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メーリングリスト退会以後

私がメーリングリストに参加していた時に、小林よしのりライジングのコメント欄に投稿した内容について絡んでくる連中への不満を洩らしたことがある。
私はライジングコメント欄に投稿する際にいわゆるハンドルネームを使用していたのだが、私を挑発する意図かは知らないが、特に公表していたわけでもない実名で名指ししてくる奴がいて、他人の実名を晒す奴は運営が注意すべきではないのかとの思いから、そのことをメーリングリストで愚痴った。

したところ、運営が対処するでもなく、小林よしのりが次のブログをあげた。

小林は未だに「瑣末なことはわしは把握していない」「門下生内の人間関係は関知していない」というアピールをして逃げを打つが、実際にはスタッフを使って末端シンパのSNSやブログまでチェックし、思想管理していることが判明している。

「他人の実名を晒した者に対して管理者が警告を発し、当該コメントを削除する」
まともな運営ならばそのような動きを取るべきではないのか?
しかし小林や時浦はそれをせず、暗に対応を求めた私がイガミアイをメーリングリストに持ち込んだとして非難し、反省するよう促したのである。
当時の私はその対応に不満を覚え、ライジングの管理者である時浦への不信感が大きくなっていった。
同じ頃に、某洋食屋の門弟登録を承認し、メーリングリストに迎え入れたあたりで、「危機管理能力ゼロなんか?」と呆れ果て、次第にメーリングリストに参加していること自体に嫌気がさしてきた。
当時のメーリングリストの状況を覚えている参加者など最早いないであろうが、そのことがあってから私の投稿は次第に迷走し始めた。いわゆるshinkimu状態である。

まったく納得出来なかったが、私はライジングコメント欄でどんなに喧嘩を吹っかけられてもそれには応じずにまるで逃げているかのように無視をした。
当然そのような対応をされた相手は更につけ上がり、私をチキン扱いして嘲笑したが、メーリングリストで喧嘩禁止令のようなものが発布されていた以上は挑発に乗るわけにはいかないと思い込んでしまった。

共同体に縛られるのを嫌悪していたつもりが、知らず知らずのうちに制約を課せられていたのだから人間とは弱い生き物である。
小林よしのりに性接待を強要された女性も知らず知らずのうちに制約を課され、あたかも自らの自由意志で性的奉仕をしたと自己洗脳していたであろうことは容易に想像出来る。
自分は絶対にひっかからないとタカを括ってしまう人ほど注意が肝要である。

2013年1月と2月に道場に参加した時には打ち上げ飲み会(場外乱闘)にも顔を出したが、その時にメーリングリストを辞めようとしていた私を引き止めていた方々は今は既に道場から離脱し、もはやまるで興味もないようである。
飲み会での私の醜態についてはここで語るべき内容ではないので割愛する。

2013年3月にメーリングリストの登録解除となったわけだが、それ以降も小林読者としてライジングコメント欄への投稿は続けた。
しかしライジングコメント欄に集まる読者のコメントの質の悪さ、はっきりと低レベルの反知性ぶりにいよいよ耐えられなくなり、また時浦ブログの異常性に嫌悪感しかなく、そうなると元締めである小林よしのりの言説の粗まで目につくようになり、過去記事なども今一度再検証する必要を感じて、それをしたところ今まで目をつぶってきた部分こそが実は氏の本質であることに気づき、それまでは中島みゆきの「ファイト!」だと思っていたものが実は「Nobody Is Right」であると察し、2015年の夏に参加した道場を最後に応募を辞め、新刊購入も見合わせるようになり、解約の手続きを怠り惰性で定期購読していた小林よしのりライジングも2016年春に辞めた。

「同じ言葉でも受け取る側の心持ち次第で祈りにもなり呪いにもなる。
ゴー宣を読んでいると、以前は頭脳に中島みゆきの『ファイト!』が再生されたものであるが、最近は同じ中島みゆきの『Nobody Is Right』がよく脳内再生される。
正しい答えは一つとは限らず、各人の背景や原風景によって、多少の違いはある。自分の人生の正しさを他人の人生に押し付けることは別のパズルのピースを無理矢理嵌め込もうとするみたい。
寛容な多様性の中で究極の真理を見い出すのは決して矛盾ではないと思いたい。」

ここのところ愚行録ブログの方で毎回のように書いているが、私はもはや小林よしのりにはまったく興味がない。
そのマヌケっぷりを嗤うというフェーズなどもうとっくに過ぎ、既に無関心でさえある。
世間的にはそれはもうかなり前からであり、私は遅すぎるぐらいだろう。
2016年頃に関心が失せて小林関連の出版物などの購読をやめ、それでも当時はまだ吉田豪さん以外の著名人なども小林発言を話題にすることもあり、その折などに「どんな間抜けた発言をしているのかな?」とチェックしては苦笑する程度のことはしていた。
それから一年ぐらい経ってから、自分がゴー宣道場に参加したり小林よしのりライジングにコメントをしていた、いわゆる黒歴史について内省する意味で振り返り、それをアメブロに書いた。
まあ、いわゆる人間失格のような自嘲をしただけの話であり、小林よしのりのいわゆるアンチになったわけではない。アンチになるほどの関心もないというのが正直なところだ。

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