。

一方で、もうひとつの貨幣観「商品貨幣論(金属主義)」で世の中を見ると、上記とまったく異なる景色が見られる。

商品貨幣論とは、貨幣が信用で価値を担保されているのではなく、貨幣そのものに価値がある(もしくは人々が慣習としてそう思い込んでいる)という見方だ。

ちなみに、経済学のモデルの多くは古くから「商品貨幣論」を前提としている。

さて、この「商品貨幣論」のメガネで見る貨幣は、ゴールドのようにその希少性が価値の裏付けになっているので、政府が新規に貨幣を供給して、貨幣量を増やすことが怖くなる。

一部の専門家やメディアでよく言われる「政府の財政赤字が続くと財政破綻する」、「財政赤字は将来世代へのツケ」、「コロナ禍に対応する財政拡大は後の増税を伴う」といったよくある言説についても言える。

貨幣の価値が希少性によって担保されていると考えると、全体の貨幣量はほぼ一定なので、政府の負債も「誰かから借りたもの」に見えてしまう。
そして、「借りたものは返さなければ」ということで、財政破綻や将来世代へのツケという発想になり、今回のコロナ禍でも「政府の財政は厳しいのでとても全員を助けることはできない」となる。

「信用貨幣論」のメガネから「商品貨幣論」の論考を見ると「PB黒字化→国民の資産を減らすだけ」、「財政破綻→あり得ない」、「将来世代へのツケ→論理的でない」に見える。

一方、反対側から見ると「新規国債の(大量)発行→借金を増やして将来のツケを残す+このまま続ければ貨幣は紙くず化」となる。

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