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宝泰寺 "生きる” 手紙伝導 2023年4月

こんにちは。
サールナートホール/静岡シネ・ギャラリーの館長でもある、宝泰寺住職・藤原東演より、最近心を打たれた言葉や、皆様に伝えたい言葉を「手紙伝導」と題しましてnoteにてお伝えいたします。よろしければお読みください。


百花爛熳の時節となりました。ご清安を心より祈念します。


 あるとき、桜の咲いている下を、電動車椅子に乗って、いい気持ちで移動していました。
 すると一人のきれいに装いを凝らした見知らぬご婦人が、通りすがりに、電動車椅子に乗っている柳澤さんに身をかがめて、「大変でいらっしゃいますね」と言いました。
 そのとたん、柳澤さんにわっと自動反応が起こりました。「同情なんかしてもらいたくない。あんなきれいなかっこうして、元気いっぱいで、こんな車椅子に乗らなくちゃいけない私を哀れんでなんかもらいたくない」という気持ちが瞬間的に起こったのです。胸がむしゃくしゃしました。そして大きな桜の幹の所にきて止まり、はっとしました。
 あの婦人は、単に私が車椅子に乗っているのを可哀想だと思ったに違いない。温かい心で優しさを溢れさせてその気持ちを伝えてくれたのです。親切な言葉をかけて、今は気持ちよく歩いているに違いないと思ったのです。
 そして、むしゃくしゃしてわめいているのは、自分の頭の中だけだ。頭であの人は自分を哀れんでいると考えたのが心に影響して、心が波立っているのだ。それは自分の中にだけあることなのだ。脳天から打ちのめされるように、そう感じたのです。
 頭が静まれば、心の深い直感が働きます。
 柳澤さんはそう気づくと、般若心経でいう呼吸というものに意識を移しました。頭で考えることをやめたのです。
 頭で考えることをやめると、野の花のように楽に生きられます。どんな雪の中でも、野の花は、雪にうずもれながらも春を待っています。文句なんか言いません。強い風がきても、しなやかにしなってまた春を待っています。文句なんか言いません。強い風がきても、しなやかにしなって、また春が来るのを待っています。野の花は、頭を使いません。

般若心経と柳澤桂子(生命科学者)
令和五年四月


宝泰寺住職 サールナートホール/静岡シネ・ギャラリー館長 藤原東演