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元門弟Oさんとの会食 Part3

2018年9月16日日曜日午後、埼玉県某市のファミレスガストにて。

ゴー宣道場元門弟Oさんからの証言により、小林よしのりがネットの生配信で垂れ流したデマの出所が分かった。

元門弟Oさん(女性)は何故その出所を知っていたのか。
それは彼女が小林よしのりのお気に入り門弟であり、個別でホテルに呼び出され食事をするなどしており、その食事の時の会話というのがゴー宣道場界隈の話題しかなく、しかも大概が登壇者や参加者など誰かの悪口であったという。
元門弟Oさんは道場在籍時の私の妻と少なからず交流しており、そのこともあってか、私の妻が門弟登録を解除された理由について小林に尋ねた。
その小林の答えが、当時の設営隊長である老婆から悪い噂を聞いたから「破門にした」ということだった。
しかし、破門にしたということは公式にアナウンスしたわけではなく、表向きは門弟期限が切れたから一旦登録解除しただけであり、やる気があるなら再登録して良いという風に騙したわけだ。
再登録するには道場に連続2回参加しなければならないという条件が課されており、妻は生真面目に毎回応募するも一回当選したらその次の回は必ず落選し、頑なに連続当選させず、当時の妻は「私が門弟に戻ろうとしているのを拒否している」と思い悩み、それに対し私は「自意識過剰すぎ。思い過ごしだろ」と笑っていたが、実は運営側は「破門」にしたつもりでいたのだ。
ならばそれを本人に伝えれば良いものを実に陰湿なことをするものである。
結果論で言えば、道場初期の時点で離脱出来たことは幸運であったのかもしれない。

その点で言えば、元門弟Oさんは遅きに失した感は否めない。
元門弟Oさんが何をキッカケにゴー宣を読み始めたのか、そのことについて詳しく聞いてはいない。
なのでどういう理由で道場に参加し始めたのか分からないが、2012年の春から夏にかけての頃か、彼女ははじめて応募した道場に当選し、会場に行くと設営隊の勧めで最前列に座る。
当時から参加女性を最前列に座らせ、小林よしのりに品定めさせる。
その後、Oさんは門弟登録をし、リボンの騎士さん共々活躍していたことについての説明は不要だろう。

Oさんはのちに葉月蓮名義で小林よしのりの性加害を告発した。その内容についてはゆっくり解説として纏めてYouTubeに動画を上げているので是非観てもらいたい。


小林よしのりが道場参加者のOさんに性交渉を持ち掛けたという話は面談する前に既に聞いていたことであったが、私はそれは大人同士の同意に基づくプライベートな案件に過ぎないからと重要視していなかった。
アーティストとファンのラブアフェアに対して吊り目になって指弾することは野暮であろう。但し、それはあくまで互いの同意のもとで行われていなければならない。
しかし実際に面談してしっかり詳しく話を聞くと、小林のそれは明らかに不同意性交に当たると私は察した。
私はこれまでその点を強調してブログを書き、今現在YouTubeにゆっくり解説をアップしてそのことを取り上げ始めているわけだが、そうしたところ小林は明らかにこちらを意識しているらしく、「不同意性交等罪」について疑義を呈し始めている。
伊藤詩織さんが山口敬之を訴えた件ではまったく正反対の立場を取っていた小林が、いざ自分が山口と同じことをしていた事実を突きつけられたら前言を撤回し、自己弁護に終始するのだから人間は愚かである。
というか、人類が愚かなのではなく、小林よしのり個人が愚劣なだけである。

山口敬之の名を出して描く小林よしのり
抗拒不能だったかどうか
わしも都ホテルでカンヅメ
人間心理の複雑さ
被害者にも落ち度があったのでは?
加害者の今の気持ちを知りたい
質問箱

Oさんの証言について、単なる不倫に過ぎずお互い様だというお気持ちをOさん本人にぶつけていた人もいたが、小林読者がそう思いたい気持ちは分からないでもない。
私自身も直接話を聞くまでは小林と彼女の関係について殊更問題視するものではないと思っていたし、彼女自身が小林との関係について自分の意思で行動したことであり自己責任だとし、だからそのことを公にするつもりはないとしていた。

しかし、小林との間でどのようなやりとりがあったのか聞いていく内に、「これは女にモテるマンガ家の単なる浮気の一つ」として捉えて笑って良いような案件ではないし、Oさん自身が自己責任だと言って一人で抱え込んでいることも奴は計算づくであり、それに気付いた私は怒りに震えた。
この時の私の感情に共感して欲しいとも思わないし、理解して欲しいとも思わないが、この時の私はマジでここ20年ほど自分が無駄なことに時間を浪費していたことに絶望し、それも含めて怒りが増幅された。
10代の終わり頃にゴー宣を読み始め、別に小林を正しい人とか善人であると思っていたわけではないが、不正を許さぬ人情の人、仁義がある人だと思い、マンガ作品としては次第に面白みもないものになっていったが、その人情に重きを置いた思想性に共感して読み続けていたマンガ家の実像を知り、勝手に絶望し、勝手に怒りを覚えたわけだ。
嗚呼、私が20年近く追いかけていたマンガはまったく実感の伴わない無意味なものであったのだと、既に読むのはやめていたとはいえ、まさかここまでゲス野郎だったなんてという思いで天を仰ぎ、ガストの天井に備え付けられた照明を見上げた。

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