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めんどくさがる力

もう、ネガティブな「めんどくさい。」は、今日でおしまい。

めんどくさいの裏側には、別のことならがんばれるという感覚がある。

大学2年の秋ぐらいからだろうか、
木の葉が色づく季節だったと記憶している。
「めんどくさいから、就活も就職もしない!」

そんなことを言い出した季節は、いつが正解だったか、正直、はっきりとは覚えてない。

そこから私は、
何かにつけて、どこか誰かに宣言するように、
「就活しない!すきなことする!」
と、言い張るようになった。


新卒採用が当たり前で、大学の役割が、
『就職対策機関』に成り下がり、
ほとんどの大学生が直面し、悩みのタネとする
就活。

「みんながやっているなら、俺くらいサボってもいいよね。」と、新宿に降り立った私は感じた。
「こんだけ人がいて、みんな真面目に働いてるんなら、私くらい。」と思ってしまった。

「お店を持ちたい!」
「エッセイも書きたい!」と、言い出すようになったのも、この辺の話だ。

今の私を突き動かす、行動力(?)は、
「就活めんどくさい」から始まっている。

「めんどくさい。」のもつ、ボヤボヤモヤモヤしたマイナスのオーラを感じないわけではない。
むしろ、ビンビン感じる。
「めんどくさい」と口にすることすらめんどくさくなってしまう。

「洗濯物たたんでおいてー」と母に言われ、「めんどくさぁ」なんて口に出してしまったら、妹と母の下着の違いも気にならなくなってしまう。『あっこばちゃんのムスコ』としての真っ当なココロを忘れ、「洗濯物終われーーーー」の一念。

恐るべき「めんどくさい」力。

世界は割と「めんどくさい」が支配していると思っている。

【不祥事が起きたら、活動休止。】
これも結局、「めんどくさい」からである。

言及されながら、晒され続け、
しかるべきところに謝り続けるくらいなら、
一回謝って、自宅にこもってしまえば
もう、色々言われない。

「なんか色々言われるのも、釈明するのもめんどくさいから、活動休止しちゃえ。」

ぐらいだろう。

クレームを一度受けたくらいで
放送取りやめにするCMもそれと同じで、
「めんどくさいから、放送取りやめね!」
くらいのものである。

そうは言っても、「である。」とは、
断定できないのが、「めんどくさい」の「めんどくさい」たる所以だ。
だが、しかし、「めんどくさいから。」であっても良いと思う。
「めんどくさい」も自然な感性だろう。

「めんどくさい」の力を、侮ることなかれ。

全てのやる気を一瞬で無に帰す「めんどくさい」の破壊力。

私たちは気づいている。
いかに、自分の生活のことごとくを、
色とりどりの「めんどくさい」でやり過ごしてきたか。
「めんどくさい」が中心の他給自足の生活であったか、知っているはずである。

私が感じる最大の「めんどくさい」は、確かに就活であるが、
何がめんどくさいって、
「もし、就職先が倒産したら?」である。

私個人ではどうにもならない。
組織なんてそんなものである。

安心したい。
のであれば、自分の小舟で、スイスイと進む他ない。

大きいけど、転覆したら、太刀打ちできない。
それが、社会と、会社である。

転覆した船から、逃げ出し、
助けを求め、必死に声を上げるのは、もうなんだか、「めんどくさい」と感じてしまった。

日本の家電メーカーの業績悪化の現状から、大震災、などを通して、どの企業も今後
「どうなるか、分からない」のだ。本気で。

ならば、私は、自力で船を漕ぎ進めたい。
大海の流れを感じながら、見たことのない大陸を目指してみたい。
大変ではあるだろうが、
「めんどくさい」とは、思わない。

気づいたことがある。

「めんどくさい」の裏側には、
「別のことを頑張る。」という意思も存在する。

「めんどくさい」のポワポワした、
イヤな感じも、
「別のことを頑張る」に変えたら
優しいポジティブになる。

もう一度言うが、
「めんどくさい」の力を侮ってはならない。

私たちの心に根付く「めんどくさい」も、
見方を変えては、どこへでも行くための
舵となり、帆となる。

小舟を漕ぐ私は、「めんどくさい」の力を頼りに、今日も1日を乗りこなした。

明日は、どこへ向かおうか

#エッセイ #めんどくさい



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