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ものさしの呪縛

コーチングを受けた日は、なんだかモヤモヤしてnoteに向かわずには眠れない。今日はテーマも考えておらず何気なく開始したのに、終わったときには立ち上がれないくらいの衝撃だった。
あ〜いたた。いまも頭痛がする。

他人からどう評価されているのかが気になって仕方がない、と、流れでそんな話になった。自己肯定感が低いのも、大勢の中で話すのが苦手なのもそこから来ている。他人が持っている「ものさし」が気になって気になって、いつも評価されているようで怖いのよね、と。

コーチに話しながら、最近気になったことをつらつらと思い出した。

そういえば、昨日息子に言われた。
「母さんはさぁ、いつも、ツラそうだよね」
「深刻なんだよ、いつも。そんなに深刻でなくっていいんだって」

「そんなこと言って、あんたは深刻でなさすぎ・・・」
と言いかけてふと彼を見ると、息子は口元は笑っているけれど、目が笑っていなかった。推しはかるに、彼はいつもそう感じていて、そして多分、私を心配している。

ちなみに息子は、高校生にもかかわらずまったく勉強をしない子である。
その彼が、クラスで下からン番目の成績を取ってきたときのこと。
「あなたね、これどういうこと。下からン番目で恥ずかしいと思わないの。もう学校行きたくないとか、思ったりしない?」
顔色を変える私の前で、彼は涼しそうな顔で言った。
「え? なんで?」
・・・なんでって、、、
「いや、さすがにやばいなとは思うけど、恥ずかしいって思ったこと、ないなぁ」
・・・・・・・・・。

ああこの子は、他人のものさしを感じたことがないのだ。

そしてさらに、7年前のことを思い出した。

息子が4年生、終業式前の保護者会のとき。担任の先生が、一人ひとり名前を挙げて、各生徒の「いいところ」を話してくれた。

「 Hくんは、一番前の一番中央の席に座っています。
  いろんな子が、彼のところにちょっと寄って、話していくんです。
  普段からよく話す子も、そうでもなさそうな子も。
  なんでだろうと見ていて気づいたのですが、彼は人を選ばないんです。
  Hくんはいつも受け入れてくれる、みんなそう思うから、寄っていく」

先生は息子をそう表現してくれて、そこで私は初めて、息子が他人をジャッジしない子だということに気づいた。
そうか、この子は、自分のものさしで他人を裁くことをしないのだ。


ものさしで他人を裁くことをしない人は、ものさしで自分を裁いたりもしない。

そういえば私は、他人をものさしでジャッジする傾向があった。子供の頃からそんな傾向はあったけれど、ある時期にある環境でそれが強化されているのを感じて、でもそこから離れて、いまは楽になったと思っていたのだけれど。

そうか、他人のものさしが怖いのではなく、自分のものさしが亡霊のように手元に残っているのか。


思いがけない壮大な旅でした、とコーチには最後に感想を伝えた。
明日はホットヨガにでも行こう。

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