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小麦文化について

パンについては書いたので、あと先になってしまいますが、パンをつくるのに
欠かせない小麦についてのエピソードです。

美味しい硬質小麦が出来る土壌と気候に恵まれたサルデーニャ。その中でも島の
南西部に広がるサルデーニャ最大のカンピダーノ平野は特に肥沃で、古代ローマ期にはローマの穀倉地帯とされていました。初夏には黄金色に輝く小麦の壮大な絨毯がこの辺り一面に広がります。

さて、農業に携わる人が多いサルデーニャ。かつては1年の始まりは農作物のサイクルに合わせて9月でした。サルド語で9月はイタリア語でCapodano(カポダンノ-元旦)を意味するCabudanni(カブダンニ)。(サルデーニャの中でも地方により呼び名が異なる) また7月は小麦のサイクルと深く関連した麦打ち場(脱穀場)を意味するArgiolasまたは脱穀を意味するTriulasと呼ばれていました。
このように人々の暮らしに常に密着してきた小麦は一家の経済を支える大きな収入源であり、ほんの何十年か前までは通貨の代わりに使われていました。
また小麦祭り始め、小麦はいろいろなお祭りに欠かせません。

種まきから刈り取って脱穀するまでは男の仕事、次に女性がゴミを取り除き、きれいに洗って完全に乾かします。その後、第一次と第二次世界大戦の間に機械化されるまではロバや水車の力を借りて石臼を使って粉にしていました。
石臼の周りの円を目隠しされ石臼に繋がれたロバが何度もグルグル回って挽いていたそうです。

左はお祭りで小麦を持つ女性、右はロバに引かせた粉挽き用の石臼

その後、粉になった硬質小麦はふるいにかけてタイプ別に分けられます。
さすがに現在では機械化されていますが、昔は女性の重要な仕事でした。
平らなカゴに布を敷き台座となる3本の木で出来たTaullaと言う道具を置き、上にふるいを乗せて前後に動かします。まずは目の粗いふるいで大まかに麩を取り除き、次に布に振り落とされた粉をさっきより目の細かいふるいにかけます。
この時点でもまだ細かい麩が残っているので平らなカゴに直接入れ、回すように
動かすと粉より軽い麩は上に浮き上がり取り除くことが出来ます。
このようにして目の粗さの違うふるいやカゴを使って最終的には麩、全粒粉、粗挽き、2度挽きのセモリナ粉、白い硬質小麦粉に分けられます。
驚くことにさらに工程を繰り返すこともあるそうです。

左はアンティークな粉挽き機、右はカゴとふるいで粉の選別をしていることろ

ようやく小麦から粉になりました!これらの粉を使い、パンやパスタ、お菓子を
つくっていきます。
そんな気の遠くなるような長い時間を経て私たちの口に入るんですねー、大切に
じっくりと味わわないとバチが当たりそうです。

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