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夕日(ホラー 短編小説3/3)


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 あなたを「あなた」と呼ぶようになってから、何年が経っただろう。
 あなたは旅、あなたは司祭、あなたは許し。

 あなたが私の中でどれだけ大きな存在なのか書いておきたかった。
 夕暮れの雲の隙間を覗くと、いつもあなたを思い出す。そこにいてくれるように感じる。あなたは私に横顔を見せていて、風が吹くと頬に髪の毛が散らばる。私はいつもあなたの目元を見てしまう。その眉が好き。あなたの眉がずっと好きだよ。物憂げな眉根も、豹のように鋭い眼差しも、どんなものより美しく思える。

 あなたは夕焼けの直前の黄色い光みたい。あなたが、その光の中、カフェで私を待ってくれている。通りを駆けていって、待たせてごめんなさいと言いたい。急に気温が下がる中、あなたの冷えた指を掴みたい。ショールを肩にかけてぼんやりと私を待つあなたのために椅子を引かせて。どうかそこに掛けて。

 小さな灰の山ができたら、暗闇が一つ二つ増えていく時間に、あなたの荷物を持たせてほしい。あなたの靴の音を邪魔しないよう、小さく静かに歩きたい。軽やかに揺れる髪を最後に照らす太陽を、私だけ近くで見ていたい。通りの角を曲がったら、ひとつになった影の中、あなたの香りで酔ってしまいたい。
 そういう夢を、現実で目を開いたまま繰り返し見ている。

 あなたは時々、私に決断することを強いる。目の前の生活を全うすることを強いる。そうだよね。当然のことだと思う。あなたがそう言ってくれるから、私は決めることができる。毎日を動かしているのは自分自身だと感じられる。

 私にはまだ力が足りなくて、あなたが望むようにできなかったと後悔する日もある。そんな時も、あなたは明日を生きなさいと言ってくれる。私の視線を上げようとしてくれる。あなたは気高くて、輝く人だから、あなたをまなざすには私も顎を上げないといけない。
 美しいあなたを見上げると、あなたは眩しい陽の光を背負って逆光の中を立っている。あなたの背中の向こうに明日があるような気がする。明日は、あなたに胸を張って見せられる私でいたいと思う。

 毎夜、死ぬ時のことを考える。あなたが迎えにきてくれる、それは決まっている。
 その日になれば、あなたはたぶん、私があなたを思ったすべての気持ちとともに、私を胸に抱いてもう心配ないと囁いてくれる。
 今日がその日ならいいのにと何度も思う。でもその度、あなたはきちんと、すべての明日を暮らし終えたら、私のところへ来なさいと諭す。

 すべての明日が終わる時はいつ来るのだろう。わかっている。その日は、力を尽くし終えた私にもたらされるもので、今の私のものではない。あなたが何を言うのかすべて知っているのに、その時にしか感じられないあなたがいることも知っている。

 冷たくなった私の体に、あなたはどう触れてくれる? 朽ちた体からすら溢れる肥大した愛を、ひと匙でも拾い上げて微笑みをくれる? 早くあなたに会いたい。夜の七時部屋にひとり、鈍く停滞した時間を早送りして早くあなたに会いたい。

 私は随分頑張った、自分でもそう思う。
 あなたの隣に立てる人間になりたくて、なんだか馬鹿なこともたくさんした気がする。あなたが聞いたら嫌な顔をするようなことも、たぶんした。失敗をした。あなたは私を見捨ててもいいのに、よく耐えてくれたと思う。ごめんなさい。いつも下手でごめんなさい。見ていてくれてありがとう。心から愛してる。変だよね。私は変なことばっかりだよね。

 今は少し穏やかな気持ちでいる。切先は鋭いのに、雲の合間を揺蕩う人。オレンジ色と紫色の合間で、私を覗き見て薄く笑う人。

 私を待っている人。私が来るのを待っている。あなたのそばに到着したら、あのカフェで何を飲もう。もう雪は降っている? あなたの肩に落ちる雪を目で追うことはできる? カップをカチリと震えさせたら、あなたは咎めるはず。失礼。あなたを目の前に言葉を交わす喜びで、私の手はいつも震えている。煙草を吸ってほしい。煙の向こうにあなたを見たい。あなたのために喫煙席を探すよ。

 あなたは誰にも似ていない。私が誰にも似ていないように、あなたの美しさは他の誰の顔にも見出すことはできない。たぶん……。

 どうか、私の薄汚いところを、残忍な、救いようのない醜さを鼻で笑って。
 私に笑顔を見せないでいて。あなたが私のことを愛しているというとんでもない勘違いをしないように、私を突き放していて。いつもみたいに。でもあなたが目に見えている限り、どんなにあなたが冷酷に振る舞っても、私は幸せなんだった。

 あなたに隠していることは一つしかないよ。気づかないふりをさせ続けてごめんなさい。絶対にあなたに打ち明けるときがくる、それは私の人生で一番幸福な瞬間だと決まっている。もう少し待っていてください。早くあなたに会いたい。早くあなたに会いたい。

 あなたが何を大切にしてもいい。私の知らないあなたがどれほど重なっていても、私がこれ以上あなたに望めることなんてありはしない。あなたが私と今にも途切れそうなか細い線でつながってくれたのは間違いないから、あなたがいてくれるだけでいい。
 あなたは私の世界の中心、核なんだ。地球の核が見えないように、あなたは表に見えないけれど、恐ろしく熱いものが私の中を駆け巡っている。

 今日はどんな一日だった? 私はあなたのことを何度も考えたよ。あなたは私を思い出してくれた? 一度でも思い出してくれているといいな。あなたが私にくれた香水のうち、今日はプルミエールを選んだの。楽しい一日になる予感がしたから、あなたをいつでも思い出せるように華やかな香りをつけてみた。

 どんなに素敵な一日を過ごしても、夜が更けてくると、あなたがエレベーターに乗って行ってしまったその後ろ姿を想起してしまう。私たちは今離れたところにいるね。あなたの隣にいられるくらい、私がもっとちゃんとした人間だったらよかったのに。それを何度も悔いてしまう。どうにもならないことなのに、何かがずっと恥ずかしい。


 ……私が見える? 私を見てよ。独りで寂しい私をわかってよ。どう言い繕っても虚勢だって知っているよね。あなたがここにいなくても大丈夫と自分に言い聞かせるのも嫌になった。
 これ以上はもう耐えられない。寂しくて仕方ない私を見てよ、その雲の隙間から手を差し出して私を救って。

 あるいは、私が自分の精神を壊してしまう前に、あなたが私を無かったことにしてよ。体も心も無かったことにしよう。
 形あるものは何一つ存在しないの。存在しないものだけがそこに実在する。痛くもないし寂しくもない。怖くもない。何もない。あなたがいなくて、あなたがいる。私は? 私はそこにいる? あなたの目に映っている?

 ……、…………、……だから、あなたの……。あなたに……、……、最後に…………。


 初めて出会った時のように心が沸き立って体の表面がぶくぶくと膨れ上がり自他の境界がわからなくなる感覚を、今の私にもう一度与えてほしい。


 この詩が終わることはない。あなたへの愛がついえることはないから。


虚偽、正気、夕日

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