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義実家におせちを届けない年末

夫の母が亡くなって、義父におせちを届けようと思い立ったのが、おせち料理をつくりはじめたきっかけだった。かれこれ15年前のこと。

それまでは、正月は夫の実家と私の実家に行けば、おせち料理とお雑煮と、その他もろもろのおいしいものが食べられる・・・それが当たり前だと思っていたから、いざ、おせちを作ろうと思い立ったところで、何からすれば???はてなマークしか浮かばない状態で、母に助けを求めた。
何年かは実家で一緒に作ってもらい、そのうちお互いに作ったものを持ち寄り、重箱に詰めるようになり、一時は、実家に帰ってくる妹家族の分も含め、16人分のおせちをつくったこともあった。
直近の2~3年は自力でつくって実家にもとどけるようになり、2019年(去年)の年末は今までの新記録、16品をつくった。

そんなおせちづくりの歴史、最初は、自ら志願してつくり始めたはずなのに、年を追うごとに憂鬱さが増していった・・・それが高じて、とうとう2020年正月(今年の初め)に宣言した。



おせちを届けるのは今回で終わりにします


宣言するまでには、相当な葛藤があった。

昭和10年代生まれの、家事もろくにできない義父に、正月におせちを届けなくて、わびしいんじゃないかとおもったり、
毎年、正月には数日間、父方の祖母を接待し、まったく動かない父、なにも手伝わない私たち姉妹にも何も言わずに(小言くらいは言ってたけど)当たり前のように動いていた母を思い浮かべたり。

でも、義父や母にとっては、なにがなんでも私がつくる必要性はゼロ。確かにつくってあげたら、買う手間も不要だし、楽だろうけど、ただそれだけのこと。

だったら、私の意思を優先しよう。憂鬱な思いをしている私を解放してあげられるのは私しかいない、私を守れるのは私しかいないのだから。そう考えて、宣言するに至ったというわけ。



つくらない宣言をしたものだから、娘たちが不安そうに聞いてきた。
「うちの分もつくらへんの?」
か、かわいい・・・♡

娘たちは、小さいころからおせち料理が楽しみで、毎年12月になると、おせちの話をはじめるという、変わった人種で(要は食べることが好きw)量もある程度必要だし、やっぱり自分でつくるとおいしいし、なにより、娘たちの期待に応えたくて、今年も腕を振るうことにした。

家族5人分だけとはいえ、量はあまり変わらないw
でも、気持ちが全然違う。気楽だし、純粋につくるのが楽しい。宣言して本当によかった!!!



— 嫁業務、娘業務に従事する全国の女性たちへ —

もし、嫌なら断っても大丈夫。嫌々がんばったところで、大したリターンは返ってこない。
あなたはどうしたい?あなたを守れるのはあなただけ!少しずつでいいよ。自分に正直になれるよう応援してるよん♡


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