ADHDと生きてきて(小学生編)


はじめのはじめに

私は小学1年の頃にADHDと診断され、自身がそうであることを中学1年生で知りました。そこから何とか生きて今は25歳の大人です。自己満足のエッセイになります。小学生、中学生、高校生、大学・現在と分けて気まぐれに投稿していく予定です。

かなり冗長で読みにくいと思いますが、今の自分のありのままを受け止めていただけたら幸いです。

はじまり

 私は、物心つく前から奇妙な行動が目立つ子どもだった。デパートで迷子になっても泣かず、見つかったと思えばシャンプーの成分表をひたすら読んでいたり、鉄棒に全力疾走してセルフラリアットを喰らってケガしてみたり、上級生をじっと見つめてボコボコに殴られたり、全裸で学校を走り回ったり。とにかくそんなことは日常茶飯事で不思議ちゃんとも言えない奇妙な子どもだった。ただ、考えなしにやっていたのではなく「思いっきり走ってぶつかったらどれくらい痛いのだろう?」「人ってじっと見つめられるとどんな行動を起こすのだろう?」「学校を全裸で走り回ったらどんな気持ちなんだろう?」と自分なりの好奇心に従っていた。
 小学校1年生の時、それらの目に余る行動に担任の先生が母親に知能検査を勧めてくれた。しばらくして母に“クイズ大会に参加しに行く”という名目で地域の発達センターへ連れていかれた。一番記憶にあるのが絵のクイズで絵に欠けているものを当てる内容だった。サドルのない自転車や取っ手のないタンス、前輪のない自動車と様々で思い返せばWISK(ウィスク)検査?だと思う。だた、そのクイズ以上に目の前に座る先生が机の下で記録を計っていたストップウォッチが気になって仕方がなかった。“クイズ大会”が終わると、その日から毎日薬を飲まされるようになった。母は困った表情をしながらも「落ち着く薬だからね」としか言わず、私も特に気にすることもなく日々飲んでいた。ただ、この時から自分は周りの人とは違うのかな?と感じていた。

小さな不安と大きな不安

 薬を飲み始めてから、月1回くらい学校終わりに母親が直接迎えに来て一緒にお出かけすることが増えた。場所は決まってびっくりドンキーで、注文はもちろん今は無くなってしまったがメリーゴーランドというパフェ。「今日は落ち着けた?」と水を一口飲んでから聞かれる。毎日薬を飲んで過ごす自分は、何だかあんまり良くない存在だとふんわり理解していた私は見放されたくない一心で「うん!」と元気に芝居を打った。そこからは学校での出来事を話して、店の飾りのガラクタについて母に聞き、食べ終わる頃にメリーゴーランドの底に残った白玉を一つ母にプレゼントして帰るのがお決まりだった。きっと母に「僕はなんでも興味を持って好きなことしてるよ!」「お母さんのことは好きだから、プレゼントもするから見捨てないでね!」と暗に伝えたかったんだろう。親の興味を無理に引こうとしたり、親の顔色を窺ってしまうのは誰しもあると思う。いい子を演じる事は学校社会でも必要だし何も特別だとは思わないけれども、少し理由がネガティブだった。
 正直薬の効果なんて分かる訳がなかった。でも小さな違和感は抱えていて、それでも相変わらず目の前の好奇心には勝てず、学校を一人で抜け出しで帰ろうとしたり、誰でも一瞬でウソだろとわかるような話を一生懸命したり、片っ端から花壇の花を食べてみたりと奇妙な行動は止められなかった。
 直接教師に叱られることはなかったが、親の耳には逐一入っていたのだろう。小学校4年生?の冬休み明け、その前後に自分が何をしていたのかはサッパリと覚えていないが、母親に「そんなんなら特別学級に入れるよ!」と叱られた。色んな感情がごちゃ混ぜになって、その後どう答えたのか、親の顔はどんなだったのか、何一つ覚えていないが、この瞬間にふんわりとしていた何となく自分の中で明確にしたくなかったそれは、私に対しての絶望的な宣告になった。

 今となっては母親の無知から来る差別的な発言に憤りを覚えただろう。ただ、当時の私に大きな影を作るのには十分すぎる言葉で今でも呪いの言葉になっている。

 ここまで学校での他社との交流については触れていなかったが、正直なんて振り返ったらいいのか分からない。周りから私の行動は、お調子者でおかしくて。なんだか変な奴で、触れづらかったと思う。母親に叱られてからはめっきり自信を無くし、いたずらっこの悪乗りにのせられ道化だった。大切にしていたノートをグチャグチャにされ、給食の牛乳を箸入れに入れられ、遠足の集合写真は自分のところだけ黒く塗られたり穴があけられた状態で机の中に仕舞われてることもあった。自尊心なんてある訳もなく、笑って過ごして何とも空っぽな気分だった。私を面白いと思ってか憐れんでか仲良くなった子も次第に離れていったし、教員はそんな私を“ムードメーカー”という体のいい言葉で閉じ込めて向き合ってくれることもなかった。それでもおちゃらけたり奇妙な行動をするので名前だけは有名だった。
多分、私は人気者でいじられ役でいじめられていた。

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