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仙人が死んだ(身近に起こった孤独死)

伯父が亡くなった。孤独死した。

父方の伯父。父の兄。(父は8人兄弟の末っ子)

亡くなったのは長男の伯父。享年78。

伯父には家族がいた。妻と子どもが3人。

だが、家族間のちょっとしたいさかいがあって、伯父は1年半前から一人で暮らしていた。

元自衛隊だった伯父。56で定年してからは、趣味の狩猟と川釣りに没頭するべく、山の中に小屋を建て、自宅と小屋の2箇所で好きに暮らしていた。

時々、遠く離れた私や私の両親が住む九州まで愛車のデリカを一人で運転し、旅をしながら訪ねてきたこともあった。

私は、伯父のことを「仙人」と呼んでいた。

伯父はいつも決まって、藍色の作務衣を来ていて、足元は素足に雪駄。

薄くなった白髪の髪は長く伸ばし、自然と緩やかにうねる癖毛で、後ろで一つに束ねてられいた。白い口髭も顎髭も長く伸ばし、まさに私のイメージするところの仙人のような風貌だった。

娘が物心ついた頃、娘に会いにきてくれた伯父のことを「ほら、仙人だよ」って娘に紹介したものだから、娘も伯父のことを「仙人」と呼んでいた。

いつしか、母も父も仙人と呼ぶ始末。(おじちゃん、ごめんね、「仙人」の言い出しっぺは私です)

仙人は、山籠りの生活の中、自分で仕留めた鹿や猪を燻製にしたり、甘露煮にして缶詰にしたり、秋には鮎釣りをして、自作のうるか(鮎の肝の塩辛)をたくさん仕込み、それを送ってくれていた。

どれもそこらへんで購入することはできないわけだし、何より仙人の巧みな技と味付けで、それはそれは貴重でかつ美味しかった。毎年の楽しみだった。

仙人からもらった昨年度の缶詰がまだ食品庫に残っている。

ラベルも何もない銀色の缶の表面には無骨に、仙人の字で「鹿」「猪」とだけ書いてある。

その仙人が死んだ。

仙人を見つけたのは妻である私の伯母。

次男が仙人の様子を度々見に行っていたそうだが、ここ最近は伯母が下界で必要な日用品などを購入し、届けていたのだという。

3日前に訪ねた時にはまだ元気だった。

顔を合わせれば夫婦喧嘩が勃発するとのことで、伯母は物資を届けたらすぐに帰路に着く、という感じだったらしい。

(物資を届けてもらっている時点でもはや「仙人」ではないのだけど)

そして、その3日後、訪ねた時には、もう仙人は息をしていなかったそうだ。

何が死因かわからない。仙人は一人で死んだ。

持病があったわけでもないらしい。

結果的に、仙人は司法解剖に回された。その結果を待つ中で、伯母から母に連絡があり、仙人の死を聞かされた。

夫婦として、仙人と伯母は50年以上連れ添っていた事になる。

しかし、金婚式などのおめでたいイベントをすることもなく、夫婦仲は悪化の一途を辿ったのだと。

離婚には至らなかったにしても、お互いが一緒にいないほうが平和だと感じ、離れて暮らしていた。

「死が二人を分つ時まで・・・」なんて誓いの言葉があるが・・・

夫婦の形は十人十色だなと感じた。

母曰く、電話してきた時の伯母は飄々(ひょうひょう)としていたそうだ。

「好きなこと、好きな時に好きなだけやって、好きなように生きて、幸せだったはずよ」

伯母はそう母に話したそうだ。

一人で死んでいった仙人のことを想う。

果たして、本当に幸せだったのか、苦しくなかったのか、寂しくなかったのか

それはもう仙人なき今、確かめようがない。

ただただ、仙人を想う今。

お酒が好きなのに弱いからすぐに真っ赤になる仙人。細マッチョの体で作務衣でクネクネする様は、今にも酔拳を繰り出してきそうだと面白がっていた私。

仙人のこと、大好きだった。

一人で死んでいき、こんなご時世だから葬儀に参列することもできない。

ただただ、感謝の気持ちと、大好きだったよって気持ちと、ゆっくり安らかに休んでくださいっていう気持ちを念ずるばかり。






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