光琳好みの梅見頃
『申し訳ありませんが、
紅白梅図屏風は梅の開花と共に
展示しております。つまり・・・』
受付の方は言いにくそうに
先を続ける。
『今回は展示しておりません』
『・・・なるほど、わかりました。』
あれから月日は流れ、また
訪れることになったのはそう
静岡、熱海のMoA美術館だ。
冒頭のやりとりからお分かりいただける
通り、梅の開花時期に合わせて
展示されてあるので、梅図屏風
を見たければ、その時期に合わせて
行かないととんでもない失態に合う。
さて、混み具合からどうもご盛況らしく
今回はホームページでチェックしてある
から問題ない。仕事もアートもやはり
下準備がすべてだ。
チケットを購入し、中へ行く。すると、まず
牧谿(もっけい)という中国の古い僧が書いた
『叭々鳥(ハハチョウ)図』があった。
これは中国のハッカチョウという鳥のことだ。真っ逆さまで落ちてくる時、羽に八の字が見えるから吉鳥だとされているらしい。
もともとは唐物好きの足利義満将軍が
持っていたそうだが、織田信長に渡った
とある。今で言えば前澤さんがバスキアを
持ってるみたいなノリかもしれない。
叭々鳥図は日本人画家も好んで描く
テーマなので展覧会でもぜひ意識して
みてほしいです。人によって結構
変わるので。若冲、一村、八大山人(中国)等々。
そして、念願の尾形光琳による、紅白梅津屏風
の前に立った。
左に白梅、Vの字型の枝が豪快に
左画面3割を使って描かれる。
中央には小川の流れをコミカルに描かれて
いる。北斎は荒波の一瞬を切り取るために心血を注いでいたが、光琳の波もまた、静かな
小川の流れの一瞬を切り取ることに心血を注ぐ。
右には紅梅が、枝ぶりいかがと白梅より
小さめに描かれる。
すると、とつぜん、
『すみません、
写真を撮っていただけませんか?』
と言われた。
パッと横を振り向くと着物を来た婦人と、
カジュアルな服装の婦人がおられた。
承諾し、スマホで数枚取ると、お近くですか、と世間話が始まった。着物の方は九州、カジュアルの方は関東だそう。
それから何を言うわけでもなく
3人で絵を眺めていた。すると、
着物のかたが言った。
「光琳は梅の見頃を心得てますね。
なぜだと思いますか?」
そう言われ、言葉に詰まる。
そこまで深く考えながら
見ていなかったからだ。
沈黙をよそに彼女は言った。
「というのもですね。ほらよく
見てみてください。梅の咲きごろが
そうですねえ、三分咲き、といった
ところでしょうか、、、。これが
九部、満開とかだったら後がなくて
退屈でしょう。」
そう言われ、うーむ、なるほどなぁ、
と考えさせられる。というのも僕なんかは
満開の段階でほぉいいですなーと
ノーテンキに楽しむくらいだからだ。
たしかに、そうですね。そこまで
意識して見ることはありませんでした。
そう告げると、絵の正面に顔を向けながら
少し笑っているようにも見える。
話を聞いているとどうやら、ある
流派で生花を学んでいるという。
どうりで、見方が少し違う。
それから二人に挨拶して別れた後
しばらく眺めていた。
❇︎
そのときのことをたまに思い出す。
そしてふと、、
満開だけが「咲くこと」
の全てなのでしょうか?
あの絵で光琳が伝えたかった
ことってもしかしたらこういうこと
だったのではないだろうか、と
思い至る。
道中を楽しみ、三分咲きも見逃すな、
一喜一憂せず、目の前を堪能しろよ、と。
うちわを仰いでる光琳の姿が浮かんでくる
のであった。
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