野球良いなー

ほぼ初めてレベルで甲子園真面目に見てるんだけど、めっちゃ面白い。特に最近、Vtuberとかばっかり見ていたから、熱意とか闘志の籠った人を見る機会がなかったので、そういう高校球児を見た時に、自分にもそういう感情ってあったんだなって思い出させられた。そういえば、人生で一番初めにハマった漫画は、「H2」とか「ダイヤのA」だったし、パワポケとかも結構やりこんでて、幼い頃から野球の魅力には気づいていたし、特に熱中したコンテンツだったのを思い出した。「自分を高めたい」「成長したい」っていう気持ちって誰にでも持っていると思うけど、野球みたいに熱血で運動能力を高めるのか、本を読んで理性を働かせ知的な方面を高めるのか、人によって、人生の時期にもよって違うと思うけど、この理性と動物的本能のバランスがあってこそ人間らしい生き方ができるということをちゃんと理解するのは僕にとっては案外難しくて、いろんなコンテンツからその手がかりを教わっているなと感じる。

Vtuberに対しては応援したいって感情が一ミリも湧いたことなかったんだけど、甲子園見てると感情豊かに喜んだり悔しがったりしてる投手のこと応援したくなるし、歓声とか応援歌とか頑張ってやってる座席の人とか見て、みんなで一体になってる感じが良いなという感情が湧いてきた。動画コンテンツって応援できても文字だからどうしても客観的な感じがするけど、リアルフィールドで感情が動いている人を見ていると感情的にくるものがあるなと思った。

理屈っぽくなっちゃう自分が嫌になる時結構あるんだけど、理屈とか抜きに熱中できることに没頭している時は、そんな自分を忘れられる気がして良い。「何も考えずにポジティブな感情に没頭する時間」をつくるのって結構難しくて、特に人と関わっていたりすると相手の顔窺わなきゃいけなかったりするし、自分がかっこよくみられるにはどうすればいいかとか考えだすので、野球とか、音楽とかは、それそのものを最大限楽しむことが許される時間をつくることを助けてくれるなと思う。良い意味で部分的なところが良いと思っていて、楽しむポイントみたいなのが自分の中でわかりやすいから、スっと入ってきて好きだ。工夫しなくても、そのまま食べて味がするというか。一から料理しなきゃ食えないコンテンツばっかり調理してたら疲れるんだよな。

野球って男臭いところが良いんだよな。泥まみれになっても絶対セーフになってやるぞって気合でヘッドスライディングしたり、女性にはなかなかできないようなことも全力でやるから、男心みたいなものをくすぐられる。「チームのために貢献したい」という動機で熱意を出せたりするから、モチベーションの方向性とかも美しいなと感じる。変化球とかは、必殺技っぽくてかっこいいし、キャラクター性というかアイデンティティにも寄与して、選手の特徴みたいなものが見えやすくなる。細かい技術とかわからなくても、三振とかホームランとか、「何をやってるか、どっちが有利か、誰でもわかる」ってところが他のスポーツと違って良いところなのかなと思った。サッカーとか、ドリブルの技術とかよくわからないし、シュートもホームランなのか読み合いで勝ったのか味方のパスが良かったのかよくわからない。まぁサッカーも好きなんだけど。あと、応援歌が野球の方が独特で好きだ。応援歌ってなんか凄い好きで、一時動画調べてそればっかリピートしながら聞いてたこともあるくらい好き。なんで良いのかわからないんだけど、なんか良いんだよな。打者が塁に出た時のやる、テーテーテーテレテッテレー♪ってメロディーとか、自分の中のなんかの感情と対応してるんだろうなとは思うんだけど、それが何か正確にはよくわからない。他者の幸福とか成功を、自分ごととして捉えられて喜べるのが嬉しいのかもしれない。それを求めていて、音がそれを教えてくれるのかもしれない。自分の中に眠っている感情を、音が引き出してくれるというか。潤滑油みたいな働きをしてくれているかもしれない。

人間の理解は「言語アプリ」「動物OS」の二つから来ていて、どちらかというと後者の方が大事なことが多いって生成AIの松尾先生が言ってたの聞いてとても府に落ちたんだけど、後者の鍛え方って前者より定型化されていないし、センスとか多分必要になってくるから難しい。他者にそのまま伝達できる形をしていない何らかの現象を、どう自分の中に経験させるかっていうのは、何がきっかけになるかわからない。さっきの応援歌が潤滑油になってくれるかもしれないし、投手の表情とボールの軌道の関係から直観的に理解できるのかもしれない。わからないからこそ、人のことを考えて、この人はどう直観的に理解してるのか?を見て、それを自分の精神と対応させてみるとかしてるんだけど、変数が多いとどこを拾えばいいのかわからなくなるので、良い感じに部分を表現してくれるメディアを見てなんとなくわかった気になっている。正しいかわからない、そもそも正しさとは関係が深くない、それが動物OSなわけだから、そこを不安がったり間違うことを恐れてはならない。言語アプリの世界を理解しようという努力は一旦一区切りついた感じがあるから、これからはそこを意識して過ごしていきたいと思う。


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