朱に交わっても赤くなりたくない。愚痴をうまくかわす方法を考える。
私は産休育休で約1年、職場をお休みした。
1年もたつと、職場のメンツは結構変わるものだ。
自分と面識のないスタッフが、自分の知っているスタッフやクライアントと仲良く話しているのをみると、時の流れを感じてしまう。
クライアントもずいぶん顔ぶれが変わり、ここは確実に自分の知っている場所なのに、全然知らない異世界に来たような気持ちになる。
それでも、なんとか馴染もうと、必死だった。
馴染まなければ、自分の居場所はないのである。
新しいスタッフとクライアントには名前を覚えてもらうよう、何度も挨拶に行って頭を下げた。
特に、仕事の命運を左右するであろう、同じ部署の先輩との関係には注力した。部署変更で、先輩がガラッと変わっていたのである。
本当に疲れたし、本来の仕事よりも頭がいっぱいになってしまった日もある。
しかし、こうした努力のおかげで、少しずつ職場に馴染んではきたものの、私には一つだけどうやっても消えない「違和感」がある。
復帰した職場では、「マイナスの言葉でつながる人間関係が非常に多い」のである。これに関して私はずっともやもやとしているのだ。
私は、もともと職場で人の悪口や愚痴を話すほうではない。もちろん、悪口や愚痴が尾ひれをつけてどのように職場に広がるかわからないから、というのが一番の理由であるが、ほかにも思うところがある。
私は、人の悪口を浴びるだけでものすごく疲れてしまう。自分の悪口を言われているかの如く、気持ちが落ち込み、何もやる気がでなくなってしまう。誰かの愚痴というのは、それだけですごく人の心をかき乱す力が備わっていると思う。
だから、ひとには絶対言わないようにしている。
また、誰かの悪口で人とつながっていたくない、という思いもある。前向きな気持ちではなく、後ろ向きな気持ちでつながった関係ほど薄っぺらいものはない。悪口でつながった関係は、すぐに裏切られる。自分にとって得なことは何もない。
産休前は、誰かの悪口を話す人はほとんどいなかった。たまに話す人がいても、さらっと受け流せるくらいの内容だった。
しかし、復帰してからの職場では、誰かの悪口でつながる人がものすごく増えたのである。
理由の一つに、女性社員が増えたことであると考えられる。
以前は男性社員が多く、コミュニケーションも最低限で済んだ。しかし、現在は女性社員の割合がものすごく増え、良くも悪くもコミュニケーションが増えた。
女性が悪口をしゃべっている、ということではない。良い話ももちろんある。しかし、良い話というのは、なかなか表には出てこない。それに比べて、悪い話はすぐに表に出てきてしまうし、悪い話は盛り上がりやすいという特性もある。結果として、職場で悪口が多い状況となっているのである。
それに気づいたのは、復帰して一か月たってから。
周りの人も私がどういう人なのか伺っていただろうし、私自身も職場に慣れることに必死だったため、まったくそのような話はなかった。
しかし、徐々にそういった話は耳に入るようになるし、空気を感じ取れるようになっていく。
最初はものすごくそういった話を聞くことが嫌でたまらなかった。しかも、悪口を言われている人は、産休前に私によくしてくれた人である。
その悪口をきくだけで疲れてしまい、家で何をする気にもなれなかった。仕事よりも疲れた。
自分の価値観が別な人と働くうえで、合う合わないはあるだろう。私にとっては良い人でも、ほかの人にとっては違うのかもしれない。不満を持つことはあるだろう。
ゆえに、「その人に対して何か思っていても、私に何も言わないでほしい。愚痴を聞くだけで疲れてしまう」私は、そう強く思っていた。
しかし、人の「慣れ」というものは不思議で恐ろしいものである。
朱に交われば赤くなる、とはよく言ったものだ。
私は、愚痴を聞いても「また始まったか」と思うようになり、それと同時に、うまくかわす方法も考えるようになった。
愚痴を聞いているだけでは自分が疲れてしまうので、自分も言葉を発するのである。しかし、一つだけ約束事がある。自分は絶対に愚痴を話さない。相手の愚痴をおうむ返しするだけだ。
「ほんと、○○だったんだよね」「○○だったんですね」といった感じ。傾聴法の一つである。
また、おうむ返しするうちに気付いたことがある。
この方法であれば、愚痴を自分で受け止めなくてよいのである。
キャッチボールをイメージしてほしい。相手から投げられた「愚痴」というボールを、私で受け止めず「おうむ返し」することでさりげなく相手に返しているのだ。
意外と、効果はてきめんである。
「悪口を浴びた」感覚にはならず、「話を聞いてあげた」という感覚になるのだ。
心理学上、悪口を話している人も「話を聞いてくれた」という感覚に陥る。
悩んでいる人はぜひ実践してほしい。
朱に交われば、ある程度は赤くなってしまうだろう。しかし、赤くなっていく自分を自覚することができれば、赤くなり方も変わるはず。
私はこうやって明日からも生きていく。
朱に交わっても完全に赤くならないように、自分を見失わず、淡々と生きていく。
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