ラストシーンで何が起こったんだよ?

なぜモラグ・バルは番人をコールドハーバーに引きずりこんだのか?

実況では紹介してないのですが、カルマ50未満で赤い石をはめるとエセリウス侵攻エンドになりますよね。

モラグ・バルの目的はコールドハーバーを脱出することであり、そのための鍵が「番人」だったわけです。

ゲーム内では説明がありませんが、あの時に番人がエセリウスへの門を開けることができたのは「番人が今まで倒してきた奴らの屍が積み重なって“”となり、あの赤子が“”となって番人の内なるエセリウスを開いた」からです。(vicn氏のブログのあとがきを暗転してみよう!)

モラグ・バルは番人が試練を乗り越えてくることを見越していました。デスブリンガーが死ぬとき「分からぬ・・・なぜモラグ・バル様は貴様を・・・」って呟きます。モラグ・バルにとっちゃ番人に頂上まで来てほしいので、本気で止める気はなかったわけです。デスブリンガーはモラグ・バルを信じつつも、番人を全力で止めようとしないモラグ・バルに違和感を感じていたのではないのでしょうか。

また、黒い虫が話してくれたことも重要です。お前の意思次第でオブリビオンをエセリウスにできるし、その逆もできるぞ。的なことを言ってました。モラグ・バルはそれができないので番人に頼ったわけです。

吟遊詩人の回想シーンでモラグ・バルエンドに行くと、デスブリンガーに「あいつ(番人)そろそろ来ますよ」って言われますよね。きっとあの時のモラグ・バルは計画通りに事が運んで内心ニコニコだったんじゃないですかね。

内なるエセリウスって何だよ

さて、普通に考えると番人はタムリエルからコールドハーバー(オブリビオン)に行き、最後はエセリウスに行ってまたタムリエルに帰ってた、ということになります。

でもちょっとひっかかることがあります。黒い虫が言っていたことを思い出してください。アイツ、「エセリウス」と言わずにわざわざ「内なるエセリウス」って言ってましたよね。

ここからは私の推測が大きくなるのですが、最後のエンディングで通ったあのエセリウス、あれは番人の精神世界の一種なのではないかと思うんです。

繰り返しになりますが、カルマの数値でエンディングは分岐します。カルマが足りないとエセリウスは侵略され、ステンダールの死骸が転がることになります。足りてるとステンダールは槍をモラグ・バルにブスリ♂と刺して倒してくれます。

でもこれ冷静に考えたらなんか変なんですよね。だって神であるステンダールにとっては番人のカルマの多さなんて、自分自身の強さには関係ないはずです。なのにカルマが多いとモラグ・バル倒せて、少ないと倒されるってのはなんか変です。

だからあのステンダールはエイドラとして存在するステンダールではなく、番人の心の強さを象徴したステンダールではないかと思うのです。番人が乗り越えた試練の数(カルマ)で内なるステンダールは強くなるのではないかと思うのです。

つまりこうなります。番人は積み上げた屍の塔と赤子で内なるエセリウスを開く。しかしカルマが少ないと番人の精神はモラグ・バルに侵食され、内なるステンダールはモラグ・バルに敗北する。逆にカルマがあれば内なるステンダールはモラグ・バルに打ち勝つ。

vigilantにはモラグ・バル的な精神(善悪の判断を他者に委ね、過去に固執する生き方)とシェザール的な精神(どんな状況下でもなんの疑問も抱かずに突き進む生き方)という二つの対立する項から成る軸があります。番人はどちらの生き方を選ぶのかをあらゆる場面で問われます。

ラストシーンは番人が果たしてどちらの道を選んだかを決める、審判の時だったのではないかと思うのです。番人の心の中のモラグ・バルとステンダール(そういやストゥーンはショールの盾の従士だったね)のどちらが勝つのか?まさにあの時に判断されたのです。

そういえば塔の頂上に着くとペペの霊体が現れて、「もう十分やっただろ」的なことを言ってきますよね。あの時のペペの意図はvicn氏曰く「モラグ・バルはお前の影なのだから、それを倒しても意味はない」ということらしいです。(ソースはブログのコメント欄。ドイツ語翻訳兄貴の質問に対してのvicn氏の返答。)

今思うとあれは「モラグ・バルはお前の精神にもいるんだから、あそこにいる瀕死の奴を殺したって意味はない」ということなんでしょうかね・・・。結局はカルマがないと番人はモラグ・バルを克服できないわけです。

モラグ・バルは固有の存在ではない?

動画内ではモラグ・バルを吟遊詩人の末路だと表現しましたが・・・自分としてもあれは半分あっていて、かつ半分間違っているのでがないかと思うのです。

vigilantでの「モラグ・バル」という名前の使われ方は二つあると考えています。

一つ目は、赤子に触れた吟遊詩人の成れの果て。(固有の存在)

二つ目は、定命の者の醜い部分を象徴する、いわば精神の影。(心の中の悪魔みたいな)

一応、あの赤子に触れた存在はモラグ・バルになってしまうとvicn氏による解説にはあるのですが、いまんところそうやってモラグ・バルになったのが吟遊詩人しかいないので固有の存在ということにしておきました。

vigilantではエイドラやデイドラはそれ自体が固有の存在であると同時に、何らかの象徴でもあると考えたほうがいい気がしますね。

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