デザイン問題化するアメリカの学校選択制度

学校選択。この言葉を聞いた瞬間ミルトン・フリードマンが主張した、学校バウチャーや教育の民営化の議論だと条件反射してしまう読者の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。実際、私自身がその一人でした。イギリス修士のときには、フリードマンのCapitalism and Freedomを読んでは、チリのバウチャー制度の効果や公平性を熱心に議論する学生でした。アカデミアにおける学校選択の問いの多くは"Does school choice work?"で、フリードマンやChubb & Moeが前提とした、「学校選択は学校間の競争を促し、教育システム全体の質を改善し得る」、「学校選択は従来選択を持たなかった親に選択の自由を与えるため、公平な教育機会の提供に繋がる」などの仮説が正しいか実証的に検証する研究が主なものでした。しかし、ここ数年のアメリカの学校選択の論文を読むと、学校選択効果の有無の議論を越えて、"In what information design does choice work?"と学校選択が機能するための情報介入のデザイン方法を問う論文が出てきています。本稿では、情報介入デザインの意義とアメリカ都市部の学校選択制度の背景を説明した後に、情報介入デザインの最新の研究結果を紹介します。最後に学校選択の議論のデザイン問題化の可能性と限界を指摘したいと思います。

1. 学校選択においてなぜ情報介入デザインなのか?

学校選択における「情報」の大事さは、古くから指摘されています。親が適切な学校を選択する上で、成績やカリキュラムなどの学校情報について知っているかは重要です。一方でSchneider et al.(2000)のNYとNJの研究で指摘されているように、質の高い情報量や情報収集できるネットワークには社会階層によって差があり、階層の低い親は学校選択にあたって不利な立場にあります。そのような情報格差をいかに減らし、公平な学校選択機会を提供できるかが、学校選択制度を実施する上での政策課題となります。

一方で、学校選択において情報は多ければ多いほどよいというわけではありません。情報量が多いほど、より良い合理的な選択に繋がるというfull information rationality仮説よりも、完全な情報はなくてもshortcutsやcuesを用いて”必要十分な”情報取得が適切な選択に繋がると考えるlow information rationality仮説の方が実証的にはもっともらしいようです。先述のNYとNJの研究においても、親が網羅的な情報を持たずとも選びたい学校を選択している点が明らかになっています。考えてみると当たり前で、スーパーで買い物をするときに、全てのものの原産地や農薬量などの情報を集める人は稀ではないでしょうか。全てについて知るには非常に大きなコストがかかるので、実際には産地や過去の経験、知り合いの評判などのshortcutsやcuesを頼りに購買することがほとんどです。このlow information rationalityが正しいとすると、情報の見せ方や量といったデザイン問題が”必要十分”な情報を伝える上で大事な点になってきます。

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