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「ストア派哲学入門」(Diario para estoicos)

カバー写真は、デビッド・ボウイの左ふくらはぎのタトゥーである。写真から文言の全体は読みきれないが、後半部分は「私には変えられない事を受け入れられる平静な心を、私に出来る事を変える勇気を、そしてちがいのわかる知恵をお与え下さい」と「ニーバーの祈り」が読み取れる。この祈りは、アルコール依存症の更生団体、アルコホーリクス・アノニマスのメンバーが唱える祈りとして有名だが、アルコール依存症患者さんだけのものにしておくには惜しい。人はだれでも何らかの悪癖、認知バイアスに依存して生きているので、万人に必要な祈りだと思う。

Señor, concédeme serenidad para aceptar todo aquello que no puedo cambiar, valor para cambiar lo que soy capaz de cambiar y sabiduría para entender la diferencia.
主よ、私に与えたまえ。変えるべきことを変える勇気を、変えられないことを受け入れる心の平和を、そしてこれら二つを見分ける賢さを

ニーバーの祈り

この祈りにおける「賢さ」に答えるのが、ストア哲学である。ローマ時代の奴隷階級から哲学の教師となったエピクテトスの教えをまとめた「提要」の冒頭に記されている。この「提要」はヒルティの「幸福論」のエピクテトスの章に全文引用されているので、一昔前の日本人にも馴染み深いものであり、ストア哲学の考え方の大原則とされている。

«Hay ciertas cosas que dependen de nosotros y otras que no. Dependen de nosotros la opinión, las inclinaciones, el deseo, la aversión y, en definitiva, todo lo que son nuestros propios actos. No dependen de nosotros el cuerpo, las riquezas, la reputación, los cargos y, en definitiva, todo lo que no son nuestros propios actos. Las cosas que dependen de nosotros son por naturaleza libres, no están sujetas a restricciones ni impedimentos; pero las cosas que no dependen de nosotros son débiles, serviles y están sujetas a restricciones impuestas por la voluntad de otros».
「あるものはわれわれの力の内にあり、あるものはそうではない。意見や選択、欲求、忌避など、自らの意志が及ぶものはすべて、われわれの力の内にある。だが、肉体や財産、名声など、自らの意志が及ばぬものはすべて、われわれの力の外にあるのだ。そして、われわれの力の内にあるものは本質的に自由であり、妨げられも阻まれもしない。しかし、われわれの力の外にあるものは、壊れやすく隷属的で、ときに妨げられ、われわれ自身のものとは言えぬのだ」

Epicteto, Enquiridión, 1.1

要するに、変えられることというのは、外部に対する自分の認識とそれに対する反応だけなのである。VUCAの時代と言われて久しい現在、ストア主義は、認知行動療法やマインドフルネスの心理学の流れと合流し、モダン・ストア主義(Estoicismo moderno)として、復興しつつあります。例えば、昨年、国内で「僕たちの哲学教室」という映画が公開されました。

北アイルランド・ベルファストで哲学を授業に取り入れている小学校の2年間を記録したドキュメンタリー映画です。ここに登場する校長先生の愛読書として登場するのが、モダンストア主義者の一人、ライアン・ホリデー氏の著作 "The Daily Stoic" です。日本でも、パンローリング社から「ストア派哲学入門」として和訳も出ています。このパンローリング社、投資関連書籍出版の会社で、投資家が株式の売買で揺らぐ心に平静をもたらすためのスキルとして出版したのでしょう、書店では株式投資コーナーにひっそり置かれていることが多いようです。しかし、大切なのは、ストア哲学が衒学的な哲学とは異なり、テロが頻発する地域に住む子どもの教育にも、強欲な投資家の心の安定にも、そしてビジネス環境の変化に対してアジャイルな対応が必要なIT業界経営者(参照:「シリコンバレーはストア哲学の深淵を覗けるか」)にも、役立っている実用的哲学であるということです。この「ストア派哲学入門」の特色は、日記形式で1月1日に始まって、1日1つずつストア哲学の先人の引用があって、それに解説を加えている形式になっています。先に引いたエピクテトスの「提要」の冒頭も1月9日に引用されています。マルクス・アウレリウスから141個、セネカから104個、エピクテトスから101個、ムソニウス・ルフスから11個、ディオゲネス・ラエルティオスから10個、プルタルコスから2個、合計369個の引用を通じて、徐々にストア哲学に馴染めるようになっています。
この本のスペイン語版 "Diario para estoicos" を日本語版「ストア派哲学入門」と照らし合わせ、読み進めながら、自分なりの日々の省察ができるようになれば、まずは日本語でのジャーナリングを習慣とし、それをDeepLなどのサービスでスペイン語に訳していくことで、スペイン語学習の糧となるような気がするのです。

Sin más, pondré la atención en mí y, cosa que resulta muy provechosa, revisaré mi jornada. Nos vuelve muy defectuosos el hecho de que nadie toma en consideración su vida; discurrimos sobre lo que hemos de hacer, y esto raras veces, pero no consideramos lo que hemos hecho; ahora bien, la previsión del futuro pende del pasado.
 「私は、絶えず自分自身を観察することにしよう。そして、その何よりの方法として、一日一日を振り返ることにしよう。というのも、この点でわれわれは間違いを犯すからだ。誰も自分の生活を振り返ろうとはしない。われわれは先のことなら少しは考えるが、将来の計画は過去から生まれるのだ」

Séneca, Epístolas morales a Lucilio, 83.2

そう言えば、ルキウス・アンナエウス・セネカは、ヒスパニア・バエティカ属州の州都コルドバの出身でした。
そしてそれ以上にし、次の皇帝の日記のような死に方の準備ができるような気もするのです。

Pasemos, pues, este corto instante de la vida conforme a nuestra naturaleza; sometámonos voluntariamente a nuestra destrucción como la aceituna madura que, al caer, parece que bendice la tierra que la ha producido y da gracias al árbol que la ha llevado.
 「このわずかな時間を自然に従って過ごし、いさぎよく生を終えるがよい。あたかも熟れたオリーブの実が落ちていくように。自分を育んだ大地をたたえ、自分を実らせた樹に感謝を捧げながら」

Marco Aurelio, Meditaciones, 4.48




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