NOと言えなかった妻
別居生活57日目。
別居して、一番変わったことは、
娘と向き合って話をすることが多くなったこと。
夫が家に居る時は、食事時に全員集合するも、とりとめもない会話がほんのすこしあるだけ。業務連絡程度。
食事を終えてもなお、夫がリビングで晩酌しながらチャンネル権を握るもんだから、娘は自室へ、私も無言で後片付けをし、洗濯物をたたむべく、客間兼自室へ引っ込んでいた。
食後、3人それぞれ、別々の場所で各自の時間を過ごし、各自就寝、という生活だった。
だから、今となっては本当に女ふたりと猫2匹(猫も女)、自由にのびのび生活できる喜びを満喫。
しかし、両親の離婚危機を目の当たりにしてしまった今、彼女の心中は複雑。日々、両親について、色々考えたり気になることがあるのだろう。
今の彼女は、私にとって頼りになる心理カウンセラー、良き相談相手というポジションになりつつあるが、時折、鋭い質問を投げかけてくるえげつないインタビュアーにもなる。
割と、夫婦間の深いことにまで質問は及ぶ。
私は今更隠しても仕方のないことだし、彼女は成人してるしってことで、答えられる範囲で正直に答えている。
そんな中、「ううっっ」てなるインタビューの日があった。
「母ってさぁ、父に、嫌って言ったことある?」
ん?なんだ?どういう質問だ?
「母はさ、色々父に頼まれてたじゃん。けっこう自分勝手な、わがままとかもあったじゃん?それに対して、嫌だって断ったことある?ノー!って言ったことある?」
げっ!
そういうことか。
母
「んー。そうねぇー。」
やばい、ないかも!
しばらく悩んだけど・・・うーん・・・
考え尽くす限り・・・ない!
娘
「本当に嫌だって思ったことなかったの?嫌だけど我慢して従ってたの?」
私
「うーん・・・さすがに真夜中に隣の県まで迎えに来いとか、うちらが帰省から戻った正月の三が日から家で飲み会するとかは面倒くさいなーって思ったけど・・・イヤイヤではなかったし、好んでしてもいなかったけど、我慢もしてなかったかなー」
と、私は正直に回答すると・・・
娘
「マジで???キモっ!」
え?ええー!?キモい!?
苦笑い。
でも、思った。確かにキモいわね。
尽くしすぎた・・・のかな。
思い出話①真夜中、県をまたいでのお迎え
いつだったか、車で1時間半はかかる隣の県の街で飲んでいた夫から、夜中の11時すぎに連絡があった。
「終電を逃したから、迎えに来て。俺、明日仕事だから泊まれない」
いつでも私の返事は「はい」か「YES」。
行きましたよ、だるーって思いながら、眠い目をこすりながら、車を走らせましたよ。
そして指示された店付近に到着し連絡すると
「ごめん、まだお開きじゃないからちょっと待ってて」
それから車の中で寝ながら待った。(けっこう待たされた気がする)
そして、やっと店から出てきた夫が乗り込み帰路へつく。
もちろん夫は助手席で、快適に爆睡していたことは言うまでもない。
もちろん、翌日は私だって普段通り仕事だった。
よく迎えに行ったよなー。(遠い目)
思い出話②正月の三が日から宅飲み
年末年始やお盆休み、私の実家に里帰りしようと夫にお願いしても、いつも決まって「俺はいいや。(娘と)二人で帰っておいで」という返事。
はいはい、いつものこと。
覚えている限り、ここ5年以上、オールシーズンを通して、夫は私の実家に顔を出していない。
我が家のお正月の過ごし方。
大晦日の年越しは夫の実家で過ごし、元旦から2日、あるいは3日にかけて私と娘ふたりは実家に帰省することが通例になっている。
(夫は2日の朝からサッカーの初蹴り、夜は同窓会の飲み会が毎年恒例行事だから、帰省してよってお願いしても聞き入れてもらえず、帰省のお願いをすることは早い段階で諦めた。)
ある年、1月3日に自宅に戻る予定で実家に帰省した。
もちろん4日から私は仕事。毎年、4日が平日ならばその日が仕事初め。(ちなみに夫は毎年、成人の日までは正月休み。夫の独断で会社の正月休みが決まる。)
実家を出発してから「15時頃着くように帰るよー」って連絡したら
「よかった。今夜、家にサッカーの保護者たち呼んで飲み会するから準備よろしく。18時スタートで。」
は?はぁ?・・・はい。(もちろん返事は「はい」か「YES」)
ダッシュで帰り、支度をした。
この時は、さすがに嫌だった。面倒くせぇって思った。
でも、そんなことは言えない。嫌だなんて言えない。
ま、お正月だし、明日は仕事初めだって参加者達もわかってるだろうし、さすがに早めにお開きになるよね。
・・・甘かった。その日の解散は0時過ぎ。
全然終わりそうにないなーって思っていたところ、参加者(男性)の奥さんが怒って迎えに来たところでやっとお開きとなった。
客が帰ると、夫は「おやすみー」と言って、さっさとその場から消える。
私は全ての後片付けをし、睡眠不足、フラストレーションは爆発寸前の最悪なコンディションで仕事初めを迎えた。
あれは最悪な年の始まりだった。(遠い目)
NOと言えてたら違ったのかな
NOと言えてたら、今の状態(離婚危機)にはならなかったのだろうか。
ふと疑問に思った。嫌なこと、嫌だと言ってたらどうなってたのかな。
私が嫌なら嫌で断れば、夫は諦めてたのかな。それとも機嫌悪くなったりしてたのかな。
試してみようかな。
いや、試してみようにも、もう夫はいない。
最悪だった思い出を振り返りながら、今の自由のありがたみを噛み締める。
最後ぐらいNOって言ってみるか。離婚にNOって。
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