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「いってらっしゃい」に添えるもの

「いってらっしゃい。気をつけてね」

母は私が出かける時は必ずそう言って、私を見送ってくれた。私は角を曲がる時、絶対に振り返ると決めていた。

だって母は、私が見えなくなるまで、手を振ってくれていたから。


🚶


「なんで、昨日のうちに準備しとかんと?」
「うるさい」
「ギリギリになったらお母さん遅刻するやん。早くして〜」
「ちょっと待って! すぐ終わる〜」
「頼みますよ。早くしてくださ〜い」

これは我が家の朝の光景だ。
ほぼ毎日繰り返される日常。

何度起こしても起きてこない高校2年生の長男に、早起きをしても準備を一向にしない小学5年生の次男。ギリギリになって起きてきたり、ギリギリになって準備をしたり、あれがないこれがないと探し回り、挙げ句の果てに今日提出すべき提出物をポンと机の上に放り投げる。ギリギリで生きるのはKAT-TUNとスガシカオだけで十分だと、私は思う。


「あ! 今日、習字道具持っていかないかんやった! 洗ってない! お母さん、しゅーじどーぐどこ?!」

「知らんし。なんで昨日のうちから準備しとかんと? お母さん、何回も準備しろって言っとったやろ! まじで遅刻するけん、いい加減にして!」


毎日ではないものの、こんな日もある。


朝のバタバタに慣れているとは言え、どうしたってイライラする時がある。例えば、仕事が立て込んでいる時だとか、生理前だとか。彼らにとってはいつもの朝なのに、私の機嫌により、いつもより一層怒られる日があったりする。一度外れてしまったストッパーを元に戻すのはなかなかに至難の業で、頭の片隅で申し訳ないと思いながらも、ちゃんとしていない彼らが悪いと自分を正当化して怒鳴り散らしたりしてしまう。


予想以上に怒られて、息子たちも当然、キレる。


次第にお互いに無言になる。バタバタと物を出し入れする音や床の振動で、お互いの怒りの感情が伝わってくる。どったんバッタンとドアが開いては閉まり、苛立ちは部屋の温度を下げていく。ドアがバタンと大きな音を立てて閉まった拍子に、冷たい空気がスッと私の横を通り過ぎる。ぶくぶくと沸騰していた頭が冷たい空気で、すっと冷やされる。その瞬間、はっと我に帰り、ああ、怒りすぎたと私は反省する。

このままでは、気持ちよく送り出せない。

私はすぐに気持ちを切り替えて、「怒りすぎてごめんね」と謝る。謝るのが正しいかどうかはわからない。でも、どんな時でも「いってらっしゃい。気をつけてね」と声をかけてくれた母の顔を、誰かが出かける時、私は必ず思い出すのだ。私は母と同じように「いってらっしゃい。気をつけてね」と声をかけて送り出したいと思っている。


短い間に仲直りできる時もあれば、できない時もある。それでも私は、大声で「いってらっしゃい。気をつけてね」と逃げゆく背中に向かって声を投げる。それも彼らの背中が見えなくなるまで。
まだ怒っていたとしても、息子たちは諦めたように「いってきます!」と返事をし、学校へと走っていく。


🏃‍♂️


母は必ず「いってきます」の後に「気をつけてね」を添えてくれた。

母の「気をつけてね」に「必ず元気で帰ってくるように」の願いが込められていると知ったのは、大人になってからだ。


言葉には霊が宿るから、
悪い言葉で別れないようにしないとね。


機嫌の良い時も、
機嫌の悪い時も、
晴れの日も、
雨の日も、
落ち込んでいる日も、
浮かれている時も、


ちゃんと元気な姿で帰ってきますように、と。



だから私も毎日、母の真似をして背中が見えなくなるまで、夫を、息子たちを見送ることにしている。


「いってらっしゃい。気をつけてね」


「おかえりなさい」と「ただいま」を今日も笑顔で添えられますように、と。







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