ヨヒラ 考察材料や思ったこと

https://www.youtube.com/watch?v=ZgC5umCFkp0

まず、ストレートに歌を聞いての感想としては「忘れたくないけど忘れなきゃいけない人のことを思い葛藤している」人の歌なんだなあというのが、みんな思うような感想になるんじゃないかなと思います。私もそう思います。というわけであらすじに同意が取れたと思うので、歌詞の気になったところをみていきます。曲のコメント欄とかで付いていた内容とか含めて考察が面白くなりそうな点とか深読みできそうなところを思いつくままに書いていきます。あまり考察はしていません。文の推敲もしてません。

ヨヒラ

まず、タイトルのヨヒラですが、おそらく紫陽花の別名の四葩の事と思われる。紫陽花が四枚の花びら(本当は額らしい)から出来ていることからその名前がついているそうです。歌詞の中でも紫陽花が出てくるし「夏と見せかけて夏です。」ということなので紫陽花でしょう。深読みしたい人だと「紫陽花じゃなくてヨヒラとするのは何か意味があるはずだ」となるんですけど今のところ何も分からないです。
ちなみに花が出てきたら花言葉なんでしょうがあんまり信頼できるサイトを知らないので各自で調べてください。私が見たサイトですと「移り気」「浮気」「変節」「和気あいあい」とか出てます。色によっては「寛容」「辛抱強い愛情」とかありますが、歌詞でははっきり色が出てないので分からないです。

夕暮れは彼岸花 夜は憂の色

歌詞の冒頭ですが、紫陽花じゃなくて彼岸花が出てきます。夕暮れの赤さを彼岸花で表したと流してもいいのですが、動画でも彼岸花が描かれているので重要かも。彼岸花の花言葉や象徴するものについては割愛します。あと紫陽花と微妙に開花時期が違います。
夜は憂の色については、夜の暗さが憂いを増すような雰囲気を出しているということか、夜に何か憂いていることを意味しているということなんでしょうか。
表現の面白さとしては、最後に「色」とつけることで、夕暮れも色の発想から彼岸花と表現したんだなって上手に誘導できるのって良いですよね

さよならの呪文で さぁ、君を忘れたのさ

特に気になるところはないが、「言葉」でも割と当てはまるけども「呪文」という表現を用いたのはおしゃれだなと思いましたまる

夏影のかかるは紫陽花の縁

なんか詩的な表現で基になるよう作品でもあるのかと思ったけども分かりませんでした。
直前に間奏が入ることと、前の「夕暮れ~、夜~」に対し「夏影」と日が出ていることを連想させるワードで、自然と時間の流れを感じさせます。ってことまで書くと考察してもらう前にワイの意見が混じってしまうので良くないかなあ。

昨日の誠は今日の嘘

正岡子規の「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」が元となるんでしょう。解釈は不明ですが、紫陽花の色の移り変わりを詠んだ句と言われております。
正岡子規の俳句「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」についての解釈やこの句を詠んだ時の心境などを知りたい。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)
歌詞における解釈では前のフレーズで「さよならの呪文で さぁ、君を忘れたのさ」に対し、後ろのフレーズで「君だけを覚えてる」という前後の違いを表していると言っていいと思います。もしかしたら他の意味もあるかもしれませんが。

君だけを覚えてる

歌詞で良く出てくる表現なんでスルーしてもいいんですが、「だけ」と限定しながらも実際は限定されるわけがなく他の事も人も覚えているわけなので大事なものを強調するための表現だと思います。(本当に限定の可能性も否定できないけども)他の事や人よりも大事なことだったという事です。

これでいいんだよ なぁ、忘れたいんだよ

これってどれだ?
ここまでの歌詞でしてきたことは、別れの言葉を告げて忘れようとしたことくらいです。そうなると「これ」は「別れたこと」、「忘れようとすること」、「別れを告げ忘れること」のどれかだと思うんですが、うーん似たようなこととはいえ解釈次第ってことで逃げます。
「忘れたいんだよ」については倒置法につき息苦しいから忘れたいということになるかなあ。

生涯息苦しいから

自分から「さよなら」を言っておきながら忘れないと息苦しいとは何事か?ずっと一緒にいて忘れなければよいのではないか。ということで、別れた理由を探る必要性があるのかと。
ちなみに前に出てきた正岡子規は結核で亡くなっているので本当の意味で生涯息苦しかったと表現できます。辛いという比喩表現なのか本当に息苦しいのかは解釈次第ですね。

並みにできないまま、人になれないまま

何が並みにできなくて人になれないんだ?というのは考察必要だと思います。
ニコニコ大百科で勝手に考察を垂れ流してる無粋な人によれば、自分でやや社会不適合気味と感じていることを指すらしいが、別にこの歌詞ではそこまで限定していないし、その範囲だとも明言されていない。他の解釈も十分可能だと思います。ちなみに、この後出てくる尾崎放哉は割と社会不適合だったらしく、しかも妻と離婚しているのでなんとなくその解釈に合ってる人生を送ったそうです。
そういえば、以前私が書いた考察では「普通の人なら簡単に忘れられるだろうに私には出来ない」みたいなこと書いた覚えがあります。歌詞に出てくるストーリー内で出来ていないことは何かとという視点では、悪くない解釈だとは思います。

君の影法師が胸を焦がしている

別れたので近くにはいないけど脳裏に残った君を表す素敵な表現ですね。
多分後でも書くんですが、ここでは「焦がしている」と現在進行形で書かれているんですね。最後のフレーズは「焦がしたまま」と書き換えたことを考えると、考察するだけの価値があるんじゃないでしょうか。
もしかしたら本当に物理的に胸を焼いている可能性もありますが、うんうん、それもまた考察だね。

せきをする寂しさ ひとり、憂の色

咳をしても一人 尾崎放哉
これは療養中の尾崎放哉が病床で詠んだ句らしいです。色々解釈はあるそうですが、一人でいることの寂しさが際立っています。この句にインスピレーションを受けたフレーズと言っていいでしょう。ちなみに「咳」は冬の季語だそうです。尾崎放哉は季語は必須としない自由律俳句の人だったし、病気による咳なのだから季語じゃない的な話もあります。もっとも、これは尾崎放哉の句の話であって、この曲と関係があるとは言いきれないので季語を考慮に入れるの入れないも自由です。(他の曲でフレーズは句を引用しているけど意味的には違うみたいなことがあるそうですし)
ついでに、ただの恥ずかしい話なんですが「憂の色」を深読みして(これって夜は憂の色って言ってたから夜の事か?)と考えて面白い解釈なんじゃないかってわき立っていたんですが、直後の「夕暮れ」で即論破されました。考察って難しいね。

夕暮れは静かだから

夕暮れに寂しさとか侘しさとかを感じるのはよくある表現ですね。と、流していいのでしょうか。
夕暮れと表現するに必要なのは、日没の時間になっていることとか晴れていることとかであって、静かであることは必須ではない。
夕暮れに寂しさとか侘しさとか感じるのは、その人がそう思うだけの過去があったからだとか、夏休みで下校中の子供の声がしないからだとか、夕暮れは彼岸花で彼岸花は何もしゃべらないからだとか、静かなのは夕暮れのせいにしたいからだとか、夜に向かうのが嫌だからだとか、国語の問題じゃないが最終的には答えは出したい。

夏風の走るは想ひ出の街 夕暮れの静けさだけ

どこかに元となる文学作品でもあるのかと思ったのですが分かりませんでした。俳句の範囲でネットで簡単に検索したんですが、そもそも夏の風についてはもっと別の表現をして季語とすることが多い。
あと書くべきこととしては、前の「夏影のかかるは紫陽花の縁」と対になる表現を取ってますね。だから考察にどうこうするということも無いかもしれませんが。
じゃあ「夏風の走る想ひ出の街」ってなんなんだって考えると、詞的な考え方をすると、前の「夕暮れの静けさだけ」とここの「夕暮れは静かだから」は同じような意味の反復となっています。その場合、その前にかかる「夏風の走るは想ひ出の街」も「せきをする寂しさ ひとり憂の色」と同じような意味を持つ反復と捉え、寂しさの象徴と思ってもいいと思います。
ついでに、風も吹いてるし街の中ではあるんだから夕暮れとはいえ本当に静かなわけないだろうがよ。
メモ|猿の腰掛 (note.com)

からす鳴いてきみもひとり

俳句の前に断っておくことがあり、ヨヒラのYoutubeの概要欄では「からす泣いて君もひとり」となっているが、動画内では「からす鳴いてきみもひとり」となっている。どちらが正しいか判断できないので勝手に解釈してください。
ちなみに元の句は「鴉啼いてわたしも一人」(山頭火)となる。この句の前に「放哉居士の作に和して」と前書きがあるが、先の「せきをしてもひとり」に対する返答みたいなものだそうです。(もう一つ、放哉作の「鴉だまつてとんで行つた」に対するものでもあるかもしれないだそうです)山頭火と放哉はその時代を代表する自由律俳句の俳人ということで放哉に対して思うところがあったのだと思う。句の感想としては放哉の孤独に寄り添いながら、死を惜しむ素晴らしい句です。
ヨヒラではこの句の「わたしもひとり」のところを「きみもひとり」としている。

あの空を覚えてる

どの空?
これまでの歌詞の中で空を連想させるものとして夕暮れとかありますが決め手に欠けるかなと思ってます。直前のフレーズも「からす鳴いて」のところで視線が上にあがっているものの、過去の事なら「あの空」で通じますが、現在のこととも判別がつかないのでなんとも。

これでいいんだろ なぁ 忘れたいんだろ? なあ 自分が楽に生きたいから今日も逃げ続けたんだろ

最初の「これでいいんだよ」と比べると語尾が微妙に変わっている。そのときの「これ」と今回の「これ」は同じものなのかは各人精査してください。

並みにできないから 人になれないから それが言い訳だろうとほっといてくれよ

「並みにできないまま 人になれないまま」と対になるが、接続のしかたが変化している。どういうことを表しているのかは、同じように各人精査してください。
「それが言い訳だろうと」の「それ」が指すものは、「並みにできないから 人になれないから」が一番近い位置にあるので指示されている内容だと捉えても自然な流れだと思う。じゃあ、何に対する言い訳か。

君だけを覚えてる

歌詞的に多く語ることはないが、動画のほうでは変化がある。文字ははっきりと出るがイラストは全体的にぼやけている状態になり、最後の1回で元の鮮明なイラストに戻る。

これでいいんだよ なぁ、忘れたいんだよ ただ昨日も明日も明後日も生涯息苦しいけど

今まで出てきたフレーズの繰り返しと見せかけて、曲としては「明日も明後日も」のところで転調。また、動画内で出てくる歌詞でも一回目は「生涯」のサイズが大きく、二回目では「明日も明後日も」が大きくなる。
そして、「生涯息苦しいから」から「生涯息苦しいけど」と変わっている。なんとなくここで切ったが、この「けど」って後ろにかかってるとも取れるのでそう考えたい人はそう取ってください。

並みにできないから 人になれないから 君の想い出だけが見たい

君のことを忘れるって話じゃなかったんですか!?
ついでにこの「だけ」って、見たいもの対する限定か君に対する限定かはたまた他のことに対しての限定かどうなんでしょう。

ただ今も君の影法師が胸を焦がしたまま

「君の影法師が胸を焦がしている」から変化し、「まま」で終わる。

その他考察したいこと

n-bunaさんは割と同じテーマに沿った曲を作ってアルバムとしています。そのアルバムは曲を全て繋げて聞くと一つのストーリーになるような作品に仕上がります。ヨヒラと同じテーマの曲を探せばヒントになるのでしょうが、ヨヒラは現在どのアルバムにも属しておりません。同日発表の曲も聞いてみましたがいまいちピンと来ません。他の曲は企業タイアップ曲での対となるような曲があるためなんとなくのヒントになるのですが、ヨヒラに関しては私には見つかりませんでした。
ついでに自白すると私は文系から逃げた人間なので、文学部の方とかもっと俳句探したり頑張ってください(丸投げ)
おまけに、ヨヒラ発表後のn-bunaさんへのインタビュー記事があったので参考に https://natalie.mu/music/pp/yorushika02

考察する前に結論

youtubeのコメント欄の考察を見ると、なんか色々自分の思いを乗せてる人も多いので結論めいたことを書くのが良くないんじゃないかと思ったり、やっぱり自分の考察違うんじゃないかと思ったりするので問題提起だけでいいかってことにしました。といってもそのうち多分自分の考察書くんですけどね。
ぶっちゃけここで提起した考察ポイントを全て合理的にしようとすると、やはりそれなりにいくつかの答えに向かって行くと思います。でもそれって必要なことなんですかね(哲学)。n-bunaさんの曲は孤独の歌、孤独に寄り添う歌が多いです。それに共感し救われたというコメントもちらほら見ました。ただ、人にはそれぞれ孤独があります。それは同じものではないかもしれません。この曲に共感したとか、救われたとか思う人は考察しないほうがいいでしょう。この曲の孤独とあなたの孤独の違いがはっきり見えてしまうので。知る事なんかよりも大事な感情があるんじゃないでしょうか。そちらを大事にしてください。もし、歌詞が自分の孤独に寄り添ってくれなくても、自分が歌詞の孤独に寄り添いたいのであれば、考察してみてもいいかもしれません。うーんこれで自己保身成功やろ。
結論としては、歌詞を正しく知る事より大事なことがあるのかもしれないってこと。


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