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電車の『キハ』って、JRの人たちにしかわからない。

駅舎にて、寒い冬空の下、
ガタンゴトンとやってくる電車を、
ぼーっと見ているとだ、
『キハ』って文字が目に入る。

本来なら、気になるはずもない『キハ』なのだが、彼女に『キハ』というテーマを貰ってから
気になってしまう。

なんだあの記号は。

誰から誰への、なんの、メッセージなのか。

『キハ』にとどまらない。
モハ。メハ。モハメドアリ。

JRの人たちだけが、可愛がれる『キハ』という記号は、どこか、
家族にだけ通じる、コトバ達に似ている。

どの家にも、その家庭でのみ通じる記号が
あるはずなのだ。

我が家で言うところの、「アメリカン洗い」。

これはだな、夜に浴びるシャワーをさす。

どうだろうか、
最高に意味がわからないだろう。

家庭に限らず、そこでのみ通じる記号は、
あるはずなのだ。

飲食店なら飲食店の記号だったり、
「せり」なんか、まさに、それに当たるはずだ。

コミュニティや、ローカルという、
ネット・グローバルのカウンター的な
文化は、「そこだけで通じる記号」が、
必須なのではないか。

リアルミーティングで通じる時に、
なにか、エモさも、興奮も、
独占欲すら満たせるような、
特有な記号。

あれだな、JRの人たちは、
車体の横に書かれた『キハ』をみて、
ヘラヘラしているかも分からない。

車掌さんたちは、飲み屋のカウンターで、
「あのキハがなぁ〜」って話してるやも
分からない。

「自分たちの世界」。

それを楽しむ記号。

できることなら、たくさん知りたい。

「私」と言うのは、
誰か、何かが居て、やっと、「私」になるのだ
と、思う。

関係性の、間に人が住うなら、
「小さな世界」を、
「自分たちの世界」を、
こしらえていく他ないのではないか。

なにか、大したことないけど、
そういう、空気感を、作れたならいい。

こういう浅浅な私を出汁に、
誰かと誰かが、
美味しい記事でも、エッセイでも、
飲み屋でする話の入り口にでもしてくれたら、
とっても嬉しい。

人は、
いきなり、
人と何かしらの間に立つわけではない。

入り口に立って、
俯瞰して、不安になって、悩んで、
一歩踏み出すか、引き返すか考えるのだ。

そんな、入り口を、
出来る限り、優しい状態で提案できたら、
人は、より、「間」に入りやすくなるのではないか。

私の人生に関係なさそうな、『キハ』も、
噛み砕いて、
無理矢理にでも味わってみようとすれば、
色々なことが言える。

ステキではないか。
「ものづくりブーム」「DIYブーム」の
後釜は、「話の入り口づくりブーム」かな。

そしたら、ほんとの意味で、
「無駄なものなんて無い」と、
胸を張って言える気がする。

さて、忘年会シーズン。

この一年間、「人の間」で踊り疲れた
人たちは、
どこかの居酒屋の「なんとかの間」で、
酔いつぶれる。

酔い潰れて、一度壊れて、浄化して、
また来年にむけていく。

飲むならあれだね、
大切な人との間柄は、壊れない程度がいいね。

#エッセイ

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