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「利己心と共感」を体感した話

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を久しぶりに読み返していたら、テレビで「陰翳礼讃」の特集が放送され、急に仄暗い茶室を創りたくなった。

僕の実家は築40年程のごく普通な日本家屋で、ほとんどの部屋が和室である。両親と高齢の祖母がいるのだが、田舎ゆえに広い家なので、ほとんどの部屋が使われていない。それゆえ、当然実家が候補となった。そして、祖母の仄暗い荷物置き場を片付けようと決心した。

最初祖母は、「いつまでも生きている当て付けか」と反発し、僕はドキッとした。そんな意識は全くなかったし、自分の味方だった祖母には、むしろいつまでも長生きしてほしいと心から思っていた。

ここで僕に1つの心境の変化が現れた。自分の利己心で始めたことが、祖母が残りの人生を清潔で整然としたした環境ですごしてほしいと「利他の心」に変化していったのだ。そして、その部屋のみならず、祖母が日中過ごす部屋・寝室と3部屋を非難承知で片付け始めた。(今はミニマリズムブームだが、昔の人はお菓子の空箱から昔の洋服まで本当に大事にとっている)

ここで、また一つの変化が現れた。いつもはテレビばかり見てボーっとしている祖母も積極的に片付けに参加し、みるみるうちに綺麗になっていく部屋にうっとりし始めたのだ。

解釈は違うのかもしれないが、「利己心と共感」を論じた「アダムスミス」を思い出した。会社では日頃より業務改善に取り組んではいるが、決まったシステムの中で行動していたので実感しにくかったが、今回自分の意志で行動したことではっきりそのことがわかった。

ちなみに、片付けの途中、2枚の封筒から計12万円を発見した。祖母も記憶はなく、他界した祖父のものかもしれないが、僕は中年にして1万円のお小遣いを貰ってしまった。。。

そして、祖母はいつになく穏やかな表情で部屋に差し込む夕日を眺めている。



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