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UNDERTALE感想

 UNDERTALE(アンダーテール)のN, P, Gルート、それぞれの結末を見ました。とにかく心をかき乱されるゲームだったので、クリアした機会に一度、思いの丈を感想と言う形で書いておくことにしました。他の方々によるクリア後の感想や考察を読むことが楽しかったので、自分の分も残しておきたいという気持もあります。
  約12000文字と長いですが、ご興味を持ってくださる方はよろしければどうぞ。

 この先、全ルートのネタバレをしまくります。UNDERTALEはネタバレを知らない方が断然楽しいゲームなので、未クリアの方は閲覧しないことを強く推奨いたします。











 ではさっそく、自分にとって一番引っかかっていた、それゆえにUNDERTALEを忘れ難い作品としている部分のことから語らせていただきます。

1.フラウィの幸せはどこにあるのか

 Nルートの最後となるフォトショップフラウィ戦は、これまでプレイしてきたゲームの中でもとりわけ印象に残るラスボス戦でした。バトル開始時は、何かとんでもない選択間違いを犯してゲームが取り返しのつかないことになってしまったのではないかと、本物の焦りと絶望の淵に突き落とされたものです。その中でささやかに残った抵抗、連鎖し拡大していく希望、そして劇的な反転攻勢――。耳障りな音に満ちた音楽が徐々に調和のとれた美しいものとなっていく過程も含め、非常に心打たれるものでした。
 この一連の流れにより、私の胸には完全に刻み込まれました。フラウィは「クソ花」だと。それゆえに、ラスボス戦直前まで1周目は不殺を貫いていたにもかかわらず、私のプレイヤーはフラウィを殺したのです。この花は害悪だと思ったから。
 本来、フラウィを殺してしまってはPルートへのヒントがもらえなくなるらしいのですが、ネタバレに気を付けつつも情報収集していたのでPルートの存在は知っており無問題。Nルートのセーブデータから、そのままPルートへと分岐する道をたどりました。
 そしてPルートでも、最後の最後でクソ花もといフラウィが立ちはだかってきました。しんじつのラボには当然立ち寄っているので、フラウィがどのようにして生まれた存在であるのかはすでに把握していたし、なんならアズリエルがラスボスとして出てくるということも、いろいろ情報収集していた弊害としてうっすら知っていましたので残念ながらアズリエルの出現自体には大きな驚きはありませんでした。
 しかし、いざフラウィがアズリエルとしての姿を取り戻し彼と戦っていくうちに、私の心情に変化が生じ始めました。特に、最終形態へと変化したアズリエルが、抱えている苦しみや悲しみを一気に吐き出すシーン……そこで、私の心が大きく揺さぶられたのです。
 アズリエルの嘆きは、かつて子どもだった私が覚えた嘆きと似ていました。それゆえに私の心はアズリエルと共振しました。
 同時に、今の私は人の親でもありました。自分の子どもたちとさほど年齢の変わらないアズリエルが訴える孤独と苦しみに、こんなことがあって良いのかと胸をかきむしられる思いでした。
 アズリエルに同情し憐れに思いながらも同時に、これはあのクソ花でもあるという意識が抜けませんでした。私のフラウィに対する恨みは根深く強いものでした。また、操作しているキャラクターの名前がフリスクであるという種明かしに驚いたあまり、アズリエルの正体に関する煩悶が一時的に半分吹き飛びました。かくてアズリエルを退けた時点でフリスクとしての私はアズリエルを許さなかったし、慰めることもしませんでした。
 かくてPルートは無事に大団円を迎えます。フリスクとして各地を再訪し、みんなとの会話を楽しみました。ぽつんと遺跡にいたフラウィからの話も聞きました。エンディングではみんなが幸せそうで、心から良かったと思いました。ただしそこにフラウィ/アズリエルだけはいないことに気がつきました。

 満足しつつPルートをクリアしたはずなのに、その夜は寝るまでアズリエルのことが頭から離れませんでした。落ちてきた子(以下キャラ)のたくらみに加担はしたもののそれ以上の罪はアズリエルそのものにはなく、むしろキャラが人間を害すること引いてはモンスターと人間の間に再び戦争が起きることを自らの命でもって防いでいます。まだせいぜい十代前半くらいにしか見えない幼さなのに。キャラに対する愛情は深かったものの、情に流され過ぎない強さも持っていた子で。フリスクとしてアズリエルと話した印象としても、彼は心の優しい良い子でした。それなのにどうして、誰もが幸せになったPルートで彼だけが幸せになれなかった(ように見える)のか。その不条理さが私の胸を突き刺しました。この消化不良感が、私をGルート攻略へと駆り立てた最大の理由です。もしかしてGルートでならあのクソ花自身にとって納得のいく運命が用意されているのではないかとほんのりと期待し、その期待がかなわない場合でもフラウィについてより多くの事実を知ることができるのではないかと考えて。
 その期待は、半分正解で半分裏切られました。フラウィ/アズリエルについてさらに多くを知ることはできました。ニューホームでフラウィから話しかけられた時、私はわくわくしながらスクショを撮りまくったものです。しかしそこから新たに明らかとなった事実には、余計に胸が塞がれる思いでした。タマシイを持たずアズリエルとしての意識だけ蘇った故に愛する心を持てなくなってしまったフラウィが、アズゴアやトリエル、他の住民たちとの交流によっても救われることができず、繰り返される現実に飽きて倦んでねじまがり、ついには暴力と殺戮に手を染めるようになった経緯…。かつては優しく無垢だった存在のたどった道のりとしては、大変悲しく恐ろしいものでした。
 そして最後に、フラウィは救済されるどころか逆に無残に死んでいきました。アズゴアを殺してまでキャラに媚び命乞いをしたにもかかわらずまったく相手にされず、執拗に何度も斬りつけられて。いっそ清々しいくらい、これ以上ないほど酷い扱いでした。その後のプレイヤーとしての私とキャラの対話にも強い負のインパクトがあり、呆然としながら私はGルートを終えました。

 こんな結末になるならば、束の間フラウィが人を愛する心を取り戻せたPルートが、たとえ彼だけ幸せそうなみんなの輪から取り残されてはいても、結局彼にとってもベストなエンディングだったと言えるのかもしれない、そう思わされたものです。
 その後、色々と考察などを漁っていた中で、公式による「目覚まし時計セリフ集」を読み、おそらくPルートエンディング後とおぼしき登場人物たちが繰り広げていたわちゃわちゃの輪にフラウィもちゃんと含まれていることに心底ほっとしたものです。クリア前にはひとりぽつんとしていたあの花も、その後でみんなに合流することができたかもしれないと。地上へのバリアがなくなった後の世界でなら、全てが予測可能ということもなくなりフラウィにとって改めて世界が新鮮に感じられるようになって退屈を覚えなくなるかもしれません。Gルートにあってさえ、フラウィの望みはバリアを消してみんなを解放することにありました。
(キミとボクとではじめたことを きちんとおわらせよう)(みんなをじゆうにするのさ)と。
 …まあこの台詞のあとにまた不穏なことを言い出すフラウィではありますが。
 少なくとも与えられた選択肢の中ではPルートがフラウィにとっても最良の終わり方であったし、それはフラウィ自身がある程度納得でき今後再び幸福になれる可能性すらある道なのだろう…と、この作文を書きながらやっとある程度納得できたように思います。
 ゲーム内ではどうしてもフラウィに根本的な幸福や救済が訪れないのは、フラウィがタマシイを持たぬ存在となってから重ねた罪のためなのかもしれないとも、今となっては思います。

2.キャラについて思うこと

 それにしてもGルートの結末におけるキャラは、共に長い時間を過ごしてそれなりに思い入れがあったであろうアズリエルの転生体であるフラウィを、どうして言葉ひとつかけず過剰なまでに攻撃し殺したのか。きょうだいのように育ち大人たちに言えない秘密を共有した間柄であるアズリエルのことを、キャラはなんとも思っていなかったのでしょうか。
 論理的にあり得る可能性として、キャラもまたセーブ&ロード能力の持ち主でありそのことがキャラの心理に影響していたのかもしれないと考えました。フリスクよりもフラウィよりも前に地下世界の誰よりも強いケツイを持っていたのが、唯一のニンゲンであったキャラだったとして、何の不思議もありません。その場合、キャラが落ちてきてから無数のセーブ&ロードを繰り返し思いつきを試し、その総仕上げの一試行としてアズリエルの親友となる道を選択しただけだったのだとしたら、悲しいかな、キャラにとってのアズリエルの存在は、アズリエルにとってのキャラよりも軽くなって当然であったことでしょう。あまりにセーブとロードを繰り返し過ぎたがために目の前の現実に対する帰属心が薄くなり、安全で愛に溢れた生活を送れていたにもかかわらず自ら死を選ぶことすら可能となってしまったのではないか、あるいはフラウィのように、すっかり飽いてしまったのではないか。そんな風にも考えました。

 ただ、主人公が垣間見た「おちてきた子」の記憶は優しく、ニューホームで耳にするギターの響きが印象的な音楽 「Undertale」も幸福の余韻があまりに強く、この解釈が筋違いかもしれないという気分になる時も多いです。幸福だと感じていたのはあくまでアズリエルとその両親のみだったのかもしれないけれど、キャラにとっても心安らぐ時があったのであってほしい、とんでもない選択をとったのも実際モンスターたちを解放したい一心だったからであってほしい、そう願っています。

3.Gルートの仕掛け

 ほぼ何も知らずにUNDERTALEの世界へ徐々に馴染んで行った一周目Nルート、隠された真実に心を震わせながら最大多数にとってのハッピーエンドにたどりついたPルート、その後に行ったGルートは、不穏であり苦しいものでしたが、ゲーム体験としては大変興味深いものでした。
 まず、いせきの時点でエンカウントしなくなるまでモンスターを狩り続けるという所業がけっこうな手間で、なるほどこれは虐殺するというケツイが固まっていなくてはできないことだと思わされました。1回目はうっかりスノーフルのモンスターを狩り尽くす前にパピルスを倒してしまいGルートから外れたので、リセットしてもう一度最初から。

 リセットは、ふじみのアンダインを攻略する時にもう一度しています。彼女があまりに強く、自分のセンスだけでは倒すまであまりに時間がかかるだろうと初顔合わせで悟ったので攻略を検索しまくり、いったんリセットし態勢を整えた方がこのまま無策で挑み続けるよりもまだ費やす時間は少なくなるはずと判断したのです。かくて2回目のリセットを行い、めったにエンカウントしないグライドを狩ってレベルを12まで上げ、1回目は拾いそびれたバレーシューズを拾って攻撃力も強化し再戦へと挑みました。それでもゆうしゃは強く、戦闘開始からで勝利するまでおそらく3時間ほどかかりました。
 ふじみのアンダインとの戦いによって、私の心は完全にGルートに取り込まれたように思います。無力で無邪気なモンスターの子に襲い掛かるという倫理観を無視した行為に対する戸惑いは繰り返し同じ現場に遭遇するうちに次第に薄れ、ただの作業と化していきました。かなりの手間をかけて準備し再戦に臨んだにもかかわらずやはりアンダインは強く戦いは面倒で、それでも繰り返しアンダインに挑んだのは、この相手を倒さなければならないというケツイがプレイヤーである自分の中で固まっていたためでした。それは、フラウィや、のちにはサンズから糾弾されたように単なる好奇心が動機であり、やろうと思えばできる道があると知っていたから実行した蛮行でした。
 こうして、私というプレイヤーは主体的にGルートを完遂することを決め、粛々と虐殺を遂行し、ついにはサンズとぶつかることになります。
ふじみのアンダイン相手でもかなり苦戦した私は、サンズ相手では当然もっと苦労することになりました。最初に対戦した日から倒した日まで30日ほどかかっており、毎日必ず15分から1時間ほどサンズと戦っていたので、ざっくり計算するとおそらく15時間ほどサンズを倒すまでかけています。途中で投げ出さず最後までサンズと戦えたのは、彼の攻撃が苛烈であるとは言え完全にパターン化していたためです。もし攻撃がランダムなアクションの連続だったらさすがにあきらめたことでしょうが、決まりきったことを早い速度で対応できるようになれば良いだけだから要はピアノの練習と同じことだと決め込みました。ピアノの練習なら子どもの頃にさんざんしています。最初は無理と思える動作も、練習を重ねればだんだんと早く上手にできるようになるものです。そして直観通り練習によって私のサンズ対応能力は徐々に向上し、ついには撃破するに至りました。
 ボスとの戦いによってゲームオーバーしたあとでゲームを再ロードしてボス戦前に戻り、再びボスに挑む。どんなゲームでもありがちなこの行程が、UNDERTALEのサンズ戦においては仕組まれたストーリーの一部と化します。主人公を退ける数だけサンズが主人公を妨害し諦めさせようという思いが強いことの証拠となり、度重なる敗北にもかかわらずサンズに再戦を挑む主人公は、その行動自体によってケツイの強さを表現しているわけです。だってここでサンズ攻略を諦めてゲームを開くことをやめたら、サンズに勝ちを譲ったということになってしまうわけですから。そして、この認識に至った段階で、主人公とプレイヤーはかなり強くシンクロしているわけです。同時に、PルートにおいてはフリスクでありNルートではどちらともつかない主人公は、この時点でほぼ全面的にキャラにとってかわられています。

 私も決して詳しく勉強したわけではないので解釈が間違っていたら恐縮なのですが、キャラとは、プレイヤーにとって、ユング心理学で言うところの「シャドウ」に当たる存在なのではないかと思っています。人の心にある影の部分、もともとは自分の一部であるものの否定された、生きられなかった半面。通常の人の心を持つプレイヤーなら…あるいはフリスクなら、残忍で不穏な性質を持つキャラは、否定したい存在であることでしょう。ましてや自分の一部であるとは認められない。実際NルートやPルートではキャラはすでに過去の人物でしかありません。しかし、Gルートでだけは、好奇心のためとは言えモンスターを虐殺することを選び、恐れられ忌み嫌われながらも必要な条件をクリアしていくうちに、主人公の内部でキャラが徐々に存在感を増していきます。やがてキャラは完全にフリスクにとって代わり、ここまでの道のりで主人公=キャラと強く同化したプレイヤーもまた、プレイヤー自身の残忍さゆえにもたらされた世界の破壊と向き合うこととなります。
 単に主人公だけでなくプレイヤー自身の二面性をも引き出す仕掛け、それがGルートなのかもしれません。

 Gルートに入り込んだ主人公は明白な悪です。殺されたトリエルが最後に残した言葉。他のルートでは居丈高にも見えるスノーフルの店員さんが残した「かぞくにらんぼうしないで」という懇願の書置きと、選択肢としての「ぬすむ」「うばう」。罪もないモンスターの子を襲う……。
けれども、Gルートの何から何まで胸糞悪いかと言うと決してそういうわけでもありません。主人公が悪であるからこそ、立ち向かい阻止しようとしてくるモンスターたちの善なる部分が、時には他のルート以上にくっきりと光り輝きます。最後まで主人公の可能性を信じ続けたパピルス、並々ならぬ覚悟で死の淵にある肉体を留め続けたアンダイン、他のモンスターを逃すためウォーターフェルに居残りながらも主人公に屈しないガーソン、そしてサンズ…。
 NルートやPルートでのサンズは、どきりとする言動も時に見せつつ全体としてパッとしませんでした。夢に一途なパピルスと比べるとどうもダラダラとしているし、生活面でもだらしがないようだし、そのうえ寒いダジャレを好んでいます。しかしそんな彼が全身全霊を賭けて挑んでくるGルートでの最後の戦いは、いやはや、痺れました。無力感と諦念を乗り越え、世界の滅亡を阻止しなければならないと立ち上がったサンズは最高に熱い。長い時間戦うからこそ、覚悟の決まりっぷりがよりいっそう胸に刻み込まれます。しかもステータス的には最弱のサンズが、主人公を迎え撃つためにどれだけの知恵と知識を振り絞ったのか。そのような背景に思いを馳せると、彼の人気にも深くうなずけました。

4. 無力なアズゴア


 UNDERTALEには素晴らしい曲が数々ありますが、その中で一番自分が好きな曲は「Bergentrückung」からの「アズゴア」かもしれません。最愛の子どもを喪った後でもなお国に対する責任を果たさなければならないアズゴアの王としての苦悩と悲哀が全体からビシビシと伝わって来てたまらないのです。
 荘厳な「Bergentrückung」…これは「山で眠る王」という民間伝承の類型を意味する単語らしいですが、改めて考えると、イビト山から落ちた先の国を治める王であるアズゴアそのものを表していますね。すなわち王としてのアズゴアを表した曲なのでしょう。そこからゲーム音楽らしい煌めきと華やかさのある「アズゴア」に移り変わります。こちらの曲の方は個人としてのアズゴアの内面を描いた音楽であると思われます。ライトモチーフとして表れる「心の痛み」に主人公と戦いたくないというアズゴアの葛藤がうかがわれ、アズリエルとキャラを亡くした後の様々な苦しみも表れているように感じます。それでもってピアノの旋律として優しく挿入される「ケツイ」のライトモチーフ。Pルートもクリアしサントラをよく聴くようになってからこの部分のメロディがゲームオーバー時のものと同じだと気が付き、鳥肌が立ちました。状況から考えると、この曲の場合は「それでもニンゲンの子どもを殺さなければならない」という王としてのアズゴアのケツイを描いていると考えるのが妥当ですが、それにしても数え切れないほど重ねてきたゲームオーバー(少なくともうちの主人公はそう)の時に励ましてくれたあの声の持ち主がアズゴアだったなんて。あのセリフを記憶しているのはキャラでしかありえないから、NルートやPルートを進んでいる時でもキャラとしての記憶と意識がひっそりと主人公に根付いているのだと考えると本当に興味深いです。そして、キャラにとって、命が消える間際に聞いたアズゴアの言葉が、その後何度も思い出すほどの意味を持っていたのだろうということも。

 モンスターの子どもがアズゴアについて語っていた内容からもうかがわれるように、アズゴアは責任を重視する人です。個人の欲求と世間で果たすべき役割の板挟みになっている大人の一人としてアズゴアにはかなり共感してしまうのですが、冷静に考えると、トリエルによる糾弾からもわかるように、アズゴアはUNDERTALE世界での問題解決にはまるで役に立っていません。意識を得たフラウィがまず頼ったのがアズゴアであることがGルートでは明かされ、アズゴアはフラウィを受け容れ誠実に対応したようですが、フラウィの心を救うことはできませんでした。ニンゲンのタマシイを得てバリアを破るという、モンスターたちに希望をもたせるためにアズゴアが打ち出した計画も、本当のところアズゴアは殺しをしたくないし本気でバリアを破りたいならもっと手っとり早い方法はあるという、その場しのぎ感が満載のものでした。優しいけれど優しいゆえに優柔不断、それがアズゴアであるように思われます。
 ただ、この膠着状況の責任をアズゴア一人に負わせるのも酷です。というのは、アズゴアを越える地底世界の王としての適格者が、ゲームのストーリー時点でおそらく他に存在していません。Nルートのさまざまなエンディング分岐でアズゴア以外の人物がモンスターたちのリーダーとしての役割を務めることになった状況からそれぞれの資質が垣間見られるわけですが(私はNルートは初回の不殺エンディングしか自分の目では見ておらず、他の終わり方についてはネタバレのテキストからしか情報を得ていないので理解が間違っていたら恐縮ですが)、どの終わり方でも少なくともエンディングの時点では安泰のハッピーエンドという印象は乏しかったように思います。

5. トリエルの役割

 ふつうに考えると、もうひとりの「ボスモンスター」であり、能力も高く、かつてはアズゴアと夫婦であったトリエルが最も適格でありそうなものです。
 しかしもしも主人公が一定数以上のモンスターを殺していた場合、トリエルがアズゴアの後を継いだエンディングはかえってトリエルの追放と亡命という悲惨な結末につながります。しかも、アズリエルにとって実の母親でありながら彼女もまたフラウィの心を救うこと地は失敗しています。アズゴアもトリエルも二人とも、真面目で誠実で有能なのに、まるで無力です。
 ただ、トリエルに関しては、ひとつ重要な役割が物語上与えられています。いせきで初対面の際、私はトリエルに対して「すごく親切な人だ!」と感銘を受けつつ「親切すぎてかえってうさんくさい、束縛感があってなんだか怖い」という印象も持ち、トリエルは「グレートマザー」のようだなと感じていました。グレートマザーとは、先ほど言及したシャドウ同様にユングが提唱した概念で、子どもを生み優しく育てるという肯定的な面と子どもを抱え込みすぎ自立を妨げるという有害な面の両方をあわせ持つ、そんな存在です。グレートマザーと対決し乗り越えることが自立のために重要なステップであるという考え方もあり、これはトリエルとの戦いそのものであるようにも思われます。
 主人公がトリエルとの戦いを終え、いせきを出た時点でUNDERTALEのタイトル画面が表示されるという演出。これは、庇護者であったトリエルに別れを告げた時が、主人公にとって真の出発点であるということを示しているのかもしれません。
 つまりトリエルは、彼女自身が変革者となることはできなかったものの、ニンゲンの子どもたちを守ることによって変化の芽を育むという役割は果たしていたと考えられます。

6.変革者としての子どもたち

 ここで話をアズリエルに戻します。「アズゴア」の音楽が好きだと上で書きましたが、「夢と希望」もそれに近いほど好きです。少年らしい若々しさに溢れている曲で、アズリエルの思いと運命に考えが及んで聴く度に胸が苦しくなります。
 責任感と悲壮感によって彩られた「アズゴア」とは対照的に、この音楽からは義務やしがらみの匂いがしません。敵として立ちふさがるアズリエル・ドリーマーがそうであるように、子どもとは自分勝手であり、実力以上の全能感を持ち、自らの望みや主張を大声でわめきたてるものです(もちろんそうでない子どももいることでしょうが一般的な傾向として)。
 そして、UNDERTALEのストーリーにおいては、世界の行く末を変える決定力となるのは、子どもたちによる、後先を考えない、ある意味無責任で無鉄砲な行動です。バリアを破るための方法を思いつき服毒したキャラ。キャラに説得され共犯者となったアズリエル。もともとは戦争の後でささやかな希望と幸福にたどりついていた地底世界は、二人の失敗によって絶望に突き落とされます。
 フリスクとキャラのいずれも決定的に優位な人格としての主張をしないNルートの結末では、多少の差こそあれどれも地底世界の生活は「現状維持」です。しかしフリスクが前面に出てくるPルートではバリアは消え、モンスターたちは念願かなって地上へ出ることができます。地上に出たところで再び人間とうまく共生していけるのかという重大な懸念はあるわけですが、少なくともエンドロール等ゲーム内では、皆で幸せになれたかのように描写されています。考えられる限りの最上の終わり方です。
 一方でGルートの結末は、世界の破壊です。一見するとただのバッドエンドであるように思われますが、破壊とは新しい創造の始まりです。現に、すべてが破壊されたGルートの世界は、プレイヤーとキャラの取り引きによって、新たなる姿を得ます。文字通りふりだしに戻っただけのようにも見えますが、そこから正しい道をたどればモンスターたちがバリアの外へ出られるようになる可能性が再びそこにはあります(いちどは虐殺に身を任せたプレイヤーに対するペナルティこそあるものの)。

 UNDERTALEという物語における2つの極点であるPルートとGルートの結末、そのいずれもが「子どもが主体となった世界の変革」であることはおそらく偶然ではありません。ストーリー開始前においてはアズリエルとキャラが両親の保護から逸脱して物語のきっかけを作り、ストーリー開始時には主人公がトリエルに逆らって物語を動かし始めます。大人たちが絶望しつつも手をこまねいていた世界を、大人に反逆した子どもたちが変える。ただしその変革はうまくいくとは限らず、強い苦痛が伴ったり、死と隣り合わせだったり、これまでの世界を大きく破壊したりすることすらある。UNDERTALEはそういう構造を持つ物語として作られているのだろうというのが、私の感想です。

7. 他に楽しかったこと

 最後に、ここまででまだ語っていない細かい感想をいくつか書き散らして締めといたします。

 1周目のNルートで「このゲームただものではない」という衝撃を強く食らったのは、まずはテミー村においてでした。良い意味でテキストが狂っていて、翻訳でよくぞこれだけのことをやってのけたものだと感動し、原文を検索して確認しに行ったほどです。その狂ったテキストがとびかうテミー村のBGMはこれまた良い具合に間の抜けた曲で、妙に耳の奥底に残りました。
 そして完全に音楽に持っていかれたのがNルートでのアンダイン戦。「正義の槍」、格好良すぎますよ。この音楽のお陰でテンションが上がりまくって、それまでよりも難易度の高かったアンダイン戦が何回か繰り返しても苦ではなく非常に楽しかったことを覚えています。UNDERTALEのサントラを聴き始めたのはこの戦いの後からです。
 マフェットちゃんとBGM「スパイダーダンス」も良かったです。マフェットちゃんにはけっこう苦戦したのですが、何度も何度も話をしているうちに、「この子は意地悪に見えるけれど実は仲間思いの良い子なんだな」と感じられてきて、次第に可愛く思えるようになっていきました。戦っていた頃は、作業をしている時にループで「スパイダーダンス」を聴き続けるくらいにハマっていました。
 アルフィーもまた印象的なキャラクターでした。UNDERTALEの誰よりも、「この人わたしと似てるな」と思わせられました。他人に興味があるくせにコミュニケーションの取り方がぎこちなく、間が悪いところが特に。だから好きというよりは、見ていていたたまれない気分にさせられるわけですが、でも、そういう微妙な共感があったからこそPルートで勇気を振り絞り結果としてハッピーエンドへの道筋を作ったアルフィーをねぎらいたい気持ちが心から湧きました。アンダインと幸せになってくれ! 
 アルフィーと言えばメタトン。メタトン大好きです。最初は鬱陶しかったのですが、メタトンEXとの戦いでコロッと「メタトンかっこいいじゃん!」と意見が変わりました。予想外に顔が良かったからかもしれない(対戦中の作文でメタトンの好きなところとして「カオ」と書いたのは私です)。それに彼、外見だけでなく心もちゃんとカッコ良いんですよね。人間殺戮マシーンとして作られたロボットが何よりも大切にしているのは、愛する視聴者たちを楽しませること…。なんじゃそりゃという気もするけれど、そうなったのはちゃんと彼自身の選択であるという意志の強さを感じて素敵です。もしも何かひとつUNDERTALEグッズがもらえるとして、フラウィぬいぐるみとメタトンTシャツの間で迷うくらいにはメタトンを尊敬しています。もちろんBGM「華麗なる死闘」も最高に彼に合っています。
 音楽と言えばサンズ戦のBGMであるMEGALOVANIAについても語らなければなりません。かつてドラゴンクエストシリーズの音楽を作曲した故すぎやまこういちさんは、ゲーム音楽は長時間聞くものだから「聴き減りのしない」曲を作ると語ったそうですが、MEGALOVANIAって、ほんっと聴き減りしない曲なんですよね。毎日サンズと戦っていた時に延々と聴き続けていてもまだ好きなフレーズでは心が躍り、運転や家事をしている時にも追加で聴くことすらありました。ほんの3-4分の曲を合計15時間以上聴いてなお飽きていない自分に気が付いた時、この曲の凄さを実感しました。

8.最後に


 ボリュームはコンパクトなゲームであるにもかかわらず、UNDERTALEには本当に楽しませてもらいました。登場人物たちが愛しく、音楽はかっこよく、ゲーム体験としても驚きと発見に満ちて非常に興味深いものでした。この感想文を書くこともまた楽しかったです。
 ありがとうUNDERTALE、ありがとうToby Foxさん!

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