「英語ができる」のレベルは人それぞれでよくて、そんなことよりトライすることが大事だと思う(上)

 僕は英語ができない、というのは高校生以来のコンプレックスだったと思う。実際、高校時代の通知簿を見ると赤点の連続である。おかげで一度、留年しそうになった程。だから大学でも英語の評価は芳しくなかった。
 私が大学に入ったのが1993年なので、明治以降の「外国の知見を得るための読書英語」と、90年代以降に本格的に必要になった「国際ビジネスで通用する英会話と読解力」の端境期で、思うに当時の教育界には、どっちにも軸足がなかった。むしろ前者に偏り過ぎていたと思う。

 できないものだから僕は「正しい日本語を知らず、日本文化を理解しないで英語だけ喋れても無内容だ」と開き直っていた。

 ただ、ここ数年、もっと言えばこの一年くらいで感覚は大きく変わった。一番印象的だったのは、中国の人かな、地下鉄の大門駅で老夫婦に「東京タワーはどこか?」って英語で訊いてたんだよね。それに対して老婦は「出口で訊いて!出口!出口!」と日本語で返していた。もちろん彼女に悪気はなかったのだろうし、精一杯の親切だったんだろうとは思う。

 でも僕はその時「なんだこれは?」と思った。「なんで日本人の中には『自分が分かる最低限の英語』も使わず、日本語だけで押し通そうとする人が一定数いるんだろう?」という疑問を持った。
 結局、僕はその中国人に話しかけて、改札まで一緒に行き、駅員に尋ねたうえで「 Go to Exit No.X. See , there is Exit No.X. Then , You can see Tokyo tower. 」くらいの中学生レベルの、しかもアジア人的な発音の英語で、最低限の助言をして別れた。

 浅草の並木藪で「蕎麦湯」の取り扱いに困惑している欧米人に対応した時にはちょっと困った。「 It's boiled water. Add it in this soup , and drink it. Cause this soup is very salty. 」くらいの事は言えたかな。別れ際には「Have a good trip !」って言って、店を出た。
( そういえば和菓子屋で、中国の人に英語で「和三盆」について訊かれたときには困った。店員が対応できず凍り付いていたので無視できずに割り込んだのだが、あの時は苦戦した。しかしまたそれは別の話 )

 ほんと、自分でも恥ずかしいほど「中学レベルの単語の羅列」で、しかしまあ何とか通じたっぽいので良かった。
 それだけに、英語で訊かれても頑として日本語で答える人っていうのが、よく分からない。テンパるのは分かるけどさ「 Sorry , I can't speak English. 」くらいは言えないのか、又は「 Sorry , I can understand very easy English only. Please use easy word and speak slowly. 」というほどの親切心はないのか?

 一部の右派メディアは一時「中国人が日本に来て、日本人の親切心に感動した」と書き立てていたけれど、私が見る限りにおいては多くの日本人は外国人に対してとても非寛容だし、親切にしようとも思っていない。
 自分が最低限喋れる英語を何とか駆使しようともせず「あー、英語分からない!」って日本語で相手を拒絶する人がまだまだ多いんだろうと思う(東京ではさすがに減っているのかもしれないけど。あと特に東京の接客業の人は全く別の次元だろうけど)

 親切である、ということは日本人の美徳であるはずだが、外国人はその対象外なのだろうか。それが「美しい日本」なのだろうか。
 以上、無駄に長くなったけれど僕が感じた「日本人の、外国人に対する英語対応」についてのモヤモヤ。
 中国人や韓国人も母語ではなく、日本人に分かりやすいように英語で話しかけてくれているのに、内容を聞きもせず「あー、英語分からない!」と日本語で返す人を、中国や韓国の人は「親切」だと思うだろうか?問う意味すらない。

 僕の書く文章は異常に長いのが特徴なので、これを(上)としていったん公開し、そのうえで「偉そうに言って、じゃあお前は何やってんだよ」ということを(下)に書こうと思う。

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