私のことを好きじゃない親と親のことを好きになろうとして苦しんだ私

タイトル通り。両親は自分のことだけが好きな人たち。なのに大好きな自分に自信がなくて生活を楽しんで居なくて、相手のことも子供のことも好きじゃないのに、一緒にいて無計画に子供を作って、苦しいことを全部子供のせいにして今は自分たちだけのうのうと逃げ切っている卑怯な人たち。振り返ったら幼稚園の頃から母親の感情のゴミ箱になっていた。母親は毎日起きている時間のほどんどが不機嫌で口を開いている時間のほとんどを私に愚痴や周りの人の悪口、自分がどんなに優秀な人間で周りが思いやりのない野蛮人かじぶんがいかにかわいそうな境遇にあるかつきつめるとそれだけを語り続けていた。父親は空気だった。家と職場の往復。それ以外の時間はTVと読書、恐ろしいくらいにそれしかない。父親も母親も友人がいない。住宅街に暮らしているのに、隣人はすべて敵。無人島に家族だけで暮らしているような一家だった。いっそ無人島だったらよかった、どんなに歪んだ環境でも比べるものがなければ幸も不幸も起こらない。そんな両親のもとに生まれて、幼稚園に行って初めて世間に出た。一瞬でいじめられっこになった。今振り返ると理由がわかる気がする。私は子供扱いされていなかったから子供づきあいがわからなかった。話題として提供できるのは母親の受け売り。この街が嫌、この街の人がいや、母親の地元がどんなに素晴らしいか、幼稚園の規則がおかしい、私たちはここにいるべき人間じゃない。家ではTV禁止。おもちゃも習い事もなし。母親は自分の愚痴を聞かせることには恐ろしい執念深さと熱意を注ぐ一方で全く人を育てること社会に溶け込むこと、自分の立ち位置を確保すること自分の生活を豊かにすること、そういうプラスの思考が全くかけていた。ついでに言うと社会常識にもかけている。たとえば家の掃除ができない。家事ができない。抱えきれない不安や怒りを子供を怒鳴りつけることで解消する。思い込みが激しい、認知が歪んでいてその思い込みで子供を支配するが相手を幸せにしようとは思わない。父親もおかしいのだけど母親が積極的きちがいとすれば父親は消極的きちがいなので、父親もおなじくらいおかしいのだけど幼児のころのころはほとんどが母親との記憶である。私は母親に支配され母親の常識を疑いもなく受け入れていた。母親が嫌がるので住んでいる地域の方言は話さない(すごく田舎だったのでそれだけでまず浮いてた)、身だしなみができない(母は朝髪をセットしない、うちには子供が使う櫛ひとつなく、今でもドライヤーは母親が結婚するとき40年以上前に持ってきたものがポツンと置かれている、一応動くもののセット力なんてまるでない温風がでるだけの機械である。のちに母親は思春期に私がドライヤーを欲しがることも嫌がった)髪をとかすこともない、家を出る前に歯磨きをしない(両親もしてなかった、だから二人ともものすごい口臭の持ち主だった)私は虫歯だらけ。歯は食べかすだらけ。トイレに入っても扉をしめない(両親共そう、私は家でドアをあけてトイレをするのになれすぎて学校のトイレのドアを閉めるのが怖くて怖くて開けたまましてた。当然人にみられて変態だと噂された。その噂の居心地の悪さが恐怖を上回った時やっとトイレのドアが閉められるようになった)トイレから出た時、ご飯を食べる前、手を洗う習慣がない(両親は今もない)だからハンカチももってない(母親が持たせないから持ってなかった。他の子から汚いよ、手を洗わないの?と何度聞かれても何がおかしいのか全然理解できかった)父親は家にいる時、9割を居間のこたつの中で過ごしていたが、いつも鼻くそをほじってはその指を口の中でしゃぶって、しゃぶり終わったらコタツ布団の端っこで拭いてた。それは外でやったら異常なことだと私は知らなかった、同じことを小学校の低学年までずっと人前でやってた。周りの子供達は今思えば最初は注意してくれる子もいた、口が臭いよとか鼻を噛むときはティッシュを使わないの?とか髪の毛とかさないの?とか。私はそのシグナルが全然理解できなかった。最終的に、周囲の違和感が悪意に変わって、いじめになって自分が決定的に集団の中で居心地が悪くなってやっと恥ずかしいと思うようになった。そのころにはもう集団にすっかり馴染めなくなっていた。両親は自分たちの心の中にある世界だけで生きていて、子供たちを思いやったり周囲に馴染めるように配慮したり自分たちが世間とつながっていったり、そういうことを全部無視していきていた。母親は世間になじむのではなく特別に大切な自分を理解しない世界ではなく理想の世界を追い求め、いつのまにか無農薬無添加に生きるということにハマってホームレスのような格好で溜め込んだ生ごみを畑に埋めにいくという生活にはまっていた。生ごみの水を切らないので夏場の台所はいつも腐った臭いが充満していた。家の掃除はしない。廊下や階段、家具の上はいつも埃まみれ。風呂場はカビだらけでいつもコバエが飛んでいた。掃除に今でいうカビキラーや漂白剤のような化学薬品を使ってはいけない、地球が汚れるからである。それと不潔に暮らすことを別だと思うのだけど。洗濯はシャボン玉石鹸しか使ってはいけない。漂白剤はもってのほか。そのため汗をかきやすい子供時代汚れが落ちない服をずっと着せられていた。髪を洗うときは石鹸シャンプー、ひどいときは酢で髪の毛を流すと言うことまでやらされた。食器を洗うのも、10倍に薄めた洗剤か植物性のなんとかというものしか使ってはいけない。スポンジに泡がたたないことが使用の目安(泡が立つものは地球を汚すものだから)、環境にはいいかもしれないけど汚れが落ちないししっかり洗わないから、結果いつも汚れた食器でご飯を食べてた。布巾も洗濯しないし漂白しない上、いつもグズグズに濡れたまま放置しておくので吐きそうな異臭のする布巾(綿でガーゼの環境によいもの)で食卓を拭くから、私は食卓をふくことそのものが嫌になってそのうち拭かない方がましだと思うようになった。食事も無農薬無添加のものしか食べてはいけない。コーラを飲んだりガムを食べたりしたら死ぬほど悪いことが待っていると脅された(私は母親を気分良くさせようと、マックなんて食べる人は基地外だよねと話を合わせていた)TV(特にいまでいうバラエティ)はみてはいけない。アニメも母親の機嫌のいい時しか見せてもらえない。そして母親は子供たちが楽しい気持ちで盛り上がってくると必ず機嫌がわるくなるのだ。きょうだいで今日ドラえもんの映画があるね、と朝から楽しみにしていたらその時間になるや否やいつも私たちが家のことをしないと基地外のようにどなりちらしてTVに近づけないようにするのである。因みに母親の数限りない実家自慢の中には自分の実家は他の家にTVがない時代にもすでにTVがあったし両親(祖父母)が仕事で忙しいときはお向かいの雑貨屋さんでお菓子をもらいつつTVをみるのが日課だったというものがあった。自分は好きにTVを見た恵まれた子供時代を送ったと言うことを私に自慢しながら子供には規制する。私はこういう風に説明はできないけど、母親の言動に一貫性がないことは肌でわかってた。苦しかった。一方で自慢話をきき、愚痴をきき、そうして聞いてあげてるのに私には何もしてくれないどころか世間でうまくやれないように足をひっぱってくる母親。でも私には母親はその一人しかいない。おかしいなんておもわずに母親を肯定してあげてた。都合のよい存在だったのに。結局、都合の良い存在でしかなかった。今現在の私は多分もう昔のような都合の良い存在じゃない、だから今母親は私には関わらない。自分にとって都合よい存在だったときは骨までしゃぶる勢いで私を利用したのに。悲しい。私の生まれて最初の濃すぎる人間関係。これが今に至るまで私を苦しくさせてる大きな原因だと思う。そしてそれを乗り越えたり解決できないまま今日まできてしまった。私にできることはせめて距離をとること、相手にこの違和感を伝えたり、相手の行動の矛盾点を指摘したり二人の関係を変えることで解決したいと思ったこともなんどもあるけど、母親はその度に私を罵って自分の殻に閉じこもり、親戚中に私の悪口を言い立てて自分を守った。あんなに私を利用したのに、いや利用できるような存在だったから、私を一人の人間として尊重し大切に思う気持ちなんて存在しない、それをわかるのが悲しい。そうじゃないたくさんの親たちその親たちの子供が羨ましい。親がダメでも周りにそういう大人がいて私を救ってくれたら、なんどもなんども夢見たけど。徹底的に孤独な両親のもとで私も徹底的に孤独だった。そして今も。いつかどうにかして生まれた時から歪んだ関わりしかしらない私がまもとな人間関係をつくれるようになるんだろうか。世界の中で、精神的にも金銭的にも居場所を作れるのだろうか。まぁこれでいい、これでよかったと思える生活ができるのだろうか。

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