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何度目の挑戦?笑

2回目の挑戦は14日目で終わりました。

もういいんじゃね?とも思いました。

でも、やり遂げたいんだよね。

今回から毎回テーマを連続することにしました。

【カッサ①】

わたしが師匠の陳 鈴々(チンリンリン)にこの手技を学んだのが

2013年の初夏ですから、実に7年前ですか、、、。早いですね。

そして時の移り変わりが夢のようです。

わたしは、今から7〜8年前。奇病に捕まりました。

最近では、レディガガ、国内では八木アナウンサーが罹患し

「線維筋痛症」という痛みの病気です。

毎日毎日、ロキソニンを飲む日々。

ロキソニンをヤクルトでも飲む勢いで日に3回飲みます。

当時沖縄にいたわたしは、大学病院を含め有名クリニックに通ってはこの痛みをなんとかして欲しいと思ってました。

その時、医師に言われた言葉

「ホスピタルショッピングという言葉を知ってますか?」


でした。

もちろん知りませんでしたが、なんとなく精神性を疑う言葉だということだけは理解できました。

結局、わたしは「心療内科に行きなさい」と言われてしまいましたが

絶対、ソコじゃない確信だけはありました。

わたしは繊細ですが、決して弱くはありません。

もしわたしが弱かったらこれだけの夢を叶えるなんて出来ません。

金融に携わる事、銀行に勤めること、銀行の有価証券部門の窓口に立つこと、

全国234店舗中、230位だった店舗に配属になり

わずか半年で、全国14位まで上げました。

その後、沖縄に渡ってからわずか半年で全国1位を勝ち取りました。

だがしかし、、、、

足の引っ張り合いがエゲツなかった、、、。結局わたしは沖縄で外様から外れることなく、誰とも仲間にならずに病気になって、戦線を離脱しました。

その後、水面化でオファーはありましたが全て断りました。

実際は足元をみた「底賃金だけど高ポジション」

同じでっかい企業間の違う金融部門でのインストラクターとしてのオファーでした。

やるかいな!


ここでわたしが自分を抑え、金のためだけに「いい顔」する。

そんなことは耐えられなかった。

そんな事をしたら、きっとずっと自分が自分を許せなかったと思います。

そしてわたしが最初に決めたことは

「自分の道を行く」

ということです。

この時、わたしは既に47歳でした。

しかも、迫力のあるね、、、。

このまま誰かのところで働いても、絶対に使いづらいおばさんです。

わたしの迫力。こんな新人来て貰いたくないよね。笑

実際、わたしはコンビニで早朝バイトをした時

胸に「トレーニング中」の名札をつけて数ヶ月働きましたが

「アイスコーヒー」を朝からガブ飲みする女に


「はやくー!早くやってよ!なんだよ!おばさん!」


と、怒鳴られましてね。


煮えくりかえりながら我慢したんですよ。


でも、2回目はその我慢はできなかった。

わたしをカモにしたあの人は、またわたしを怒鳴ったのよね。

「いまだ」!

わたしは挑むように言いました。


「これ以上は、でーキーマーセーン!!!!」


バイトリーダー?みたいな人がわたしを吹っ飛ばして、

すみませんと誤っておりました。こんな人をたたせないでよ!この朝の忙しい時間に!

とかいうてはる、


わたしはその後事務所に呼ばれて、コンコンと説教を受けましたが

では、辞めますと言いました。

「あっそっ。では。あのね。ヒガシさん、もういい年なんだからさ!世の中の仕組み、いい加減知ったら?」

と、バイトリーダーの35歳に言われました。

これが「底辺」かと思いました。

面白くないですか?わたしは某銀行では「神様」扱いだったんですよ。マジで。

コンビニでは「底辺」ですよ。

わたしは、あえてこう思うのです。

自分のあった「海流に生きよ」と。

わたしはコンビニのバイトを低くみてるわけでは決してありません。

オペレートも膨大で、本当に尊敬できる、もっと賃金高くていいんじゃない?とさえ思います。

貶めてるのはそこに働く人のリスペクトしあえないマウント行為です。

海上の浅いところは、文字通りの雑魚が泳ぎ

深海は深海の姿をした魚が、違うエネルギーを積んで活きてます。

魚というカテゴリーは一緒だけど、住む領域は違います。

自分を磨けば、それでいい。

自分にとって必要なことしか残りません。

前出の「ホスピタルショッピングって言葉を知ってますか?」と

わたしに問うた医師。

最初から、わたしをヒステリーか精神障害として観るドクター。

同じなんだよね。

ちゃんと関わってから印籠を渡しなさいよ。と思うわ。














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