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只今人生のサバティカルタイム中

サルタック理事陣のゆるふわブログへようこそ!イトウネシア杏子です。
(トップ画像は生前画家だった伯父の遺作 ‘midnight bay’より)

今回のブログはゆるふわ日記に相応しく、久々の更新となるので、その間それなリに変化があった自分の生活について、近況報告を兼ねて記事を送りたいと思います。

私は今、昨年末に仕事を離れて約半年間、自称人生のサバティカルタイムと称した生活を過ごしています。

サバティカルは通常、大学教員などが取る長期休暇のイメージが強いと思いますが、今回私はこれを自分の人生に適用しています。どこの組織にも属していないので、無給ですが。。

実際、そんな人生のサバティカル期間を過ごしてきて、今自分が何をどう感じているかを言語化してみます。

その前に、何故サバティカルを?

私は昨年末まで、JPOとしてユニセフインドネシア事務所で働いていました。色々ありながらも、JPO3年間という任期を終え、次も決まってなかったこともあり、一旦何もしない無の期間にしようと思いました。

自称サバティカル、言い換えれば無職、専業主婦、NEET、色々でしょう。

でも気づいてみれば、これまで生きてきて意識的に無の期間を作ることはありませんでした。大学までひたすら学生生活、大学卒業後も渡米したり、中国で就職したり、30歳手前で大学院留学したり、国際協力分野へキャリアシフト、NGOや国連で働いたり、など常にやってみたいことがそれなりにあり、それらに向かって自分なりに走り続けてきました。時々空白期間もありつつも、それは次の目標のための準備期間などでした。

そんな中、自分の中でキャリアも一段落し、ライフステージも色々と変わっている今、ちょっと立ち止まって、無の期間を作ってみても良いのでは?と思い、自称サバティカルタイムに突入しました。

良く言えば、本来の自分を見つけたい、今後の人生でやりたいことを見つけたい、
どこにも所属しない自分になったときに何が残るのか、無の自分はどう感じるのか、などなど、内省の時間を作るのがサバティカルに入る理由でありつつも、平たくいうと、疲れたのでちょっと休憩したい、というのも本音でした。

理想と現実とのギャップ

色々と自分への今後のための投資時間として期待していたサバティカル。

が、しかし始めてみると期待していた無を味わえるサバティカル期間とはちょっと違うかも?と思い始めました。

それもそう、当然ですが、私にはまだ小さい息子がいたのでした笑

そのため、実際のサバティカル生活は8割育児と家事で終わります。私はインドネシアでは有難いことに、家事や育児をやってくれるメイドさん、ナニーさんに頼りきっていました。日本では当然ですが、その様にはいきません。幸いにも我が家には夫の両親と二世帯のため、大きな助けを得ていますが、それでも基本は家のことや子どものことは自分たちでやらなければなりません。

子どもが幼稚園や保育園に通ってなければ、もうほぼ子どもの世話で毎日が終わり、我が家は2歳児ですが何とか幼稚園に通わせたものの、園にいる時間は短く、あっという間のお迎え時間、また年間の3分の1は園が休み(夏休みなんて恐怖の2ヶ月間)、体調不良を考えると年半分行ければ良い?といったレベルでしょうか。それでも幼稚園の存在はとても有難いですが、子どもがいない間に済ませたい家事、用事などで毎日があっという間です。家事も、日々の家事から、ちょっと手入れしたかった棚の掃除、衣服の整理、植栽の管理、などなど結構家をケアすることって切りなくあるのですね!正直、専業主婦/夫を甘く考えていた自分に猛省です。

といったことから、自分自身へピュアに使える時間は体感1〜2割程度。

本当は、せっかくある時間と自由を、日本や世界を旅して回ったり、自然の中でどっぷり暮らしてみたり、なんていう暮らしがしたかった。けれど、子どもを預けられなければ自分の時間は無くなるし、、と、結局現実は結構日常に根差している生活を送っています。

カフェが大好きな2歳児

あとあと、季節も結構重要です。忘れかけていましたが、日本には四季があります笑 インドネシアやミャンマーなど常夏に慣れていた身としては、日本の冬は中々厳しいものでした。そのため、帰国直後はほぼ冬眠状態でした。春になってようやく目覚め始め、色々と活発的になることが出来ました。なので、サバティカル生活を送る際は、いつ、どこで(その土地の季節や気候)、が自分のやりたいことをどの程度出来るかを左右するのでは、と思っています。やりたいことをどこまで出来るか問題また仮に時間が沢山あったとしても、純粋に自分のやりたいことがどこまで出来るか、という問題もあります。資金的制限や体力的制限は勿論のこと、自分のやりたいことや潜在欲求に気づける心の余裕が重要です。やりたいことを探せるアンテナを張っておく心や体の軽やかさがないと、意外とやりたいことが見つからなかったり、動き出すことが出来なかったりします。普段出来て来なかったことを見つけ、如何にトライしてみるか、特に自分の五感を使って出来ることはないかと探してやってみることです。

私は、まずは体を動かそう!と、ピラティスを始めたり、アート、ヨガ、料理クラスなど自分の五感を使えそうなことを始めていきました。体や脳が自然と喜んでいる感覚、没頭している感覚、幼い頃に感じた忘れかけていた感覚など、様々な感覚を感じられる様になりました。

ゆとりが生むふらっとした出会い

生活にゆとりを持つことで、予期していなかったものにも出会いやすくなりました。

例えば先日、いつも通る道のちょっと先に見える気になるお店に行ってみました。普段忙しくしていたら、また今度にしよう、と立ち寄らずに終わっているでしょう。足を少し伸ばしていざ寄ってみると、とても雰囲気が良く、意識が高いアイテムばかり、そして店員さんもとても感じが良く、話も楽しいエコストアでした。エコ関連のワークショップやイベントも沢山企画されていました。こうやって頑張って地球を守ろうとしている人たちやアイディアとの出会いに触れ、とても幸せな気持ちになりました。また少しでもこうした人との会話が私は大好きだと再認識出来たり、心が軽くなったり、新たな繋がりにワクワクしたりするのでした。

じわじわと訪れる充実感

サバティカル前半は、まだどこか仕事の合間の休暇気分、そして冬眠期間を経て、ようやく春が来て(今住んでいる湘南地域ではもう夏の様)生活も軌道に乗り出し、行動量や行動範囲も広がり、楽しいと思える感覚が徐々に増してきました。

既に仕事を辞めて半年が経過していますが、一瞬でした笑 日々それなりにやることや働いてなくても生活のストレスはそれなりにあるので、毎日幸福感に満たされているわけではなくとも、やっぱりこの生活は中々良いなーと感じています。当然ですが、職に就いていないと、マンデーブルーがありません。勿論、幼稚園がまた一週間始まる(朝のバトルに備えるための)日曜夜の気合い入れはありますが。。何よりも、自分自身にゆとりが生まれ、幼い子どもの日々の成長に寄り添えること、新たな気づきや感覚を得られやすいこと、働いている時より圧倒的な時間的行動的自由が生まれること、などから充足感を得られる場面は沢山あります。

例えば、今年になってステージ4のガン宣告をされた私の大事な大事な伯父。大好きな台湾旅行に死ぬ前にあと10回は行きたいとのことで、私も今月伯父の旅行に付いて行きたい!と即決出来たり。夏に一ヶ月ほど久々のヨーロッパ旅行に行くことになったり。その他も平日日中に行われているワークショップに参加したりなど。やりたい!行きたい!というピュアな思いに従って、行動することが可能です。また、子どもと思いっきり遊び尽くすことも出来るのは本当に幸せだと感じています。幼稚園が半日で終わる日や週末など、子どもが何したら楽しんでくれるかなーと考え、公園や海など自然がある場所で思いっきり遊ばせると、もうそれはそれは楽しそうな息子。アラフォーの自分は体力との戦いで、一日の終わりは疲れ果てていますが、それもいい疲労感だったり。

水族館に行った後に、海で遊び、公園に行ってまた遊び、、、体力お化けの2歳児。

その他にも、幸福感を上げる要素としては、自分の心地良いコミュニティに属すること、ローカルに根ざすこと、自分を満たすことを忘れないこと、などだと感じています。仕事をしていないと、日々家庭以外の自分の居場所が無くなったりします。私も今は旦那の地元に暮らしているので、近所に友人が多くないこともあります。子育てもしているとより孤独になりがちですが、引きこもらずに少しでも自分が心地良いと感じるコミュニティに属することは重要です。属すると言っても、どっぷりベタベタ人と関わらなくても良いと思っています。必要な時にそのコミュニティに触れ、人や社会との触れ合いを楽しむこと。私は、ヨガ/料理教室、息子の幼稚園のママたち、ピラティスクラスなど、それぞれ日々を通して楽に楽しく接することが出来るコミュニティを楽しんでいます。また、ローカルを発掘する楽しみも感じています。これは息子のお陰もありますが、公園、レストラン、カフェ、ショッピング、お散歩、特別なことはしなくとも、ちょっと普段と違うルートを通ってみたりして、近場で発掘出来るところは意外と多いです!電動自転車も中古で入手し、機動力を高めたことで、これまで行けなかった様なところに気軽に行くことが出来たりと、近場での行動範囲が以前の10倍くらい広がった感覚です。

何でもない自分でいること

サバティカル生活に入ることで、少し不安だったこともあります。何でもない自分になることです。今まで、学生であったり、会社や組織で働いていたり、何かしらに所属してきた生活が長いと、自分である前に○○の自分といった様に、所属先が先行して自分を形作ることも多いと思います。それが全て無くなる、自分は自分というだけ。他人からどういう風に見られるのかな、思われるのかな、どうやって自己紹介したら良いのかな、何もしていない自分でも認められるのかな、なんて。

でも、実際そんなことはどうでも良かったと思っています。他人は自分が気にしてるほど、自分が何をしようと然程気にしていなかったり、そもそもみんなそんな暇ではありません笑。そんなことよりも、自分がいつも楽しそうに過ごしているか、他人にどの様に接しているのか、どの様な表情をして、どの様な話し方をして、どの様な行動を取っているのか、バーバルもノンバーバルなコミュニケーションも含めて私たちは日々意識的にも無意識的にも自分から発信している印象やバイブスの様なものが、結構他人に影響を与えているのではないか、と感じています。

またそれらは、1日で自分の印象やバイブスを思う通りに形成出来る訳ではなく、日々の考え方や行動の習慣、その日々が重なって形成されてきている自分の過去がゆるゆかに、でも確実に自分の今を形作っているのだと感じます。そんな自分にとっても他人にとっても心地良い生き方をしていくことが、最終的には社会にポジティブな影響を与えるのかな〜、なんて思っています。

そして、どこか何も肩書きや役職がない自分も楽に感じることもあります。多かれ少なかれ、学校や組織に属していると、その他人が持つであろう、または自分自身が持っているイメージに近づこうとしたり、比較したり、そこにギャップがあると自分の力量不足だと自信を無くしてしまったり。本来は自分であることだけで十分なのに、つい社会の枠に思考が捉われてしまいがちです。そういった意味では、今は何でもない自然体の自分で見てもらっている気がして、それがどこか心地良く感じる自分もいます。

と、長くなってきたので、今回はここでおしまいにします。またサバティカル生活のもっと深い話や(働かないけど、資金は運用しておく話とか?)、今後のこと(フォルケホイスコーレに惹かれている!?)は、ゆるふわっとそのうちまた書かせてください。

ここまでお読み頂き、いつも有難うございます!

また、サルタックでは引き続きネパールでの教育支援のために資金が必要です。少額からでもご協力頂けると現地も私たち理事陣もとっても嬉しいです!
https://syncable.biz/associate/sarthakshiksha/donate
ちなみに、ファンドレイジングも兼ねて、数名理事が日本にいる今、何か都内でイベントなどやってもいいかな〜などとも話しています。是非皆さんの何か気になるトピックやアイディアがあったらご意見お寄せください!

では、皆さんの幸せを願って、ナマステー


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